第26話 この御苑の片隅に
「それにしても、ひどいなこりゃ」
社長からの連絡を受けてやって来た相庵警部は部屋の様子を見るなり開口一番そうつぶやいた。
「それでガラスを割ったのは野の民とか言う羽の生えた妖精で、そいつが火までつけたってわけか」
「そうなんですよ。でもウルスラグナちゃんがいなかったらスプリンクラーで水浸しになってたんですから、この程度で済んだのは彼女のおかげなんですよ」
異世界人が繰り広げた大立ち回りを身振り手振りを交えて話す社長はウルスラグナを庇うことも忘れなかった。そこに孝太も加わって事細かな説明を加えてはみたものの、それでも警部は釈然としない面持ちだった。
「俄かには信じられん話だが、信じるしかないんだろうな。しかしその話とEQuA襲撃事件とのつながりがさっぱり見えて来んなぁ」
部屋の真ん中で頭を寄せる三人だったが、その一方でウルスラグナは先ほどからあの小さな妖精が飛び出して行った窓の外を見つめるばかりだった。
「おいウルス、いつまでも外ばっか見てねぇでさ、相庵警部も来たことだし知ってることを話してくれよ、例えばあいつの素性とか……そう言えばおまえ、さっきあいつの名前を呼んでたよな、なんだっけ、確か……」
「ルセフィ、ルセフィ・ウングベと言う。兄のジャヌビアと揃って悪名高い野の民、ウングベ兄妹の妹の方だ」
「兄妹ってことは、あいつの兄貴ってのもこっちに来てるってことか?」
「わからぬ。しかしそれを問うたときの慌てぶりからするとヤツらの身にも何かしらあったのかも知れん。とにかくあの兄妹はいつでも共に行動しているのだ、なのにヤツ一人とは……」
ウルスラグナと孝太の会話に相庵警部が割って入る。
「なあウルトラちゃん、野の民のことはわかった。それでだ、問題はそいつがどこに逃げていったか、ってことなんだが、おまえさん、心当たりはないか?」
「私たちが来たとき、ここには水も食料もなかった」
「そりゃそうだ、ペットボトルやら食い散らかした菓子類なんかも鑑識が持って行っちまったからな」
「だからヤツは腹を空かしているはずだ。それにノドも渇いているだろう」
「なるほど、ウルトラちゃんの推理もなかなかのものじゃないか。で、そいつらは何を食って生きてんだ?」
「野の民はあの小さい身体だ、花の蜜や木の実を食べて生きている」
「うむ、花や木と言えば公園、ここから一番近い公園と言えば……」
相庵警部のもったいつけたような言い方に孝太がすかさず声を上げた。
「御苑、新宿御苑っすよ。ここから歩いてすぐだし」
話を聞いていた社長も孝太の意見に同意する。
「キバヤン、ビンゴだよ。それに今なら御苑のフランス庭園でバラが見頃だろ。花の蜜なら吸いたい放題じゃないか」
社長の「バラ」の一言に全員が声を上げた。
「それだ!」
即座に相庵警部がポケットからスマートフォンを取り出す。潜めた声で命令するような口調、どうやら腹心の部下に新宿御苑を捜索する準備を命じているようだった。そして電話を切るとすぐに孝太とウルスラグナに向かって言った。
「今日の閉園後、午後六時から捜索を開始するからおまえらも来てくれ。服は、そうだなぁ、今着てるその作業着でいいか、とりあえずその恰好で来てくれ」
警部の命令に社長も身を乗り出して加わる。
「よ――し、だんだん盛り上がってきたぞぉ。警部さん、おれも参加していいですよね?」
興奮気味に話す社長の言葉に相庵警部は呆れた笑みを浮かべながらコクコクと頷いた。
「ならば善は急げだ。キバヤン、作戦開始まで恭平んとこで時間をつぶそうぜ」
――*――
すっかり人気のなくなった閉園後の庭園、そこに咲くバラの花々もうっすらと夕暮れ色に染まり始めた頃、小さな妖精は白い羽をはばたかせながら花弁をかき分けてその中身を探っていた。
「信じらんない、こんなにお花があるのにお腹いっぱいになれないし」
野の民ルセフィは咲き誇るバラを前にしてすっかり落胆していた。どこかに蜜が吸える花はないかと周囲を見渡してみるも、ここフランス庭園に咲いているのはバラの花ばかりだった。
ルセフィは空を見上げる。徐々に暮れゆく空に浮かぶ月が明るさを増していく。
彼女が落胆のため息をついたそのとき、視界を大きな黒い影が遮った。その黒はあっと言う間に彼女の頭上を覆い、ガァ――ガァ――とけたたましい声を上げた。
"Kahrugu!"
(カラス!)
