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女神との対話

作者: 三崎無我

東京から長距離バスで5時間。

着いた頃にはもうすでに太陽は西の空にあった。


大都会は生き物の如く、日に日に姿を変えて行くが、

ここは深い記憶の底にある風景、そのままだった。


あの家を探してみた。

どこにあっただろう。

はなはだ頼りない記憶を頼りに足を運んで行った。


バスが通っている県道の付近は、一面が真っ青な田畑である。

田畑の向こう側に数十件ほどの集落があり、

その集落に向け、田畑をつっきって、つぎはぎだらけの舗装道路が通っている。


舗装道路を5分ほど歩くと、左側に二階建ての小さな商店があり、

レトロなコカコーラの看板が出ている。

商店を通り過ぎんとすると、商店の中に老人の姿があった。

老人は、ステレオイヤホンを耳にし、

人形のようにみじろぎもせず、何かを聴いていた。


僕はこの老人を覚えていた。

何度もこの商店に、小銭を握りしめて、アイスクリームを買いに来たのだ。

その頃、この老人は、すでに60歳くらい。

今ではもう、90歳くらいだろうと思う。


この商店は、この集落一体の地名をとって「弥生商店」と言い、

老人は「弥生商店の爺さん」として親しまれていた。

ラジオで落語を聴くのが好きで、この地方に似つかわしくなく、

時々、江戸弁を使うのだと母は言っていた。


商店から30mほど歩くと、右側に郵便局がある。

簡易郵便局で、当時は町長が局長を兼務していたはずだ。

町長一家は郵便局の2階に住んでいた。


集落数で言えば、郵政民営化で潰れても良さそうなものであるが、

何とかかろうじて存続し続けているようだ。


この郵便局のすぐ向こうに十字路があり、これを左に曲がる。


今、こうして通って来た道は、母に手を引かれながら、何度か来た道だ。

母はここに来る時、複雑な思いを抱えていたようだが、

僕はとにかく、無邪気に楽しくて楽しくて、仕方がなかった。


幼い頃は、遠い道のりだと感じていたが、

大人になって歩いてみると、まるで魔法のように、

あっけなく風景が通り過ぎて行く。


郵便局のあった角から、さらに5分ばかり行くと、

幅3メートルばかりの小川が流れている。

あざやかに透きとおった水で、何度も、ここに魚を見に来た。

この小川は、集落一体の田畑を潤す、貴重な水源になっている。


小川を渡って200mメートルしたところで、道は二股に分かれ、

右のほうの道を進むと、左手の道沿いに、あの家が建っているはずだ。


だが、見えなかった。

そこには、何もなかった。


急ぎ足で、その場所まで行った。

だが、あの家は無かった。

辺りには、大人の背丈ほどある、うっそうとした茂みがあるだけだった。


あれからもう30年近く経つのだ。

主の無い家が壊されていたとしても仕方ない。

それはごく当然の事と言えばそうであるが、

幸せな思い出にあふれたあの家が無くなるなど、

この目で実際に目撃するまで、思いもよらぬ事だった。


呆然と茂みを眺めていると、そこには井戸の跡があった。

つるべ式の井戸ではなく、薄汚れた、手押し式ポンプの井戸である。

僕は毎朝、このポンプで汲んだ冷たい水で、顔を洗ったのだ。


間違いない。

確かに、あの家はここにあった。

母方の祖父の家だ。


祖父は耳がまったく聞こえない、聴覚障害者だった。

一人娘の母を、大切に育てた。

実にやさしい父親であたようだが、

母は十八の頃、祖母に祖父を任せ、東京の大学に行った。


百件もない集落である。

ここにいれば、結婚相手も僅かな知り合いの中で選ぶしかない。

小学、中学と同級生だった男子の誰かに嫁ぐ事になる。

母には、それがたまらなく嫌だったようだ。


自分の父の事は心配だが、そんな事よりも自分の人生のほうが大事だ。

そこで、田舎を捨てるつもりで、母は東京の大学に進学した。


大学を出て、そのまま東京の企業に勤めるつもりであったが、

そうはならなかった。

母は大学の同級生と付き合うようになり、その同級生が盛岡の出身だった。

彼は大学を卒業したら、盛岡に帰らねばならなかった。

彼は母に、盛岡について来て欲しいと言った。

母は盛岡に行き、そして結婚した。


彼とは、僕の父の事だ。


父は、地方公務員だった。

酒もタバコもバクチも一切やらぬ、生真面目な男だった。

自分の考え方、生き方以外は絶対に認めない。

我が子には厳格なルールを課し、それを破ると容赦なく殴った。

それを止めようとする母も殴りつけた。


母は、子供の教育について父に意見し、

父は癇癪を起こして母に暴力をふるった事もあったようだ。

そのたびに、母は、僕の手を引いて、実家に帰ったのだ。


祖父は本当にやさしい、いい人だった。

耳が聞こえないから、話しかけても、何も答えることはできなかったが、

ただ、やさしく微笑み返してくれた。

父とは対照的な存在だった。


祖母もいた。

祖母はやさしく、利口な人で、僕はよく料理や掃除を手伝った。

大きな目で、鼻筋が通った日本人離れした顔をしていたので、

若い頃はさぞかし美人だったのではないかと思う。


祖父は、この祖母に支えられて生きて来たが、

残念な事に、祖母のほうが早く死んだ。


母は、父に、祖父を引き取って、一緒に盛岡で暮らしたいと言ったが、

父は受け容れなかった。


祖母が亡くなり、半年ほど経った頃、母は覚悟を決めた。

こんな冷たい男とはもう一緒に暮らせない。

実家で子供を育てながら、父の世話をしよう。


母が実家に帰るために荷物の整理をしていると、

実家のある田舎の町長から電話が来た。

祖父が亡くなったと。


老衰であった。

郵便配達員が何度声をかけても出てこないので変だなと思い、

縁側に回って中の様子を見ると、

仏壇の前の、布団の中で、みじろぎもしない祖父の姿があったそうだ。


僕は高校を出ると、息苦しい家を飛び出すために、東京の大学に進学した。

卒業したら、家に帰って、僕も公務員になる。

そう父には言った。


父は、


「東京の大学に行くのは良いが、お前はひとりっ子なのだから、

必ず帰って来てくれなければ困る。」


と、何度も念を押した。


僕が家を出る時、母は仏間に座り込み、声を出さず、肩を震わせていた。


大学を卒業したは良いものの、時代はバブル崩壊後の就職氷河期。

僕の大学は三流の私大であり、大手企業に就職するのは困難だった。

だが、実家には意地でも帰りたくない。


選択の余地なく入ったのは、生命保険会社。

世間に名を知られている、業界の大手である。


大手企業に入れば、定年になるまで、安定した給料が得られ、

年数に応じて昇進して行くものだと考えていた。

だが、僕の入った頃は、不況の影響で、どの企業も終身雇用が崩れ、

やる気の無い者はいつでもクビにするという風潮であった。

仕事は営業でノルマがあり、達成できなければ給料を減らさてしまう。


僕は企業回り専門だったが、景気が低下する一方のこの時代、

そう簡単に契約などとれるものではなかった。


会社では毎朝、朝礼があり、社員全員で、大声で社訓を読み上げる。


一、お客様第一主義に徹せよ。

一、どんな時でも笑顔を絶やすな。

一、観念ではなく、数字でものを言え。

一、ムダ、ムラ、ムリを無くせ。

一、できないと言うな、こうすればできると言え。

一、会社が何をしてくれるかではなく、会社のために何ができるかを考えよ。

一、やる気のない者は去れ。


その後は、一人一人、今日の目標を発表する。


「本日、私は、50件の企業訪問をし、2件以上の契約を必ず取ります!」


このように絶叫する。

普通に大きな声では、声が小さいと指摘される。

従って、「絶叫」でなければならない。


目標が低いと、脂ぎった顔の部長が、叱責して目標を直させる。


この部長は、この不況でも年収二千万以上稼いでいる。

高級マンションに住み、黒塗りのベンツに乗っている。

金を儲けた人間が人生の成功者であると、本気で信じている。

具体的な目標を立て、己の壁を壊す事で、夢を実現するという、

単純な成功哲学の信望者であり、部下にもその哲学を押し付ける。


「お前は年収いくら欲しい?

