かけがえのない存在
氷の大精霊セルシウスは、消えかけている精霊を抱きかかえていた。
「.....何故だ、何故お前が消えなければならない!!」
「そんな顔しないでください、セルシウス」
「しかし....!」
「大丈夫、きっとまた会えます」
「待て...待て!行くなリィナ!!」
リィナと呼ばれた精霊は最後に笑顔を見せ、光の粒となって消えて行った。セルシウスの叫びはただ虚しく響くだけだった。
「.....愚かな人間どもが、この手で裁きを下さねばなるまいな」
ーーー
「よっと」
船長の男に続いて少年は船から降りると、大きく伸びをして体をほぐし始めた。
「今回の漁も無事に終えられたな」
「はい。これもウンディーネ様のおかげです」
「おうよ!我らが水の民、ウンディーネ様の元にあり。ってな!」
少年は船長に勢いよく肩を組まれるが、いつものことだからと特に嫌な顔はしなかった。
「じゃあ俺、ウンディーネ様に祈りを捧げてきますね」
「俺の分も頼んだぜ!」
船長に見送られ、少年は国の中心へと歩き出した。
ここは《水の国ウルアス》。地水火風の四大精霊の元に栄えた四国の一つである。
ウルアスの民は水を司る大精霊ウンディーネを信仰している。遥か昔から水を主から授かった神聖なものとし、海上に造り上げた都市で水と共存してきた。それは現代に至っても変わってはいない。
国の中心にはウンディーネを祭る神殿がある。少年はそこへ向かっているのだ。
「今日も国は平和ですよ、っと」
これもウンディーネ様のおかげかと少年は呟いた。
吹き抜ける潮風、街を彩る水、国を愛し主を愛する民。どれもが見慣れた光景ではあるが、見慣れているからこそ、漁に出ていた少年からすれば国に帰ってきたことを感じさせてくれる重要な要素だった。
「ウルアスに生まれて良かった」
少年は鼻歌交じりに、活気溢れる街道を歩いて行った。
しかし次の一歩を踏んだ瞬間、少年は真剣な表情を浮かべて脳内の疑問と格闘していた。
(近年の収穫はどうも少ないように感じる。船長だって感じている筈なんだけどな.....)
少年が漁師として働き出してからもうじき七年が経とうとしている。この七年間で、毎日の収穫量が減っていっているように少年は感じていたのだ。もちろん船長もその事に気付いている筈だが、彼の疑問に思う素振りを少年は見たことが無い。
少年の疑問は一つではなかった。
(海が黒ずんで見えるのも俺の気のせいなんだろうか)
幼いころに見ていた青く透き通った海水と比べて、今の海水は黒みを帯びてきているようにも感じられた。最近の黒ずみ始めた海はお世辞にも綺麗だとは言えない。一面に広がる綺麗な海を見て育った少年には、この事がどうしても気になって仕方がないのである。
少年は疑問を振り切るために軽く息を吐くと、いつもと変わらない街の中を歩いて行った。
神殿に人の気配は無かった。祈りを捧げるだけならむしろ好都合かと少年は思い、堂々と内部へ入っていった。
「ん?」
誰もいないかと思われた神殿だったが、ウンディーネの像の前に、長い銀髪の少女が倒れていた。
「だ、大丈夫か!?」
駆け寄った少年が少女の肩をゆすると、寝ていただけだったらしい少女はゆっくりと起き上がり、目をこすり始めた。
何事も無いことに安堵の息を漏らす少年だが、少年はその少女に見覚えがあったs
「ってなんだメリルじゃないか、なんでこんなところで寝てるんだよ」
メリル。それは少年の実の妹の名だ。
「ん....フリード.....兄さん.....?」
「ああ俺だ」
「おかえりなさい!」
メリルは目の前の人物が自分の兄だと分かった途端、眠気など忘れてフリードに飛びついた。
「いつまでたっても甘えん坊だな、メリルは」
フリードは呆れた表情をしているが、自分を待っていてくれる人が居ることを再確認して嬉しそうでもある。
「心配してたんだよ、ずっと」
「もう何回も漁に出てるだろ?」
「でも心配なの!だからこうしてウンディーネ様にお祈りしてた」
仕事とは言え、ここで寝てしまう程心配してくれていたのかと思うと、嬉しさと罪悪感が共に沸き上がってくる。
この兄妹に両親はいない。母は病で亡くなってしまい、父は面識すら無い。故にメリルが、たった一人の家族を心配するのは当たり前だと言えるだろう。
「...悪いな、いつも傍にいてやれなくて」
「帰って来てくれたから.....いい」
フリードは妹と再会できたことも合わせて、目の前のウンディーネの像に深く感謝した。
「夢、見てた」
