わらべみち 序章
わらべみち 序章
北から吹く風が薄暗くなった空の黒い雲の群に切れ目をいれ、次第に形を変えながら、南に押し流して行く。雁の群れが今にも光を失いそうに沈んで行く夕日に向かって飛んでいき、黒胡麻を散りばめたように小さくまばらになっていく。周囲を囲む森は、葉と葉の間の隙間を判別するのが難しく、樹々の間の暗さはより一層増し、草も花も暗闇に飲まれていく。遠くで犬の遠吠えを聞いた。瞬間、自然の移り行きを眺めていたコノハはハッと意識を取り戻し、山菜を入れた竹籠を拾い、遠吠えのする村に走り始めた。
(しまった。ボーとし過ぎたな)
昔からよく山や森に入ってはずっとそこに長い間入り、時が流れていくのと共に景色が移り変わるのを眺めていた。不思議とひとりで眺めることを怖いと思ったこともなく、時を忘れていつまでもそこにいれた。だが、気づいたときにはすでに辺りはとっくに暗く、あわてて家に帰り、父さんが怖い顔をして、怒鳴られるということがよくあった。
(また父さんに叱られるのは勘弁だね)
急ぎ足で森の中を駆け、すでに慣れた暗い獣道を軽快に通り、村へと向かっていった。
岩の群地を身軽に飛び越えて、やがて樹々が開き、草原に出ると、藁を伏した小屋が見え、煙があちこちから小屋の煙出穴から出ている。どこも夕餉の支度をしているのだろう。一目散に草を駆け、自分の小屋に走り込んだ。小屋に入ると同時に、炉に鍋を吊るして、火具合を確認していた父と母がこちらを向いた。父はこちらを見るや眉を寄せ、怒りの形相をした。
「こら!こんな時間まで外にいるなと言っているだろ!」
コノハはビクンと体をこわばらせ、「ごめんなさい!」と謝った。父はまだ怒っており、
「夜は獣や良からぬもののけがうろつくんだ。襲われでもして、殺されたらどうするんだ!」と怒鳴った。父の怒号の追撃に思わず目をつぶって聞いていると、突然懐かしい声が背後から聞こえた。
「まあまあ、その辺にしとけよ兄貴。外まで丸聞こえだぞ」
その声の主が誰であるかに瞬時に気付き、振り替えると叔父がいた。
「コノハも外の世界が好きなんだよ、な」
叔父の姿を見た瞬間、嬉しさが一気に込み上げて、思わず飛び付いてしまった。
「叔父さん、久しぶり!」
あまりにも強く飛び付いたせいで叔父さんは後ろにふらついてしまった。
「お~、コノハ、久しいな。元気にしてたか?」
「うん!ずっと叔父さんが来るの楽しみにしてたんだよ!」
満面の笑みを叔父に向けてコノハは言った。
「ははは、そりゃ嬉しいな。いや~、今回の旅は北のおきみな山脈を越えて遠方の地域に行って商売してたからな。こっちに戻ってくるのに大分時間かけちまったな」
叔父は笑いながら話し、背の麻の背負い袋を地面に置き、父の隣に腰をおろした。
「全く、あっちの方は野蛮なやつらが住んでるて話だろう?村も殆ど廃れて、商人の往来も少ないじゃないか。そんなあてにもならん旅商売なんかとっととやめて、身を固めて安定した暮らしをどうなんだ」
父は叔父に言った。それを聞いて叔父は苦笑しながら、
「兄貴、俺にとって旅をすることは俺の生き甲斐なんだ。旅をしてるときだけ本当の自分を感じられる。今の仕事が好きなんだよ」
「そんなこと言って、今回の旅の収穫はどうだったんだ?まともな商売ができたとは思えんがな」
父は訝しげに尋ねた。叔父はにやりと笑い、傍らに置いた麻袋を持ち、袋の口をひっくり返してして中身を出した。中からは大量の銭やら野菜や燻製肉、新しいままの衣服が現れた。
コノハはそれに目を輝かせ、