その年収になったら、何を買いたい?どこに旅行に行きたい?」


と、部下に成金的な夢を持たせようとするが、

物質的価値よりも精神的価値を重んじる僕としては、まったくついて行けない。


部長と価値観を共にする、つまり、成金的夢を持っている者は、

日々、成果を持参して会社に帰り、オフィスの棒グラフの棒を書き足す。


顧客回りすら苦痛で、喫茶店や公園で時間を潰して帰る僕には、

当然、付け加える棒など無い。


あまりにも毎日が苦痛で、時々、実家に電話をした。

母の声を聞くと、ほっとした。

だが、たまに父が電話に出る事があった。


最初のうちは、父とも会話した。

もちろん、父は不機嫌である。

実家に帰るという約束を守らなかったからだ。

それでも、母が何とか説得し、父はしぶしぶ我慢しているのだ。


だが、父は僕の仕事の状況を根掘り葉掘り聞きだし、

そのたび、


「そんな仕事をお前がやって行けるわけがない。

すぐに戻って公務員になれ。

今ならまだ充分に間に合う。」


などとやりはじめるものだから、

僕は父が電話に出ると、話もせずに、すぐに切ってしまうようになった。


だが、父の言うとおり、こんな仕事は長く続かなかった。

半年を過ぎる頃、僕は会社を辞めた。


就職氷河期である。

就職して半年しか持たなかった者を、どこの企業が採用してくれると言うのか。


バブル崩壊後の企業というものは、

いかに理不尽な会社であっても、勤め抜く人間を求めている。

どんな状況であっても文句を言わず、会社のために耐え抜く人材をだ。

「半年しか持たなかった」

これは理由のいかんによらず、会社にとっては決定的なマイナス材料である。


当然、僕は路頭に迷った。

仕方なく、アルバイトで生活を維持するようになった。


実家には会社を辞めた事を隠した。

間違いなく、帰れと言われるからだ。

僕は、あの頑固で口やかましい父と暮らすのならば、

東京でフリーターでもやっていたほうがマシだと思った。


フリーターをやって2、3ヶ月ほどした頃だろうか。

ふとパチンコ屋に入ってみた。

遊びを一切やらぬ父に反発する思いからだろうか。

将来への不安もあっただろう。

なぜか、無償にパチンコがやりたくなり、店に入った。


パチンコもそうだが、ギャンブルというもの自体、生まれて初めての経験である。

ギャンブルには「ビギナーズラック」というものがあると言う。

偶然ではないかと思っていたが、それはどうやら本当のようだ。


500円でいきなり大当たりが来た。

最初は何が起こったかわからなかった。

液晶画面で同じ数字が3つ揃い、通常とは違う音楽が流れ、

台がピカピカと光ってた事はわかった。


となりの人が気づいて、自分の持ち球を少し、僕の台の受け皿に移した。

後で知った事だが、大当たりになっても、受け皿が空では、玉を出す事が出来ない。

それで隣の人が玉を貸してくれたのだ。


換金すると一万円になった。

それがパチンコ中毒のキッカケだった。


パチンコにはまりだすと、毎月、数万円ずつ、損失して行った。

アルバイトでかろうじて生活を維持できている程度なのである。

その上、パチンコでの出費。

当然、やって行けるわけがない。


僕は、サラ金から借金をするようになった。

当時のサラ金の利子は、年利30%近くする。

百万円借りたら、一年後は30万円の利子が付く。


借金には二つある。

将来、返すあてのある借金と、返すあてのない借金。

僕の場合は後者だった。


一つの金融会社が借り入れ限度額に達すると、違う金融会社で新しく借金した。

自転車操業だ。


アルバイトは3年以上続いたところもあるし、3日で辞めたところもある。

でも、辞めても、他のところを探せば良いから、フリーターは気楽だった。

ストレスはパチンコで解消した。

この間の生活費の不足を補っていたのが、サラ金からの借金である。


こんな生活が7年続いた。

そして、Xデーがやって来た。

自転車操業の限界である。

借金は総額で三百万円になっていた。

一年間で百万円近い利子。

こんな利子、誰が返せるのか。


当然、お金の工面ができず、返済を滞らせた。

お金を用意するために、新しい金融会社に行くと、

すでにブラックリストに載ってしまっていた。


日々、金融会社から督促状が届くようになった。

もちろん、問題はそればかりではない。

絶対的生活費が足りないのだ。


金融を2件以上、利用せねばならぬようになったら自分の財政状態は限界だと思え。

すぐに債務整理しなければならない。

その頃、テレビで評論家がそう語るのを観た。

そんな事今知っても、もう遅かった。


パチンコをやめれば良かった。

でも、なぜかそれができなかった。

僕はもう少し努力すれば、パチプロになれると信じていたからだ。

パチプロになり、マンションに住み、ベンツも買えると信じていた。


生活費は足りないが、食費を削るわけには行かぬ。

必然的に、それ以外の支払いを停止した。

住民税、国民健康保険、電話代。


将来はどんどん不安になって行く。

この不安がさらにパチンコへの依存を強化させた。


決して、パチンコの腕が良くなっているわけではない。

パチンコをすればするほど、一定の率で負けている。

となると、投資金を増やせば、それだけ損失も大きくなる。


とうとう、僕は、家賃が払えなくなった。

アパートを出て行くしかなかった。


新しいアパートを借りるには、敷金礼金等が必要だ。

僕には、その金がなかった。


幸いな事に、その頃の僕のアルバイトはファミリーレストランだった。

もう、3年以上、働いて来た。

アルバイトのシフトを深夜に固定すると、

夜、泊まるところを探す心配はなくなる。

その代わり、昼間や休日は、身体を休めねばならないが、

それは、喫茶店や図書館がある。

喫茶店や図書館で日中過ごし、深夜はファミレスで働いた。


以前、ファミレスに勤めて2年ほどした頃だろうか、

一度店長に、社員にならないかと言われた。


店長は大変に人情のある人で、貧乏な僕が食事に不自由しないように、

