オルカーンの今
教会には数人の子供が安らかに眠っていた。見た限りでは歳に統一性を感じられない。
「ここへ」
修道服の女性の指の先には、清潔なベットがあった。フリードは抱えていたメリルを優しくベットに寝かす。
「助かったよシスター」
「私のことはユーリとお呼びください。もう修道女ではないので」
「じゃあ何故この教会に?」
「この教会は見て分かるように、行き場を亡くした子供たちの拠り所なのです。誰も居なかったこの教会がそうなるように私がしました」
「.....なるほどな」
フリードは不意に、この教会に住む子供たちと自分やメリルを重ねてしまった。
(こんな場所があれば、今頃メリルはどんな表情を浮かべていたんだろうな)
傍にはずっとフリードが居て、他の子供たちとも遊べて。今までとは真逆の明るい生活に、無垢な笑顔で笑えていただろうか。
子供たちの安心したような寝顔を見ると、自分と同い歳くらいだがユーリという存在が次第に大きく感じられてくる。
そこで一つの疑問がフリードの頭に浮かぶ。
「こんな場所に俺を連れてきて良かったのか?」
初めて会った時から、ユーリはフリードのことを多少なりとも警戒しているように見えた。それはユーリの言う通り、夜更けに女子供を外に連れ出す人間がまともだとは常識的に考えにくい。そんな人間をここへ連れて来て、子供たちに危害を加えられるようなことが起こればたまったものではないだろう。
「妹を想い続ける兄が、心優しい人間でない筈がありませんので」
ユーリはそうして、意地悪そうな笑顔をフリードに見せた。
「小腹が空いているように見えます。あなただけでも何かお食べになりますか?」
「だがこの国のクレイリア回路は....」
「ええ、ですからあのように」
ユーリの目線の先には、薪の山に火がつけられていた。原始的ではあるが、今現在のオルカーンにおいては重要な発想である。
「私としたことが、今晩は偶然にもスープを作り過ぎてしまいました。それくらいで良ければ」
「十分だよ」
「それはなによりです」
ユーリは炎の上に掛けた金網に鉄鍋を載せる。すると教会内には食欲をそそる良い匂いが漂い始めた。
(俺、腹減ってたんだな....)
鳴り始める自分の腹に思わず苦笑する。
食料は十分ウルアスから持ってきている。しかし宿屋を探して街を歩き回ったフリードとしては、食べるものがあれば口にしたいと思うくらいには食欲が沸いていたのだ。
そうして出てきたスープを口にして目を見開く。
「うまいな」
「何せ二度も煮込むことになりましたから、具がスープに染み出て、これはこれで美味しいですよね」
何故かユーリも食べていた。
「私、すぐお腹が空いてしまって」
頬に手を当てながら穏やかに笑うユーリを見て、フリードも密かに微笑んだ。
「.....しかし、この国はどうなってしまったんだ?」
フリードの質問を受けて、ユーリは重たそうに口を開く。
「それは、我々が一番疑問に思っていることですね」
クレイリア回路が機能しなくなるなど普通は考えられない。それは他所から来たフリードよりも、ずっとこの地で過ごしてきたユーリたちの方が感じているだろう。宿屋の主やユーリの口ぶりからするに、ついこの間までオルカーンでもクレイリア回路が使われていたのであろうことは推測できる。
もしウルアスが同じ状況になればと考えると、フリードは恐ろしくなって瞼を閉じた。
「貴方たちは何処から?」
「フリードだ。ウルアスから来た」
「ではフリードさん、ウルアスではクレイリア回路は?」
「普通に使えていたぞ。少なくとも俺たちが出発する前はな」
ユーリは考えるような素振りを見せた。
「この国だけが、ということですか」
フリードはその考えを否定するように口を開く。
「この世界には土の国のシュタインだって、火の国のフィーメアだってあるだろ。オルカーンとウルアスだけで決めつけるのはまだ早いと思うが」
「.....それもそうですね、これは失礼しました」
「まぁウルアスとオルカーンは何かと近いからな、確かに疑問に思うのも分かる」
