ありきたりな告白
「ちょっと。きて」
「えっ!? ちょっと待ってください! 先輩!?」
僕は強引に手首を掴まれ、引っ張られていた。
先輩は俯いておりその表情は窺えない。
「なんか、怒らせちゃいましたか? ごめんなさい!」
「っ......いいからくる!!」
手首を掴まれたまま中腰になっていた僕は、無理矢理立たされそのまま連れて行かれる。歩幅とスピードが合わず、こけそうになる。
「先輩。僕逃げたりしないんで、ちゃんと話し聞くので許して下さいお願いします!」
「もう! うるさい! 少しは黙って歩きなさい!」
「ハイ」
怒られてしまった。
右手首を強く握っている先輩の細くて白くて小さな手は、真冬だというのに少し汗ばみ温かい。どこか赤いような気もする。
足取りは力強く、そして素早い。やけになっているようであった。
時折ふわりとなびく肩甲骨あたりまで伸ばされた黒髪から、甘い香りがする。
先輩とは、中学からの付き合いで同じ吹奏楽部の先輩だ。パートも同じ。高校も適当に決めたら、また先輩がいた。
1つしか年齢は変わらないのに、こうも違うのかと思うほど先輩は大人っぽくて、頼りになって、少し厳しいけれどいつも優しい。
端的に言ってこれ以上ないくらい理想の年上の女性だ。
ついでに胸もお尻もよく出ていて、ウエストも引き締まっている。あ、なんか睨まれた気がする。
とにかく、そんな素晴らしい先輩だが結局のところ先輩は先輩であった。
どう足掻いても同じクラスにはならないし、いつも先に同じ空間から離れて行ってしまう。そんなことはとっくに知っているから、僕は後輩であり続けた。
仲は、いいと思う。なぜ恋人同士にならないのかと、友人に問われるくらいには。
でも、そんな幻想はとうに捨てていた。先輩と後輩の関係が、一番安心で安全。そして快適だということに気づくのにそこまで時間はかからなかった。
まあ、こんなことを思っている時点で、意識していない訳ではないのだが......。
なされるがままに先輩に連れてこられたのは、この昼休みにはほとんど人の気配のない、技術棟だった。
人の気配がない。ということは、もちろん暖房など点いていない。不意に離された右手から温もりが消え、また冷たさに侵食されていく。
ガチャン。と背後で扉の閉まる音がする。逃げ場はないと、そう言われたような気がした。
しばらく、二人で向き合って蒸気を吐き合う時間が続く。
先輩の顔は僅かに紅が入り、僕よりも口から出て行く蒸気が多いような気もする。
木工室の時計の秒針の音が扉越しにも聞こえてくる。
昼休みもあと僅かだろう。僕から口を開くことにする。
「あの......それで用件は?」
「........................」
「えっと......先輩?」
「............う、うるさい。ちょっと黙りなさい」
「いや、でも昼休みそろそろおわっちゃ、いま、す......先輩どうかしました?」
見ると、先輩の瞳は子犬のように潤み、目尻には今にも飛び出さんとする涙が、溜まっていた。
「うぅ......バカ、ばかぁ、ばかぁああ!!!」
心配をした途端。先輩は顔をくしゃくしゃにして殴りかかってきた。と言っても、僕の薄い胸筋を拳の側面で軽く叩く程度の。
いつもの威厳ある先輩らしからぬ有様であった。
急に近づかれ、鼻腔を甘い香りでくすぐられる。
流石に気持ちを閉ざしていた僕も、こんなにも「弱い」姿を見せられてしまうと、男としての本能が、守りたいという感情が起きてしまう。
ずるい。と思った。
また、好きという感情が胸を満たしてしまう。
「あ、あの......先輩?」
「もう、いい加減気づいてよ......」
胸に当てられていた拳がそっと開かれ、僕の身体を滑り、そして背中に回される。
豊満な胸がのしかかり、また距離が詰められる。
その身体の温度が直で伝わり、今が冬なのだということを忘れてしまうほど、僕の身体も熱くなっていた。
流石にここまでくれば「用件」がなんなのかわかる。
先輩が、あの憧れの女性が、自ら僕に好意を伝えているのだ。つまり告白だ。
「ねえ......私と、付き合って.......ほしい」
耳元でそう囁かれる。甘く、蕩けるような声が鼓膜を震わす。同時に、背中に回された手がぎゅっと僕の制服を握る。
僕は、自分の顔が真っ赤になるのをはっきりと感じていた。鼓膜の振動がそのまま脳に伝わり、溶けてしまうのではないかとそう錯覚させるような声音だった。
あまりの出来事に対応出来ず垂直に挙げていた両手の力を、そっと抜く。ゆっくりとそれを曲げ、先輩の———彼女の肩の上から背中へと回す。
ゼロだった距離がさらに詰められ、互いの身体の感触が、体臭が、体温が、鼓動が、交わる。
もちろん返事はYesだ。
憧れだ。ずっとずっと好きだったのだ僕は、この女性のことが。
押し殺してきた感情が、心臓の奥で溶けていくのがわかる。じわじわとそれは広がり、目頭まで到達した。
「僕も、ずっと、ずっと、好き、でした。よろしくお願いっしま......す」
それは熱い雫となって頰を濡らしていく。
「ふふ、なんで泣いてんっのよ」
いつもの強がった台詞のあとに、鼻をすする音が重なる。
「先輩こそ」
先輩の手が、再び握られ背中を殴られた。先程に比べて力が強い。
やっぱり先輩はずるい。
「うるさい......それより、先輩はもうやめて。ね?」
「え、なんて呼べばいいんですか?」
「あぁもう! そのくらい察しなさいよ! カイト!」
先輩は、僕を突き放してそう叫んだ。
なるほど。名前で呼べと。
僕は少しいたずらに微笑んで一歩踏み出し、もう一度、今度は自分から彼女に抱きついた。
そっと耳元に口を寄せ囁く。
「よろしく。ユカリ」
「もうっ!......うん......よろしく」
昼休みの終了を告げるチャイムが響いた。