いつも気を使ってくれた。


だが、僕は、社員になるという事は、副店長として、店の切り盛りをすると言う事だ。


料理作りからアルバイトの管理。

経営の責任ものしかかってくる。

何から何までやらねばならぬ大変な仕事である。

もうすぐパチプロになれると信じていた馬鹿な僕は、それを断った。


アパートを追い出され、家を失ってはじめて僕は、社員になりたいと思った。


だが、2年前とは、店長が代わっていた。

この店長は本部から来た人で、

店の売り上げ目標を達成する事しか頭にない、冷淡な人物である。

それに、その頃は、すでに働き者の副店長がいた。


この状態で、僕が社員にしてもらえるというのは、大変に難しい状況であった。

いつ社員にしてくるよう頼もうかと、ためらっているうちに、

日々が過ぎ去って行った。


そんなある日、店長に呼ばれた。

店長は言った。

「君は家が無いのか」と。


僕の服装が毎日、ほぼ同じである事。

夏場でも、あまりフロに入らず、臭気を漂わせている事。

毎日、喫茶店に行って、長時間を過ごしているところを、

他の従業員に目撃された事などにより、

店内で、僕がホームレスなのではなかと噂になったらしい。


僕は嘘をつけなかった。

店長は言った。

「住居の無い者は雇えない」と。

僕は、ファミレスを追い出された。


これはもう、盛岡に帰るしかない。

そう思って、僕は、実家に電話をかけた。


母が出た。


「どうしたの!ほとんど連絡して来なくなって。

何件も金融会社から電話が来ているんだよ。」


そうか。

やはりサラ金は、実家に連絡を入れて来たか。


突然、受話器の向こう側から、


「何をやってるんだ。

何のためにわざわざ東京まで、大学に行かせたと思ってるんだ。

もう知らん。勝手に生きろ!」


と言う怒鳴り声が聞こえた。


母は


「大変だったら、戻って来ていいんだから。」


と言ってくれた。


僕は


「そうだね。金融会社には、僕の事は知らないと言っておいて。」


と受話器を切った。


もう盛岡には戻らない。

いや、戻れない。

この時、そう思った。


だが、住居の無い者は、たいていのところは雇ってくれない。

僕にはもう、日雇いしかなかった。

毎日、携帯電話で仕事を貰い、現場に行く、日雇い派遣労働である。


昼間、日雇いで肉体労働をし、

夜は24時間営業の喫茶店や、映画館で過ごした。

ネットカフェが流行るようになると、そこで泊まるようになった。


ネットカフェは普通の喫茶店や映画館に比べ、格段に居心地が良かった。

一人につき、一ブースがあてがわれ、半個室状態になっている。

一晩、千円ほどで、ドリンクが飲み放題だ。

ネットカフェで、深夜、「ニュース日本」の立川クリスタルをテレビで観るのが、

その頃の僕の、唯一の安らぎだった。


人はどんな環境にも慣れてしまえるものだ。

僕は、この生活は何と一年、続けた。

もちろん、このままでいいと思って一年経過したわけではない。

少しずつでもお金を貯め、アパートを借りて定職を見つけるつもりだった。

だが、貯金など、まったくできぬまま、一年が過ぎた。


これではまずい。

何とかしなければならないと思っていた矢先、事件が起きた。


僕がお世話になっているのは、日雇い式の派遣である。

法律によると、派遣労働では重労働が禁止されているはずなのに、

その日は30キロ近くあるような重い荷物を運ばされた。

それも、一人で、である。


仕事の内容に不満を持ちながらも、仕方なく、荷物を運んでいたが、

嫌々やっていたせいだろう。

持ち方が雑になり、荷物を腰に乗せようとした瞬間、激痛が走った。

ギックリ腰である。


これで肉体労働に支障を来たすようになってしまった。


日雇いの派遣先に、できるだけ軽い仕事を回すようにお願いすると、

派遣先は面倒くさがり、あまり仕事をくれなくなった。


週に5日も仕事をすれば、なんとか毎日、ネットカフェに泊まれる。

でも、今は、週に2日の仕事がやっとである。

ネットカフェに泊まれない時は、

ハンバーガー屋で一夜をしのぐか、路上で夜が明けるのを待つしかない。

これでは立川クリスタルも観られない。


そんな状況がさらにひと月続いたが、さらに問題が生じた。

日雇い派遣では、携帯電話を使って会社と連絡を取り合う。

携帯電話が命綱である。

その携帯電話の料金を支払えなくなった。

銀行口座の残高不足で、引き落とし不能になったのだ。

かと言って、所持金は数千円しか無く、これを使えば生活すら出来なくなる。

仕方なく、ギリギリまで延滞する事にした。


何とか、携帯が生きている間に仕事を何本かすれば、

携帯料金を支払う事ができる。

そう期待したのだ。


だが、運の悪い時というのは、どこまでも悪いものだ。

仕事の少ない時期という事もあり、

派遣会社は、まったく僕に仕事をふってくれなかった。


一本の仕事ももらえぬまま十日が過ぎた。

この間、所持金を少しでも減らさぬよう、

一個百円のハンバーガーで一夜を過ごしたり、夜通し、街を歩いた。


いよいよ、所持金をつぎ込むしか無いと思ったが、

その金はもう、支払うべき額に足りなかった。

そして、携帯電話は使用停止になったのだ。


こうして、日雇い派遣の仕事すら出来なくなった時点で、

所持金は三千円しか無かった。


本当のホームレスにはなりたくない。

路上にダンボールを敷いて寝るなんて、考えたくもない。

だが、このままでは、間もなく、そうなってしまうだろう。


路上生活をするくらいならば、死んだほうがいい。

そうだ。

もう、僕は死ぬしかないのだ。


真面目に生きているのに誰も手を差し伸べてくれぬ、

こんな世の中で生きていてもしょうがない。


では、どうやって死のうか。

できるだけ他人に迷惑をかけず、静かな場所で死にたい。


そこで思い浮かんだのが、懐かしい母の故郷である。

僕が一番、子供の頃、心安らいだ場所だ。

あの家はまだあるだろうか。

まだ、あの家があれば、僕はそこで首を吊って死にたい。


そこに行くにはバス代が三千円かかる。

