奇妙な現象は続く
森は案外広く深かった。猪の魔物以外の魔物と遭遇はしなかったが、森の暗い雰囲気にメリルの恐怖は増すばかりだった。フリードはなるべく会話を切らさないように声をかけ続けた。
ようやくメリルに余裕が生まれてきた頃、森は終わりを迎えようとしていた。
「やっと抜けたか......」
フリードまでもが安堵の息を漏らしていた。
「はぁあぁぁ........」
「お、おいメリル?」
メリルは腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。それ程メリルにとって、薄暗く終わりの見えない森という空間は、精神を疲弊させる場所だったのだ。また魔物との遭遇も相まって、植え付けられたトラウマは決して浅くはない。
そんなメリルに、フリードは背中を向けてしゃがみ込む。
「ほら」
「え......?」
「おぶってやるから」
力の抜けきった足腰で歩くのは無理があるだろうと思ったメリルは、大人しくフリードの首に腕を絡めた。
「ごめんね、兄さん」
「ありがとう、だよ」
「....うん、ありがと」
成長した割にはメリルの体が軽いとフリードは思う。今までのストレスなどで痩せているのではと、フリードは前を向いたまま眉を下げた。
自分で生み出した悪い考えを否定するように瞼を下すと、再び前を見つめて呟く。
「よし行くか」
(日が傾いてきたな......)
フリードは焦っていた。
早朝に出発したが、既に日が傾き始めている。最悪野宿することになるが、メリルにはしっかりとしたベットで寝て欲しいという兄の願いがある。だが軽いとは言え人間一人を背負いながら自分も長く歩き続けているために、足が思うように動かなくなってきていた。
辿り着いた丘で見た光景に、思わずフリードは表情を明るくする。
「兄さん、あれが?」
「あぁ。ようやく着いたか、オルカーン.......!」
目の前には巨大な風車が目を引く、山の斜面に栄えた街が広がっていた。
「下して、兄さん」
「もう平気なのか?」
「うん」
久しぶりに人の活気を感じたメリルは、体に熱が伝わっていくのを感じ、唯一心の支えとなっていた兄の背中にしがみつくことを止めた。
が、暫くフリードの手を離すことはなかった。
(兄さんに辛い思いさせちゃったな.........)
自分の不甲斐なさに、フリードの手を握り締めながらメリルは思わず俯く。魔物や森の恐怖に怯え、終いには自力で歩けなくなって兄に余計な労力を使わせてしまった。実際、森の中を先導して歩いていたり、魔物と戦っていたりした兄の方が余程辛いだろうとメリルは確信している。
それを一切表情に出さない兄が大きく見えて、心配で、申し訳なくて。
「.....痛っ!」
そんな妹をフリードは軽く小突く。
「考えていることは大体分かるが、とりあえず今は宿屋へ行こう。話はそれからだ」
「あ、うん....」
辺りは薄暗いを通り越し始めていた。
街のあちこちには風車が設置され、いかにも風の国という雰囲気だった。ウルアスの民が水を主であるウンディーネからの恵みとしているように、オルカーンの民もまた風を主であるシルフの加護として扱っている。そして緑が目立つのもまた国の特徴かと感じていた。
しかしフリードは、クレイリア回路がある現代において、未だ風車によって生み出された動力を使用する意図が理解出来ないでいた。
(まずは宿屋だな)
初めての外国に対して爆発しそうな好奇心を何とか押し込み、宿屋の看板を探しながら街を歩いて行った。
しかし、見つけた宿屋でフリードは声を上げた。
「ええっ!?それは本当ですか!?」
「ええ本当です。だからすみませんが他をあたってください......と言いたいんですが、当然他の宿屋も民家も同じ状況かと思われますので.....」
頭を抱えながらも、フリードの脳内では二つの事柄同士が繋がっていた。
オルカーンは今、クレイリア回路が一切動作しないという奇妙な現象に見舞われている。よって食材を調理することも、上下水道を管理することも、生活に必要な機械を動かすことも満足に出来ないのだ。この異常事態に国の技術者が慌ててクラールに代わるエネルギー源を探しているものの、未だ成果は無いと言う。
しかしクレイリア回路が発明される遥か前の技術により、風車の動力を利用して何とか明かりだけは確保出来たようで、街灯や各家の照明はこれまでの明るさを保っている。一見すると国は明るいようだが、民の身心はすり減っていくばかりである。
フリードはベットだけでも借りることが出来ればとも思ったが、自分の生活もままならない人間が余所者を気遣う筈も無いと考えを改めた。
(参ったな.......)
