第5話 貴方にもらえるチョコが一つもなければよかったのに
↓高崎小雪 視点
嘘だと思いました。
無事に部活も終わった私は皆が体育館から離れていく中、一緒に帰ってチョコレートを渡すと約束した彼を待つために寂しさに耐えて、全身が火照るくらいに熱くなって心臓がバクバクと体を揺らすのにも必死に我慢してただその時を待ち続けました。
なのに……その右手のカバンの中にあるたくさんのチョコレートはなんですか?
さっきまでの熱が急速に冷えていきます。
呼吸は上手く出来なくて息苦しくて、脚がぶるぶると震えてしまっています。
視界はぐちゃぐちゃで、せっかくやって来てくれた黎人くんのかっこいい顔を視界の中に収めることができません。
そんな様子を見て、すぐに異変を感じ取った黎人くんは「小雪、大丈夫か!」と駆け寄って来ました。
「こ、来ないでくださいっ」
「えっ」
あっ……ち、違いますっ。
やってしまいました……。
いつもだったら近くに来てくれて飛び跳ねたくなるくらいに嬉しいのに、黎人くんにこれ以上困らせたことをしたくないのに……ギシギシと押し潰していく胸の痛みに私は咄嗟に黎人くんを遠ざけてしまいました。
何をしているのですか?私は……。
黎人くんから戸惑いの声が漏れてしまっているではありませんか。
早く弁明をしないといけません……。
「……」
「小雪?」
だけど、私の頭も口も動いてくれません。お人形さんのようにただその場で突っ立っているだけです。
「小雪、これはな義理チョコだから!小雪だって今日見てただろう?高校のバレンタインはすごく盛大らしくて義理チョコや友チョコ交換の規模がヤバすぎるんだよ!」
流石黎人くんです。
私の落ち込みの原因がチョコレートであることに気づきちゃんと説明をしようとしてくれます。
本当だったらここで納得して元気になるのが正解なのでしょうが私の中で生まれた確証のない不安がじんわりと着実に広がっていき、私の心を黒く染め上げて蝕んでいきます。
「本当に、全部が義理チョコですか?」
いや、です……。
こんなこと、言いたくありません……。
なのに、どうして私はどうしようもなく……。
「えっ?だからそう言って……」
「本当にそうなんですか!?一人一人もらう度に義理チョコだって言われるのを確認しましたかっ!?実は何も言われてなくて本命とかなかったですか!?義理という言葉が建前なんかではありませんか!?手紙とか入っていませんでしたかっ!?……本当に全てが特に深い意味も無い友好関係の維持を示すためのチョコレートなのか証明できますかっ!?」
――醜いのでしょう。
あぁ、本当に私は何を言っているのでしょうか。
そんな証明は無理に決まっています。
第一、私もクラスや部活で高校のバレンタインの凄さは肌で感じ取りました。
クラスの男子にこれからもよろしくという意味で皆に配っていたり、女子同士でチョコ交換をしていました。
部活でもさきほど私は皆からチョコレートを頂き、私も用意しなければいけないのだと理解してました。
もうバレンタインは女の子が心の底から大好きな男の子に渡すというロマンに満ち溢れたものではなく人間関係のよりよい潤滑のための1つの手段にすぎないのです。
それをちゃんと理解した……はずなのに、どうしてなのですか?
「そ、それは……」
流石の黎人くんも言葉が詰まります。
私はなんて理不尽な要求をしているのでしょうか。
あれだけのたくさんのチョコレート……吹奏楽部は女子がたくさんいますからその数は多くなるのは必然で、いちいち意思を確認している場合ではありません。
誰に何を渡されたのか覚えることの方が重要です。
それに、先程の私の理不尽な要求に従えば、本命を義理チョコだと偽って渡している私は一体なんなのでしょうか。
どうしても黎人くんにチョコレートを受け取って欲しくて、でも、本命というのは恥ずかしくて……。
そして何よりも受け取ってもらえなかった時の悲しみが想像するだけで私をナイフで殺しに掛かってくるから義理と称してチョコを押し付ける。
そんなどこまでも卑怯で臆病な私が証明を要求するだなんてお門違いです。
それに黎人くんは素敵な男の子です。
吹奏楽部にいる人達はそんな黎人くんの魅力に気付いて惹かれてしまってもしょうがないと思います。
だから義理であれ、本命であれ、どういった形でもチョコレートを頂けている黎人くんは日頃からたくさんの人の信頼を得ているという結果の証明なのです。
だから、そんなたくさんの信頼を受けている黎人くんを褒めなければいけないのに、私もまたその一人であることを証明しなければいけないのに……私はっ。
黎人くんのもつチョコレートが1つもなければいいのに……
なんてことを思ってしまいました。今は必死に口をぎゅっと引き絞っていますが少しでも油断すれば『そのチョコレートを全部捨ててください』なんて最低な一言を言いかねません。
なんて私は最低な女なのでしょうか……どこまで言っても自分のことばかりで、大好きな人がたくさんの人から信頼を受けているという事実すら認められません。
喜ばないといけないのに、「凄いですね」と言ってあげなければいけないのに、こうしてチョコを持って私の前に現れた黎人くんを見て私の胸の中にはどす黒くて穢らわしいドロッとしたもの体から飛び出ようと暴れています。
あのチョコレートを捨てなさい……捨てちゃだめです!