ちょうど、所持金は三千円。

よし。このお金でバスに乗り、あの家に行こう。


そうして、僕はこの場所に来た。

だが、その家はもう無かった。

ただあるのは、一台の手押し式ポンプだけだった。


ここでは死ぬにも、首を吊る場所もない。

木の枝を使うと、人目につきすぎる。

さらしものになるのは嫌だ。

他に死に場所を探すしかない。


僕は心の中で、祖父に別れを告げ、来た方向を、さらに進んで行った。

あたりはもう薄暗かった。


砂利道をずっと行くと、背丈の低い、山が近づいて来た。

この辺はすでに人家が途切れ、ひとけが無く、少し、気味が悪い。

だが、何かあるのではないかともう少しばかり突き進むと、

小さなお堂が視界に入った。


朽ちかけたようなお堂ならば敬遠したいところだが、

この辺は信心が熱い人が多いらしく、建物は比較的新しかった。

何やらそばでは清流の音がする。

おそらく、さっき渡った川の源がここなのだろう。


お堂の上には「弥生弁天」という看板が掛けてある。


かたわらに置かれた小さな石碑には、何やら文字が刻んである。

薄暗いし、文字も消えかかっているので、ハッキリと読み取れないが、


弥生村、子孫繁盛、五穀豊穣のため、元禄十五年、弁才天ここに勧請す。


だいたい、こんな事が書いてあるようだ。


元禄十五年、確か、赤穂浪士討ち入りの年である。

では、このお堂も、当時のままと言うわけではあるまい。

新しく建て替えたというわけか。


そう言えば、僕の母も「弥生」という名前だ。

これは何かの縁かも知れぬ。

ここで命を絶たせてもらおう。


そう思って、何のためらいもなく、お堂の入り口を開けて、中に入った。

お堂の広さは十畳ほど。

真っ暗で、木造建築独特の臭いがした。


死ぬ目的でこの地まで来たのだから、

僕はあらかじめ、ロープと新聞紙を用意して来た。

ロープは首にかけるため。

新聞紙は、汚物で床を汚さぬためである。


問題なのは、ロープをかける場所である。

僕はタバコは吸わないが、こんな時のために、

リュックに使い捨てライターを入れてある。


ライターでお堂の中を照らすと、はりがあった。

天上にある横木である。


後は台が欲しい。

あたりを見回すと、お堂の隅に、木で出来たみかん箱のようなものが置いてあった。

丈夫そうな箱だったので、これを台にしよう。


箱をつかって、梁にロープをひっかけ、その真下に新聞紙を敷いた。


準備完了だ。


パンパンと手の汚れをはらうと、背後でピシッと、火花の散るような音がした。

背中がぞくっとして、ライターの火で、視線を感じた方向を照らすと、

お堂の正面中央に、背丈1メートルほどの像が置いてあった。

古ぼけた女神の像で、水晶を埋め込んだ目がキラリと光った。

一瞬、さっと血の気が引いた。


これが弥生弁天か。

自殺する前に心臓が止まって死ぬかと思った。


なるほど、何の断りもなく、ここで首を吊ったのでは、

弁天さまもお怒りになるだろう。


神仏を信じない僕だが、ひとつ、ご挨拶をさせていただこう。


こう思って、弁天さまに手を合わせた。


「弁天さま。突然、お邪魔してもうしわけありません。

僕は生き方を失敗してしまいました。

父に反発し、つまらぬ意地を張り、

とうとう、ホームレスになってしまいました。

 これ以上僕は、この人生に意味を見出せません。

僕は、このお堂をお借りして、寿命を断とうと思います。

 ただ心残りなのは、母の事です。

母が僕の死を悲しんで、半狂乱にならぬか心配です。

どうか、同じ名前のよしみで、母をよろしくおねがいします。」


こう心に念じた。


神仏は信じないと言いながら、こうして手を合わせると、

ついつい、お願い事をしてしまうものだな。


いずれにせよ、これで死ねると思うと安心した。

すると、うとうとと眠気がさして来た。


少し寝よう。

夜中に起きて、それから死のう。

僕は弁天さまの前にあった座布団を枕に、横になった。


足腰を伸ばして横になるのは、本当に久しぶりだ。

なんて、気持ちのいいものだろうか。


この世に思い残す事があるとすれば、

実物の立川クリスタルにひと目会いたかったと言う事だ。

テレビの中の存在だったが、

絶望的な状況の中で、僕は彼女の笑顔に僅かな癒しを得て来た。


初秋。

少し肌寒い感じがしたが、ジャンパーを着込んでいるので、何でもない。

お堂の外では、清流の音と虫の音が絶妙なコラボレーションを生み出していた。


僕の意識は心地良く遠のいて行った。


「ちょっと。ちょっと。起きてよ。」


誰かが僕の上でそう言ってる。

若い女の声だ。

ビックリして上体を起こした。


そこには白いジャケットに白いスカートを履いた、

ハーフ顔の30才くらいの女性が立っていた。

大きな垂れ目で、鼻筋が通り、広い額は前髪に隠れ、後ろ髪は束ねられている。


あ、あ、あ、立川クリスタルだ!


「ここで死なれたら困るんです。」


「え、え〜!」


思わず、マスオさんのような返事が出てしまった。


「床汚れるし、長い間、遺体放置されたら異臭がするし。」


立川クリスタルがここに居る。

そして何か言ってる。


「自殺するなら、他でやってくれません?」


「・・・」


「聞こえてるの?」


「あの〜、立川クリスタルさんですよね?」


「違います」


「いや、立川クリスタルさんですよ。

だって僕は、毎晩、毎晩、テレビであなたの事を観ていたのですよ。

しかも、その彫りの深い顔。似たもの顔の他人なんて事は、そう無いでしょう。

色っぽい声や、語尾を低音で振動させるような話し方まで一緒なんですよ。」


「その“立川クリスタルさん”ってテレビの人?」


「自分で聞いてどうするんですか?

右翼テレビの深夜ニュースでキャスターをやっている、

フランス人と日本人とのハーフ美女、立川クリスタルさんじゃないですか。」


「そんなの好きなの?」


「“そんなの”って、自分の事じゃないですか。」


「私はクリスタルじゃなくて、ここのあるじ。」


「もしかして、あなたはクリスタルの双子ですか?

