第六十九話『使徒。その片翼』
【アーティア王城・大浴場】
「一ヶ月後かー。もどかしいよね」
「本来なら一年後の予定だったんだ。これでも十分だよ」
二人しかいない大浴場の中、姫宮姫と風早沙羅は口々にそう言った。
クラスメイトたちとの合同練習の後、二人は揃って自主練をしていたため遅くなり、大浴場は二人だけの貸切り状態だった。
彼女たちの話題は『風の迷宮』での実戦訓練のことだ。
微かにリクの存在を感じている二人は、早く『風の迷宮』へと向かいたかった。
それゆえに姫と沙羅の二人は女王に直談判し、本来一年後の予定だった『風の迷宮』実戦訓練を一ヶ月後まで早めたのだ。
クラスメイトたちの中にはそのことに不満そうな顔を見せた者もいたが、二人が如月リクのことを考えてのことだと思うと、リクに対し負い目がある彼らは何も言えなかった。
「………」
「姫、焦ってもしょうがないよ」
「……うん、分かってる。でも……」
どれだけ諭しても浮かない顔をしている幼馴染みに、沙羅は思わずくすりと笑う。
「? どうしたのサラっち?」
「ふふっ……いや、姫は昔から如月のこととなると周りが見えなくなるなー、と思ってね」
「え? べ、別にわたしはそんなこと……」
「今さら隠す必要なんてないだろ?」
「な、何も隠してなんていないよ!」
頑なに否定してくる姫に、沙羅は怪訝な顔になる。
「……まさか、気付いていないとでも思っているのかい?」
「な、なにを?」
そのやり取りで沙羅は確信する。
姫は自分がリクのことを好きなことを沙羅に気付かれていないと思っているのだ。
さすがの沙羅も開いた口が塞がらない。
「……呆れた、あんたが如月のことを好きなのはとっくの昔から知ってるよ」
「え、うそ!? なんで分かったの!?」
「……むしろあんたが如月のことを好きだっていうのを未だにあたしが気付いていないと思われていた方が驚きなんだけど……」
湯船に浸かっているせいもあってか、今や姫の顔はゆでだこのように真っ赤になっていた。
沙羅は肩を竦めるしかなかった。
「この子は天然が過ぎるというか、なんというか……」
「サ、サラっち!? 今の話はみんなには内緒だからね!? あ、いや、わたしは別に如月君のことは何とも思っていないんだけども!」
「ここまで来てどれだけ往生際が悪いんだい!? ……それに、周りだって薄々そうなんじゃないかって勘付いてるよ」
「ウソだよね!?」
「……如月がビッグクレパスに落ちたって聞いた時にあれだけショックを受けていた奴が、如月のことをなんとも思っていないと考える方がどうかしてるだろうさ……」
「っ!? っ!?」
今や姫はパニックに陥っていた。
まさか自分の恋心が親友はおろかクラスメイトたちに筒抜けだったかもしれないことにようやく気付いたのだ。
そこをさらに沙羅が追加攻撃を仕掛けてくる。
「如月が小さなおっぱい好きだったらいいねえ」
「どこ見て言っているのかな!? かな!?」
「え? そのちっぱい」
「ハッキリと言った~!」
もう姫は涙目になっていた。
さすがに追い詰めすぎたかなと思い反省した沙羅は謝ろうとするが、しかしその前に姫が反撃に出る。
「そのおっぱい寄越せ~!」
「うひゃっ!? ちょ、ちょっと姫!? くすぐ……ひゃああ!」
意外と可愛い声を出す沙羅だったが、パニックに陥っている姫はそんなことを突っ込む暇もなくただ沙羅のおっぱいを揉みまくる。
「寄越せ寄越せ寄越せ~!」
「ちょ、マジでやめて! あたしだってそんなに大きい方じゃないんだからあげたら無くなっちゃうでしょ!」
「貴様に貧乳の気持ちが分かるか!? だから交換しろ! 貧乳様の気持ちを知れ!」
「姫が壊れた!?」
その後しばらく女子浴場ではあられもない光景が繰り広げられた。
さらに時間が経ってから、色々と臨界点を突破したところで、ようやく二人は落ち着きを取り戻す。
「……その、サラっち、ごめん……」
