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通り雨

作者: 玉沢知也




 仕事が終わり、職場近くの牛丼屋で一人、いつも通り並盛りを胃に流し込んだ。

 慣れ過ぎて、いつからか美味いと感じなくなった食事を終え、電車に乗り、途中駅で乗り換え、自宅の最寄り駅まで辿り着く。職場から離れるにつれ、徐々に素の自分へと戻ってゆくのを感じる。

 いつも通りな日常が、今日も終わりを告げようとしていた。



 改札を抜け、商店街を通り一直線に帰宅するはずだったが、道半ば……商店街を三分の一くらい来た所で、突然雨が降り始めた。

 シャッターのしまった、昔は何かの店舗だったであろう古びた建物の、商店街へ申し訳程度に飛び出した屋根の下へ、俺は飛び込んだ。

 雨の予報は無かったはずだ。空も明るい。すぐに止むのだろう。

 商店街の先にあるコンビニまで5分くらい……。ビニール傘を買うためにコンビニまで走るよりは、しばらく雨宿りをすることに決めた。

 パン屋や美容室、惣菜屋などは、客でもないのに雨宿りするわけにはいかないからか……雨の中を駆け抜ける人が、ちらほらといる。この辺りで雨宿り向きな場所は、俺の居るこのシャッター前くらいだ。


 コツコツ!とヒールの音を忙しなく鳴らしながら、スーツ姿の女性が俺の隣に走り込んで来た。


「急に降り出しましたね!」

「えっ?。……あ、はい……」


 突然女性に話し掛けられ、反射的にどもってしまった。最近は職場の女性以外と話す機会がないので、つい焦ってしまう。


「すぐに止めばいいんですけど……」


 そう言って女性は、空を仰いだ。


「……はい」


 俺は、なるべく端っこに身体を移動し、小さくなる。

 気の利いた事は言えないにしても、もっとマシな返答は出来ないのか……と、自分を情けなく思う。無愛想な奴と思われたであろう。すでに切ってしまっていた社会人モードにスイッチをいれるべきか?いや、もう会話が終りなら、わざわざ疲れることはしたくない。

 彼女はまだ話し掛けてくるのか、来ないのか……? ストレスが、もわりと湧き上がる

 肩にかからないくらいのショートヘア。派手さはないが、整った愛嬌のある顔立ちをしている女性の横顔を、ちらりと見る。

 ……雨があがるまで、彼女とここで過ごさなければならないのか?……それは辛いな。

 一回話し掛けられた手前、以後、知らん顔し続けるのはどうしても負担になるし、話し掛けられるのかどうか、びくびくし続けなければならない。

 ……なぜ話し掛けてくるという、愚かな真似をしてくれたのだ。これから沈黙の間が辛くなるではないか。

 いっそ、雨降りの商店街へ飛び出し、逃げてしまおうか。


「コンビニまで走るのと、雨宿りしているの、どっちが良いですかね?」


 と、間の抜けた呑気な声色で女性は言った。

 ……まだ話し掛けてくるのか!そっちか!勘弁してくれ!


「……走れば、そこまで濡れないと思いますよ」

「あんまり降ってませんものね。でもまあ、帰るだけなので急いでないし……うーん……」


 立ち去ってもらうのを期待して言ったが、却下されそうだ。


「それにこれ一張羅なんですよー。濡れたら明日の仕事に着て行く物がなくなってしまいます」


 両手を軽くひろげてアピールされた。

 スーツ一着……新社会人なのだろうか?