それで、ここが地元で、このお堂の管理でも担当してるのですか?」


「クリスタルとは関係ないし、管理は人間がやることです。」


「はい?」


思考が迷路の中に突入した。


いや、ちょっと待てよ。

何かがおかしい。


電気が点いているわけでもない。

月は照っているが、門は締め切っている。

堂の中は、ローソクも何も無い、まっくら闇なのだ。

それなのに、彼女の姿がくっきりと見える。


この女は生きた人間ではない。

幽霊か幻だ。


「私、幽霊でも幻でもないから。」


「じゃ、なんでございましょう。」


「当ててみて。」


「わかるわけないでしょう。」


「私は弥生弁天です。」


頭が狂った。

僕は死に際して、等々、頭が狂ってしまったのだ。


何としても正気に戻らねばならない。

何度も、自分のほっぺたを自分でつねったり叩いたりしてみた。

空を飛べるほど、頭をぶんぶんと振り回した。

それでも何も変わらない。


お堂の扉を少し開け、外を見た。

遠くに街灯の明かりが、まばらに見える。

静かな夜だ。


再び、後ろを振り返った。

彼女がこっちを見て笑っていた。

どう見ても、立川クリスタルだ。


しばらく沈黙し、考えてみた。

これは夢幻かも知れぬ。

だが、こうして死ぬ前にクリスタルに会えたというのは、

弁天さまの功徳かも知れぬ。

ならば、死ぬ前に、この幻と、少し、話をするのもいいじゃないか。


「大丈夫?」


「はい、大丈夫です。たぶん正気じゃないと思うけど、落ち着きました。」


彼女は、ロープの下に置いてあった台の上に、ふわりと腰をかけた。

その頭に、上から吊ってあったロープがぶつかった。


「これ、邪魔なんだよね。」


と手で払いのけると、梁にしっかりと結び付けておいたロープが、

魔法のように、さらりと床に落ちた。


この際、彼女にあれをやってもらおう。


「お願いがあります。」


「何?」


「その箱に右斜めに座ってもらえませんか?」


「こう?」


「そして、顔だけをこっちに。」


これだ、これだ。

生クリスタルだ。


「そして、“こんばんわ。立川クリスタルです。”と言ってください。」


「こんばんわ。立川クリスタルです。」


感無量である。


「うちの師匠のダンシが〜」


「タテカワか!余計な事、やらんでよろしい!」


「あの〜、いい?私、話があって、ここに来たんだけど。」


「どうぞ、どうぞ、僕の思いは遂げたので、お話ください。」


彼女は正面に向き直り、綺麗な真顔で言った。


「ここは死ぬために来る場所じゃなくて、生きるために来る場所なの。

どうやって生きていったら良いか、必死に模索する場所なの。」


説教である。

クリスタルの説教である。

ある意味、快感である。


だが、死ぬのはもう決めている事だ。


「どうせ、この世に必要無い人間など、どこにも居ないなんて言うんでしょ。」


「あなたが居なくなったとしても、世の中は何の変化も無いわよ。」


「???」


「世の中にとってあなたが必要なんじゃなくて、あなたにとって世の中が必要なの。

 生きるというのは、権利なのよ。」


今まで僕は確かに、世の中に必要とされて来なかったが、

必要の無い人間だと言われたのは、はじめてである。


「ちょっと聞いてもらえる?」


「はい。」


「あなたのお爺さんの事、知ってるのよ。お母さんの事も。

お爺さん、生まれながらに耳が聞こえなくてね。

こんな田舎で、そのハンディキャップは大変だから。

お爺さんは苦労して、苦労して、

毎日のように、このお堂にお参りに来てたのよ。

 何とか建具職人になって、ごはんは食べられるようになったけど、

耳が聞こえないんで、中年になっても、ずっとひとり身だった。

 ある日、このお堂に、30才位の女の人が来たのよ。

小さな赤ん坊を抱いたね。

 夜中だったよ。

ちょうど、今と同じ時期。

 この女の人も、その梁にロープをひっかけて、死のうとしていたわけ。

 赤ん坊をカゴに入れて、私の前に置いてね。

 続きはCMの後で。」


「CMいらないから。」


「それで、ビックリして、私は姿を現し、話を聞きましたよ。

 その女の人が言うには、毎日、亭主から暴力を受けていたんだって。

子供が出来れば、少しは父親らしくなって、

暴力もやめるかと思ったら、そうじゃなかったって。

 その時代は、今と違って、離婚なんて、簡単にできなかったのよ。

それで、その女の人は、

自分の住んでいるところから遠く離れた、ここに自殺しに来たの。

 私は一人の男のために死ぬのはバカバカしい。

この子のためにも、どんな思いをしても、あなたは生きるべきじゃないのか?

と説得した。

 次の朝、あなたのお爺さんがお参りに来たのよ。

そこで、お爺さんと、その女の人が出会った。

その女の人が、あなたのお婆さん。

女の人の抱いていた子供が、あなたのお母さんよ。

お母さんの名前が弥生なのは、この神社にちなんでの事。」


いい話じゃないですか。

やっぱり、タテカワ一門でしょうか。


そうか、弁天とは正確には「弁才天」。

しゃべりの達人でもあるのか!


「ご理解いただけました?」


「あの〜、なぜ、あなたはそんな事を。」


「だから、私、ここの弁天ですから。」


まあいい、まあいい、落ち着こう。

夢幻なんだから、何でもアリなのだ。

夢幻であっても、とりあえず、冷静に、彼女の言葉に耳を傾けようではないか。


「うちの母は、お爺さんの実の娘ではなかったんですか。」


「そう。でも、実の娘のように愛し、育てた。

 あなたには見えないと思うけど、

あなたの後ろにお爺さんとお婆さんがいるわよ。

あなたが死のうとしているから、心配している。」


エハラですか。


「霊ってものがあるのか無いのか、僕にはわかりませんが、

もし、祖父と祖母の霊が、本当にここに来ているとしたら、

申し訳なく思います。

でも、もう僕は死ぬしかない。」


「霊がいないとしたら、私だっていないはずじゃない。神も霊なのよ。」


「だから、僕にはあなたの事も信じられないのです。

僕は妄想しているとしか考えられないのです。

でも、たとえ妄想であっても、

最後に話し相手が見つかったというのは、うれしい事です。

だから、僕はこうしてお話させていただいているだけです。」


むくれた顔で彼女は言う。

クリスタルのむくれっ面。

幸せだ。


「あのね。わたしら神さまは、基本的には人に姿を見せないものなの。

たとえ、夢であってもね。

それは、姿を見せたり、声を聞かせたりしたら、人が混乱するから。

 あくまでもこの世の中は、人が主役なのよ。

そこに神さまが顔を出せば、人は必要以上に神さまを頼るようになる。

そうならないように、神さまは姿を現さず、声も聞かせない。

 それでも、私があなたの前に現れたのは、あなたが死のうとしているから。

緊急事態だからよ。」


「でも、僕にはあなたが神さまであるとは信じられない。

しかも、あなたの姿は立川クリスタルではないですか。」


「神さまには固定した姿形というのは無いの。

だから、相手の好みに合わせて、姿を変え、声を変える。

あなたが立川クリスタルという人が好きだから、

私の姿は立川クリスタルになるの。」


「ではファッションも?」


「そう。」


僕は必死に立川クリスタルの水着姿を念じた。


「神さまはそういう邪念には応じません。」


落胆。


「僕は昔から無宗教なんです。と言いますか、無神論です。

その理由は、もし神さまが本当にいたとしたならば、

人の願いは何でも叶って、この世に不幸など無くなるはずじゃないですか。

 世界中の宗教者は、世界平和を願っています。

でも、世界はいっこうに平和にならないじゃないですか。

 ということは、神さまはいないって事なんです。」


「親は子供の苦しみをすべて取り除いてあげる事ができる?

どうしようもできない事のほうが、多いじゃない。

神さまだって、人間を助けたくても、

どうにもできない事のほうが多いの。

 ましてや、神さまには手足が無いのよ。

どう助けろって言うの?」


「でも、千手観音って、手がいっぱいあるじゃないですか。」


「あれは人が勝手に造ったイメージ。

多くの人を救ってくれるという事の象徴よ。

 人間は、みんな、神さまに期待かけ過ぎ。

 幻想ばっかり膨らませて、勝手な願い事ばかり言って、

それで叶わないから“やっぱり神なんていない”とぬかす。チッ!」


神さまが舌打ちかよ。


「ところでお聞きしますが、もう一つ、日頃から疑問に思っていた事があります。」


「何でも申し述べてみよ。」


「世の中には、弁天さまをお祀りしているところがいっぱいありますね。

何箇所、何十箇所から同時に拝まれたら、あなたはどうするんですか?

聖徳太子のように、同時に聞けるんですか?

 それから、毎日のように多くの悩みが押し寄せると、

それに対応するのは、とても一人の身体では持ちませんよね。」


「弁天って言っても、一人でやってるわけじゃないの。

 そもそも、弁天って言うのは仏教上の名前だけど、

もともとはヒンドゥー教でサラスヴァティーと呼ばれていたの。

 このサラスヴァティーの名前とか、イメージとかも、人間が勝手につけたもの。

 でも、サラスヴァティー、つまり弁天に相当する神さまがいて、

弁天さま、助けてくださいと人々が呼びかけると、

応じてくれることになっているわけ。

 でも、一人ではとても対応できないから、

弁天さまは、自分と同じ性格の仲間に、お手伝いをさせているの。

つまり、同じような経験を積んで来た者たちって事。

 ちなみに、私もその一人。」


「それじゃあ、弁天さまって言うのは、もともとどんな方なんですか?

それから、あなたは、弁天さまのお手伝いをする前は、

何をやっておられたのですか?」


「弁天さまに限らず、神さま、仏さまと言われている方々は、

遠い昔は人間で、修行して煩悩を克服された方々なの。

 弁天さまは、人間だった頃、世の中のために貢献されて、

それで、弁天さまの死後、人々は女神として祀るようになった。

 仏教では、弁天さまは観世音菩薩の化身だと言う説もあるみたいだけど、

弁天とか、観音とかは、その時代、その時代に人間が付けた名前。

弁天も観音も水の神とされているでしょう。実体は同じなのです。

 私も数限りなく、何度も生まれ変わって、修行して来たの。

まだまだ未熟だけど、弁天さまが、

そろそろ私の仕事を手伝ってくれませんか?

