????/??/?? 接触
こぶし大の大きさのボールが四個、何もない空を浮かんでいた。
先程まで確実にいなかったそれはアナウンスに答えた結果、部屋の外から入って来たものであった。ボールはそれぞれ甲高い駆動音を立てているから、おそらく何らかの機械、技術の塊であるはずなのだろうが、どういった原理なのかまるでわからない。
ボールは規定されたプログラムなのか、もしくはなにか意思があるかのように動き出した。
四個のボールのうち一つが天井近くまで急に浮かび上がりそこでピタリと静止する。残った三つのボールが私の背に回り込み、ちょうど腰、左右の肩甲骨のあたりに触れる。
確認なのか、調整なのか、撫で回すように動いたあと、甲高い駆動音がより一層響いて、私の体は浮かんだ。
強く押し込まれ、持ち上げられるような感覚。
わずか三点で固定され、持ち上げられるというのは、難しいことのように思えるが存外に安定感があった。あっという間に、先ほど転がり落ちたベッドの上まで私の体は持ち上げられ、そのままゆっくりと下ろされた。
その間も落ちた際にひねった左手の痛みはあったのだが、それ以上に、今自分に何が起きているのかと考えることに意識が囚われていた。
ベッドに下ろされると、背中、腰にまわっていたボールはスッと私の体から離れ、三つのボールは私の頭の上に一列に並んだ。ぴしっと並び終えると、天井付近で静止していたボールがゆっくりと高度を下げてきた。
すべてのボールは私の頭の上、空中で再び集まり一列となって静止した。
次は一体何をするのか見ていると、今度はボールが等間隔に広がり、ゆっくりと動き出した。
その動きはまるで麺を伸ばすようなもので、頭の上から足先に向けてたっぷりと時間かけてと下がっていく。指の先まで到達すると、今度はスッと左手首の上に集まった。
少しの間を置いて、先ほどと同じように、一つのボールが中空に制止し、三つのボールが左ひじを覆うよう重なり、ゆっくりとひじから手首の方に向かってゴロゴロとボールが動き出す。触れた感覚はないが、何かほんのりと温かく、お湯につかるような心地よい感覚であった。
-多田和人様、医療介助端末による診断の結果、左手頸部の腫れ、関節部の捻挫、もしくは手頸部の骨折の可能性が考えられます。担当医師到着後、患部の診断、治療計画の説明があります。現状、患部の応急……、
いきなり、天井から先ほどの声が響きだした。
今までのボールの動きと合わせて考えると、どうやらこの四つのボールが医療介助端末らしい。天井はボールとシステム的につながっており、診断の結果、けがの程度、その他の可能性、治療の方針、今後の展開について詳しくアナウンスがされる。
正直、その内容の半分以上はよくわからなったが、一つはっきりと分かった。
どう考えても、異常である。
人一人を浮かび上がらせるだけの浮力を得られるボール、人のけがの程度を診断、応急治療するボール、こんなものは見たことがない。現在の技術の水準を超えている。
こんなものは未来の世界、もしくは漫画やゲームの世界で、……、いや、まて、もしかして、本当に未来の世界、漫画やゲームの世界にいるのか?
ふとそんなバカげた発想が頭の中を巡った。首だけを動かして、自分の体を、左右の腕を見る。特に変わりがないように見えた。
仮に未来の世界。あの後、病室で何か突発的な不都合で寝たきりになったしたならば、相応に老けるなり、何らかの検査がされた跡が残るはずである。しかし、左右の腕にそのような跡は見えない。
また、仮に何か別の世界に意識が飛んでいるならば、この体は記憶の体と違うはずだが、確認できる範囲でそのような違和感もない。若返るでも、性別が変わっているような様子もない。
ここまで考えて、残る可能性。もしかしたら、体ごと違う世界に行ってしまったのではないかと真剣に検討し始め、読み込み型のVR世界の可能性も検討する。
バカげていると一蹴することはたやすい。そんな事が現実に起こるはずがない。でも、それならば今のこれはなんだ?
夢にしては手首からのひどい痛みは全身を電流のように走ったし、浮かび上がった時の感覚はとてもリアルであった。
自分がいたはずの病室とは違う外の景色に、人の気配を感じない空気。現在の科学技術が作り出せるはずのない不思議な機械。自分が全く別の世界にいるという方が納得できる気がするし、同時に、強烈に違う気もする。
-……介助端末による応急治療を終了します。担当医師の到着をお待ちください。到着までの間、患部を刺激しないよう安静にお待ちください。
天井からのアナウンスはまた急に終了した。
手首のあたりで動きを止めていたボールは再び空中に浮かび上がり、四個揃ってまた部屋の外に出て行った。部屋の中は不気味なほどに静まりかえる。安静にしていろという言葉を素直に聞き入れたというより、今までの情報をまとめ、現実的な可能性を再度模索する為に頭を働かせていた。
先ほどから、何度も担当医師、看護師など人を呼ぶようなアナウンスがされているのに、人の気配がしない。人がいない? それにしては、人の判断を頼るようなものの言い方が目立つ。
これはどういう意味であろうか?
