第22話 エルフ・イントゥー・ジ・アリーナ
二メートルを超える巨体を前にしても怯むことなくウルスラグナは持ち前のスピードで大男の懐に飛び込む。が、先に二人を倒している彼女の手際を見ていた大男は先読みをして紙一重で彼女の攻撃をかわす。
すかさずウルスラグナの裏拳、それを片手でいなす大男。その勢いを利用して半身を翻しながら半歩引く。そのまま相手の顔を狙っての回し蹴り、しかしそれもあっさりと捌いた大男はウルスラグナの胸元に鋭い突きを打ち込む。ぐらりと揺らいだウルスラグナの膝を目がけて大男が放つローキックとそれに続く喉輪、危険を察したウルスラグナは即座に後方へ飛び退いた。
打ち出したすべての攻撃が捌かれてしまった。この男はこれまでの敵とはわけが違う、まるで自分の手の内が全て読まれているようだ。こうなったら相手に攻撃させることで生じる隙を狙うしかない。
肩で息をしていたウルスラグナは深く息を吸い込んで呼吸を整えると、大男を睨みながら再び身構えた。
これまでの攻撃がピタリと止んだウルスラグナに大男が不敵な笑みを浮かべる。
"Tziekabal, garu zonurukuxal?"
(どうした、もう終わりか?)
目の前で発せられたのは異世界語、それに気を取られたウルスラグナに一瞬の隙ができる。大男はそれを見逃さなかった。その巨体からは想像できない俊敏さで彼女の懐に飛び込むと、その顔を目がけて裏拳を放った。
ウルスラグナも負けじと男の攻撃をかわすと男の脇腹を狙って鉄拳を打ち込む。しかしそれもまたあっさりと払われる。勢い余って彼女の体勢がわずかに崩れたそのとき、ガラ空きとなったウルスラグナの右腋に大男が繰り出す必殺の突きが命中した。
声にならない声を上げて苦悶に歪むウルスラグナ。急所を突かれた衝撃で彼女の視界が白一色に包まれる。続いて脱力した彼女の右腕が強い力で掴まれて締め上げられる。一瞬ではあるが遠のいていた意識が再び戦いの場に戻ってきたとき、ウルスラグナはすでにその背後を取られていた。
男はウルスラグナの右腕を封じたままもう一方の腕でその喉元を締め上げる。必死にもがくウルスラグナ、男の絞めから逃れるためその足を踏みつけようとするも、それはまるで無駄な足掻きだった。
男は絞めを解いてウルスラグナの背中を軽く押し出すと、今度はすぐさま腰骨を砕かんばかりの打撃を加える。衝撃に揺らぐウルスラグナ、その肩を掴んで彼女の身体をこちらに向けると間髪入れずに鳩尾を突く。宙を泳ぐ定まらない視点のままにバランスを崩すウルスラグナ、その後頭部に大男は容赦のない手刀を打ち込んだ。
「カハッ……」
ウルスラグナは声にならない声を吐き出しながらその場に倒れ込んだ。頬に触れる黒い床がやけに冷たく感じられた。目の前には男が履く黒い革靴の尖ったつま先が見える。
あのつま先が自分のボディーを蹴り上げてくるのだろう。このままでは確実に殺られる。早く、早く体勢を整えなければ。しかし身体が……動かない、言うことを聞かな……い。
薄れゆく意識の中でウルスラグナは近づいてくる大男の気配を感じた、その耳元でつぶやく低い声とともに。
"Zohrunem ziahm kitziem ziahmutos kohrumaxol."