と言うものだから、こうしてお手伝いするようになったの。

 そしてはじめて担当したのがこのお堂。

 三百年もこのお堂を守っている以上、ここで自殺者を出すわけには行かないの。」


弁才天なだけに、彼女は饒舌に話す。


「このお堂の開基は元禄十五年との事ですが、

赤穂浪士討ち入りの真相って知ってます?」


「あれは元禄十五年、パンパン、師走十四日、大石内蔵助率いる四十七士が〜」


「講談風でなくってもいいですから。」


「浅野内匠頭が吉良上野介に嫌がらせをされたというのは本当です。

でも、討ち入りは行けない事です。

吉良の家臣達は、何も悪く無いのですから。

後世の人々は、何の罪もなく、寝込みを襲われた吉良の家臣こそ、供養すべきです。」


「確かにおっしゃる通り。」


「質問はそれだけ?」


「もう一つあります。

 弁天さまは一人じゃないんだってのは、何となくわかりました。

 でも、神さまに手足が無いから、ほとんど人を助けられないとしたならば、

どうして、神さまという存在があるんでしょうか?」


彼女の表情が緩んだ。


「いい質問じゃない。

あなた、今、こうしてここで私と話をしているでしょう?

 私は手足を動かしていない。

でも、あなたとこうして意識の中で会話をしている。

これが神の役割なの。」


「ちょっと待ってください。

僕は子供の頃、神社にお参りに行った事があります。

でも、神さまにお参りに行っても、こうして神さまと対話することなどなかった。」


彼女は微笑し、


「幼いあなたはお爺さんとお母さんに手を引かれて、何度かここにお参りに来た。

そのたびに、あなたは、“お父さんがやさしくなりますように”

“お父さんとお母さんが仲良くなりますように”と祈っていた。

 そのたびに、私はあなたに

“そのためには、あなたはどうすればいい?”と問い掛けると、あなたは

“盛岡に帰ったら、僕がお父さんに、お母さんをいじめないように言います”

と答えたじゃない。」


「まったく覚えてません・・・

でも、僕がそう思ったとしても、僕の頭の中で思っただけで、

神さまと対話したわけじゃないと思います。」


「人は答えを、自分の思索の中だけで出したと思い込んでいる。

でも、気づかないだけで、神や先祖と対話した結果の答えである事も多いの。

 例えば、悩みを抱えて神社にお参りに行くと、

帰りには何らかの結論が得られる事ってあるでしょう?

それは、自分の頭だけで出した答えではなく、神さまとの対話によるものなの。」


「確かに、神社や墓参りに行った帰り、

すっきりと考えがまとまることはありますが、

それって、自分の思考だけで充分、得られる答えじゃないですか。

 神さまや先祖が入れ知恵してくれたとするならば、

もっと、自分では思いもつかぬような答えが出るはずでしょう?」


彼女は落ち着き払って言う。


「神さまは特別な入れ知恵などしないの。

人生の悩みに対する答えは、人間の中にすでにあるの。

でも、行き詰っている時は、その答えが見出せない。

 神さまは、その答えを導く手助けをするだけ。」


「つまり、ソクラテスの産婆術ですか。

相手が自分で答えを出すのを助けると言う。」


「そう。神が出来るのは人の心に問い掛けるだけ。

 人は問い掛けられた質問に対し、自ら考え、自ら答えを出す。」


「禅問答のようなものですね。」


「神と人との間で、それが意識されずに行われているの。

 神は常に適切な質問を出す。

 それであなたは本当にいいのか?

 それがあなたの成すべきことなのか?

 あなたは何か大事なことを忘れてはいないか? 

 神にそう問い掛けられた時、人は自然に考えざるを得ないの。」


これは世間一般で考えられている神さま観とは、ずいぶん、違う。

世間一般の神さま観は、パンパンと拍手を打って願い事をすれば、

それを叶えてくれる存在である。

だが、今彼女が話した神さまとは、人間の迷いをさますために、

声なき声をもって、ただ、適切な問い掛けをする存在に過ぎない。


昔、テレビで禅僧が法話しているのを観た記憶がある。

人間は誰もがすでに真理を抱いている。

だが、迷いのため、その真理に気づかない。

師匠というものは、的確な質問を与え、その真理を引き出すための役割をするのだと。


神さまも、禅の師匠と同じような役割をしているという事か。

などと思考をめぐらせていると、


「ちょっと待って。」


と告げて、女は突然姿を消した。

かと思うや、再び、姿を現した。

やはり、人間では無い。


「あなたのお母さんが、さっき私を呼んだのよ。

どうか、息子を助けてくださいって。

お母さんは、あなたが自殺でもするのではないかって心配している。

 あなたがもし死んだら、

このお母さんを不幸におとしめる事になるのよ。

それでもいいの?」


「しかし、僕にはもう、この世界は耐えられません。

まじめに生きている人間が損をし、

ずるがしこく生きている人間だけが得をする。

こんな世の中が嫌なんです。」


「あなたは五体満足でしょう。

それに大学も出ている。

 あなたのお爺さんは耳が聞こえなかった。

学問もしてないのよ。

 あなたはどれだけ恵まれているか。

それに気づかない事が不幸なんじゃない?」


「障害のある人に比べると、五体満足という事が、

いかに幸福な事かはわかります。

でも、他の五体満足の人々と比較しますと、僕の人生はまったくダメです。

 それに、大学って言いますけど、

今時期、大学など誰でも出ているので、何の自慢にもなりません。

しかも僕の大学は三流私大で、ありふれた経済学部です。」


「自分よりも恵まれている人と比較しても、キリが無いんじゃないの?

常に上には上がいるんだし。

上の人間と比較している以上、一生、満足って無いでしょう?

 それに、その三流大学にすら、入れない人がいるのよ。

大学の価値って、卒業証書だけじゃないの。

そこで学んだ事は、社会で役に立つの。

どんな学問でも、その学問の分だけ、人生観が広がるのよ。

 経済学部を出たおかげで、

あなたは自分が、なぜ、こんな状況におかれているか、客観的にわかるでしょう?

 あなたは、単に自分の努力不足でこうなったと思う?」


「僕に一番欠けていたのは、時代の見抜く能力や常識力だったと思います。

これは僕自身の努力不足です。」


「原因はそれだけ?」


「そうじゃありません。絶対的な椅子の数の不足です。

 社会において、正社員の椅子の数が、それを求める人の数よりも少ない。

 必然的に、その椅子にたどり着けない人が生じます。」


「そうよね。

たとえば、100人が正社員になりたいとする。

でも、80しか正社員の椅子が無い。

当然、20人は正社員になれない。

 では、この20人は努力しなかったのか?

そうじゃない。

 景気が良くて、100名が望めば100人とも正社員になれた時代よりも、

たぶん、この20名は努力したでしょう。

 努力しても負けた。

それが、椅子の絶対数の不足って事だよね?」


「80人乗りのバスに、100人詰め込んで、

座れないやつは努力不足だって言うのは、おかしい話ですよね。」


「にも関わらず、日本の元首相は、

“努力していない者が、努力している者を妬む風潮はおかしい”

なんて事を国会で答弁していたわけ。

いくら努力しても報われない社会を作ったのは、あんただって言うのに。

 この首相は私が責任を持って地獄送りにしますから。

どうぞ、国民のみなさま、ご安心ください。」


「・・・」


「あなたは、時代の見抜く能力や常識力が無いのは自分の努力不足って言ったけど、

20歳、そこらで、自力でこういうものを身に付けられると思う?