これでは満足に体を休めることさえ出来ない。隣で不安そうな顔をしながら疲労で寝そうになっているメリルを想うと、とてもではないが椅子などで無理矢理寝かせたくはない。
仕方なく宿屋を出て、二人はベンチに座って目先のことを考えていた。
「......なぁメリ」
言いかけて、肩に何かが寄り掛かるのを感じた。見ればメリルが寝息を立てている。
(すまないメリル)
今日はメリルにとって色々なことが起こり過ぎたのだ。歩き疲れているのも十分理解している。だからこそ数日に渡ってこのオルカーンで体を休めようと思っていたのだが、そう思い通りにはいかないらしい。
フリードがメリルの頭を撫でようとした瞬間、突然メリルの瞼が勢いよく開いた。
「起きたかメリル」
「............」
「メリル?」
いくら問いかけても返事が無い。それどころかこちら見ようともしない。だが寝ぼけているにしては行動に意思を感じる。
メリルは立ち上がり、その場で深呼吸した。
「........ここはクラールが少な過ぎます」
「!?」
「人間たちがここまで破滅に向かっているとは......っ!?」
メリルは頭痛を感じたのか、頭を抑えてよろめく。見かねたフリードは彼女の体を支えるように抱き抱えた。
「っ、私はこの子にこのような苦痛を与えてしまっていたのですね.......」
「メリル.......じゃないな、お前は誰だ?」
「ここはクラールが少ない、ですからこの苦痛はまだ軽いものなのでしょう」
(聞こえていないのか?)
焦点の合わない両目でフリードという存在は捉えているようだが、兄だと認識していない辺り、今言葉を発している意識はメリルではないと予測する。
妹の体に起こる奇妙な現象に、フリードは冷や汗をかいていた。
「貴方と会うには......まだ時間が必要......です.........」
「おいしっかりしろ、おい!」
メリルは力を失い、フリードの腕の中で小さく寝息を立てている。
「一体何が.....?」
フリードが頭の中を必死で整理しようとしていると、何処からか足音が聞こえてきた。瞬間、警戒心を尖らせて足音の方を見る。
「このような夜更けに女子供を外に出すとは、一体どんな理由があるというのでしょうか?」
薄暗い中フリードが確認したのは、自分と同じくらいの歳の修道服を着た一人の少女だった。
「女子供にアンタは当てはまらないのか?」
「ふっ、それもそうですね。これは失礼」
「.......何の用だ」
「いえいえ、私は教会の者ですので、幼気な少女を外で寝かしている輩がどのような人物なのか、拝みに来ただけです」
フリードは少女の煽り気味な言葉の並べ方に眉をしかめる。
「俺には教会の者ともあろうお方が、そんな風に好戦的な言葉の選び方をするのはいかがなものかと思うんだがな」
暫く沈黙が続く。その間二人はお互いを睨み続け、視線を話すことは一切なかった。
先に折れたのは少女の方だった。
「ふぅ、無意味な争いは終わりにしましょう。その子を早く家へ帰してあげていただけないでしょうか?」
「俺もそうしてやりたいが、生憎旅の者でな、俺も含めて行き場を失っているところだ」
フリードの言葉に、女性は僅かながら驚いた表情を浮かべる。
「これは失礼、旅のお方でしたか。では大変不運なことです」
「ああ最悪だ。妹一人満足に休ませることのできない夜を迎えるとはな」
「この国のことは?」
「多少だが宿屋で聞いたよ、だからこうして途方に暮れている」
「そうですか」
女性は少し間を置いて、今までの態度からは考えられない柔らかな笑顔を見せて言葉を発した。
「では、私たちの教会に来ると良いです。少なくともそのベンチよりは体を休めることが出来るでしょう」