簡単なサンペンス劇場
この状況を何て言うんだろうか?
頭からは血を流して床に血溜まりを作り、うつ伏せで微動だにせずに倒れている老人。目は見開き、大きく開いた口からは外れた入れ歯が下唇に引っかかっている。この表情がオーナーの苦しみを如実に表現し、みんなに伝わって戦慄させた。
「お、おい、これ……死んでるのか?」
そう言った後藤さんは、足先で何度かオーナーの脇腹を軽く突くが動く気配はない。やはり死んでいるんだろうか。
これは事故か事件か。それはオーナーの傍に落ちている、リビングにあったはずの燭台が物語っていた。派手な装飾が施された燭台の土台部分には血がついていた。これが凶器で間違い無いかも知れない。
「一郎君、これって……」陸が不安そうに俺に言った。
俺はリアリティのないこの状況が何なのかを思い出す。
「殺人事件……だろうな」
* * *
俺と陸は大学の登山サークルに所属している。今日はサークルメンバーと登山に来たが、突然の大雨で視界が悪くなった俺と陸はサークルメンバーと逸れてしまった。
合流しようにも例のごとくスマホの電波は圏外。ぬかるんだ下り坂を歩くのは危険と分かりつつ、仕方なく下山していると運良く山荘を見つけて避難する事に。
山荘の名前は、ディアブロ荘。酷いネーミングセンスなので中に入るのは憚られる。街中でこんな名前の店があったら写真だけ取って終わりだろう。
仕方なく中に入ると小柄な老人が出迎えてくれた。老人は山荘のオーナー、中に入るなら宿泊費を払えと言ってきたので俺らは渋々宿泊費を払った。慈善事業じゃないんだから当たり前の事。それに外にいるよりはマシ。
因みに、オーナーに山荘の名前の事を訊ねると、昔やってたバンドの名前から取ったらしい。訊ねといてなんだが、中々にどうでもいい理由だった。
暖房器具のない二階の共同寝室に荷物置き、リビングに行くと他のも避難者達四人が寛いでいた。
リビングには敷かれた絨毯の中央に長方形のテーブルがあり、それを挟むように二人掛けのソファーが向かい合って置かれていた。
テーブルの上に派手な燭台があるが火は付いていない。ソファーに並行して奥の壁には使われていない暖炉、その近くに一人掛けのソファーがリビング中を見渡せるように壁の隅に置かれていた。
二人掛けソファーの一つに座って本を読んでいるのが山岸さん。背が高く、痩せ細って眼鏡を掛けて落ち着いた雰囲気の人。
向かいのソファーでトランプをして遊んでいる、髪を後ろで結んで可愛らしい顔をしているのが佐々木さん。 もう一人は金髪のベリーショート、綺麗な顔立ちをしており、バンドのボーカルをやってそうなのが野呂さん。二人は高校からの付き合いらしい。
俺は二人を見た時、これが運命の出会いになるんじゃないかと期待に胸を震わせた。が、奥の一人掛けのソファーに座ってる男を見てその期待は吹き飛んだ。
その男は恰幅の良い腹をし、不機嫌そうに酒を飲んでいる男。それだけならまだいい。
山荘、と言うより山に適していない格好している。ダブルのスーツを着て髪型はオールバック。指には金色に輝くゴツい指輪をしているこの男、まったく堅気には見えない。
そう思う以外に他になく、恐れながらも名前を訊くと「後藤だ」と威圧的に名前を応えただけ。
怖そうだから関わらないようにしようとする俺とは違い、陸は普通に話しかけて談笑までしている。まさにその姿、恐れ知らずに世間知らず。ゆとり世代代表と言っても過言ではない。
そうして時間は経ち、俺は女子達や山岸さんと打ち解け、楽しい時間を過ごすが大雨は止む気配はない。それ以上に雷も鳴り始めて激しさを増した。
雨が止んだら下山しようと考えていた俺と陸、避難者達は諦めて一泊する事を決めた。
泊まることが決まるとキッチンで料理を作ったり、シャワーを浴びたりと各々行動に移し、ある程度落ち着くとみんなで酒盛りを始めた。
後藤さんは参加せずに一人で酒を飲みながらスマホを見、トイレに行くか酒をキッチンに取りに行く以外、一人掛けソファーから動くことはなかった。
部屋で飲めばいいのにと思うが、暖房器具の無い共同部屋で酒を飲むのは厳しいとも思った。ならせめて、この輪に入って楽しくしてほしい。不機嫌そうにする気持ちはわかるが、あんたは怖い。
酒盛りが始まる前に山岸さんに聞いた話だが、ここの山荘は料理が美味しい事で有名らしい。本来なら近くにあるレストランから簡単な料理を運んでもらえるそうだ。
少し期待したけど、この雨で夜の分は運ばれてこないとオーナーが言っていた。
とても残念だ。で、そのオーナーは二階で仕事があると言って降りてこない。やっぱり老人一人で経営するは大変なんだな。
こうして、オーナーが一階に降りてくることは二度となかった。荷物を取りに二階に上がった佐々木さんが、廊下で倒れているオーナーを見つけて事件は発覚した。
* * *
思ってたのと違う。何だこれは?