 こういうものって言うのは、両親や教師によって養われるべきものなの。

両親や教師に恵まれた人は、こういうものもしっかり、教えられるわけ。

 運の悪い子は、何も教えられて来ないまま、育つ。

 あなたの父親は厳格、というか頑迷だけど、

なんで、あなたを公務員にさせたかったか、わかりやすく教えてくれた?」


「いいえ。

安定した職業で、社会的地位もあるから公務員になれとしか、言いませんでした。

 ですが、今考えるならば、資本主義の中における企業という存在が、

いかに不安定なものかを父は理解していたのだと思います。

 ですから、資本主義の中でも左右されない、

公務員という仕事を僕にやらせたかったのでしょう。」


「本当ならば、資本主義とはどういうものか、

というところから親は子に教えるべきなの。

それをしなかったというのは、あなたはこの点で、父親に恵まれなかったという事。

 それは学校の教師も同じでしょう?

学校の教師も、社会について学んでない者は、こういう知恵を子供に与えられない。

ごく一部の意識ある教師だけが、こうした教育ができる。」


「つまり、僕の能力不足は、環境に起因するところも多かったって事ですか。」


「そう。

20歳くらいの子供が正しく人生を選択できるかどうかって言うのは、

親や教師の責任によるところが多いのよ。

 だから、あまり自分を責めたって仕方ない事。

もちろん、自分が馬鹿なところもある。

でも、そればかりではない。

人生って言うのは、自分の努力だけでは、

どうにもならない事のほうが多いものなの。」


「しかし、現実に、僕の状況は厳しい。

もちろん、必死に努力すれば何とかなるかも知れない。

でも、もう僕は、この競争社会ってやつに疲れたんです。

競争社会は“狂騒社会”としか思えない。」


「生きている以上、ある程度、競争があるのは仕方ない。

でも、今の世の中は、やたら競争が多すぎる。それは事実。

 だからと言って、自殺するというのはつまり、

自分の人生を、この世の中よりも

価値が無いってみなしているって事じゃない?」


「まあ、そう言われればそうかも知れませんが・・・」


「自分のいのちの価値を、自分で安く見積もったらダメ。

自分のいのちって、何よりも大切なものでしょう?

 社会が腐り果てていたからと言って、そのいのちを捨ててはいけない。

腐り果てた社会ならば、なおさら、自分のいのちの価値のほうが尊いでしょう。

 くだらない世の中のために、尊い自分のいのちを捨てたりしてはダメ。」


「観念としては理解できますが、

現実に、この世の中で生きて行かねばならないのです。」


「この世の中と、上手く渡り合って行くしか無いじゃないの。」


僕は少し腹が立った。


「渡り合って行くというのは、妥協すると言うことですか?

つまり、競争社会に飲まれろって事でしょうか?」


「妥協しなければならないところもある。

競争しなければならないこともある。

だけど、競争よりも、もっと大事なことがあるという事を、

あなたは知っているでしょう?

 それを大切に生きて行けばいいの。

競争社会に飲まれるのではなく、どうしても必要なところは競争し、

だけど、競争主義にならないようにして、

競争よりも大切な事を追求して生きて行く。

そういう生き方だってある。」


「そんな生き方、できるんでしょうか?」


「神さま、仏さまと言われている方々は、過去にこの世でそれをやったの。

あなたのお爺さんだって、そうやって生きて来た。

今でもそうやって生きている人も大勢いる。

あなたにだって生きる。

そして、それがどんなに幸福な生き方かって事も、実感できるようになる。」


「しかし、いざ、現実の波に飛び出すには、あまりにも壁が大きい。」


「何が壁になっていると思う?」


何が、壁か?


僕はここに到達するまで、再起するためのいくつかのチャンスがあったと思う。

そのたびに、僕はそのチャンスを逃して来た。

それは壁があったからだ。

一体、この壁は何だったのだろうか?


