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第十三話『逃亡』

 俺は暗がりの森の中、懸命に駆けていた。


 アーティア王城は平山城である。

 王城の前面には少し行ったところに城下町が広がっているが、反面王城の裏手には山しかない。

 普通なら城下町の方へ逃げたと思うことだろう。

 だから俺は敢えて王城裏手の山の方へと逃げている。

 一先ず山に逃げることで追手の目をくらまし、ほとぼりが冷めた頃に城下町の方へと逃げ出す算段だ。


 ここまでは『気配遮断スキル』と『遁走スキル』、『聞き耳スキル』を最大限に使って逃げ切ることが出来た。

 取りあえずの目的地まで後少しだ。気を抜かず行こう。


 それにしても……まさかこんなことになるとは思わなかったなぁ。

 間所たちならいざ知らず、エリアンテ王女に陥れられるなんてそれこそ夢にも思わなかった。

 ……結局あの人は何だったんだ?

 あんな綺麗な人が俺なんかを好きになってくれるわけがないしな~。

 ……まさか竜王と契約できるかもしれない俺をこの国に繋ぎ止めておくために籠絡しに来たとか?


 ……まあ今となってはどうでもいいか。

 逃げてしまった以上もう言い訳は出来ない。

 どんな理由を述べたところで『逃げた』ということは俺をクロと判断する恰好の材料だろうから。

 だけど俺はやってないものをやりましたなどと言うつもりは毛頭ないしね。


 ……もしかしたら姫宮や風早あたりは俺のことを庇ってくれるかもしれないが……。

 しかしそれは希望的観測というものだろう。

 姫宮も風早も、俺なんかより間所たちと付き合っている時間の方が長いのだから。

 それに何より先程クラスメイトたちに裏切られたばかりの俺は、悲しいが彼女たちを信じきることが出来ない。


 でも……。

 ただ一人、信じられる人はいる。

 マリーさんだ。

 もしかしたらマリーさんなら俺のことを庇ってくれるかもしれない。

 ……いや、間違いなく庇ってくれるだろう。

 しかし、それでは逆にマズイのである。

 王族相手に立てつけばマリーさんの立場が悪くなってしまう。マリーさんは立場的にはこの国の王族の臣下という立ち位置なのだから。それもここの王族は力がある。下手したらあの人が反逆罪にされかねない。

