第32話 棄民の村
その世界には光、水、風、火、土、石の属性を持つ種族があった。
彼らは自分たちが信仰する神の名の下に、その代弁者たる者を王とした都市国家を形成していた。それぞれの国は互いに不干渉を是としており、自分たちの支配が及ばない領地の外側は不可侵とする条約で保護されていた。しかし保護とは名ばかりで、その実態は国の統制を維持するために不穏分子の放逐を目的とした棄てられた地であった。
禁制地帯と呼ばれるその地に放逐されるのは神を否定する異端者や叛乱を企てた者、中には野盗に襲われた隊商の生き残りや自ら国を逃げ出した者もいたが、いずれにせよ幾度かの日の出を迎えるうちに飢えと疲労で行き倒れになるのだった。
しかしそんな禁制地帯に独自のコロニーを形成して暮らす種族があった。
彼らは野の民、Meidanim mihressiuと言う。この世界に存在する種族の中でもとりわけ小さなその体躯は他の種族の手のひらに乗ることができるほどで、その見た目を揶揄するかのようにMeidanzulの蔑称で呼ばれていた。
自由気ままに森で暮らす小さく非力な彼らは文字通り「野」の民と蔑まされてはいるが、しかし信仰する神を持たない故に極端なまでの実証主義で、自らのか弱さを経験と知力で補う独自の文化を形成していた。
彼らは村の外で倒れた者を見つけると、その命がある限り保護して匿っていた。しかしその目的は善意というわけではなく異なる文化、知識の吸収に加えてわずかでも貨幣を獲得できればという、極めて打算的なものだった。
水の国から遥か南、そこにも野の民が暮らす村があった。馬車で三日を経ての行程でたどり着くそこは付近を通過する隊商から「棄民の村」と口伝されていたが、しかし実際にその村を訪れた者は未だ居らず、存在自体がまるで伝説のように語られていた。
そしてこれから小さな妖精によって語られる物語はその村で起きた小さな事件から始まるのだった。
――*――
風そよぐ野中の森に湧き出る泉、清冽な湖沼が湛えるその水は豊かな流れとなって下流に広がる彼らの村を潤していた。
そして今日もまた小さな妖精にも似た青年がこの地にやって来た。
水底に点在する砂礫のゆらぎを窺うために彼はその場ではばたきながら視線を落とすと、ふわりとした金色のショートヘアと碧い目のまだあどけなさが残る端正な顔が鏡のような水面に映る。
「よし、今日も異状なしだ」
満足そうにそうつぶやくと小さな妖精は背の羽をはばたかせてもう一度水の上をひと回りする。
日々欠かさぬ水源の見回りは彼の役目、丈の長い生成りの装束に身を包んだ彼は両手に弓と矢を、腰に下げた矢筒にも幾本かの矢を携えて偵察中に起こり得るかも知れない不測の事態に備えていた。
妖精が湖沼を囲む木立を抜けて森の外に出るとそこでは草原の萌える緑がさわりさわりと風に揺れていた。彼は野中の石に腰を下ろすと、再び両耳に下がる銀の装飾にそっと手を触れる。すると眩い光を伴って弓矢に代わって彼の手に現れたのは丸みを帯びた小さな弦楽器とそれを弾くための弓だった。
妖精が気の向くままに音を奏でると澄んだ音色がそよ風に乗って広がる。役目を終えたこのひとときこそが彼にとってのお気に入りだった。
「さて、そろそろ村に戻らなくては」
妖精が手にした楽器を下ろして帰路に就こうとしたそのとき、草原の向こうからこちらに向かって来る小さな姿が見えた。近づくにつれてそれは彼と同じ衣装を纏った少女であることがわかる。その姿も彼と同じく小さな妖精、白い翼を羽ばたかせながら懸命に声を張り上げていた。
「お兄ちゃ――ん、じけん、じけん、じけんだよ――!」
兄と呼ばれる妖精、その名をジャヌビアと言う。声を上げて彼に手を振るのは妹のルセフィだった。ルセフィは彼に寄り添うようにふわりと降り立つと、乱れた呼吸もそのままに兄に向ってまくし立てた。
「早く、早く、オングリザ先生のところに!」