「わー!すごいじゃん。こんなにたくさんの物をもらえたの?」
叔父はどこか誇らしそうに笑い、
「今回の旅ではな、北の地方でおっきい市場を見つけてな。ちょうど古馴染みの商売仲間がいて、商人組の者達に紹介してもらって信頼を得たんだよ。仲間の紹介でいくつか名の知れた販売業者の商品仲介の仕事を頼まれて、その働きぶりから一目おかれたのさ。そしたら他にも色々な仕事を任されて、収入もよかったし、お礼に品物までくれたんだ」
父は叔父の思わぬ収益ぶりと、その自信にあふれた表情を見て、自分の予想が外れたことを気まずく思ったのか、少し唸った。
「まあ、あっちの方はどんな感じの町があるのかよくわからなかったからな。だが、たまたま運が良かっただけかもしれんぞ」
言いながら、プイと顔を囲炉裏にかけてる鍋に移し、具合を確かめた。
「相変わらず兄貴は厳しいな。旅しない人生なんて退屈じゃないのかよ」
叔父が尋ねると、父は顔を鍋に向けたまま、
「ばか野郎、安定した暮らしを送ってこそ、何不自由なく幸せに暮らせるんだろう。見ろ、こうして俺は妻を娶って、コノハと一緒に毎日平穏な暮らしを過ごせているだろうよ」
母は少し微笑んで、
「まあ確かにふらふらして暮らすよりは、こうして身を置いた暮らしの方が落ち着くわね」
と言った。しかし、コノハはちょっと不満そうにして、
「うーん、俺は叔父さんみたいにいろんなとこ旅しながら仕事がしたいな」
父は眉を寄せてコノハを見て、
「お前まで何言ってやがる。こんな旅仕事がそう簡単に上手くやれるわけじゃないんだぞ。こいつは今は上手くやれてるが、いつか依頼が来なくなったり、危険な目に遭うかもしれないんだぞ」
少し怖い顔をして言う父に対し、コノハはそれでも引かず、
「でも、俺だって見たことない町や人、大きな都や遺跡を自分の目で見てみたいんだよ」
父はさらに声を強めて、
「駄目だ。ここには俺たち一家の畑や広大な森があるんだ。十分暮らせるだけの土地があるってのに、そんなほそぼろな命綱にしがみつくような暮らしをすることなんかない!お前がこの土地を継いでもらわなきゃいけないんだぞ。
見ろ、お前がそんな話をするから、コノハまでつまらん夢に興味を持っちまったじゃないか」
コノハは口を曲げ、すねてしまった。父はいつも俺のやりたいように許してくれないことばかりだった。そんな話を聞いて、叔父が、
「まあまあ兄貴」となだめた。
「いいじゃねえか、コノハがこうやって自分から興味持って言ってるんだから、やらしてやれよ。俺らがガキのころは親父も今の兄貴みていに厳しくて、俺たちもやりたいことを将来やろうと言ってたじゃないか。だから、コノハにもちっと旅をさせてやれよ」
囲炉裏の薪が赤く燃え、パチッと音をたてて火の粉がまった。父は、
「昔は現実が見れてなかったんだよ。結局は自分のやりたいように生きるなんてそうできねえんだ。俺には今の暮らしを送れてることが、何より一番望んでいたことなんだよ」
叔父は納得できないな、というふうに「やれやれ」と首を振った。
鍋からは今日夏の終わりの山から採れた山菜と鹿の肉を煮込んだいい匂いが漂ってきた。コノハのお腹がぐぅ~となった。もうペコペコだ。その音を聞いて、皆が過ごし笑い、場の空気が和んだ。コノハはちょっと照れくさそうにして、パッと叔父の方を見て、
「そうだ!叔父さんの今回の旅の詳しい話、もっと聞かせてよ」
と言った。叔父は、
「ああ、いいぞ。まずはどこらか話そうな...」と言って、話始めた。外では風が吹いて、草のなびく音がかすかに聞こえた。