第七十五話『魔族と使徒。リエルとマリー』
【風の迷宮・??階】
闇の魔方陣に捕われた次の瞬間、マリーを含めた使徒たちは黒い霧に覆われていた。
上下左右の感覚が無くなり、彼らはいずこかへと飛ばされる。
やがて黒い霧が晴れ感覚が戻った時……そこは先程までの光景と違った。
光苔が少なく、視界が悪くて辺りが見づらい。
しかしよく確認してみると、四方が崖に囲まれているようだ。
前方と後方に細長い道が続いており、辛うじて地続きになっていた。
使徒たちはノソノソと体を起こしながら辺りを確認し続ける。
――どうしてこんなところに……?
というか、ここはどこだ?
彼らは混乱していたものの、皮肉にも状況が理解出来なさ過ぎて慌てふためく者がいなかった。
一方でマリーは辺りに気を配りながらも、かなりまずい状況であることを認識していた。
何故なら彼女にはここがどこだかある程度目星が付いていたからだ。
以前、冒険者として『風の迷宮』に潜ったことのあるマリーの記憶が確かならば、このような崖になっている場所は地下30階層より下にしかなかったはずだった。
つまり一瞬にしてそれだけの距離を飛ばされたことになる。
そしてそれはマリーの中では有り得ないほどの異常事態だった。
確かにダンジョンの中では何が起こるか分からないし、こうした転移型のトラップもあるにはある。
しかしせいぜい2、3階層飛ばすくらいのものばかりで、酷いものでも5階層飛ばすのが関の山だったはずだ。
それに、そもそも最も安全な地下1階にこんな凶悪なトラップがあるはずがない。
ということは、このダンジョン以外の何者かが仕掛けたトラップなのではないか?
それがマリーの出した結論だった。
ただ、これほどの距離を飛ばすというのは並みの術者に出来ることではない。
しかもあの魔方陣は七大悪魔レヴィアタンの力を依り代にしたものだった。
……いや、それよりも現状を何となしなければ……。
もしここが地下30階層以下の場所ならば、今の使徒たちのステータスではこの階層にいるモンスターに勝てない。それどころか殺されてしまうことだろう。
そう思ったマリーは使徒たちをまとめるべく号令を掛けようとしたが、しかしその前に後方から声がかかる。
「いらっしゃ~い」
マリーは剣に手をかけながら後ろに振り返る。
すると後方の細道の上に何者かがいた。
薄暗くて見づらいが、どうやら女性のようだった。
しかしこのようなところに普通の女性がいるはずがない。
「……何者だ?」
使徒たちを庇うようにしてマリーが前に出る。
それに合わせて向こうの女性も前に進み出てきた。
やがて光苔の淡い光に照らされて顕わになったその正体に、マリーの肌がぞわっと逆立つ。
「魔族……!」
「くすっ、ご名答~」
その緑髪の女性魔族――リエルは無邪気に笑った。
しかしそれだけでマリーの額に汗が浮かぶ。
「……バカな。上級魔族……だと?」
それを聞いてリエルの眉がぴくりと上がった。
「へえ。わたしを見ただけでそこまで分かるなんて、あなた何者?」
しかしマリーはそれには答えなかった。
「それよりも貴様こそ何者だ? 何故、上級魔族がこのような場所にいる?」
「あらあ? 何故わたしがここにいるのかという理由は、もうあなたにも分かっているのではなくて?」
「………」
マリーは喋りながらも何とかこの窮地を切り抜けようと隙を窺っていたが、目の前の魔族女にはまるで隙が見受けられなかった。
まるでそれを見抜いたかのようにリエルはくすりと笑うと、
「ま、いいわ。ここまで来たらもう焦るようなことでもないし、少しお喋りに付き合ってあげる」
そう言ってリエルは妖艶な笑みを浮かべながら使徒たちの方に流したような目を送る。
それだけで男子の多くが顔を赤くしていた。
目の前のエキゾチックな緑髪の少女に発情してしまったのだ。
そしてそれを見て女子たちが白い目を送る。
この世界に来た時から全く変わらない彼らのやり取り。
それは彼らの美点でもあったが、しかしこの窮地に至ってはまったくの悪手でしかなかった。
――このような者たちを連れてこの場を切り抜けられるのか?