 俺はお世話になったあの人の迷惑になるのだけは嫌だった。


 だが、本心で言えばマリーさんと離れたくなかった。

 やっと心を許せる人に出会えたのだ。

 もっと一緒にいたかった。

 もっと色々と話を聞いてみたかった。

 本当は「マリーさん」と自分の口であの人のことを呼んでみたかった。

 ……でも、姉のように慕っていたからこそ尚更あの人の未来を潰すような真似だけはしたくない。

 俺がいなければこれ以上迷惑をかけることもないだろう。

 だからこそ俺はあの人の前から消えた方がいい。

 俺はここを去る。

 そう決めた。

 決めたのだ。


 ………。


 ま、うじうじ悩んでいてもしょうがないか。

 元々マリーさんがいなかったらどの道、俺は王城を脱走していただろうし、結果的に変わんなかっただけのことだ。

 そう思おう。うん


 そうやって色々と吹っ切ったところで目的地が見えてきた。

 木々や草に囲まれていた視界が開ける。


 そこは岩場だった。

 少し行った先は崖になっており、俺はそちらに向かって歩みを進め、端っこまで行くと下を覗きこんだ。

 夜ということもあるが、それでも月明かりに照らされて尚どこまで続いているのか分からない大穴がそこにはあった。

 崖と言うには生ぬるいほどの大穴が……。


『ビッグクレパス』


 それがこの谷の名前だ。

 谷底は晴れている日でも見えないらしい。一説では近くにある六大ダンジョンの一つ『風の迷宮』の最下層に繋がっているのではないかと言われている。


 しかし、こんなものがあるからこそ人はここには近付かない。

 俺たちもここには絶対に来るなと念を押されている。

 そう、つまりだからこそここは絶好の隠れ場所だった。

 ほとぼりが冷めるまでしばらくこの場所の岩陰に身を隠す。

 ただでさえ俺は城下町の方へ逃げていると判断されているはずだ。そういう痕跡も残しておいたから。

 俺が持つ『遁走スキル』のおかげで逃げるのにぬかりはない。

 ちなみに俺が『遁走』なんてスキルを持っているのは、前の世界で色んなことから逃げていたせいだと思う。さすが俺。


 うん、まあ言ってて悲しくなってきたからそれはいいとして、これからどうするかなぁ……。

 成り行きで王城を出ることになってしまったが、この先のことはまだ何も考えていない。

 ……でも、どうせなら冒険者として生きてみるのもいいかもしれないな。

 転移組の中では最弱と言われたステータスでも、この世界の基準からしてみれば十分強い方のはずだし、何とかやっていけるのではないだろうか?


 しかしそうやって岩場の陰でワクワク将来設計を計画し始めたところで、不意に猛烈な悪寒を感じて思考が中断される。


 嫌な予感がして俺はとっさに息を顰め、『聞き耳スキル』を集中させた。

 ……風の音に混じり足音が一つ聞こえてくる。

 ……一人?

 追手にしては数が少ない。

 しかしその足音は真っ直ぐこちらに向かってやってくる。迷いのない足取りだ。

 俺の心拍数が上がっていく。


 やがて木々の間から出て月明かりに照らされたその人物は思いもしない相手だった。

 ……(けい)条院(じょういん)

 なんであいつが一人で……?


如月(きさらぎ)、そこにいるんだろ? 出てきなよ」


 それは俺がここにいることを疑っていない声音だった。

 ……バレているならここに隠れている意味はない。

 俺は観念して岩場の陰から出た。

 おのずとそのまま螢条院と面と向かう形となる。

 螢条院はいつもの爽やかポーカーフェイスを浮かべているだけだった。

 しかし、何か得も知れない違和感を覚えるのは何故だ……。


「いい月明かりの夜だよね。ああ、心配しなくてもいいよ。ここに来たのは僕だけだから」


 いつもの爽やかな笑顔で俺を安心させるように言ってくる。

 だが、それでも違和感は消えてくれない。


「本当だって。疑り深いなぁ。クラスのみんなには『僕に任せて』と言ってある。だからここには来ないよ。分かるだろ? みんなは『僕の言うこと』には従ってくれる。そう、『僕の言うこと』にはね」


 ………?

 何が言いたいんだ螢条院は?


「それが僕と君の違いだよ。結局君はコミュニケーション能力が乏しいせいでここにいるようなものさ」


 それはそうかもしれないが……。


「でもおかげで助かったよ。こうやって『君が死んでも不自然じゃないシチュエーション』が出来上がったんだからね」


 ……は? なんだって?

 俺が耳を疑っていると、


「君にはここで死んでもらう。そう言ったんだよ僕は」


 螢条院はハッキリとそう宣言した。

 ちょ、ちょっと待て。いきなり意味が分からない。

 螢条院が浮かべているいつもの爽やかな笑みが怖かった。


「君が悪いんだよ。僕よりも目立つようなことをするから」


 そんなことしたつもりはないが……。

 ……もしかして竜王との契約のことを言っているのか?


「竜王の件ももちろんある。でもその前に、君は竜騎士の特性を知っているかい? 『騎乗』のスキルのことだよ。竜騎士は竜に乗らないと本来の力を半分しか発揮できない。だが竜騎士は竜に乗るとステータスが二倍になり、ようやく本来のステータスになるんだ」


 ……は? そうなの?


