呼び起こされるあの記憶
オルカーンの国民は、突如として侵入してきた魔物を撃退するのに苦戦していた。それもその筈で、現在戦闘に参加している国民は皆農民か商人なのである。武器も剣ではなく斧や木の棒だったりする。
戦闘の最中、一人の男が魔物の攻撃を右肩に受けてしまいよろめいた。殺しに飢えた魔物はその瞬間を見逃すことはなく、凶暴な爪を男に向かって振り下ろそうとした。
しかし、男の耳には金属同士が弾き合ったような甲高い音が響くだけだった。目を開くと、そこには紺色の髪を生やした少年が魔物と力比べをしている光景が広がっていた。
「離れて!!」
「でもお前さんが.....」
「いいから早く!!」
「す、すまねぇ!」
フリードは背後の男がその場から離れたことを確認すると、剣で受け止めていた魔物の爪を一度弾き返し、怯んだ犬のような魔物の胸部を強く切り付けた。
「にしてもこの数は......」
まずは一体仕留めたことで一息つきたいところだが、この辺りに侵入した魔物はまだまだ暴れ続けている。フリードは再び鋭い目つきに変わると、オルカーンの民に加勢していった。
数体仕留めたフリードは、恐るべき光景を目にした。
「なっ.....!?」
魔物の一体が、民家の扉を破壊してその内部に侵入しようとしていたのだ。魔物の足元には家を守ろうとしたのであろう男の無残な死体が横たわっていた。
フリードはその惨状に顔をしかめながらも、家の中にはまだ殺された男の家族がいるであろうと思い全力で民家へ向かっていった。
民家の中では、強烈な殺気を放ち続ける熊型の魔物に怯えて動けなくなってしまった自分の娘を庇うように、娘の母親が魔物と向かい合う形で睨み合っていた。
「お母さんだめ.....逃げて......!!」
「......ミア、ここから逃げて立派に生きるのよ」
「お母さ......っ!!!」
そこには、自分の母親が背中から魔物の爪を何本か生やして血を吐く光景があった。
「ぁ...ぅ.....あ......ぁぁ!!」
少女の瞳には、血まみれに成り果てた両親が映った。これまでの平和だった日常が、たった一瞬で奪われてしまったことが未だに信じられないでいる。
それでも目の前の怪物はジリジリと迫り来ていた。
「こんなの....やだよぉ....っ...!!」
目の前の怪物が遂に自分に向けてその血で汚れた爪を振り上げた。
少女は死を感じて、歯を食い縛り瞼を強く閉じた。
(助けてシルフ様.....!!)
少女の耳には血肉が切られる惨い音が聞こえた。しかし痛みは感じられない。
恐る恐る目を開けると、振り上げられた怪物の腕は地面に転がっていた。
「.......ぇ..........?」
「間に合ったか」
声の主はこちらに向かないまま、怪物の方を向いて剣を構えているようだった。
フリードは倒れたまま動かない女性を見て、魔物に向ける殺気をより一層強めた。
「お前は.....ッ!!」
フリードは自身の母親が病でこの世を去る瞬間を思い出していた。その瞬間がどんなに悲しく、どんなに辛く、どんなに苦しく、また無力な自分がどんなに憎らしく思えるかを彼は知っている。
背後にいる少女は、きっと自分と同じ思いを味わっただろうと思うと、目の前の魔物に殺意を感じるのは当たり前だった。
魔物はフリードを威嚇し、耳障りな呻き声で吠えた。
「黙れ」
目にも止まらない速度で振られた剣によって魔物は声帯を切られ、声は愚か呼吸すらできなくなってしまった。
そんな魔物の命を刈り取るフリードに慈悲の文字は無かった。
腕、足、胴体、それぞれの筋肉を切断すると、倒れ込もうとする魔物の脳天から一刀両断する。魔物は断末魔を上げることもできずに自らの命を散らしていった。
「.......」
フリードは剣を鞘に納めつつ、魔物の死体を冷たい目で見下ろしていた。軽く息を吐くと、振り返って背後の少女に笑顔を作って頭を撫でる。
「よく頑張ったな」
少女と言ってもフリードより少し年下のように見える程度だ。体つきだって順調に発育している。
少女は先程から頭が追いつかないでいた。突然家に魔物は入って来るわ、母親は自分を庇って殺されるわで、夢かもしれないと思ってしまう程非現実的な状況が続いているから、少女がそうなるのも無理はない。
だがたった一つだけ、今しがた起こった出来事は理解できた。