人がいないのは、全てたまたま、偶然的に人がいないという事なのか?
確かに、自分が記憶する世界でも、医療の現場疲弊していた。そうであるから、関わる人の負担、手間を減らすシステムが構築されようとしていた。しかし、それはあくまでも人が判断する立場にいることが前提である。ここまで、システムが呼びかけても応答しないというのは違和感がある。偶然であるならば待っていれば説明がある。
緊急医療の特例?
そういえば、さっき天井から聞こえた言葉にこんな言葉があった。特例、法律に従って行動が規範されているならば、やはりこれは、
-武装した集団が当院内に侵入しました。患者の皆さまは安全が確保されるまで、病室にて待機ください。
非常に大きなブザーが鳴り響き、考えは中断された。
ピーィ、ピーィと建物を震わせるように鳴り響いた警報音と、同時にガチャっと何か鍵が閉まる音が聞こえた。
-武装した集団が当院内に侵入しました。患者の皆さまは安全が確保されるまで、病室にて待機ください。繰り返します。武装した集団が当院内に侵入しました。患者の皆さまは安全が確保されるまで、病室にて待機ください。……
言葉の意味を理解するのが難しかった。いや、意味自体は難しくない。しかし、聞きなれない、というよりも、現実感がない言葉が含まれていた。
武装した集団。武装、武装? テロリスト? 単語が結びつき別の言葉が連想され、映像として浮かび上がったのは、ニュースサイトで報じられる遠い異国で覆面をかぶり爆弾を抱えて突っ込んでくる狂信者や銃を持った原理主義者である。
そこまで、想像してようやくマズイと結論に達した。
鍵が閉まる音から、部屋に閉じ込められたという事は分かるが、そもそも、自由に体が動かせない。
何もできない状況で、武装した集団、テロリストがこちらに気づかないことを祈れというのか?
待機しろという言葉は無責任である。先ほど背中にかいた汗よりも、冷たい汗がじわっとにじむのが分かった。
どうする、どうすればいい?
何か手はないか頭の中を高速で回す。どこか遠く、何かドタバタと駆け巡る音が聞こえ、ダッダッダと激しい発砲音が聞こえた。
全てが嘘ならばと願い。事の重大さ、危機的な局面であるという事は嫌でも理解できた。
-警備システムが起動します。入院中の患者様は安全が確保されるまで、絶対に病室から出ないでください。繰り返します。入院中の患者様は安全が確保されるまで、絶対に病室から出ないでください。……、
と突然、また天井からアナウンスが響く、今度のアナウンスの文言は今までのものとは全く違う様相であった。
警備システム、絶対に出るなという言葉が含まれ、警戒のレベルが一気に引き上がったという事が良くわかる。警備システムというものがどういうものなのか、全く見当がつかないが、アナウンスの様子からかなり緊迫した事態である。
ごくりとつばを飲み込み。祈るような気持ちで、次のアナウンスを待つ。
警備システムという名前、先ほどの戦闘音などから想定するに、外部、警察や委託する警備会社への通報、連絡するだけのシステムではなく、侵入した集団に対してなにかアクションを起こすものであると思われる。
例えば、先ほどの空を飛ぶボールのようなものがいくつか彼らに勢いをつけて襲いかかるとか、リモートアクションの銃座など、何か別の手法、強力な兵器が備えられているという都合のいい想像を働かせて、とにかく何でもいいから武装した集団を何とかするシステムであることを祈る。
また祈っている間に、少し別の事を考える。
武装した集団、テロリスト、彼らのような存在がいる。それに対応するシステムが組まれているということは、ここは、日本ではない?
でも、日本語で先ほどから全てアナウンスされている。では、海外にある日本人が入院する病院なのか?