二階から戻ってくると、先にリビングに戻った三人は思っていた状況とは全く違っていた。
「ぃいや~ッビックリしましたねぇ~。初めて死体なんて見ましたよぉ~」
山岸は興奮しながら、同じソファーの隣に座っている野呂に言った。
「私もだよ!」
答えた野呂さんは笑い声を上げ、手に持っている煙草を吸って煙を真上に向けて吹いた。
まるで有名人に握手でもしてもらったかのように、二人は興奮気味に話し続けた。それが何だか不気味にも思える。
更に不気味なのが、第一発見者の佐々木さん。オーナーの死体を見つけた時は悲鳴を上げてパニック状態だったのに、何事もなかったかのようにスマホを見ているってこと。
死体を見たときはあんなに驚いていたのに、切り替えが早すぎないか?
人が殺される。この三人にとって、そんなにも軽いものなのだろうか。
俺は三人に干渉することなく、二人の向かいのソファーに座る。
「みてみて新田君! やばくない?!」
スマホと睨めっこしていた佐々木さんが、突然声を上げて俺にスマホの写真を見せてくる。オーバーに反応するつもりはなかったが、写真見て俺は思わず「っえ?」と声が漏れてしまう。
オーナーの死体と佐々木さんが写っている自撮り。オーナーの目には加工して隠されていた。
死体と写真って……イカれてる……。
「目は隠してるし、SNSに上げても大丈夫かな〜?」
常軌を逸した質問に俺は答えられずにいると、向かいのソファーから助け船がきた。
「本当にアンタバカ、いいわけないでしょ」
「新田君が困ってるじゃないですか。それに不謹慎ですし、バカまる出しです」
佐々木さんより、まだまともな二人が神妙な顔つきで言うと、佐々木さんは「二人ともヒド〜イ」とかわい子ぶった感じで言った。
向かいの二人に最低限の常識があってよかった。そう安堵したのもつかぬ間、少しの沈黙を経て三人は笑い声を上げる。
「アンタといると、本当に退屈しないわ~」
「この流れにも慣れてきましたよ」
いつもの流れ、またバカやってるよコイツ。グループのムードメーカーがバカなことをやったような悪ノリ、そんな感じに三人笑いあった。
俺には理解できない。この状況でふざけていられるのかが。
「何で? 何でそんな普通にしていられるんですか? 人が死んでるんですよ? この中に犯人がいるかも知れないんですよ?」
俺が言うと三人は笑うのをやめてお互いを見合う。こいつは何を言ってるんだと言いいたげだ。何だ? 俺がおかしいのか?
「まぁ……、私が犯人だとしても、殺す動機? なんてないよ。初めて会う人ばかりだし、ね?」
同調を求めて佐々木さんは野呂さんを見た。
「恨まれる覚えもない」
「怯えていても仕方ないですからね。大丈夫ですよ、何とかなりますって。あ、皆でトランプでもしませんか?」
同じ現場にいてなお他人事。自分が殺されるかも知れないってのに楽観的すぎるだろ。自分は大丈夫って、その自信はどこから来るのだろうか?
俺は少しのいら立ちを抑え、山岸の誘いを「やめときます」と言って立ち上がろうとすると、佐々木さんが俺の頬を指先でつついた。
「怒っちゃってカワイイ〜」
殺されてしまえ。その言葉を声にだすのを我慢し、無視して俺はその場から離れる。
向かう当てもない俺を、陸と話しているふてぶてしく一人掛けソファーに座った後藤さんが呼んだ。そのせいで心臓が一つ鼓動を鳴らす。
「な、何でしょう?」
「お前、この状況どう思う?」
俺は質問の意図が分からず、ひとまず思ってることを簡潔に伝える。
「セオリー通りじゃないって感じですかね?」
後藤さんは少し威圧に困った表情をして、「まぁ……、いいか」と言って話を続けた。何だったんだ今の質問?