「……何か大事な物を失った気がするよ……」
「本当にごめん」
そこには事後の女と女がいた。
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「まったく、悪ふざけにも限度があるよ」
「だからごめんって」
自室に戻る途中の廊下で、姫は沙羅に対し平謝りだった。さすがにやり過ぎたことは姫も分かっていた。
「ふぅ……もういいよ。あたしがノーマルなことだけは知っておいておくれ」
「あたしだってノーマルだよ!?」
「どうだかねえ」
「ふえ~ん、サラっちがいじめる~」
「あはは、ごめんごめん」
湯上りの姿でじゃれ合う二人を見て、途中ですれ違った女騎士が顔を赤くしていたことに二人は気付かない。
今の二人の姿は完全に百合そのものだった。
「それにしてもドライヤーがない生活がこんなに不便だとは思わなかったねぇ」
「本当だよね! 二十一世紀の文化があんなに素晴らしかったんだってこっちの世界に来てから気付いたよ」
それからは他愛無い話をしている内に姫の部屋の前に着いた。
「そんじゃ姫、また後でね」
「うん。一緒にご飯食べようね」
「あいよ」
そう言って別れると、姫は自分の部屋に入ろうとする。
しかしそこを別の声に止められた。
「姫、ちょっといいか?」
姫が振り返ると、そこには間所健太郎の姿があった。
「健太郎くん? どうしたの?」
「ちょっと話があるんだ。部屋に上げてもらっていいか?」
「え?」
「いいだろ?」
「ちょ、ちょっと?」
健太郎は戸惑う姫を押し込んで強引に部屋に入ってくる。
部屋に入るなり、健太郎は後ろ手で鍵を閉めた。
「……え」
途端に姫の顔が不安そうに歪む。
そんな姫の華奢な肩を健太郎が掴んだ。
「い、いたっ」
同じ英雄職でも生粋の魔法職と近接職の違いがあり、姫に独力で振りほどくことは無理だった。
「俺を見ろ」
「え?」
「俺を見ろって言ってんだよ!」
「……け、健太郎君、何を言っているの?」
姫には健太郎の目が深く濁っているように見えた。
健太郎は力任せに姫を壁に打ち付ける。
「かはっ……!」
強く打ちつけられたことで姫の息が詰まるが、健太郎は気にした様子もなく姫に迫る。
「あいつは死んだ」
「あ、あいつって……?」
「如月だ! あいつは死んだんだ!」
「な、何を言って……」
「どうして認めない!? あいつは死んだ! それなのにお前はどうして俺を見ずにあいつを追い続けるんだ!」
「け、健太郎くん……?」
健太郎の鬼気迫る表情に、姫は恐ろしくなった。
そんな怯える姫に、健太郎は覆いかぶさってくる。
「健太郎君、怖いよ……」
姫は震えていた。
それでも健太郎は構わず姫の首に顔を近付けていく。
「な、なにをやって……ひっ!?」
姫は小さく悲鳴を上げた。
健太郎が姫の首筋を舐めたからだ。
「や、やめて……」
ようやく今から自分の身に起きるだろう事を悟り、姫は涙を流して懇願し始める。
「俺が忘れさせてやるよ」
「お願い……やめて」
「いやだね」
健太郎は姫の上着に手をやると、無理矢理に肩から下へと引き落とした。
それだけで湯上りで上着一枚だった姫の小さな胸が露わになる。
「いやだ……いやだ……如月君助けて……」
「お、いいねえ。あの世にいる如月に見せつけてやろうぜ」
リクの名を聞いた健太郎は凄味のある顔でニヤリと笑うと、姫の小さな蕾に吸い付こうとした。
しかしその瞬間、部屋のドアが歪な音を出して二つに分かれ、崩れ落ちる。
その向こうにいたのは剣を構えている沙羅だった。
「やめな!」
剣でドアを切り裂いた沙羅は部屋に飛び入ると、その勢いのまま健太郎に体当たりを食らわせて弾き飛ばした。
しかし重戦士系英雄職のハイウォーリアである健太郎は少し飛ばされただけで、すぐに体勢を立て直す。
ただ、その時には姫を後ろに庇って、沙羅が剣の切っ先を健太郎に向けていた。
