旅の途中
国の外へ行く船に乗ったフリードは、小さくなっていく故郷を見つめていた。決断して飛び出してきたものの、外国は初めてなのだ。
メリルも隣に立って遠ざかる故郷を見つめていた。
「不安か?」
「ちょっとだけ。でも兄さんがいるから」
その言葉を聞き、フリードは腰に下げた剣に触れた。不思議な模様が刻まれた見事な剣だ。
『フリード、もしも外国に行くようなことがあれば、これを持って行きなさい。きっとあなたの身を守ってくれるわ』
(母さん見守っていてくれ、メリルは俺が守るからな)
この世界には、魔物と呼ばれる得体の知れない生き物が存在している。魔物は他の動物や人間を捕食しながら長い間生きると伝えられている。各国は魔物の侵入を防ぐために知恵を絞ることを強制されているのが現状にある。しかしウルアスは全方角を海が覆う特別な国だ。その為魔物はウルアスに上陸することが出来ず、長い間、平和の国として栄えることが出来たのだ。
彼らに平和を捨てる覚悟はまだ無い。
「......やるしか、ないんだ」
剣を強く握り、決心した思いを再確認する。メリルを助ける、今フリードにあるのはこれだけだ。
「道中お気を付けて」
他の利用客と共に港へ降りる。そこは既に二人が目にしたことのない光景が広がっていた。
「あれが木なんだよね!すごい、本当におっきいんだー!」
「俺も実際に見るのは初めてだ、これは驚いたな」
海上で栄えたウルアスには、植物を育てる程の余分な土地がない。人間が住めるだけの面積を埋めるのでウルアスの先祖たちは精一杯だったのだ。
早々にメリルの笑顔が見れたことで、フリードはとても安心した。
「じゃあ行こうか」
「これからどこに向かうの?」
「聞いた話によると、土の国シュタインに有名な医者がいるらしい。だがシュタインは結構遠いんだ。だからまずは風の国オルカーンを目指そう」
ウルアスは南に栄えた国であり、土の国シュタインは北方に広く栄えた国である。ウルアスから真っ直ぐ北に進むには標高が最も高いとされる山 《クルビュア山》を越えなければならない。そんな山をメリルに登らせるわけにはいかないとフリードは思い、西に栄えた風の国オルカーンを経由してシュタインに向かうことにした。
国同士は決して近いとは言えない。道はあれど魔物が居るため馬車などは走っていない。他国へ行くというのはとても苦難なことなのである。
林に作られた道を歩いて行くと、脇道で何かを採取している男性を見かけた。男性はこちらに気が付くと手を振りながら歩み寄って来た。
「やぁ、君たちも木の実採集かい?」
「いえ、オルカーンへ向かってるんです」
「おぉそうかい!ウルアスとオルカーンの間は特別魔物が少ないからね、ゆっくり歩いて行くといいよ」
「そ、そうなんですか」
男性の言葉を聞いて、警戒心を尖らせていたフリードは肩の力を抜くことが出来た。
「そのまま行くと森に差し掛かるんだが、そこには綺麗な小川があってね、水が美味しいんだ。良かったら飲んでみると良いよ」
「へぇ、それは楽しみです!」
メリルが目を輝かせているところを久しぶりに見たかもしれないとフリードは思った。この旅はきっと世界を歩き回ることになる。それによってメリルが心身共に疲れていくばかりではなく、今回のように好奇心を駆り立てるような旅であって欲しいと願っているのだ。
「じゃ、この先も気を付けて行くんだよ」
「「ありがとうございます」」
「大精霊のご加護があらんことを!」
男性は右手を胸の前で握り、その拳を顔の前に持っていき瞳を閉じた。これはこの世界で共通とされている祈りの動作だ。フリードたちも同じように祈ると、目前に迫った森へ入っていった。
「一気に涼しくなったね」
周囲には大量の木が生い茂っており、日の光はそれなりにしか入ってこない。ウルアス人にとっては絵本のような場所である森に、メリルはおろかフリードまで感動を覚えていた。
「潮風とは違った気持ち良さがあるな」
「だね。ウルアスにもこんな森があれば........」
「......無理だな」