そのあまりに絶望的な状況に気付いているのはマリーと、そして螢条院勇樹、風早沙羅の三人だけだった。
勇樹はマリーと同じく抜け目なくこの状況を切り抜ける方法を必死に考えており、沙羅は目の前の存在があまりにも自分とかけ離れた圧倒的な敵であることを見抜き、剣の柄にかける手をカタカタと震わせていた。
そんな彼らの様子を見てリエルはもう一度くすりと笑うと、
「そうそう。なんでわたしがここにいるかっていう話だったわよね~。そんなの今さらだけど丁寧に教えてあげる。もちろんあなたたちを殺すためだよ~」
「……!」
分かっていても衝撃を受けるマリー。
しかし他の者たちは目の前のリエルがあまりに緊張感のない話し方をするものだから実感を持てずにきょとんとしているだけだった。
マリーは何とか窮地を脱するための方法を模索する時間を稼ごうと、口を開く。
「それにしても、どうして上級魔族のお前がここにいるのだ? 有り得ないだろう」
そのセリフに、しかしリエルは再び怪訝な顔をする。
「……あなた、さっきからまるで上級魔族のわたしが絶対にここにはいないような言い方をするわね?」
マリーとリエルは睨み合う。
もちろんその間もマリーは必死に逃げる方法を考え、隙を窺っている。
「ふふん、まあいいわ。一応教えておいてあげる。もう一人の上級魔族のムムエルたんが顕現したから、彼に城の守りを任せてわたしは晴れて自由の身になったのよん」
そのように明るくのたまう上級魔族のリエルに対し、今度はマリーが怪訝な顔をする番だった。
「上級魔族ムムエルの顕現だと? それこそおかしな話だ。上級魔族ムムエルの顕現はもっとずっと先だったはずだ」
「……なんですって?」
マリーのセリフにリエルの顔があからさまに変わった。
驚愕と威圧の混じった鋭い視線をマリーに向けてくる。
「どうして人間のあなたがそれを知っているの? 神しか知らないはずのことを、何故……」
「神しか知らない、だと? それはどういうことだ?」
「………?」
「………?」
マリーとリエルの二人は互いに怪訝な顔を向け合っていた。
どうにも話がかみ合っているようでかみ合っていない。
「……そこまで知っているのに、どうしてそのことは知らないの?」
「……それは……」
「なるほど。あなたは教えられただけ。そういうわけね」
「……っ!」
「となると、アーティア城に真理に近付いている者がいると考えた方がいいわけか……。これはちょっとこちらの考えを改める必要がありそうだわね」
マリーはもしかしたら会話の選択を間違ってしまったのではないかと思い後悔した。
しかし今はそれどころではないのだ。
それ以上に、この窮地をどうにかしなければならないのだから。
「まあいいわ。あなたにそのことを吹き込んだ張本人については、後でじっくりあなたの体に訊いてあげる」
「………」
「あなたみたいなのがいるなんて思わなかったわ。初めて見た時に少し厄介そうな女だと思ったからここまで用意周到におびき寄せたわけだけど、結果的に正解だったかもしれないわね。使徒たちを一人も逃がさないのと、あなたへの尋問を並行して行うのは、いくらわたしでも手間そうだし? ここは負のマナが濃くて魔族であるわたしの力が増幅されるからね~」
「……それにしても、どうやってこうも簡単に我々をここまで誘き寄せることが出来たのだ?」
「それは別に難しくはなかったわよ? さすがにアーティア聖王国はわたし一人では落とせないだろうと思ったから、使い魔を放って隙を窺っていたの。そうしたら使徒たちが『風の迷宮』に行く話をしているのを聞いちゃったの。だからこうして先回りして罠をいくつか張っておいたというわけ。おわかり~?」
「……納得がいかないな。普通の罠なら私が気付かないわけがない」
「一応腐っても使徒とそれを率いる奴が相手だから、普通の罠なんて張ったりしないわよ。まあちょっとした特殊な罠を張ったんだけど、実はそれほど高度な罠でもないのよ? そこはほら、そこにいる男の子のおかげってわけ」
そう言ってリエルは一人の男子を指差した。
「は? 俺?」
いきなり指を差された間所健太郎は間の抜けた声を出していた。
「そ。キミだよ。キミがいい感じに負の感情をこじらせているのが分かったから、それを利用させてもらったの。一定以上の負の感情を持った者だけをおびき寄せる指向性の罠を張っておいたのよ。そうしたら見事に引っかかってくれたってわけ~。こういう罠はわたし、大の得意分野なのよね~」
「………」
そのように言われて面白くなさそうな顔をする健太郎に、クラスメイト達の怪訝な視線が突き刺さる。
「おい、間所。お前また何か勝手なことをやったのか……?」
元バスケ部の京田隼人が訊ねると、健太郎は薄い笑みを浮かべながら、
「……別に? 何もやってねえよ」
「だがよ、あの女はお前のことを言ってんじゃねえか?」
「あ? 何だお前? クラスメイトのことは信じねえのに、あんな会ったばかりの女の言うことは信じるんだな? 色ボケ君」
「……お、お前……!」
