第8話 速い、強い、容赦ない
リーダー格の男とウルスラグナは視線を逸らすことなく互いに睨み合っていた。カラフルな戦隊も木刀を構えたまま男が合図を出すのを今か今かと待ち構えている。誰が最初に仕掛けるかを固唾を呑んで見守る野次馬たち、その間も車内から鳴り続ける重低音の高速ビートがこの空間にいる者すべての鼓動を高鳴らせていた。
長い沈黙を破ったのは男の方だった。男は半歩下がってウルスラグナの顔と胸元を交互に見ながら余裕たっぷりにフッと鼻で笑った。
「アンタなかなか肝が据わってんね。ウチの連中より全然使えそうジャン」
そして野次馬たちの前に立つ赤スウェットの男に向かって、やたら通りのよい甲高い声で問う。
「Yo――アカいの。クロいのヤッタのはコイツってことでいい?」
今の赤スウェットはウルスラグナよりもこの男に恐怖感を抱いているのだろう、顔を引きつらせながら身を小さくしてコクコクと頷いていた。
「フ――ン、アンタ強いんだぁ。でもさ、これはまずいよねぇ、なあ、キレイなおねえさんYo!」
相変わらず無言のまま男を睨みつけるウルスラグナ、まさに一触即発の危機を感じた孝太が二人の間に割って入る。
「ウチのが締め上げちまったのは悪かった、謝るよ。医者に連れてくならタクシー代も出す。だから今日のところはそれで見逃してくんねぇか?」
孝太は軽く頭を下げるとウルスラグナの肩に手をのせて続けた。
「コイツ、まだこの街に慣れてなくてさ……」
「あ――? ちょっとちょっと、こっちは一人ヤラれてんだYo! 落とし前はキッチリつける、これ常識っショ。てかさ、今オレ、こっちと話してんだけど。オマエなんていらないの」
リーダー格の男はゾッとするほどの冷たい目を向けると薄ら笑いとともにためらうことなく孝太の右肩に木刀を振り下ろした。突然の不意打ちと衝撃で孝太はその場に崩れて尻もちをつく。まずい、次の一手が来るか。孝太は瞬時に左腕で頭を庇った。
しかし男はそんな孝太に構うことなく目の前に立つウルスラグナをニヤけた顔で舐め回すように値踏みした。
「そうね、このおねえさんのおいしそうな肢体、イタダキってことで」
余裕の笑みを浮かべた顔が怒りの混じった真顔に変わると同時にリーダー格の男は踵を返して車の前に戻りながら片手を上げて合図する。するとそれと入れ替わるように後ろで身構えていた四人がバラバラと前に出て思い思いに木刀を構えた。
「コータ、ここはオレにまかせて、とにかく下がってろ」
「おい、無理するな。逃げるが勝ちってこともあるんだ」
「心配すんな、問題ねぇ」
ウルスラグナは孝太に下がるようにと手で合図しながら一歩前に出る。するとそれに呼応して野次馬たちもとばっちりを食わないようにと後ずさりし始めた。
"Kahbugahnamaldam. Yiymim, xahdymanamalyohm!
(戦うのだな、貴様ら。いいだろう、かかってこい!)
戦いが始まる。
ウルスラグナは生き生きとした顔に楽し気な笑みを浮かべると両手の拳を胸の前に構えて力を込めた。すると指のリングが眩しい光を放つ。その光が収束して消えたとき、両の拳には短剣の柄と鍔が、そしてそれを地に向けて振り下ろすとそこには水晶のごとき刃が現れた。そしてそれら二本の短剣を目の前に立つ相手に向けて構えた。
「またあの短剣か。今度はさっきのテレビやタクシーのときとはわけが違う、まさかあいつ……」
今、目の前で何が起きているのか、あの光は何だったのか、そして彼女が構える短剣はどこから出てきたのか、この場を囲む野次馬たちからはざわざわとしたどよめきが沸き起こっていた。
このただならぬ雰囲気に不安を覚えた孝太が口を開こうとしたそのとき、ウルスラグナもそれを察したのか肩を押さえたまま座り込む孝太に向かって言った。
「心配すんなコータ。手加減くらいはしてやるさ」
既に勝ち誇ったような余裕の体でそう返すと、ウルスラグナは目の前の四人をざっと見渡してみる。
いくらリーチが長いとは言え所詮は木刀、加えて実戦経験などないであろう若者たちは彼女が構える二丁の短剣を前にしてすっかり腰が引けていた。そして顔を引きつらせながら間合いを詰めることなくひたすら牽制するばかりだった。
"Buxxu, meris zientziaskahl siayxa astosxoraldam."