(大きな命は小さな命を守る)
「ウルス、ウルス――ッ!」
孝太はウルスラグナの名を叫びながらブースを飛び出そうとしたが、恭平が腕を伸ばして通せんぼをするようにそれを制した。
「いいから見てなさい」
「だけどウルスが……」
「大丈夫、心配いらないから」
そう言って恭平はブースの向こうをあごで指し示した。そこでは大男が倒れたウルスラグナを見下ろしていた。しかしそれは彼女に止めを刺すためではなく、その目にはまるで兄がやんちゃな弟か妹を見るようなやさしさが感じられた。
大男は気を失って動かなくなったウルスラグナを抱えて肩に担ぎ上げると周囲にいる者に言葉をかける。そしてブースの中で見守る恭平に向かって力強く頷いた。
大男は会場を後にする。すると周りを囲んでいた黒服たちもみな彼に付いて店から出て行ってしまった。
「さ、キバヤン、私たちも行くわよ」
恭平は二人のスタッフに軽く礼を言うとドアを開けてブースから出て行く。孝太もそれにならって二人に一礼すると足早に出口へ向かう恭平の後ろ姿をわけもわからないまま追うのだった。
――*――
ウルスラグナが目を覚ましたとき、まず視界に飛び込んできたのは心配そうに様子を伺う孝太の顔だった。
「ウルス、大丈夫か……」
その声に続いて目の前に現れたのは細い目をより一層細めて笑みを浮かべる恭平の顔だった。
「まだ寝ぼけてるみたいけど大丈夫そうよ」
「やっぱ業田の突きがまだ効いてるっぽいし、もう少し寝てた方がいいと思うし」
そしてEQuAの顔を見た瞬間、朦朧としていたウルスラグナの意識が一気に覚醒した。そうだ、あの大男はどうした。EQuAを守らなければ。
"Aguxx dahrunem!"
(あうっ、痛っ!)
「やっぱ効いてるぅ、ウルっち、まだ全然だし」
「そうだよウルス、起きるならゆっくりとだ、ゆっくり」
未だ残る痛みに声を上げるウルスラグナにEQuAと孝太が言葉をかける。痛む右腕をかばいながらも介抱しようとする孝太の手を遮りながらウルスラグナはなんとか上体を起こした。
彼女を囲んでいたのは孝太、それに道着姿の恭平とEQuAだった。
「EQuA……その奇妙な服はなんだ。それに恭平ママも」
「これは道着でしょ。だってここは道場だし。だからほら、ウルっちも」
そう言われてウルスラグナは自分の姿に目を落とすと、確かにいつの間にかブラックスーツから道着に着替えさせられていた。
「ウルっちってマジ重かったし。マジ激重。アタシと恭平兄さんとコータくんの三人がかりでマジ大変って感じだったし」
ウルスラグナはあらためて自分の姿を確認する。身に着けたアンダーウェアの上から着せられた道着、その腰には白帯が締められていた。続いて周囲を見渡してみる。およそ五十帖ほどの広さの板張りの空間、EQuAが言う通りそこは道場だった。
張り詰めた空気の中、遥か向こうに祀られた神棚のすぐ下には正座して黙想している総髪の男がいた。その男こそがウルスラグナを倒したあの大男だった。
ウルスラグナは男の動きを警戒しながら痛みをこらえて立ち上がろうとする。しかし足に力が入らずその場にへたり込んでしまった。
その気配を察した男は静かに目を開くと姿勢を正してこちらに向かって礼をする。そしてゆっくりと立ち上がると摺り足でこちらに近づいてきた。
なんとか動かせる左腕と上体だけでウルスラグナは身構える。それを制するように男が右手を挙げる。
「まだ身体のあちこちが痛むだろう。だが君の体力なら明日には回復していると思う。今日は無理せず休んでいなさい」
それでもウルスラグナから警戒心は消えなかった。反撃できないジレンマを抱えながら男を睨みつける目だけは鋭い光を放っていた。
"Mihmim adosim Suhgura Go-Dahl xals, Kahnim mihressiu xalsmim. Dygunosuyukus Urusragunaxahm."
(我が名はスーグラ・ゴ・ダール、石の民だ。よろしく、ウルスラグナ様)
"Kahnim mihressiu xalsinambahsiem? Ahgasehm nahmom sisiramsigunxal?
(石の民だと? ならば貴様も飛ばされてきたのか?)
"Aynnatzieinastos."