 だとしたら俺の、5コ下か。にしても、いきなり距離を詰めて来る人だ……。


「もうすぐ夏真っ盛りじゃないですか?そろそろもう一着買おうとは思ってるんですよ、汗かくし……あ、でも別に汗臭くはならないですよ。女子なので」


 顔のパーツを一生懸命動かしながら、無駄な情報を語る彼女に圧倒される。


「……。」

「なんですか?」

「……すごいしゃべりますね」

「もしかしてうっとおしいですか?」

「……いや」

「朝ごはん食べました?」

「……は?」

「いえ。お兄さん元気ないので……」

「……」


 ……もう夕方だ。朝ごはんって時間でもないだろう……。

 彼女は会話モードらしいので、不承不承、俺は社会人モードにスイッチを入れた。


「……元気だよ。朝ごはんも食べました」

「本当ですか?」

「やたらかたいジャムのフタも開けられたし……」

「あははっ!元気じゃないですか! 朝ごはんはパン派なんですね」


 彼女は、へにゃりと笑った。


「お兄さん。うちのやたらかたいお茶っぱのフタも開けにきてくださいよー!もう二度と開かないんじゃないかって、絶望してるんです」

「え。この短時間に俺に惚れた?」


 と、彼女の軽い調子につられ、つい口走ってしまった。目を細め、軽く睨まれる。


「だとしたら、なんでそんなに迷惑そうなんですか……」と、彼女は唇を尖らせた。


 迷惑というか、ぺちゃくちゃとまくし立てる彼女に、及び腰なだけだ。誘われた、とも思っていない。


「ちなみに誘ったわけじゃないです。違います違います。ちょっとノリで言ってしまいました。今の今惚れたとか、そういう意味じゃないです。軽い女とも思われたくないです。忘れてください」


 彼女は苦笑しながら、手をぱたぱたと振る。

 別に、はなから期待してないが、そこまで否定されると面白くない。それに、押されっぱなしのこの状況も打破したい。終始たじたじなのは、男として情けないではないか。


「走馬灯まで忘れないよ」

「えぇ! あたしに誘われたなーって、死ぬ間際に思い出してくれるんですか!? あたしそんなに魅力的でしたっけ?ある意味光栄ですねー」

「え?自覚ないの?」

「……え。そんなマジな顔で言われても……」

「マジだもん。君、結構走馬灯顔してるよ? 自覚がないなんて……」

「どんな顔ですか!走馬灯顔なんて自覚しようがないですよ! 馬顔ってこと?……魅力的なのが自覚ないの?って言われたと思ってドキっとしちゃったじゃないですか。……あの時のあたしの気持ち返してください」