(ふん、まるで新兵以下だな)
四人対一人、それも相手は女性である。にもかかわらずもたもたしていることに業を煮やしたリーダー格の男が手にした木刀の先でイライラとアスファルトを突きながら声を上げた。
「Yo――ヤル気あんのぉ、オマエら。早くしないと夜が明けちゃうYo!」
男は地面に突き立てた木刀を杖のようにして気怠るそうにもたれかかりながら、左手をメガホン代わりにして明るい声で呼びかけた。
「よ――し、そんならご褒美あげちゃうYo。その娘をやっつけたヤツわぁ、一番最初にヤラせてあげる。これでど――Yo!」
そして再び腹の底から吐き出すようなドスの効いた声で四人を怒鳴りつけた。
「だ――か――ら、さっさとヤレや、コラァ!」
男のイラつきは最高潮に達し、手にした木刀でアスファルトを強打した。するとその乾いた打撃音を合図に黄色と青の二人が叫び声とともに木刀を振り上げて襲いかかってきた。
「うぉらぁ――!」
「死ねや、コラァ――!」
二人が木刀を振り下ろす。ウルスラグナはそれをあっさりとかわす。勢い余って足をもつれさせながらよろめく二人。しかしすぐにバランスを取り戻して向きなおる。こうしてウルスラグナは目の前に白とオレンジ、背後に黄色と青と四方を囲まれてしまった。
それでも怯むことなく笑顔を崩さない彼女の様子はまるでこの危機的状況を楽しんでいるかのように見えた。
「どうした、来ないのか? なら、こっちから行くぞ」
ウルスラグナは四人にも理解できるよう日本語を使った。そしてそのセリフが終わるか終わらないかのうちに前方の白スウェットの目の前に迫る。その素早さはまるで瞬間移動でもしたかのようだった。
目を見開いて言葉を失う白スウェット、その両のこめかみを短剣の柄で挟むようにして叩く。白目を剥く白スウェット、その顔に握った拳で右ストレート、男が後方によろめいて隙ができたのを見て取るとすかさず側頭部にハイキックを一発。白スウェットは野次馬たちのすぐ前までフッ飛ばされるとその場で動かなくなった。
続いて背後から木刀を振り下ろすオレンジ男の気配を察したウルスラグナは身をかがめて男の懐に入り込む。そして鳩尾にヒジ打ちを、続いて顔面に右手の裏拳をお見舞いする。鼻がひしゃげるイヤな音とともに飛び散る鮮血、その血を避けて男の背後に回るとその右足、膝の裏にローキックを打ち込む。バランスを崩してその場に倒れこむオレンジ男は既に戦意喪失していたが、ウルスラグナは表情ひとつ変えることなくその後頭部を踏みつけた。
楽しんでいるかのような顔つきであっと言う間に二人を沈めてしまったウルスラグナを見た孝太は思わず身震いながらも、なぜかその気分は高揚していた。
「それにしてもあいつ、速え、強え、容赦ねぇ、って三拍子揃ってやがる」
残るは二人、青スウェットは手にした木刀を投げ捨てると「ガァ――」っと声を上げながらウルスラグナに駆け寄ってその身体に抱きつくと両腕ごとガッシリとその胴体を締め上げた。
「オラァ――、今だ、殺れ――!」
黄色に向かって叫ぶ青スウェット、虚を突かれながらもその声に応じてこちらに向かって踏み込みながら力任せに木刀を振り下ろす黄色。
「ゴスッ!」
その場に響く鈍い音、その後には力なくだらりとウルスラグナにもたれかかりながら地べたに崩れ落ちる青スウェットの姿があった。
黄色の攻撃を見切ったウルスラグナは身を翻すと自分に抱きつく青スウェットを盾にして見事な同士討ちに誘い込んだのだった。
「クッソ――、死ね、マジ死ねぇ――」
気が動転して木刀を滅多やたらと振り回す黄色、ウルスラグナは手にした短剣でその木刀をいなしてかわす。
二度三度と振り下ろされる黄色の攻撃を軽いステップで捌いていたウルスラグナだったが、遂には両手の短剣を振りかざして目にも止まらぬ速さで空を斬った。
野次馬たちからも一斉にざわめきが巻き起こる。そんなどよめきの中、黄色は目を見開いたままブルブルと小刻みに震えながらその場に膝をついた。ウルスラグナの短剣がかすめたのだろう、黄色の鼻面には一筋の赤い線が走っている。そしてその手には木刀の柄だけが残され、周囲には無残にもなます斬りにされた木刀の残骸が散乱していた。
"Dekuram nahzas, kosiumalimimunyum."
(ありがとう、楽しかったぞ)
ウルスラグナは異世界語で茫然自失な黄色に向かってそう声をかけると、やさし気な笑みを浮かべながらその横っ面を蹴り飛ばしてとどめを刺した。そして黄色の男は声を上げる間もなくその場に沈み込んだのだった。
「パン……パン……パン」
ウルスラグナの耳に茶化すように間延びした乾いた拍手が聞こえた。音の先では車のフロントに寄りかかったリーダー格の男が不敵な笑みを浮かべていた。
「Yo――すごいねぇ、強いねぇ。でもさ、それもここまでっショ、メチャ強なおねえさんYo」
男がちょうど孝太がヘタりこんでいるあたりアゴで指す。ウルスラグナは男の挙動に用心しながらも示された先に目を向ける。するとそこでは赤スウェットの男が緊張した面持ちで引きつった薄ら笑いとともに小さなナイフを孝太の首筋に突き立てていたのだった。