「つまり君の本来のステータスは現時点で微量ながら僕より上というわけさ。そう、勇者である僕よりもね。そしてそれは元の世界で君が僕よりも能力が高かったことの裏返しでもある。……ステータスの法則にはもう気付いているんだろ?」


 ……それは本当なのか?


「姫は見る目があるよ。正直僕はどうして姫が君みたいなうじ虫に構うんだろうとずっと疑問に思っていた。しかし今思えば正しかったのは彼女だったというわけだ」


 う、うじ虫と来ましたか……。

 ……いや、まさかこれが螢条院の本性なのか……?

 もしかして最近感じていた薄暗い視線はこいつか……?


「でも本当に驚いたよ。僕は僕のライバルになる男は間所だと思っていた。それがまさかまるで眼中になかった君だったとは夢にも思わなかったことだ」


 螢条院の纏う雰囲気に殺気が混じり始めていた。


「ただね、僕にライバルは不要なんだ。僕はね、『絶対』の存在じゃなければならないんだ。クラスの中でも勇者としても、ね。分かるかい?」


 いやいやいや、分かりませんよ!

 ちょっと落ち着きましょうよ。ね?


「君は生きていたら必ず僕の『絶対』を脅かす存在になる。だからここで死んでくれないかな?」


 うん、いいよ。

 なんて言うかバカァ!

 未だに螢条院の変貌ぶりが信じられない俺だったが、しかしそんな俺に構わず螢条院は腰の鞘から聖剣を抜き放った。

 ……マ、マジなの?


「安心しなよ。同級生のよしみだ。斬り付けるなんてそんな酷いことはしないよ。ちょっとそこの崖から飛び降りてもらうだけさ」


 安心できるかあああああああああああ!!

 ある意味剣で斬られるより酷いだろそれ!?


「返り血を浴びたら後の説明が面倒だからね」


 しかもその理由すらテメーの都合なのかよ!? あんまりだろ!?

 俺がテンパっているにも関わらず螢条院はこちらに向かってゆっくりと動き出す。

 宵闇の中、聖剣の刀身がゆらゆらと不気味な光を放っていた。


 ま、まさか……あいつ本当に俺を殺すつもりなのか……?

 だとしたらこの状況はマズイ。

 今の俺は螢条院の半分ほどのステータスしかないのだから。

 その上あいつは聖剣まで持っている。

 正直勝てる見込みなんてない。

 しかし逃げようにも俺は既に崖側に追い詰められている形だ。

 一体どうすれば……。


「じゃあ、行くよ」


 俺が悩んでいる内に螢条院は一気に間合いを詰めてくる。

 ステータス以上に早く感じた。

 考えている暇はない!

 俺は腰の鞘から鋼の剣を抜き放つ。


 ガキィッ!


 金属と金属が打ち合う鈍い音が辺りに鳴り響いた。

 そのままギリギリと鍔迫り合いになる。

 目の前の螢条院の顔はやはり爽やかに笑っていた。


「ふふっ、伝説職同士の戦いなんて血湧き肉が躍るよ。そうは思わないかい?」


 思わないよ!

 正直寒気しかねえわ!


「僕はね、君と聖騎士マリーとの打ち合いを見て嫉妬してたんだよ? 異世界に来たばかりであれほどの打ち合いが出来る胆力を持つ君という男にね」


 そう言って螢条院は力任せに俺の剣を弾いた。

 思わずよろめく俺に螢条院は追撃をかけてくる。


「それと同時に憎悪したよ。自分よりステータスが低い奴の剣に見入っていた自分自身を!」


 真一文字に横に斬りつけてくる螢条院の剣を、俺は辛うじて体勢を立て直して自分の剣で受け流した。

 しかし本当に間一髪のところだったので反撃するだけの余力がない!

 結局また螢条院から攻撃を仕掛けてくる。

 俺は奴の攻撃を受け流すだけで精一杯だった。


「でもアルベルティーナも人が悪いよね。まさかこんなキモ男に期待するなんてさ」


 螢条院は剣を振りながらもこちらに喋りかけてくる。

 剣をいなすだけでぎりぎりの俺には言い返すだけの余裕がなかった。

 まあどの道コミュ障なので言い返せませんけどね!