今すぐに奪い取って踏みつけてしまいなさい……そんな非道なことは許されませんっ!
貴方も自分の気持ちに素直になって渡しなさい、そして大好きな彼に伝えるのです……。
はははっ、そんなことは醜い私には許されるはず、ないじゃないですか。
決めました、今年はもう渡せません。
黎人くんの中にある輝かしいチョコレートと比べて、私のチョコレートは色褪せていて汚すぎます、泥です。
「小雪っ!」
黎人くんに名前を呼ばれて沈んでいた私の意識は現実に戻らされます。
目の前には顔を青ざめた黎人くんが私の両肩を強く揺すっているのは見えましたがすぐにその視界も歪んでしまいました。
黎人くんの手が触れているはずの両肩が今はとてつもなく冷たいです。
「いえ、大丈夫ですよ。黎人くん……それじゃあ帰りましょう?」
「待って小雪!まだ帰らない!」
「離してください」
「嫌だ」
なんとか距離を取った私は逃げるように帰路を辿ろうとしました。
しかし、いくら脚のバネの力が凄いと言われている私でも至近距離からではすぐに黎人くんに捕まり腕を捕らえられてします。
腕をぶんぶんと振りますが華奢な私の腕ではたくましく成長した男の子に勝ることはできません。
「泣いてる状態で帰れるかっ」
「泣いてませんっ」
「声も震えてる、体も震えてる、何よりもそんな悲しい顔を見せられて放っておけるわけにだろっ!」
「嗚咽なんて溢していませんし、そんな顔してませんっ!」
嘘です……黎人くんの指摘は全て合っています。
だけどここで認めるわけにはいきません。
ここで立ち止まってしまったらいつ黎人くんを傷つける言葉を言ってしまうかわかりません。
触れたら誰もが傷つく鋭利な言葉はもう私の口から出かかっています。
「あぁっ!じゃあここで本題に入るから聞いてくれっ!」
「……」
「あるんだよ……」
ドキンっ
私の心臓が大きく嫌な音を立てるのがわかりました……。
「何が、あるの……ですか?」
呼吸が止まります。
黎人くんが見えない今、私の全神経は聴覚に集中しています。
余計な情報は要りません。
風の音も近くを通る車の音も、まだどこかで部活をやっているのか聞こえてくる僅かな喧騒も全てシャットダウンします。
ゴクンとつばを飲み込んで、黎人くんはひと呼吸して告げました。
「本命があるんだ」
どこか遠くでガラスが激しく音を立てて砕け散る音がしました。
「今、出すからちょっと待ってて」
もう限界です……。
「っ!」
「なっ!?小雪!おい待って!……って肝心なこと言ってねぇ!」
待ちません!
私は唯一の武器である脚力を全力で働かせて走ります。
黎人くんが何かを取り出そうとした隙に私はとにかく距離を取ろうと、黎人くんを、私の気持ちを全てを置いてこの場から走り出しました。
「うぅっ、うぁあぁああっ!わあぁあぁあぁっ……う、うぇぇえええぇえん~!」
我慢できずに声を上げながら走り続けます。
行き先は知りません……体が赴くままに走り続けます。
本命チョコレート、あるんじゃないですか……おめでとう、ご、ございますっ。
大好きな人の幸せを素直に祝福してあげられない醜い私は黎人くんに必要ありません。
明日ちゃんと祝ってあげますから、少しだけ時間をください、甘い過去に浸らせてください。
全てを投げ打てばきっと、きっと黎人くんの幸せを祝福できるようになっているはずです。
だから……。
だから、私は……。
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私が、投稿している完結小説の後日談の方でもバレンタインに関するお話をあげております。
こちらは既にくっついた2人がイチャイチャするだけですが、よければ是非読んで見てください!
刹那の想いを紡ぎ重ね永遠に『俺は幼馴染の美少女と住んでるんだけど、誰よりも優しいそんな彼女とずっと一緒にいたい。ただ、それだけの話』
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