目の前で笑顔を見せながら頭を撫でてくれている人は、死に際にあった自分の命を救ってくれたのだと。
感じたことのない温もりが少女の体を包んでいた。
少女の体からは次第に恐怖が抜け始め、同時に涙が溢れ出ていた。
「....終わったか」
民家での一件があった後、フリードは外で暴れ回る魔物を仕留めるために剣を振り続けていた。だがそれもようやく終わりを迎えたのだった。
剣を鞘に納め、教会に異常が無いことを確認すると、真っ直ぐ先の民家へ足を運んだ。不幸にも自分と同じ境遇になってしまった少女をどうしても放っておくことは出来ないのだ。
フリードが民家へ入ると、少女は母親の死体を見つめて立ち尽くしていた。その頬は未だ涙の通り道となっている。だがあれから時間があったおかげか、大分落ち着いた様子だった。
「.....俺も母親を亡くしててな」
フリードのその言葉を聞いて、少女の肩がピクリと反応した。構わずフリードは言葉を続ける。
「父親は顔を見たことも無いんだ。残された俺は妹に飯を食わせてやる為に仕事に明け暮れたさ。そうしてやることが最善だとその時は思った。.....でもそれだけじゃ駄目だったんだよ。今になって、妹の本当の笑顔が見れていないことに気付いたんだ」
少女は黙って聞いている。フリードは正直、少女が自分の話を聞いていようが聞いてなかろうがどっちでも良かった。ただ自分が話したいから話す、それだけだった。
「今あの世で母さんが何を願ってるかなんて分からない。だからこそ、俺はいつ母さんに会っても恥ずかしくないような生き方をしようって決めた。いつか、メリルをここまで育てたのは俺なんだぜ、って自慢できるようにな」
少女の反応は無い。
柄にもなく語ってしまったと軽く反省すると、民家の出口の方へ向いて最後にこう言った。
「.....せっかく両親から貰った人生だ。無駄にするなよ?」
歩き出したフリードだったが、背後から服を引っ張られて足を止めなければならなくなってしまった。
「......ぇて」
「なんか言っ.....」
「私に剣を教えてっ!!」
少女の予想外の発言に思わず振り向くと、そこには涙を流しながらも、力強い瞳で自分を見つめる少女の姿があった。
「....復讐でもするつもりか?」
俺は今人生を無駄にするなと言ったはずだがとフリードは苦笑した。復讐は終えてしまえば空っぽになる。そんな一時の達成感に浸るために身を削るよりは、両親を亡くした悲しみを引きずりながらでも普通に結婚なりして幸せに暮らした方がよっぽど素晴らしい生き方だろう。
しかし少女は首を横に振った。
「これから私、もっともっと守りたい人とかものが出来ると思う。その度にこんな思いをするくらいなら死んだ方がまし」
「お前....!」
「でもお母さんは立派に生きろって、確かにそう私に言った」
少女は自分の拳を強く握りしめて、言葉を続ける。
「だから私は生きる。生きて生きて、もう二度とこんな思いしないように、大切な人を守れるように強くなりたい!........だから私に、剣を教えて」
少女の真っ直ぐな決意を受けたフリードは、言い辛そうにその口を開いた。
「......俺は旅をしててな、悪いがこの国には」
「付いて行くから!」
「お、おいおい、俺に妹とお前の二人を守りながら旅する余裕は無いぞ?」
「足手纏いになるようなら途中で見捨ててもいい、だから!」
何を言っても引き下がりそうに無い少女に、最後に一つ質問を投げかけることにした。
「どうして俺にこだわる?」
剣を教えて欲しいだけなら自分より優れた人間が他にもいる筈だ。そんなことくらい少女も理解しているだろうとフリードは思った。だからこそここまで自分に執着する理由が分からないでいた。
少女は少し俯いて話した。
「私を守ってくれた貴方の背中に憧れた......から?」
「聞くな。俺は何も知らないぞ」
こうは言うが、自分の背中に憧れたと言われたフリードの気分は上がっていた。自分は少しずつだが、確実に船長の背中に近づいているのかも知れないと思ったからだ。
照れ隠しで頭を掻きながら溜め息をつくと、少女を真剣な目で見つめた。
「お前の決意は受け取った。けど剣を教える前にお前に見てもらいたい場所があるんだ」
「見てもらいたい、場所.....?」