第36話 退廃の街区
持たぬ者、彼らの言葉でDasiutalnilと名付けられた彼らは生まれながらにして神の加護も祝福も持たない者たちだった。彼らには否定的な語句であるNiluzulなる蔑称があった。しかし民の誰もが彼らをそのような名で呼ぶことすらなかった。
劣等種、それは「劣った(Karitesnem)」を意味する言葉でこの国の民はみな彼らのことをそう呼んだ。しかしその呼称を使うことは法により禁じられていた。理由は持たぬ者たちを過度に刺激することなく奴隷として使役し続けるためである。確かに公文書や公の場でその呼称が使われることはなかったが、それでも民の間では平然と劣等種の言葉は使われていた。
リオベル・オングリザは王立研究所の研究員、彼が目下取り組んでいるのは加護と祝福を国防に生かす研究だった。その目的は兵士一人一人に備わった加護と祝福を指揮官による統制下で発動させることによりその効果を増大させることだった。リオベルは複数の兵が同時に詠唱することで信頼と協力が生まれ、それによりに加護と祝福の個人差を補完できると考えていた。
「相互作用による発動の増幅は私の研究でも成果が現れ始めている。とにかく僅かでもいい、ほんの少しでもいいからネシーナにも加護と祝福の兆候が現れさえすればあとは私とメトアナがそれを助けてやればよいのだ。そうすればあの子もいずれは安定した発動ができるようになるのだ」
黒髪であることが劣等種の必要条件ではない。発現するための条件さえ整えば身体的形質に関係なく加護と祝福が与えられるはずだ。
「あなたの気持ちはわかるわ。だけどネシーナのことも考えてあげて」
「しかし一日でも早くこの子に加護と祝福が与えられなければいずれは……」
「でも無理強いはいけないわ。この子の気持ちを尊重してあげて欲しいの」
ネシーナの肩にやさしく手を載せながらメトアナは焦るリオベルに日頃の思いをぶつけた。
「私は加護と祝福の発現には満ち足りた生活と家族愛が必要だと思うの」
「家族愛?」
「そう、愛よ。考えてご覧なさい、純血の劣等種のことを。彼らは水の民ならではの金色の髪に碧い瞳を持っているわ。なのに加護も祝福も発現していない、黒髪でもないのに。それってなぜかしら?」
「劣等種の多くは抑圧された環境下で見られる……か」
「そうよ、親も含めて周囲からの充分な愛情を注がれずに育った、そんな境遇に依存してるんだって考えられないかしら」
なるほど、妻の意見には一理ある。劣等種の発生は先天的要因だけでなく後天的な事情もあるということか。
「だがしかし、私たちはネシーナに十分な愛情を注いでいるではないか」
「もちろんよ。でも結果を焦って無理をすればこの子にとってそれが抑圧になってしまうかも知れないわ。それに……」
メトアナはネシーナの黒い髪を撫でながらリオベルの目を見据えて続けた。
「あなたの研究が証明しているように加護と祝福の強さには個人差があるわ、それこそ個性と同じように。だから能力の高さだけでなく、発現のタイミングにも多少の差があって当然だと思うの。だからこの子、ネシーナも他所の子たちよりも少し遅れているだけかも知れない、私はそう考えてるわ」
確かにこれまでの自分はネシーナに加護と祝福を発現させることばかりを考えていた。しかし急がば回れだ、劣等種とされる子どもたちを取り巻く環境を丹念に調べることで、何か手がかりが掴めるかも知れない。
「よし、さっそく退廃街区の子どもたちを調査してみるよ。あそこには身体が成長しても発現していない子らがたくさんいる。もし教育によってそんな子たちから一人でも加護と祝福の片鱗でも引き出すことができたならばその方法をネシーナに応用できるかも知れない」
興奮気味にそう話すリオベルにメトアナは今一度釘を刺す。
「でも気をつけてね。あの場所は危険だし、それに何度も出入りを繰り返していると間諜や叛乱者に間違われるかも知れないわ」
「大丈夫、心配は要らないよ。私は衛兵にも顔が利くし、なるべく深追いはしないように注意するさ」