「マド……あんた、いくら幼馴染みだからってやっていいことと悪いことがあるよ」
「サラ、邪魔するなよ。察しの良いお前のことだ。俺が姫を好きだってことはとっくに知ってるはずだろ?」
胸元を治しながら「え?」と顔を上げる姫の声をバックに、沙羅は肯定する。
「ああ、知ってるよ」
「だったら」
「それが何だって言うんだい?」
「……なんだって?」
「それが何だと言ったんだよ」
健太郎は憤慨したように早口で喋り出す。
「俺はずっと昔から姫のことが好きだった! 小学生の頃からだ! その時からお前も一緒にいる……それなのにどうして協力してくれない?」
「協力? ハッ、笑わせないでおくれよ。あたしがあんたに協力する義理がどこにあるってのさ」
「なっ……? サラ、お前……」
健太郎が睨みつけてくるが、沙羅は涼しい顔で受け流す。
「ふぅ……まさかあんたがここまでの勘違い野郎だったとはね。確かにあたしとあんたは幼馴染みだが、あたしは姫の親友なのであって、あんたの親友なんかじゃない。それはよく憶えておきな」
「……っ」
幼馴染みの辛辣な言葉に、健太郎はギリッと歯ぎしりした。
「何をキレてるのさ? 話をすり替えてんじゃないよ。キレてるのはこっちなんだよ! この落とし前をどうつけてくれるんだい!?」
未だ震えている姫を庇いながら沙羅が叫んだ。
沙羅は許せなかったのだ。
親友である姫の恋心は小さい時から知っており、それとなくずっと応援してきた。
リクが不良たちから女の子を救うような熱くて優しい奴だと気付いてからは、それこそ積極的にくっつけてやろうとさえした。
それなのに手前勝手な欲望で姫の純情を踏みにじろうとした健太郎が許せなかった。
返答次第のよっては、ここで健太郎を斬り捨ててやってもいい。
沙羅はそれくらいの覚悟さえしているほどに、親友のことが大事だったのである。
沙羅の本気の殺気を受けた健太郎はたじろいだが、同時に姫もその殺気に気付いて狼狽えた。
自分のために親友に幼馴染みを斬らせてしまうかもしれない。
それに気付いた姫は沙羅の腕を取って止める。
「や、やめてサラっち!」
「………」
「ほ、ほら、あたしは大丈夫だよ? え、えへへ、だからそんな怖い顔しないで? ね?」
姫は無理矢理笑ってみせた。
腕を取られても殺気を解かなかった沙羅だったが、健気な親友の姿を垣間見てようやく大きく息を吐いた。
「……今後二度と姫に近付くな。それを約束するならこの場は見逃してやるよ」
そのように提案してくる沙羅に、健太郎は狼狽えた。
「に、二度とだって? 俺たちは幼馴染みだぜ? それはいくらなんでも横暴が過ぎる……」
「は? 何だって? あたしはこれでも大分譲歩したんだ。大体、姫を襲っといて今さらどのツラ下げてあたしらに接するってのさ!? 何なら今ここであたしと殺し合うかい!?」
沙羅は再び剣に殺気を込める。
そこでようやく健太郎は沙羅の言っていることが冗談ではないと気付いた。
そして、納得がいかない顔をしながらも頷くしかなかった。
「分かったよ……」
それだけ言うと、健太郎は沙羅や姫の脇を通り過ぎて部屋から出て行く。
健太郎が近付いた時、小さく「ひっ」と声を上げて身を竦めた姫に眉を顰めながら……。
健太郎の姿が完全に見えなくなってから、姫の啜り泣く声が部屋に漏れ始める。
そんな姫の小さな肩を、沙羅は優しく抱き寄せた。
「サラっち……わたし早く如月君に会いたいよ……」
「ああ、すぐに会えるさ。それまではあたしがあんたのことを守ってやるから。だから泣くなって」
「う、うわああああああああああんっ!!」
激しく嗚咽する姫の背中を沙羅はゆっくりと撫でる。
(如月……死んでたらただじゃおかないよ。その時はあの世までぶん殴りに行ってやるからね)
沙羅は一層強く姫を抱きしめた。まるで自分の顔を隠すようにして。
沙羅の目にも涙が浮いていた。