健太郎は後ろめたさから『自分が宝箱を独り占めしようとしたせいで皆を罠に巻き込んだ』ことを隠そうとしていた。
それが分かっているリエルは面白いものを見るようにして、睨み合う健太郎と京田隼人のやり取りを眺めていた。
しかしその健太郎が隼人から目を逸らすと、責任転嫁するようにしてリエルを罵り始める。
「ていうかよお、さっきから何言ってんだあの女? 頭沸いてんじゃねえのか? 俺たちが誰だか分かってんのかよ、あのアマ?」
自分の力に自信がある健太郎はそう言ってリエルの方へと近付き始めた。
それにギョッとしたマリーがたまらず声を張り叫ぶ。
「マドコロだめだ! それ以上この女に近づくな!」
「何言ってんだよマリーさん? 俺たちは使徒でしょう? ああいったマゾク?なんかと戦うためにこの世界に呼ばれたんでしょう? だったらその力を今ここで見せてやりますよ」
健太郎は完全に自分の力を驕っていた。
それに加えてどうにか自分の失敗を無かったことにしたいと思っていた。
少なくても勇樹は自分がどういった類の罠にかかったのかを知っている。もしかしたら話の流れ次第ではその成り行きを説明してしまうかもしれない。
そうなれば健太郎はクラスメイトたちから一層白い目で見られることだろう。
そんなことはプライドの高い健太郎からしたらとうてい許せることではなかった。
だったら力であの女をねじ伏せてしまいさえすれば、失敗は失敗でなくなる。
そう思った健太郎はマリーの言葉ではもはや止まらなかった。
「くっ……バカ者が!」
マリーはリエルから目を離せないが故に健太郎を直接止めることが出来なかった。
それにリエルが他にどんな罠を仕掛けているか分からない以上、他の者たちを動かして健太郎を止めてもらうわけにもいかない。
それ故にマリーは放つしかなかった。
――必殺技を。
マリーは鞘から剣を抜きながら叫ぶ。
「セイクリッドスラッシュ!!」
マリーの腰の鞘から光が迸り、凄まじい気の籠った刀身が抜き放たれる。
そして気付いた時にはその刀身はリエルの体を斬りつけていた。
マリーとリエルは歩数にして十歩ほどの距離が開いていたはずだったが、マリーはたった一歩でそこまで踏み込んだのだ。
使徒たちにはマリーが瞬間移動したように見えた上に、剣を振ったことすら分からなかった。
それほどの一撃だった。
にも関わらず……。
リエルを斬り裂いたかに見えた刀身は、リエルの体に届いてはいなかった。
リエルが半歩分体をずらしていたのだ。
二人の動きがあまりに早過ぎて、斬り付けたかのように見えただけだったのである。
「くっ……!」
「かっ……!」
外れたと分かったマリーが悔しそうに顔を歪めるが、しかしリエルの表情にも余裕はなかった。
リエルはリエルですれすれでマリーの一撃を躱していたのだ。
すぐに二撃目を放つマリーだったが、それは難なくバックステップで躱されリエルに間合いを取られてしまう。
再び十歩分の距離が開いた二人は互いに睨み合う。
「……驚いたわ。まさか人間如きにこんな一撃を放てる奴がいるなんてね」
「……それを躱した貴様の方が驚愕に値する」
「それはたまたまよ。あなた、今の一撃は不完全な状態で放ったんでしょう?」
「貴様も私が力を溜めていることにはとっくに気付いていたんだろう? それで敢えて気付かぬふりをしていた。こちらはその油断を敢えて突いて躱されたのだから、どの道誇れる気分にはならないよ」
そう。マリーは今の一撃を不完全な状態で放っていた。
その理由は健太郎だ。
彼が無防備にリエルに近付いたために、不完全な状態で放たざるを得なくなったのだ。
実はマリーは話をしながらずっと力を溜めていたのだが、本来ならもっと溜め時間が必要だった。リエル相手には百パーセントの状態で放たなければ通じないと思ったからであり、実際こうして躱されてしまった。
リエルはリエルでマリーに敢えて必殺技を撃たせるつもりだった。
あの距離ならどんな攻撃が来たところで躱せる自信があったからであり、所詮人間などに自分を傷つけられるわけがないと思っていたからだ。
しかし放たれた一撃はリエルの予想など遥かに上回っていた。
彼女は本当に焦った。
あと一瞬反応が遅れたら、いくら上級魔族の自分でも大きなダメージを負っていただろう。
それほどの一撃を放てる人間がいるとはリエルにとって俄かには信じられなかった。
「……千年前にもあんたほどの戦士は人間の中にはいなかったわよ。勇者以外ではね」
「人間の中では、か。それは誇っていいのか分からないな」
「誇りなさいな。……でも、そうか。あなたみたいなのがいるから向こうの世界の使徒たちを全員こちらに送って来られたわけね」
「………」
「でも残念ね。それでも私には勝てないわよ。そして、使徒たちも私の可愛い部下たちから逃げることは出来ない」
リエルがぱちんと指を鳴らすと、彼女がいるのとは反対側の通路に異形の姿をした動物たちが姿を現し始める。
それは下級魔族の群れだった。
「くっ……!」
マリーは小さく唸る。
それが絶望の始まりだと分かってしまったからだ。