――*――
劣等種、いや、持たぬ種族が暮らす町、それは城郭の門にほど近い場所に設けられた高い板塀で囲われたエリアだった。退廃街区(Zobahl Ensiahre)として管理されるそのエリアはこの国の負の一面だった。スラムにも似たその地域をこの国の民はゴミの街(Zobaretto)と呼んで忌み嫌っていた。
そんな荒んだ町の一角、小さな広場にリオベル・オングリザはいた。無精ひげと手入れのされていない髪、それに街区の大人たちに似せた薄汚れた服を着たその姿はまさに劣等種の新参者に見えた。
ここでは奴隷として使役される劣等種を親とする子どもたちもまた働かされていた。娯楽はおろか満足な食事も与えられずに酷使される子どもたちは一様に覇気のない目をしていた。働くことができる年齢に達していない子らも教育などされることなく日がな一日何するともなくこの小さな広場で思い思いに時間をつぶすのだ。リオベル・オングリザは読み書きすらも満足にできないこの子たちに遊びや文字を教えてみることにした。
「さあ、やってごらん。おじさんがやるとおりに、そう、いいぞ、その調子だ」
遊びの過程でちょっとした加護や祝福の兆候が現れないか、彼はそれを見逃すまいと鋭い視線で彼らを観察していた。
やがて彼の行動が街区の大人たちの知るところとなる。リオベル・オングリザは彼らに丁寧な説得を試みるも、しかし賛同を得られるまでには至らなかった。
無理強いは良い結果を生まない。今はまだ平穏を保っているが元々よそ者を嫌う場所である、この先何がきっかけとなって人々が心を閉ざしてしまうか予測はできないのだった。
「大人たちが騒ぎ出した、そろそろ潮時か。一旦引き上げるとしよう」
リオベル・オングリザは日が暮れる前に街区に設けられた丸太造りの門をくぐって市街地へと出ていくのだった。
退廃街区を後にしてそろそろ城門が見えてくる頃、街路の向こうから二人の衛兵が歩いて来るのが見えた。おそらく日暮れ前の巡回警備であろう、衛兵は革製の簡単な防具と鎮圧用の槍を手にしていた。
なるべく目立たぬようにと少しばかり猫背になって街路の端を歩くリオベルに衛兵の一人が近づいて声を荒げる。
「貴様、何をしている。奴隷に勝手が許されると思っているのか!」
奴隷、そう、今のリオベルは劣等種にカムフラージュするために奴隷服を着ていたのだった。
不覚、これはやっかいなことになりそうだ。リオベルは無抵抗の意を示すため身をすくませた。立ちふさがる若い兵士、そこに年長のもう一人も槍を構えて近づいてくる。彼はリオベルの顔を覗き込むと、姿勢を正しながら思わず声を上げた。
「あなたは……オングリザ先生ではないですか!」
「兵長、コイツをご存じなんですか?」
兵長と呼ばれる年長の兵は若い部下に「ああ」と返事をすると、リオベル・オングリザのまるで奴隷のような身なりを訝しみながら続けた。
「王立研究所の研究員をされているあなたが奴隷の真似事ですか。まさかとは思いますが退廃街区に出入りなんぞするものではありませぬぞ」
「兵長、コイツは怪しいです。とにかく連行しましょう」
「まあ、待て。リオベル・オングリザ先生は加護と祝福の活用方法について研究をされているんだ。我が隊も先生の研究成果には期待をしているのだ」
兵長は部下にそう説明するとリオベル・オングリザに向き直って声を潜めて言った。
「オングリザ先生、今日のことは見なかったことにしますからすぐにお帰りください。城門までお送りしますから」
リオベルは余計な詮索をされなかったことにひとまず胸をなで下ろすと、兵士の先導で城門を出た。そこで自分を見送る兵士たちに敬意を示す礼をするとその場を離れて妻子が待つ城外の自宅へと帰っていった。
去り行くリオベル・オングリザの背中を目で追いながら兵長は部下にそっと耳打ちする。
「念のためだ。しばらくあの人から目を離すな。いいな」
若い部下は姿勢を正して兵長に敬礼した。