「ルセフィ、落ち着いて。まずは深呼吸だ、さあゆっくりと」
兄に促されてルセフィは呼吸を整える。
「それにしてもこんなところまでひとりで来るなんて……さあ、何があったのか話してごらん」
やがて落ち着きを取り戻したルセフィは彼女が言うところの「じけん」なるもののあらましを話し始めた。
彼らと同じ村に暮らす地の民の夫婦は今朝もいつものように森の外に広がる耕作地の様子を見に出かけた。村を囲む森を抜けるとそこには広がる草原と開墾された農地への道が続く。その朝、日差しが眩しい路傍にひとりの青年が倒れているのが見えた。
地の民の夫婦は彼の側に寄って恐る恐る声をかけてみた。返事こそなかったが青年にまだ息があることはすぐにわかった。力自慢の夫は目覚めぬ青年を抱きかかえると村で診療所を構えるオングリザ先生の下に急ぐのだった。
「それでその青年はどんな人だったんだい?」
「先生は、光の人じゃないか、って」
「光の民、彼らの国は遠く東の果てだ、それがどうしてこんなところに?」
「とにかくその人が目を覚ましたら話を聞くんだって。だからお兄ちゃんもいっしょに聞いてほしいから、って」
「事情はわかった。それならすぐに戻ろう。ルセフィ、用心のために弓矢の準備は忘れずにね」
兄の言葉にルセフィが両耳に下がる兄とお揃いの装身具に手を触れると、一瞬のきらめきとともに弓と矢がその手に握られていた。続いて胸元のペンダントに手をかざすとまたもや全身が光に包まれ、後には幾本もの矢が詰まった筒を腰から下げている姿があった。
「さあ、急ごう」
兄ジャヌビアは妹ルセフィの頭をやさしく撫でると、二人そろって草原の遠く彼方に見える森を目指して羽ばたいて行った。
自然の城塞が如きその地を囲む森を抜けると、目の前には外からは伺い知れない規模の集落が広がっていた。来訪者をまず最初に出迎える広場はこの村の中心地、ここに住む者たちによる市場を形成するそこはいつでも村一番の賑わいを見せていた。
「ジャヌビアさん、今日も見回りご苦労様」
「おはよう、ルセフィ!」
露店を広げる者たちが野の民の兄妹に声をかける。様々な種族の彼らの出自は様々だったが共通しているのはその誰もが野の民に救われ、匿われてここで新しい生活を始めていることだった。
この村では敬愛されている野の民であるが、中でもこの兄妹の、特に兄のジャヌビアは若き指導者としての信頼も厚く、妹のルセフィともども村の長老から寵愛を受けていた。
そんな二人の前に上空から一人の青年が翼を広げて降り立つ。精細な刺繍で縁取られたその衣装は王族の証、銀色の髪が美しい彼は風の民と呼ばれる種族だった。その名はテネリア・ビクトーザ、彼もまた息を切らせながらジャヌビアに駆け寄った。
「ジャヌビアさん、オングリザ先生がお待ちです」
「うん、ルセフィから聞いたんだけど光の民が行き倒れてたんだって?」
「そうなんです。それで長老に知らせる前に話を聞いてみようってことになって」
風の民の青年は背中の白い翼を閉じると挨拶もそこそこに本題を話し始めた。するとすぐさま二人の間にルセフィが割って入った。
「ねえねえテネリア、お兄ちゃんを呼びに行ったのはルセフィなんだけど。とっても疲れたんだけど」
「あ、ごめんごめん。ルセフィさんも、お疲れさまでした」
「も、って何よ、も、って」
ルセフィはその場に浮きながら腕組みをして、大げさにむくれて見せた。そんな妹の頭をなでながらジャヌビアはテネリアとの会話を続ける。
「それで今はどんな具合なんだい?」
「容体は落ち着いているようです。極度の空腹や疲労が原因かも知れないので今は介抱しながら食事の準備をしています」
「それなら、そろそろ目を覚ますかも知れないな」
「ええ、さあ急ぎましょう」
「ルセフィもいっしょに行くよ」
こうして野の民の兄妹と風の民、翼を持った三人は街外れにあるオングリザ先生の診療所へと急ぐのだった。