「どんな夢だ?」
「精霊がね、私に協力してって言ってくる夢」
「変わった夢だな、なんて返事したんだ?」
「返事しようとしたら兄さんが起こしたの」
「.......そりゃ悪かったな」
翌朝フリードがリビングへ降りると、メリルが既に朝食を作り終えたところだった。
「早いなメリル」
「久しぶりに二人で朝ごはん食べるからね、頑張っちゃた」
テーブルには朝食に似合わない大量の料理が並べられていた。フリードはそれらに目を通して頬を引きつらせる。
「全部食べてね?」
メリルの曇りの無い笑顔がフリードに襲い掛かった。
船長の言葉を借りれば『男たるもの、女性が作った飯は残さず食べるべし』だ。観念したフリードは黙って席に着き、一言呟いて合掌した。
「....いただきます」
「.....ごちそう、さまでした」
「すごーい流石男の子!ほんとに全部食べちゃった!」
「ま、任せろ、これくらいはな」
メリルが料理上手で本当に良かったと心から思ったフリードは、コップに注がれた水を飲み干して席を立った。
「じゃあ行ってくる」
「もう行っちゃうの......?」
寂しがるメリルの頭を撫でて、フリードは船長の元へと向かうべく家を出た。
「....あーあ、また一人かぁ」
家に残されたメリルは、食器を洗いながら一人を嘆いた。
フリードが毎日仕事に励み、稼いだ金でメリルは生活している。兄に料理が振る舞えるのも、こうして兄を待つ家があるのも、全てはフリードのおかげなのだ。それは仕方のないことであり、今までだってそうやって割り切ってきた。正確には、寂しさを紛らわしてきた、だろう。
だが最近になって、遂に自分の気持ちが誤魔化せなくなってきていた。
「ずっと兄さんの傍にいたい.......なんて」
女であるメリルに漁師は勤まらない。叶わない願いなのだ。
不意に涙が零れそうになるが、必死でこらえる。兄だってきっと今頃必死で働いているのだ。ただのんびり家事をしている私が泣いて良いはずが無いと歯を食い縛る。
メリルは自分の頬を叩き、気合いを入れ直した。
だが次の瞬間、メリルは頭を抱えて床に蹲った。
「ううぅ.....!!?」
激しい頭痛がメリルを襲っていた。頭が割れそうだという表現がこれ程までに相応しいと思ったことは今までに無いだろう。
脳内では、神殿で見た夢に出てきた精霊が何かを訴えていた。
『ごめんなさい.....』
「え.....な、に....?」
気付けば、頭痛は嘘みたいに収まっていた。
見たことも聞いたことも無い現象に恐怖を覚え、心を折られたメリルの目からは涙が溢れていた。
「兄さん....早く帰って来て......っ」
「船長すみません、遅くなりました!」
「おぉフリード!遅かったじゃねぇか」
見れば、船長は何やら機械と思われる物体を触っていた。
「何ですかそれ」
「いやぁ、クレイリア回路を利用した発明品の一種だとよ。なんでも他の国ではもう当たり前のように使われてるらしいが、使い方がさっぱりわからねぇで困ってんだ」
車輪のようなものが四つ付いた、何とも奇妙な形をした機械だとフリードは思った。しかし円形のハンドルのようなものと椅子のようなものがあるため、乗って移動する機械ではないかと予想を立てた。
「ちょっと使ってもいいですか?」
「おう?まぁいいが」
船長の許しを得て機械に跨ると、ハンドルのようなものを握ってみた。
....が、動かなかった。
「クラールが足りないのか....起動させる役割を持った部品も何処かにありそうだな、だとすると......」
「おいフリード、そんなガラクタどうでもいいから行くぞ!」
「えぇ!?ちょ、待ってくださいよ!!」
フリードは慌てて機械から降りると、既に港を離れ始めている船に飛び乗った。
人間が精霊を敬い、四つの国が栄えた世界。
遥か昔、土を司る精霊の元に栄えた国 《シュタイン》のある学者が、この世界に漂う空気中から未知のエネルギーを宿した物質を発見した。学者はこれをクラールと名付けた。またこの学者の後継者がクラールの凝縮体の生成に成功。そして次の世代の学者が、クラールを熱や動力源、光などの別エネルギーに変換するクレイリア回路を発明した。この学者の発明により、人類は機械という助力を受けながら急速に発展してきた。少年が乗っている船のエンジンにも応用されているあたり、現代でクレイリア回路が身近な存在になっていることは明白だ。
この頃のフリードはまだ、クレイリア回路という発明が世界を揺るがす代物だとは知る由もない。