旅立ち
「ただい.....」
『ごめんなさい.....』
「うあぁああっ!!」
「メリル!?」
フリードが家に帰ると、メリルが頭を抱えて苦しんでいた。
「どうした、大丈夫か?」
「はぁ....はぁ.....っ、おかえり、兄さん」
先程まで苦しんでいたはずなのに、メリルは息を切らしながらもフリードに笑顔を見せた。兄に余計な心配をかけてはならない、その一心で。
「あ、あぁ、ただいま」
「もうご飯出来てるよ.....っ」
明らかに無理をしている妹に、フリードの不安は募るばかりだ。メリルは病気を患っているわけでも、特別体が弱い訳でも無い。それにただの頭痛にしては苦しみ方が異常だ。
「なぁ、本当に大丈夫なのか?」
「平気」
「....そうか」
なんだか唯一の妹に信頼されていないようで、フリードの心は複雑だ。
「いただきます」
「兄さん」
メリルは顔を上げずに、椅子へ座ろうとしたフリードの手を強く握った。フリードは妹の行動の意図が全く理解できずにいたが、何かを堪えるような妹の素振りに気付いて頭を撫でる。
「辛いことがあったらちゃんと言うんだぞ、いつでも相談に乗るからな」
「......うん」
メリルの表情は暗くなる一方だった。限界とは言え、果たして打ち明けて良い感情なのかと未だ悩んでいるからだ。
その日の夜、フリードはベットの上でメリルのことを考えていた。
(夕方のメリルの様子はどう考えても普通じゃない。急に苦しみだすし、無理をしているようだし。悩み事とかだったら相談してほしいんだが、もし女の体についてだったら答えようがないしなぁ........どうしたものか。俺に何かできることは.......)
「ダメだ、思いつかない」
むしゃくしゃしてきて頭をかいた。
すると部屋の扉が静かに開き、誰かが入ってくる足音が聞こえてきた。その人物はベットの傍まで来たかと思うと、迷うことなくベットに潜り込んできた。
「話す気になったのか」
「さっきはごめんね」
「悩みごとって言うのはそう簡単に口にはできないもんだろ」
フリードは天井を見上げたまま言った。そのためメリルがばつの悪そうな表情したのには気が付かなかった。それはもう簡単には口に出来ない悩み事を抱えているからである。
「......今から話すこと、信じてもらえないかもしれないんだ」
「任せろ。俺はお前の兄さんだぞ?」
「....神殿で昼寝しちゃった日からね、頭が割れちゃいそうな頭痛がするの。夢に出てきた精霊も頭に浮かんで、私に何か言ってくるんだ。ごめんなさい、って」
予想を遥かに超える深刻な相談だったなとフリードは驚いた。確かに信じがたい現象だが、事実フリードの目の前でメリルは壮絶な頭痛に見舞われている。
メリルは泣きそうになりながらも、言葉をぽつりぽつりと零していった。
「もう、怖くて寂しくて仕方がないの....ずっと一人で我慢するの、限界だよ.....!」
そのずっと隠されていた本心を聞いた瞬間、フリードはメリルを抱き締めていた。
メリルが寂しがっているのは何度も見ていた。その度に頭を撫でるなどの行為で誤魔化していたが、それがどれだけ酷な思いをさせてきたのかを、フリードはようやく気付いた。自分は仕事に明け暮れている分まだ寂しくはなかったが、家に残されたメリルはこれまで必死で寂しさに耐えてきていたのだ。
なんて愚かな兄なんだと、フリードは自分を強く責めた。
(金なんかより大切なものがこんなに近くにあったじゃないか....!)