「まともな判断ができそうなのは、俺と加藤と新田、この三人だ。この中に犯人がいるかは知れないが、今後のことを伝えとく。犯人は捜すな」
何言ってんだこの人? 自分が犯人だからそんな事言うのか? 淡々と話す後藤さんに納得いかない俺は食って掛かる。
「なぜですか? 俺は、犯人を見つけて拘束した方がいいと思います」
反論したのが気に障ったのか、後藤さんは眉間にシワを寄せた。
「俺やお前に、犯人が見つけられるのかぁ?」
ため息をつき、後藤さんは続けた。
「これは遊びじゃない。無駄に犯人を刺激するぐらいなら、やらない方がいいだろうがよ」
怖い、この人とにかく怖い。生きて帰れてもその後殺されてしまうかも知れない……。威圧的な後藤さんに気圧されるも、俺は食い下がろうとすると陸が割って入る。
「この殺人は、リビングの燭台が使われた時点でこの中の誰にでも出きる殺人。リビングには必ず人がいたから部外者にはできない。みんな、必ず一回以上はリビングを出入りしていたし、オーナーがいつ殺されたかもわからない。僕らには、事件を捜査する能力なんてないからこれ以上は無理だよ」
俺に追い打ちをかける陸、間髪入れずに続く後藤さん。
「ここにいる奴らは、お前らと女共を除いて初対面。隠している事はあるのかも知れんが、分からない以上は全員怪しい。だからこのリビングでお互いを監視し続けるのが最適だ。それとも、これ以上にいい案でもあるのか?」
残念ながら、後藤さんと陸の言ってる事には納得するほどの説得力があった。俺は馬鹿だから、この二人を納得させるだけの案は思いつかないだろう。犯人と同じ部屋にいるってのは不安だが、それが正しい、と言うか正しいとしか思えなくなっている。なら反論する理由もない。
「……異論、ありません」
後藤さんの眉間からシワが取れ、手に持っている酒の入ったグラスを口内に流し込んだ。
「不安なのはわかるが、今は自分にできない事はするな。大丈夫だ、ここの有線の電話で警察には連絡してある。ま、この雨で直ぐには来れないらしいがな、全く使えん奴らだ」
後藤さんなりに落ち着かせようとしてくれているのだろうけど、その情報が更に俺の不安を煽っている。この人、案外悪い人じゃないのかも。
話が終わり、不安を拭えない俺の表情は暗め。そんな俺に気を使ってか陸が話しかけてきた。
「気を張りすぎじゃない? 夜は長いんだからすぐに疲れるよ。そこの三人みたいに、少しは楽にした方がいいかもね。行く?」
「……やめとく」
陸の気遣いはありがたいが、あの三人といて気持ちを楽にできるとは思えない。逆に昂って暴言を吐くのが目に見える。
「わかったよ。ならそこの本棚に面白そうな本があったから、キッチンにあるコーヒーでも飲みながら読んでみるといい」
陸が友達で本当に良かったと思う。
こんな良い奴そういないだろう。陸はこう見えて冗談ばっかり言ってるふざけた男である。毎回スベっているけど、俺はそんな所が面白くて気に入っている。
俺は陸に礼を言ってキッチンに向かう。
キッチンはリビングと繋がっているので、リビングの賑やかな声が聞こえてきた。陸はあの三人に混ざったようだ。
俺はコーヒーポットから残り少ないコーヒーを全部マグカップに注ぎ、キッチンを出ようとすると山岸さんがキッチに入ってきた。
マグカップを持っているから珈琲をお代わりしに来たようだ。
「あ、すいません。コーヒー全部注いでしまって……」
「大丈夫大丈夫、問題ないですよ」
山岸は笑顔で応え、取手付きの電気ポットでお湯を沸かし始めた。
「新田君。加藤君も加わって更に盛り上がってますし、こっちに来ません?」
「いや、あの……、すいません、大丈夫です」と言ってキッチンを出る。
山岸さんはいい人なのか、何も考えてないだけなのか、分からないけど二度も断るとさすがに申し訳ない気もするな。これじゃ俺がふてくされているみたいだ。
暖炉がある壁側の左端に大きめの本棚があった。
ラインナップは、『UMA大百科2019』『激撮! 世界のUFO』『女子必見! マジの御呪い&パワースポット』『マジでサルでもできる幽体離脱』『マジで悪魔召喚』そして『悪魔辞典』と『聖書』などなど。胡散臭い奴からマジな本まで揃ってる。
この山荘の名前からして思ったけど、オーナーはオカルトマニアらしい。陸もこう言った本が好きなのだろうか?