間に海があるとはいえ、船と徒歩で一日費やせば辿り着ける距離なのだ。ウルアスに何も影響が無いのは何か引っかかるものがある。
「考えられるのは、オルカーン領だけに起こったクラール枯渇......でしょうか」
空気中のクラールを消費するクレイリア回路が機能しなくなるというのは、考えられることにユーリの仮説がある。逆に言うとこれくらいしか見当たらないのだ。国全体の機械が同時に故障するなどとは考えにくい。
その言葉を聞いて、フリードは先程メリルに起こった奇妙な現象を思い出した。
『ここはクラールが少な過ぎます』
「そんなことがまさか......」
「ええ、考えたくないです」
暫く沈黙が場を包んだ。
突然軽く息を吐いたユーリは、先程までの真剣な表情を沈黙が続いた時間に置き去っていたようだった。
「もう夜も遅いです。今日はお休みになられてはどうですか?話は明日でも出来ますし」
「それもそうだな」
寝不足では、今後のことを考える際に支障が出てしまう。何よりメリルに心配をかけてしまうかもしれない。そう思ったフリードは、案内されたベットで眠ることにした。
翌朝、目元に差し込んだ強烈な朝日に、観念したようにフリードは目を覚ました。
そして起き上がり、真っ先に向かったのはメリルの元だった。既にメリルは起きていたようで、向かってくる兄を不安そうな顔で見つめていた。
「兄さん、ここは?」
「オルカーンのとある協会だ。あの後色々あって」
「目が覚めましたか」
ユーリが昨晩にも増して優しい笑顔を浮かべながら声を掛けた。メリルの不安気な表情を見て、まずは自分が信用するに値する存在であることを雰囲気から理解させようとしているようだ。
「朝食を用意しました。良ければ子供たちと一緒にでもいかがですか?」
「何から何まで本当に助かるよ、ユーリ」
「たくさんいる子供たちの食事を用意するんです。二人分も三人分も変わりませんよ」
それもそうかとフリードは軽く笑うと、続いてメリルを見る。
「腹減っただろ。ほら行くぞ」
そこには兄の変わらない笑顔があった。
「うん」
賑やかな食事の最中、メリルが子供たちと故郷のことで意気投合し始めた。そんな状況を保護者目線で見守っていたフリードは、教会の窓が強風で揺らされているのを見ていた。
「随分強い風が続いているな。流石は風の国ってことなのか」
「いいえ、ここまで強い風は珍しいです」
フリードの何気ない呟きに、ユーリが反応した。ユーリの返答からは彼女の不安が感じ取れる。
「恐らく今日は.....いえ、今日も荒れた天候になるでしょう。それも死者が出る程の」
「その言い回しだと、既に国全体の問題になっているんだな?」
「ええ。強風のせいで作物も育てられないですし、オルカーンは今酷い状況です」
「オルカーン産の作物が近頃ウルアスに入ってこないのはそういうことだったのか」
災害に飢餓。地獄の一歩手前だということだ。
ウルアスは自国で作物を栽培することが難しい。よって他国から足りない分を輸入している訳だが、それらが近頃ウルアスに届いていないのだ。距離的に運びやすいオルカーンとは頻繁に貿易を行っていた為に、ウルアス国内でその影響は大きい。
風の大精霊シルフ。オルカーンの民は皆シルフを愛し敬う。風は主そのものともされてきたオルカーンにとって、強風という災害は精神的にも辛いものがある。
「しかもこの強風は.......」
ユーリは言いかけて、教会の外が騒がしいことに眉をしかめる。それでも落ち着いた様子で、子供たちに教会の外へ出てはならないことを伝える。
「何だ?」
「確かフリードさんは魔物と戦うことが出来ましたね?」
「あ、ああ、一応な」
「では子供たちを守るために、是非付いて来てもらえませんか」
そう言ったユーリの表情は緊張が走っていた。フリードは事の重大さを察し、ここにはメリルもいることから黙って頷き、教会の外へ出た。
「............おいおい、ここは国の中だろ?」
「この強風で、どうしてかオルカーンに迷い込んでしまうんですよ」
「冗談であって欲しかったがな」
そこでは魔物が数匹、無差別に人々を襲う地獄絵図が広がっていた。