「.....すまない」
「いいの、私たちが生活していくためには仕方がないんだから」
「それでも謝らせてくれ。すまなかった」
今更だが、生き方を改めようとフリードは決心した。
「名のある医者のところへ行こう」
「えっ、でも仕事が.....」
「船長に掛け合ってみるよ。...まぁ最悪新しい仕事を探す必要があるかもな。貯金はあるし、有余はあるだろうさ」
もう決めたことだ、メリルになんと言われようとフリードに変えるつもりはない。
果たして病気なのか怪しいところだが、一度診てもらうに越したことはない。頭痛に効く薬でも貰うことができれば、メリルも少しは楽になるはずだとフリードは考えた。
「.....ありがとう、兄さん」
メリルはフリードに仕事を手放す覚悟を迫った罪悪感に襲われつつも、これからしばらくフリードの傍にいられることが何より嬉しく思えて、その夜は久しぶりに深い眠りにつくことが出来た。
翌朝、フリードは船長の仕事机にそっと折り畳まれた紙を置いた。
「船長.....すみません」
フリードが港に着いた頃には、既に船長を乗せた漁船は海へ出てしまっていた。なんでも昨日仕掛けた網が気になって仕方がなかったらしい。一人で出て行ったそうだ。船長らしいなとフリードは笑いながらも、船長の背中を思い出していた。広くて熱い、あの背中を。
(俺はきっと、船長みたいな人になりたかったんだろうな)
フリードが子供ながら金を稼がなければならない環境に陥った時、俺についてこいと言った恩人。今日、フリードはその手から離れる決心をする。
「今まで、お世話になりました」
いつか自分も、メリルにあんな背中を見せてやりたいと、フリードは思った。
フリードは船長の仕事机に深く頭を下げ、伝えることが出来ない感謝の言葉を発し続けた。
「待たせたな」
外に出たフリードは国の西門へ歩き出した。そんな兄にメリルは不安そうな顔で問う。
「ううん。でも会わなくていいの?」
「いいんだ、これで」
今のフリードには最も優先すべき存在が隣にいる。今自分がすべきことは妹を助けてやること、それだけだとフリードは決意を改め、足を進める。
少し歩くと、メリルが息を切らしながら数歩後ろを歩いていることにフリードは気付く。実際メリルとこうして歩くのは何年かぶりであり、つい自分勝手な速さで歩いてしまうのだ。
(今の俺はメリルのことを何も分かってない。兄として、この旅で自分の妹を良く知る必要があるな)
「すまないメリル、歩くのが早かったな」
「い、いいのいいの、私まだまだ歩けるよ」
メリルは未だに、フリードに余計な心配をかけまいという意思が残っていた。証拠に、息を切らしているのにも関わらず無理をしようとしている。メリルをこうしてしまったのも自分かとフリードは感じ、小さい頃の記憶を掘り起こしては実行してみることにした。
「....っ、兄さん?あの、えと、これは.....」
「こうして手を繋げば、ちゃんと歩幅を合わせられるだろ?」
「.....そう、だよね。うん、歩幅を合わせるだけ。だけだもんね」
「メリル?顔が赤いぞ、大丈夫か?」
「へ、へーきへーき.......ふふふっ」
我が兄は意外に鈍感なのかと、ここにきてようやくメリルは理解した。だがこうして兄と手を繋いでいられるのであればいっそ何が理由でも構わないかと割り切ると、自然と頬が緩み始めた。
「それとメリル、今後はお互いに気を遣うのは無しにしようか」
「いいけど、なんで?」
「歩幅のこともそうだが、そうしないとメリルが変に俺に合わせようとするからだよ。それじゃメリルが辛いだけだし、何より昨日までと何も変わらない」
浮かれていたメリルははっとする。確かにフリードの言う通りなのだ。
メリルにもフリードと同じく変わりたいと願う心がある。兄に心配をかけたくない一心で生活した結果、自らを苦しめることになるのは既に経験済みだ。そして限界が来れば結局兄に心配をかけてしまう。故に今までを繰り返すことは何としても避けたいのだ。
「....わかった、私頑張る!」
「違うな、一緒に頑張ろう、だよ」
「うん!」
兄妹は心持を新たに、ウルアス西門へと歩いて行った。