適当な本を取って読んでいると、事件はまだ終わっていない。とでも言いたげに雨雲が唸りを上げた。
一同は窓越しに見える外に注目したその瞬間、窓に強い光放ち、けたたまし雷鳴を響かせて雷が落ちた。
すると全員の視界を暗闇が覆った。山荘内の蛍光灯と暖房、電気の類は全て電源が切れたのか停電状態。
ここに落ちたのか?!
佐々木さんは死体を発見した時と同じ奇声を上げ、野呂さんが「大丈夫、落ち着いて」と声が聞こえてきた。
それどころじゃない最悪だ、ビックリしてコーヒー溢した。服に生暖かいものを感じるし、きっと本にもかかってるかもしれない。
それより問題なのは、視界を奪われた状態で犯人と一緒にいるって事だ。俺の不安は加速する。
「おい、誰かブレーカー上げてこい!」
暗闇の中、スマホのライトを頼りに俺達はブレーカー探しを始めた。発案、と言うより命令をした本人の後藤さんは、一人掛けソファーから動くことはなかった。やっぱりいい人ではなさそう。
捜索の末ブレーカーは見つかったが、レバーを上げてもうんともすんとも言わない。雷が落ちてブレーカーが壊れたようだ。
仕方なく、寒さを凌ぐ為に使えるかわからない暖炉を使う事になった。暖炉を使った事があるのか後藤さんはジャケットを脱ぎ、シャツの袖を捲って率先して働き出した。
本棚の本を豪快に暖炉内に入れ込む後藤さん。重量のあるメモリーと書かれたアルバムが出てくるも躊躇なく暖炉の中に放り込んだ。さよならオカルト本とオーナーの思い出。
ある程度本を入れ終わると、暖炉内の上部にある取手で煙突の蓋を開放し、手に持っている本をライターで燃やして暖炉内に入れた。
火が他の本に移り、小さかった火が大きな火へと変わると、リビング内に少しの光と少しの暖かさが戻ってきた。
一仕事を終えた後藤さんは額の汗を拭って一息ついていると、「寒い寒い」とずっとうるさかった佐々木さんが後藤さんを押し除け、暖炉の前に屈んで陣取った。
この女は……と俺は呆れる。
舌打ちをした後藤さんは、「足元のバケツに水が入ってる、倒すなよ」と佐々木さんを睨みつけて言い、また一人掛けソファーに座った。
暖炉のおかげで少しリビング内が温かくなったとはいえ、まだまだ寒い。
「っあ」と山岸さんは何かを思い出したのか、陸を引き連れてキッチンに向かった。
数分後に山岸は数人分のコーヒーを持ってキッチンから出て、少し遅れて陸も数人分のコーヒーを持ち「クッキーもあったよ」と出てきた。
さっき電気ポットでお湯を沸かしていたな。停電になる前に沸いていて助かったな。
全員が温かいコーヒーを飲んで暖炉の近くに密集して暖をとった。後藤さんの定位置は変わらず一人掛けソファーに座り、時間が空くと暖炉の中に本を軽く投げ込んだ。
佐々木さんは暖炉の前を陣取り、俺を含めた残りの四人はソファー二つを暖炉を囲む感じに近づけ、俺と陸、山岸と野呂さんに別れて座っていた。
全員が暖炉の火を一点に見つめ、会話も無く時間が過ぎた。
火を見ていると落ち着く。このまま警察が来るまで何事もなければいいんだが……。
と言う思い砕くかの如く、けたたましい音を帯びて雷が再び落ちた。
今度は少し離れた場所か。
そう思ったすぐ後、また驚いた佐々木さんが奇声を上げて転び、その拍子に水の入ったバケツを蹴飛ばした。バケツは見事に暖炉の火に直撃して鎮火してしまう悲劇。
再び全員の視界を暗闇が覆い、寒さも戻ってくる。
「何してくれてんだ! ぶっ殺すぞ糞アマ!」
さすがに怒り心頭である後藤さんの怒号が聞こえてくる。佐々木さんは、雷に脅えているのか泣き声しか聞こえず返答はない。
「この子は雷が苦手なんだから仕方ねーだろ! 何なんだよさっきから偉そうにしやがって! うぜーんだよ!」
佐々木さんを庇う野呂さんの声が、俺らの隣にあるソファーから暖炉の前辺りまで移動しながら聞こえてくる。
こんな時まで喧嘩すんなよ。
「イカれたガキどもが! 本当に殺し――った……アがぁ?」
ん?なんだ今の? 後藤さんの声が聞こえなくなったな。