しかし、そうであったとして日本語以外のアナウンスがないというのが不思議である。病院のスタッフに対して、警戒するように伝えるアナウンスがないというのはおかしい。
結局、答えにたどり着けない問題に再び巡りあった。全てが伏せられた中で、一枚づつ表に出てくる情報を何とか合わせて合理的に考える。
しかし、考えれば考えるほどに別の不都合に考えがたどり着く。正直、現実逃避を兼ねての思考は、普段よりも想像力を大いに働かせ、その翼を大きく羽ばたかせていた。
ガチャと再び鍵の音が聞こえた。太陽に近づきすぎたイカロスが地面に落下したように、妄想の羽は一気に消え去り、現実の世界に引き戻される。
先ほど閉まる際に音が鳴ったので、今回は鍵が開く。ベッドから扉まではそれほど離れてはいない。しかし、動くことができない自分には絶望的な距離であった。
-多田和人様、病室付近での警戒レベルが上昇しましたので、誘導に従い避難ください。
悲鳴を上げるより先、扉が開くと同時に天井のアナウンスが響いた。扉の向こうから、先ほどの四つのボールとだれも載っていない車いすが部屋の中に飛び込んできた。
天井から響くアナウンスと合わせて、初めて外との扉が開かれる。先ほど考えていたアナウンスの不合理の理由が分かった。部屋以外の場所、建物中で警報の音が大音量で流されていた。
部屋の防音環境は想定していたよりもかなりしっかりしているらしい。車いすとボールが部屋に入るとまた扉が自動的に閉まり、ガチャっと鍵が掛かる音がして、外からの音が遠のいた。
四個のボールが先導する形で、誰も載っていない車いすが音を立てずにこちらに向かって進み、ベッドの脇でピタッと止まった。
誰かが操るわけでもないそれが実にスムーズに動く様子は、怪奇現象のような不気味さを覚えるもので、その車いすを使う事には若干の抵抗を感じた。
同じ未知の技術であっても空中を自在に動く四個のボールのような見当もつかない高度な技術は、実際目の当たりにしても、不気味さを覚えるより、それが一体なんなのか興味や好奇心といったプラスの感情を抱けたが、多少なりとも見知った車椅子のそれは、想定できる範囲での技術進歩であり、それが動く様子はひどく不安を感じるものであった。
早い話、車いすを使う事には疑問を覚えた。
体の自由が聞かない状況、不自由な状態で、自動で動くだけの車椅子に身を任せることはとても不安を覚える。
しかも、先ほどのアナウンスの言葉、病室付近の警戒レベルが上がったから避難しろという言葉がとても怖い。正直、このままこの部屋で息を殺してこもっていたほうが安全ではないだろうか?
少しづつしか開示されない情報から、いい加減、苛立ちを覚え、それに反抗する意識が頭の中を巡った。
こちらが動こうとしないでいることを、ボールや車いすはどう判断したのか分からないが、アクションは迅速であった。
床から持ち上げられた時のように、四個のボールは一斉に動き出した。今度はまず足元、左右のひざの裏側にボールが入り込み足を車いすのステップ部分に乗せられる。そして、それが終わると、両わきの下、調整するようにころころと動き、一気に持ち上げられ車いすに乗せられた。
あっという間の出来事であった。なにか抵抗するよりも早く、ボールが動き、自分は何もできずに車椅子の上に座らせれた。
車いすは、思っていたよりもずいぶんとしっかりした座り心地であった。リクライニングの機能があるのか、包み込むように体を優しく受け止める。私を乗せ終わると4個のボールは決まった位置が設定されているのか、頭の上、車いすを挟んで左右、そして前方にそれぞれ一斉に動いた。ボールが等間隔に距離を取り、決められた位置取りが完了してのか空中で完全に静止した。
―意識連動の設定を行います。個人認証端末との接続を実行致します。接続失敗、再度接続を行います。……
ボールの動きに意識を取られていたら、突然、天井から聞こえたアナウンスと同じ声が耳元で響いた。
どうやら、車いすにもそういった音を響かせるスピーカーが仕込まれているらしい。しかし、それまでの天井から響くアナウンスとは全く違うものであるように思えた。
意識連動、個人認証、接続、とアナウンスの内容が未知の単語だらけで、しかも専門的、電子的な用語に聞こえるものばかりだ。
どれも聞き覚えのない単語であり、理解を求めるというよりも説明の義務を果たす証拠づくりの為に囁かれている印象しかない。
そして、最悪な事に全くよくわからないそれが失敗したという内容で何度も何度も繰り返される。わざわざ人を不安にさせるだけの内容であった。
―接続の失敗、個人認証端末の設定の確認をお願い致します。
結局、接続の失敗と再接続という言葉は最後まで繰り返されて、始まりと同様に唐突に終了した。
個人認証端末の確認をしてくれ? 最後の言葉、端末の確認というそれの意味を考える。
手元には、端末どころか何も存在しない、持っていない。という事は、手元以外。健康管理用の左手甲に埋め込まれた端末に意識が向いた。
いつの間にか、四方に飛んでいた四個のボールが手元、ひざの上に集合していた。
そして、それに気づくとボールは弾かれたように広がり、ある程度距離を取ると再び空中で静止した。そしてちょうど、その四個のボールが頂点となるように何もない空中で映像が映し出された。
甲乙うんたらの長文の同意書。そして、再び耳元ではその同意書の内容の読み上げが始まった。
ここに来て初めて確信が持てた。ここは、ファンタジーな世界ではない。絶対に何かしらの悪ふざけ、大掛かりな悪意ある世界だ。