攻撃こそ最大の防御、ルセフィは腰の矢筒に手を伸ばしたがそこに矢はなかった。
そうだ、さっきの部屋ですべて撃ち尽くしてしまったんだ。
彼女は小さく舌打ちすると舞い降りるカラスから身を守るために素早くバラの茂みに身を隠した。
彼女は花々の隙間から用心深く様子を伺う。
その場で何度かの旋回を繰り返した後、ようやっとあきらめたようにカラスはその場から去っていく。黒い姿がオレンジ色に染まるビルの向こうに消えていくのを茂みの中から見て取ると、ルセフィはその場で両手を胸の前でクロスさせるように身構えた。
両の腕輪が眩しい光を放つ。やがて光が一点に収斂するように消えたとき、そこに彼女の姿はなかった。
それは野の民が持つ能力のひとつDynimsium(擬態)だった。腕輪に秘められた力で彼女は限られた時間ではあるが周囲と同化したり他の民と同じ姿に見せかけることができるのだった。
「今まで律クンの部屋ん中ばっかだったし、だから気付かなかったけどやっぱこの世界にもアイツらがいたし」
バラの庭園から離れた広場でルセフィは再びその姿を現すと、そこからはカラスに捕捉されないようホバリングと高速の移動を繰り返しながらジグザグに飛び回る。やがて木々の向こうに日本庭園と大きな池が広がっているのが見えてきた。
庭園の所々にはツツジやサツキが植えられていた。彼女は背後の気配に注意を払いながら花々を巡ってはその蜜を吸って、ようやっと腹を満たすことができた。
「なんでこんなことになっちゃったんだろう。律クンの願いをかなえてあげたのに、なのにあれっきり帰ってこないし、みんないなくなっちゃうし。その上おうちには知らない劣等種がズカズカ入って来るし」
劣等種、その言葉で彼女の心にスイッチが入ったのだろう、続く口調はまたもや慇懃無礼なものに変わっていた。
「せっかく手に入れた安寧な場所でしたのに、あの無遠慮さは劣等種の劣等種たる所以ですわ。ですからそのような不躾な輩を追い払っておりましたのに、今度はウルシャ姫。あのとき確かに時空の狭間にお送り差し上げたはずでしたが、まさかこちらでお会いすることになるなんてご都合主義も甚だしいですわ。まったく陳腐なお話であきれてしまいますの」
ルセフィは再び空を見上げる。時は黄昏、夕闇が迫る池を囲む森は黒いシルエットとなり、その向こうにはビル街の明かりが瞬いていた。
「とにかく早く新しいおうちを見つけなきゃだけど、でもその前にあのウザいお姫様をなんとかしないとだし」
ルセフィは頭上のカラスを警戒しながらまたもジグザクの軌跡を描いて庭園の奥へ奥へと飛んでいく。やがてたどり着いたそこは自然観察フィールド、あたかも人の手が入っていないように見せるそのエリアには小さな、しかし十分に澄んだ水をたたえた池があった。周囲には若い草叢と、これもまた自然を模した倒木があり、小さな妖精が身を隠すにはまさにうってつけの環境だった。
ルセフィは池の上で羽ばたきながら両手で池の水をすくって口に含んでみた。それは思いのほか澄んでいた。
これならば飲めないことはない。
彼女は渇いた喉を潤すとようやっと冷静になってこれからのことを考え始めた。
何はともあれまずは身を守ること、すべてはそれからだ。
手近な木の枝を折っては鼻歌混じりにそれを愛でるように撫でる。すると光を放ちながら細い枝は先端鋭い矢に変わる。しかしその矢は特殊なステータスなどないただの矢でしかなかった。
しかし武器が底をついた今、何もないよりはマシである。彼女は次々と枝を手にしては矢を作りそれを腰の矢筒に納めていった。
ルセフィは十分に矢で満たされた筒を見て満足げに頷く。そして軽く目を閉じて左耳のイヤリングに触れると、続いてその腕を頭上に挙げて宙を掴む仕草をする。するとその手には弓が握られていた。彼女は矢筒から一本の矢を掴むと池に向かってそれを射る。しかしその矢は池の真ん中あたりで失速して水面に波紋を残すだけだった。
揺らぐ月明かりを失意とともに眺めながら肩を落として小さくつぶやく。
「とりま、こんなんでも何もないよりは全然マシだし」
あたりはすっかり夕闇に包まれていた。ルセフィは水面に張り出した倒木の上に佇み羽を休める。そして彼女はビル街の明かりにも負けない輝きの月を見上げては自らの心を慰めるため、ひとり歌うのだった。
Samaumim mahyaimdahdy.
私は踊る、水の上で
Xahndimim ahyimsiaydy.
私は歌う、月の下で
Bohxastos nemdyletommim sahbilim damrasiuhus.
朝の露で喉を潤し
Kahputos poruzetommim siokoxuim pohxuhus.
花の香りで心を満たす
Dygus badasdygus ziagahlim daraxutaldy.
森の木々に神は宿る
Dygusyuks seilmim daraxutim barukaldy.
木の葉に寄り添い神と語る
Dulkul ahy mihmaltos kohruma.
二つの月は我らを護る
Dulkul ahy mihmalyuks xabdan.
二つの月は我らと眠る