「後藤さん?」
俺は声を掛けるが返答はない。代わりに大きな物が倒れる様な音が聞こえ、それに気づいたのか佐々木さんも泣き止んで静かになった。
もしかして……。
不吉な想像をしてしまった俺は、不安と緊張感に煽られながらスマホを後藤さんの方に向けてライトをつける。
「っえ?」
スマホのライトに照らされているのは、一人掛けソファーごと倒れている後藤さん。
オーナー同様に目を見開き苦しんだ表情。心臓を一突きして刺さったままの包丁。
白いシャツには大量の血が滲んでいるがそれだけじゃない。包丁の柄の部分には何重にも重なったキッチンペーパー。それが刃に近い方の部分が血を吸い、赤黒い布生地見たいになっていた。
暗くなった隙をついて、大胆にも全員の前で殺しやがった。手に血をつけない小細工までして。
そしてこれも、だれにでもできる殺人だ。
これはキッチンにある包丁とキッチンペーパー。誰もが出入りしてたし、暖炉の近くで密集していたから距離的に簡単に殺せる。そして一番怪しいのは……。
全員のスマホのライトが野呂さんを捉える。
「ち、違う……っ私じゃない……。ね? 佐々木見てたよね? ねえ?」佐々木さんに躙り寄る野呂さん。
「わかんない……わかんないよっ……!」
野呂さんが近づくごとに、尻餅をついた状態で後ずさる佐々木さん。その表情は怯え、まるで犯人を見ているようだ。
「何それ……? あんたを庇ったんだよ? ……なんで?」
野呂さんは足を止めた。信じていたものに裏切られた、そんな野呂さんの気持ちは計り知れない。
でも本当に野呂さんが殺したんだろうか? 何だか妙な展開に思えて仕方がない。
緊張感と恐怖で充満したリビングは、今にも破裂しそうな風船。破らないように冷静でいなきゃいけない。しかし、風船に針を刺そうとするかのように、全員の注目が野呂さんに向いている。視線をそらそうと思ってもできない犯人を見る目。
「違う違う違う……」
涙を流し始めて首を左右に振る野呂さん。そして……。
「違う!!!」
破れる。
野呂さんの叫びに一同パニック状態。
俺はスマホのライトを頼りにみんなを確認する。
佐々木さんはその場にうずくまって、「やだやだ死にたくない!」とお得意の奇声を上げていた。
野呂さんは棒立ちで泣きじゃくっているし。山岸さんは逃げようとしたのか、振り返って走り出そうとすると自分が座っていたソファーにぶつかり、そのままソファーと共に倒れて動かなかった。
オーナーが殺された時は他人事みたいに平然としていたが、目の前で事が起きるとなると話は違うらしい。
陸は俺の横でソファーに座っていた。
「一郎君……、ここはうるさいね? ……とっても」
こんな時に何言ってんだこいつは?
「しっかりしろ陸!」
俺は陸の頬を軽く叩くと、ポカンと言う擬音が似合いそうな表情をして動かなくなった。マジでやばいな……。
この状況どうすればいいんだ? ひとまず俺は冷静でいなければ。
「神様! 助けてぇ!」
何の反応もなかった山岸さんが倒れたまま叫んだ。
は? 神様?
「神様! 神様!! 神様!!!」
祈る佐々木さん。山岸の神様発言がみんなに伝染した。
最後に頼るのは神様か。
ふざけんな。何も考えもしないで、他人事だと現実を無視していたやつらが、こんな時になって神様だ? ふざけんな!
「神様なんていない! みんな落ち着けよ!」
怒りの籠った俺の声が届くことはない。みんな神様に懇願し続けるので必死で、その姿は醜いとすら思える。
「神様! 私は殺してない!」
突然リビングから出ようと走り出した野呂さん。
どうする? 追うか?
この中に犯人がいる。その言葉が今は信じられなくなっていた。
俺は、どうしても野呂さんを犯人とは思えないし、みんなを見ていると演技にも見えない。
可能性は低くても部外者が犯人なんじゃないだろうか? どうやって姿を隠し、みんなの隙をついたのかも何もわからない。根拠もなく安易な考えだとは思う。けど、それでいい。もうそれであってくれ!