(同じようなものだ)
異世界語でやりとりをする二人に向かって孝太が割って入る。
「ちょっと待ってくれ、EQuAも恭平ママも異世界語は話せねぇんだ。ここでは日本語で頼むよ」
「これは失礼した」
男は姿勢を正すと三人を前に正座して日本語で自己紹介を始めた。
「私はスーグラ・ゴ・ダール、石の民だ。こちらでの名は業田傑という。この道場で師範代を務めている」
そう言って男はもう一度深々と頭を下げた。すると恭平とEQuAも姿勢を正して業田に礼をする。
「それじゃ、ちゃんと自己紹介するし」
顔を上げたEQuAもにこやかな顔で自己紹介を始めた。
「二人とも恭平兄さんのことは知ってると思うし。で、業田は師範代で兄さんはアタシの兄弟子になるの。そしてアタシは人気急上昇中のアイドル、EQuAこと、真名は鷺ノ宮絵久亜っしょ」
「もう絵久亜ちゃんったら、自己紹介なんだから敬語使いなさい」
「あっ、ごめ――ん……というわけで、あらためて、鷺ノ宮絵久亜です」
孝太は恭平と絵久亜の姿をまじまじと見て、あることに気付いた。二人とも締めている帯が黒帯だったのだ。
「恭平ママ、それに絵久亜ちゃん、君たちは……」
その問いに恭平が答える。
「ここは道場なの。鷺ノ宮流当身術、柔道や空手とは少し違った流派のね」
「鷺ノ宮流ってことは……」
「お察しの通り、絵久亜ちゃんは鷺ノ宮流継承者の一人よ」
そこからは絵久亜が身を乗り出すようにして話し出した。
「ねえねえ、ウルっち。ウルっちはさ、覚えてるかな、アタシが襲われた日のこと」
「覚えている。あのときは失礼した」
ウルスラグナは道着の三人を見ながら、見よう見まねでその場に正座した。全身の痛みに少しばかり身体がこわばる。何より生まれて初めての正座である、板張りの床に足の骨があたってそれもまた痛みの原因のひとつとなっていた。
ぎこちない姿勢で顔を歪めるウルスラグナを微笑ましく思いながらEQuAは続けた。
「ううん、それはいいんだけど、ウルっちが犯人を締め上げたとき、アイツいきなり倒れたっしょ。あれ、アタシがやったの」
「確かに、あのときウルスがとどめの一撃を入れようとしたときには既に犯人がやられてたのはオレも見てたよ」
「ウルっちってさ、おもクソ速いのにスキあり過ぎだったし。だからアタシがウルっちが気付かないうちに、ちょちょいってね」
そんな四人の会話を聞いていた業田も静かな口調で会話に加わってきた。
「お嬢様はご幼少の砌からお師匠様直々に、そしてその後は私が稽古をつけて参りました、鷺ノ宮流の有段者です。次期師範代であるそちらの恭平に負けずとも劣らぬ実力の持ち主なのです」
業田の話に絵久亜が笑顔で応える。
「だから、アタシたちがウルっちに稽古をつけてあげる。とにかく今のまんまじゃ危なっかしくて見てらんないし」
「そうそう、絵久亜ちゃんの言うとおり。エルフちゃんはスピードもパワーも人間以上だけど、ただそれだけ。あなたには技が足りないの。だからそれを私たちが仕込んであげる。そうすればほんとに無敵のエルフちゃんになるわ」
今、孝太の頭の中は解せない疑問で溢れていた。目の前の四人の顔をかわるがわる見ながら声を上げる。
「ちょっと待ってくれ。さっきから聞いてると今日これまでのことって、まるで仕組まれてたみたいじゃねぇか」
孝太の疑問に絵久亜がケラケラと笑いながら答える。
「キャハハ、だってだって、敵をあざむくには身内からって言うし」
「絵久亜ちゃん、それを言うなら、味方から、でしょ」
「ま、どっちでもいいしぃ」
茫然とするウルスラグナと孝太、そんな二人に絵久亜が握手のために右手を差し出して言った。
「そう言うことで二人とも、これからもよろしく、でしょ!」