「......無理だね」
故郷を思い出して苦笑する二人。
「ま、景色も楽しみつつゆっくり行くか。足元気を付けろよ?」
「はーい!」
道中、気色悪い色をしたキノコにメリルが触りそうになったり、この森に生息している野生生物に驚かされたりしながら、未知の世界である森を進んでいった。
そして遂に、先程会った男性が言っていた小川を発見した。
「海と違って水が透明だね」
「海水だって手ですくえば透明なんだぞ?」
「え、そうなんだ」
メリルは国から見た深く青い海しか知らない。しかしフリードは船に乗り上げた海水が青ではなく透明であることを知っているのだ。遠目からでは海水は青いのだと思いがちなのである。
二人は早速、男性の言う通りに小川の水を口にした。
「ん、これは.....」
「冷たくて美味しいね」
「ああ。それにただの水ってわけでもなさそうだ」
原理はよくわからないが、ここまで歩いてきた足の疲れが和らいだ。メリルも頷いたあたりフリードの気のせいではないようだ。
その時、フリードは背後に確かな気配を感じて振り返った。
「っ!!」
「どうしたの兄さ.....ひっ!?」
そこには赤い眼球をした、強烈な殺気を放っている生物がいた。
それは初めて見るはずの二人でも分かる。
「魔物......か」
フリードは黙って腰に下げた剣を抜いてメリルを庇うように立った。目の前の魔物は猪のような外見をしており、見るからに危険な鋭い二本の牙が生えている。
(焦るな、俺だって男だ。妹一人守れなくてどうする)
フリードは額の汗を拭い、剣を強く握りしめる。
「メリル、下がって木の陰にでも隠れていてくれ。何かあったら大声を出すんだぞ」
「........うん、わかった」
こと戦闘において何も役に立たないと自覚したメリルは黙って木の陰に隠れて、躊躇しながらも兄が魔物と戦うところを見届けることにしたようだ。
「......親切にどうも」
メリルが隠れるまで攻撃してこなかった魔物に対して呟く。そんな魔物も遂には攻撃の意思を表し、フリード目掛けて突進してくる。
フリードが剣を握ったのは今回が初めてではない。漁の最中、万が一サメや肉食魚が網にかかってしまった際の対応策として、剣を扱い方を船長から教わっていたのだ。
『いいかフリード。予想外のことが起きた時こそ焦るなよ?』
「分かってますよ船長!」
フリードは横へ素早く移動し突進を避け、すれ違いざまに捉えた魔物の後ろ足を切り付けた。だがその傷は浅い。
魔物に与えた傷からは、赤い液体が止まることなく流れ続けている。
しかし魔物は痛覚が無いかのように、先程と変わらない速度で突進を繰り返した。
『獲物を捕らえるには、獲物のことを知っておかねぇとな』
(奴は猪だ、距離を取れば突進しか攻撃方法はないだろうな)
そうして魔物の突進を紙一重で回避し、今度は明確な狙いを持って右後ろ脚の筋肉に切り掛かる。
フリードの手には、生きた生物の肉を断つ感覚が響いていた。
「流石に堪えるな.....」
今まで平和に暮らしてきたフリードにとって、生き物に殺意を持って傷付ける行為などする必要が無かった。
慣れないことをすれば体は様々な反応を起こす。
事実フリードの手は若干だが震えていた。
(悪いな、これも俺らが生き残る為だ)
フリードは右後ろ脚の自由が奪われ動きの鈍くなった魔物に近づき、首と思わしき部位に向かって剣を振り下ろした。
魔物は頭と胴体が寸断され、動くことを止めた。
大きく息を吐いたフリードは剣に付着した血液を振り払い、鞘に収めてメリルの隠れている木に向かって歩き出した。
「無事かメリル」
「...............うん」
メリルの顔色が優れない。
生まれて初めて生物の殺気を受けたことや、実の兄が生物を手に掛ける瞬間を目の当たりにしてしまったのだ。無理もない。むしろ泣いたり吐いたりしなかったことにフリードは驚いていた。
「森を出ようか」
「......うん」
それでも確かに、メリルの手は震えていて、自ら握ったフリードの手を無意識に強く握ってしまっていた。