「野呂さん待ってくれ!」
部外者が犯人だとすると野呂さんを一人にするのは危険だ。
俺は追ってリビングを出ると、野呂さんは玄関の扉を開けて大雨が降る外に出ようとしていた。
距離的にもすぐに追いつける。俺は全力で走り出そうとすると、背中に強い衝撃を受け、玄関近くまで吹っ飛ばされてうつ伏せに倒れる。
な、なんだ?
俺の右手掴んで背中に回し、その上から思い何かが乗った。頭を掴まれ床に押さえつけられる。
「探偵ごっこは……楽しいかい?」
耳元で囁かれ、背筋に寒気が走る。
犯人? ……っクソ、体が動かない。
もがこうにも、背中に犯人が乗っているせいで体と右手が動かせない。
「……っはなせっ」
俺の頭を掴んでいる犯人の腕を左手で掴むと、手の甲にチクリと痛みを感じて手を放す。
手の甲を確認すると、赤いペンで線を描かれたように切られ、徐々に膨れ上がる血が床に伝い落ちる。
強い痛みが手の甲に現れ、俺は言葉を失う。
『これは遊びじゃない。無駄に犯人を刺激するぐらいなら、やらない方がいいだろうがよ』
後藤さんの言葉が頭をよぎった。
俺は……何かしたのか? 何にもしなければこんな目に……。
「た、頼むから待ってくれ……殺さないで……」
今になってやっと、本物の恐怖を感じるているのがわかる。
心臓の音は強く早く、手が小刻みに震え、額にはこの寒さではありえない量。
オーナーの死体を見たときに思った、リアリティのないこの状況。俺が誰よりも他人事のように感じていたのかもしれない。
推理物の主人公みたいに犯人を見つける。主人公が死ぬわけない。そんな感じに、俺はこの状況を楽しもうとしていたんだ。
人の事を言えなく、醜い。神にでも助けを乞いたくなるのがわかる。
……死にたくない。
「悪魔の名をかたり、教えを燃やし、そして神を否定した……」
犯人が話しながら耳元から離れた。
「待っ――」
* * *
豪雨、暴風、雷鳴。開け放たれた玄関の扉から流れ込んでくる音が、二人のやりとりを隠し、それに気づくものは誰もいなかった。
「僕は、許してもいいと思っんだけどね。残念だよ一郎君」
新田一郎が動かなくって、加藤陸は何度も突き刺した包丁を持つ手を止めた。
一連の殺人、全ては加藤陸の犯行である。それは計画的なものでもなんでない、衝動的なものだった。
「さてと、どうしようかな」
柄の部分にキッチンペーパーが巻かれた包丁を床に捨て、立ち上がってリビングの方を見る。
あの二人は使えるかも知れないな。
そう考えた加藤陸はリビングに向かう。中では二人が蹲って怯えていた。
そんな二人に声かけ、顔お上げると血が大量に付着した服の加藤陸を見て佐々木は叫ぶ。
「加藤君……、その血は……」
山岸が指摘すると、加藤陸は悲痛な表情をして涙まで流す。
「一郎君を追っていったら……玄関のとこで……もう……」
膝から崩れ落ち、友の死を悲しむ演技は二人に効果的中。「お前が殺したのか」と言ってくることはなかった。
「玄関の扉が開いてました……。犯人は外に逃げたんだと思います。だから、今のうちに僕達は出来るだけのことをしましょう」
涙を拭い、まだ諦めてないとアピールをする。
「出来ることって何?! 私もうここから動きたくない!」
騒ぎ出す佐々木の肩を掴んで、目を真っ直ぐに見つめる加藤陸。
「生きるためにです。殺された……人達のためにも、僕達は生きなきゃいけない。このことを、ちゃんと警察に伝えるんだ。必ず犯人を捕まえてもらうために」
二流役者のような台詞を言ってて内心笑うのを堪える加藤陸。しかし、正常な判断のできない二人を動かすには十分で合った。
「でも……怖いよ……」
立ち上がって言う。
「二人は僕が守ります」
「……本当に?」
「絶対に守ります……。神に誓って」
カトウリクは、そう言って笑う。
(終)
ここまで読んでいただきありがとうございます。
この作品はSSの会メンバーの作品になります。
作者:アポロ