「どうぞ……」


 と俺は手を差し出す。

 彼女は俺の手を叩きながら「どうも!」と言った。

 ようやく彼女は口を噤んだ。


 俺は斜め上を見上げる。

 雨のたてる音は、弱くなった気がする。

 遠くの空は、すでに青空が顔を見せている。

 もうすぐ止む気配……。

 もう雨の中に飛び出しても、あまり濡れないそうだ。


「行くんですか?」

「え?あー、そうだね」

「まだ降ってますよ」

「……弱いし、いいかなと思って」

「折りたたみ傘貸しましょうか?」

「いや、悪いよ。自分で……ん?」

「ん?」


 彼女は俺を見上げながら首を傾げた。


「なんです?」

「いや……傘持ってるの?」

「……」


 彼女は無言で首を傾げ、にこりと微笑む。


「……」

「傘、持ってるの?」

「持ってません」

「持ってるでしょ」

「持ってません!」

「……」

「……」

「カバンみせて」

「い、嫌です!」

「なんで?持ってるからでしょ?」

「持ってませんて!カバンの中を見るなんて信じられない!」

「俺も君を信じられないよ。なぜ嘘をつくのかな?さっき、思わず口を滑らせた風に「折りたたみ傘貸しましょうか」って言ったよね?」

「言ってません」

「言った」

「……良い畳み屋さん紹介しましょうか、と言ったんです!」

「いや。畳み屋の知り合いはいるから結構」

「いるんですか!珍しいですね!」

「……警察呼ぶか」

「えぇ!?詐欺並の大袈裟な嘘はついていないですよ!」

「違うよ。嘘発見機を借りようと思って」

「こーわ!」

「事件にしたくなかったら、嘘を認めなさい」

「……うぅ。こんな怖い人だったなんて……」


 なんだろう。彼女の反応が面白い。ついからかいたくなる。

 恐らく俺は、面白がる表情になっているのだろう。彼女も楽しそうに、守るようにカバンを抱きしめて俺から逃れようとしている。


「別に……濡れてしまえ!っていう意地悪で、貸し渋っているわけじゃないんですよ……?」

「じゃあなんで……」

「ふふーんっ」


 と、楽しそうに彼女はカバンに手を入れた。


「どうぞ!」


 と折りたたみ傘を取り出して、俺に押し付け、彼女は走り去ってしまう。


「はぁ!?」


 あまりの早業に、思わず傘を受け取ったまま、彼女の背中を見遣る。


「いや!これどうすんの!」


 声を掛けると、店舗二つ分くらい先で、彼女は振り返った。


「明日返してください!」


 そう言って、再び彼女は走って行ってしまった。

 俺はぽつりと取り残された。


「明日って……」


 連絡先も知らないのに、どう返せというのか……。

 偶然会うのを期待するのか? それは無理な話しだ。

 彼女がこの商店街を通るのは知ったから……待ち伏せ?いや、そんなストーカーみたいな真似はしたくない。

 俺は手許の折りたたみ傘に視線を移す。


「……可愛過ぎるだろこれ」


 傘は、猫の絵柄の入ったものだった。

 俺が使うのは憚られるような、明らかな女子用だ……。


 まさか……傘が可愛過ぎるから貸し渋ったのだろうか。なら、始めからそう言えば良いのに……というか、自分が濡れてまで俺に貸すなんてしなくてよかったのに……。


 いや違う。

 彼女は、傘があるのに雨宿りをしていた。恐らく、雨宿りの途中で折りたたみ傘を持っている事を思い出したのだろう。そして、忘れていた事を俺に知られるのが恥ずかしくて、出し渋ったのだ。

 自分で使うにしても、俺に貸すにしても、素直に傘を持っていると言えなかったのだろう。


 なんとも、間の抜けた女の子だったな……。


 俺はしっかり雨が止むのを待ってから、帰路についた。

 可愛過ぎるこの傘を差す気にはならなかった。



     〇



 次の日。

 最寄り駅から二両しかない電車に乗り、まずは大きな駅まで行くのが俺の通勤ルートだ。

 その車内。


「おはようございます」


 呑気なその声には、聞き覚えがあった。


「今日も、やたらかたいジャムのフタは開きましたか?」

「……なんでいるの」

「なんでって!」


 彼女は、へにゃりと笑った。


「毎朝この電車で一緒になっているじゃないですか」

「……え」

「はい。まぁ知ってますよ。あたしを知らなかった事くらい……昨日話した感じで……」


 俺は毎朝、同じ時間の電車に乗る。今までずっと、彼女と乗り合わせていたらしい。


「あたしはお兄さんの事印象に残ってたんです。「あ、いまだにガラケーのひとだ!」って」

「……」

「睨まないでください。悪口じゃないですよ。だって、ガラケーをいじる指が綺麗だなぁって見てたんで」

「……指?俺の?」

「にしても! ……朝はテンション低いですねー。寝不足ですか?」

「……」

「……なんです?」

「……あ、傘忘れた」

「えぇ!」


 彼女は目を見開いた。


「明日返してって昨日言いましたよね? と、今日のあたしは認識していますが?」

「昨日の俺もそう聴いたけど、今日の俺は玄関に置いてそのまま……」

「ありがちですね」


 彼女は、あるある、とつぶやいて笑う。


「一張羅、濡らして悪かったね。昨日はありがとう」

「いいんですよ。乾きました」

「……そっか、よかった」

「はい。よかったです」

「……傘は、明日返すよ」

「……明日、ですか?」


 彼女は、「あら……」と目を細めた。


「明日は土曜で休日。これ誘われてますね……」


 彼女は、いたずらっ子のように笑っている。

 俺は、彼女の表情に注目しながら訂正する。


「あ、いや……月曜に返すよ。明日が休日ってこと、失念してただけだよ」

「お兄さん。ガラケーの連絡先教えてください」

「……はい?」


 彼女は、あっけらかんと言った。


「明後日の日曜日、どうしても折りたたみ傘が必要なんです。だから、明日返してもらわないとー……」

「しばらく晴れる予報だけど……」

「でもいるんです」


 彼女は、スマホを取り出した。


「だからほら。連絡先プリーず」


 言って彼女は、わざとらしく大きなため息をついた。


「……はあ。しょうがないから、明日は誘われてあげますよ」


 俺は、ガラケーを取り出す際、カバンの中の猫の絵柄の折りたたみ傘が彼女から見えないように、慎重にカバンを開いたのだった。


 彼女の小さい嘘から始まったんだ。

 これくらいの嘘なら、許されるはずた。


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