「使徒は二十三対もいらない。最悪、僕とアルベルティーナの一対だけで十分なんだからさ」


 ……こいつは何を言っているんだ?

 何か重要なことのような気がしたが、全く意味が分からなかった。

 それにそれどころではない。

 俺は既に崖のすぐ近くのところまで追い込まれていた。


「だから君は安心して死んでくれていいんだよ!」


 こちらに一瞬のすきを見たのか、螢条院はそこで一層大きく剣を振りかぶった。

 俺はとっさにガードするが、予想以上に重い一撃に俺の剣は大きく弾かれ手からすっぽ抜けていき、俺自身も後ろへと突き飛ばされる。

 たたらを踏みながらも何とか踏ん張ろうと足に力を入れたその時、俺の左足が空を切った。

 途端、ガクンと体が下に沈む。

 そこは既に崖だった。

 そのまま体ごと落ちそうになるが、ぎりぎりで岩場に手をかけることが叶う。


 あ、危なかった……!

 あと少しで谷底に落ちるところだった……。


 しかし俺は今、辛うじて片手一本でぶら下がっているだけの状態だ。

 下を見ると底の見えない空虚な穴がぽっかりと開いている。

 ぶるりと体が震えた。

 見ているだけで暗闇に吸い込まれそうだ。


「意外としぶといね君は」


 ハッとして上を見ると、螢条院と目があった。

 俺は今、螢条院の足元に手をかけている状態だ。

 絶対的窮地は変わっていなかった。


「でも、どの道もう終わりだよね。どうだい? 他人に命を握られている気分は?」


 そう言って奴は俺の指を足で踏みつけてきやがった。

 い、いてえ……!


「ほらほら、どうしたんだ? 最後くらい何か言ったらどうなんだい?」


 さらにぐりぐりと踏みつけてくる。

 うおお……なんて嫌な奴なんだこいつ! 今まで間所(まどころ)から助けられるたびに心の中で礼を言っていた自分をぶん殴りてえ!

 い、いや、そんな意味のないことを考えている場合じゃないだろ!

 俺、このままだとマジで死んじゃう!

 こうしている間にも指はじわじわと力を失っていく。


「ふう、つまんないなぁ。最後の最後に君の声を初めて聞いたってクラスのみんなに自慢したかったのに」


 こいつどんだけ嫌な奴なんだ!? クラスメイトを死の淵に追いやる一方で考えていることは他のクラスメイトへの自慢話かよ!?

 こいつサイコパスかよ!?


「もう飽きたからいいや。じゃあね」


 螢条院は無情にも俺の指を蹴り飛ばした。

 それだけであっさりと俺の腕は岩場から弾かれる。

 途端に体を包む浮遊感。

 俺は暗闇へと吸い込まれていく。


 う、うそだろ……?

 俺、まじで死ぬのか……?


 ここに来てようやく訪れる死の現実。

 それまではどこか『どうにかなる』と思っていた自分がなんだかおかしかった。


 見上げると螢条院がいつもの爽やかポーカーフェイスで俺を見送っていた。

 その顔がどんどんと離れていく。


 俺は遂に死を覚悟した。


 最後に走馬灯のように思い出が頭を巡り出す。

 両親のこと……学校のこと……こっちの世界に来てからのこと……。


 そしてあの人のこと。


 ……マリーさん……。

 どうせならあの人にお礼を言ってから死にたかった。

 こんな俺に優しくしてくれてありがとうって。

 でももうそれすら出来ない。

 コミュ障じゃなければとっくに言っていたはずなのに……。


 激しい後悔の中で、いつしか俺は意識を手離した。


 ――余談だが、この日同時に日ノ下カトレアの姿も王城から消えていた。




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