この壁について、僕は自分で考える事をやめていた。

なぜならば、それを考える事は、

僕自身の一番醜い部分と向き合う結果になるからだ。


でも、今、彼女に促され、この事に直面することになった。


「たぶん・・・」


「たぶん何?」


「それは僕のプライドでは無いかと思うのです。」


「具体的に話してみて。」


「つまり、僕は人に頭を下げるのが嫌いな男です。

だから、頭を下げて、人に詫びたり、お願いしたりすれば済むのに、

それをして来なかったがために、数々のチャンスを逃して来てしまいました。

 プライドが大きいというのは、つまり、

世間の人よりも、自分のほうが賢い、自分のほうが偉いと思っているのです。

 僕は、金や地位を振りかざして、威張り腐っているヤツを馬鹿にして来ました。

 でも、内心は、彼らも僕も同じだったのです。

自分が一番、偉いと思っているのです。」


「自分が馬鹿にしていた世間の人々と、

本質の面では、自分も何も変わらない。

そこに気づく事が真理への第一歩なの。

 世間の人に見ていた傲慢な部分は、実は自分の中にもあった。

そして、それが自分自身の活動範囲を狭めてしまっていた。

ならばどうする?どうすればいい?」


「傲慢な部分を取り除く。つまり、謙虚になる。

自分が大した人間じゃない事を理解する。素直に頭を下げる。」


「それが壁を破るって事。

自分が大した人間じゃない事を理解するのはもちろんだけど、

自分だけが大した人間じゃないと考えるのも間違い。

人間なんて、みんな大したものじゃないのよ。

所詮、みな、迷いを抱えた凡夫なのよ。

凡夫同士が助け合い、いたわりあって生きているのが、この世の中なの。」


「よくわかます。じゃあ、具体的に、僕は何をやったら良いですか?」


「何をやったらいいと思う?」


「・・・田舎に帰り、父と母に頭を下げます。すべてを話して援助を願います。」


「それしか答えは無いのよ。」


「はい・・・。」


「ちなみに、あなたはご両親が健在だからいいけど、

もし、ご両親がいなかったら、どうする?」


「行政、政治家、支援団体、昔の知人。あらゆるところに頭を下げて頼ります。」


「そう。生きて行く上で必要な事は、小さなプライドを捨てるって事なの。

頭を下げて、助けてくださいと言わなければ、誰も助けてはくれない。

それは世の中の人が冷たいのではない。

あなたも含めて、みな、自分が大事。

自分が大事と思っている人を動かすというのは、大変な事なの。

 神さまだって、神の名を呼んで救いを求める事をしてくれなければ、

その人の存在に気づかない場合だってある。

 それなのに、じっと一人で苦痛に耐えてがまんして、

後で、誰も自分を助けてくれなかったと、世間を恨む事はおかしいでしょ?」


目が覚めた。

彼女と話すことで、僕は自らの本当の欠点を知った。


僕はとんでもない勘違いをしていた。

その勘違いのために、僕は死ぬところだった。

救われた。

彼女に救われた。

彼女の洪水のような質問に救われた。


彼女は夢か幻か、そんな事など、もしかしたらどうでも良いことなのかも知れない。

確かに今、僕は、彼女と向き合う中で、僕の中から次々に思考が生まれ、

そして、それらが整理されて行く。


「お父さんに許してもらったら、その次はどうする?」


「まず、借金を整理します。そして、仕事を探します。

僕は、今まで自分が人から偉いと思われるような仕事をしたいと思って来ました。

でも、その考え自体がいやしい。

僕の嫌っている現代社会、そのものであると気づきました。

 自分の嫌っているものと同じ生き方をする。

これは完全に自己矛盾です。

 自己矛盾の生き方をして来たのですから、光が見えるわけがありません。

上半身と下半身がバラバラでは、どちらにも進むことなどできません。

 だから僕はもう、自分が社会に対し、嫌悪感を抱いているものを、

自分も抱き続けるという事をやめようと思います。

 つまり、人から偉いと思われるような仕事をしたいとは、もう思いません。

人から馬鹿にされ、さげすまれるような仕事であっても、

それが僕に向いた仕事であるならば、やらせていただきたいと思います。

 もし、そういう生き方を僕自身が選択することができたら、

きっと僕は、自分自身を誇りに思えるでしょう。」


何か、誓ってしまった。

カッコイイ事、言っちゃった、クリスタルの前で。

ちょっと照れた。

彼女は微笑んでくれた。


「私の今日の仕事はもうこれでいいかな。他にも行くところがあるし。」


「どこに行くのですか?」


「次の寄席」


「タテカワか!」


このやりとりが永遠に続いて欲しいと思った。


「僕は今日、あなたとお会いする事ができて、本当によかった。

本当につまらぬやり方で、命を捨ててしまうところでした。

夢幻ならば、覚めることは仕方ありませんが、願わくば、また、お会いしたい。

お会いすることはできるでしょうか?」


「私は今までも時々、あなたと会ってましたよ。

あなたが気づかなかっただけです。

それに、気づかれたら困るのです。

本当は、神さまが姿を見せるわけには行かないのです。

 でも、何かあったら、いや、何もない時でも、

いつでも私を呼んでください。

あなたの好きな呼び方でいいですから。

どんな遠くに居ても、必ず私はそばに行くでしょう。

そして、今日のように対話の相手になります。

ただ、対話しているという自覚は無いかも知れない。

それでも、それが神との対話と言うものなのです。

 だから、私の名を呼んだ時は、私の存在を感じてください。

私がそこにいると信じてください。

そうしてもらえる事は、私にとってもうれしい事なんです。

 無視されたとしても、存在を信じてもらえなくても、

神はその人との対話を試みますが、

その場合の対話は成立しにくく、また、とてもさみしいものなのです。

 どうか、私がいることを信じてください。

半信半疑であっても構わない。

それでも、少しでもいると信じてくれる心があるならば、

私たちの努力は報われます。」


「僕は今まで、宗教はアヘンだと思っていました。

 確かに宗教に依存し過ぎた人は、身を滅ぼしてしまう。

でも、それは神のせいではなく、神に過剰に期待した人の心のせいだったんですね。

 この世は生きている者のための世界であり、神はあくまでも補助者に過ぎない。

あくまでも道は自分自身が切り開くしかない。

そう気づいた時、初めて、本物の信仰が得られる。

 信仰というのは、即物的な現世利益を神に求める事ではない。

神の慈悲と智慧の中に生かされている事を知ると言うことなんですね。

それを知った上で、日々を戦って行くという事なんですね。

 それがわかれば、神を信じた事で、人生をしくじるという事はなくなります。

神を信じる事は決してマイナスにはなりません。

 それどころか本当に神さまがいるとしたら、

神を信じるという行為は、神さまを喜ばせ、

神さまと自分の絆を深めるという結果をもたらします。

 だから僕は、神を信じます。

 僕は一生、あなたの実在を信じ続けます。」


また誓ってしまった・・・


彼女はやさしい大きな垂れ目で、ニッコリ笑い、再び、箱に斜めに腰掛けた。


「それでは今夜はこの辺で。アドマ〜ン!」


「・・・」


気づいたら、僕は床に仰向けになって、お堂の天井を見つめていた。

扉が少しだけ開いていて、そこから朝日が差し込んでいた。

外から小鳥のさえずりが聞こえて来る。

清流の音が鳴り響いている。


やはり、夢だったのだろうか?


自分が梁にぶらさげたはずのロープが、床に落ちていた。

これは彼女がひらりと手で払ったものだ。


もしかしたら、ロープの結び方に問題があって、

ロープの重さで自然に落ちたのか?

だが、体重を支えきれるように、

何度も確認して、しっかりと結んだと思うが・・・


弁天像に目をやった。

あたり前だが、クリスタルではなかった。

だが、その弁天像の目はクリスタルそっくりの大きな垂れ目で、

やさしい微笑みをたたえていた。


ふと、ついさっき、自分で言った言葉を思い出した。


「僕は一生、あなたの実在を信じ続けます。」


僕は彼女に誓ったのだ。

だから僕は実行しなければならない。

これを実行しなければ、僕は神さまという存在どころか、

自分自身まで信じられなくなる。


僕は荷物を持ってお堂を出た。


砂利道をまっすぐ歩いて、実家の跡を通り過ぎ、

小川を渡って、郵便局のある角を右に曲がった。

そこから30mほど歩くと小さな商店がある。

弥生商店だ。


この商店で、僕はやらなければならない事があった。

商店の中を伺うと、爺さんが椅子に腰掛けながら、

デジタルオーディオプレーヤーで、何やら聴いていた。

たぶん落語だ。

タテカワかも知れない。


僕は爺さんに近づいて話しかけた。

僕に気づくまで、しばらく時間がかかった。


「え、あ、はい。何でごぜえやしょう?」


爺さんはイヤホンを外しながら言った。


僕は、自分の事を覚えているかと訪ねた。


僕の祖父、祖母、母と、弥生商店の爺さんは親しかった。

だから、爺さんは、すぐに僕の事を認識してくれた。


僕は爺さんに電話を貸してくれと言った。

お金は一銭も無かった。

持っていた僅かな小銭は、死ぬつもりだったので、

すべて弁天堂の賽銭箱に入れて来てしまった。


僕は電話で、以前、社員になるよう勧めてくれたファミレスの元店長に電話をし、

あとで返す約束で、バス代を郵便口座に振り込んでもらうつもりだった。


だが、電話代は爺さんに払えない。

爺さんは事情を聞いて来た。


母の実家があった土地までやって来て、しかも、一銭も持っていない。

不思議と思われるのは仕方が無い。


いちいち、説明するのは本当に嫌な事だと思ったが、

これも彼女と約束した事だ。

プライドという壁をぶち壊さねばならぬ。


「少し長くなりますが」と前置きしつつ、

勇気を出して、僕はこれまでの話をした。


ただ、彼女に会った話だけはできなかった。

この事は、生涯、僕の心の奥に大切にしまっておきたかったからだ。


自殺をやめたのは、弁天堂で一晩過ごし、秋風で頭を冷したからだと言った。


すると爺さんは、「ちょっとお待ちなさい」と、店の奥に入って行った。

しばらくして戻ると、僕に封筒を差し出した。


封筒の中には、三万円も入っていた。

僕が驚いていると、


「あんたのお爺さんとは、親友だった。

昔、あんたのお爺さんにお金を借りたんだよ。3万円ばかりね。

 でも、彼は死んでしまったから、ずっと返すことができないでいたんだ。

だから、このお金は孫のあんたに返すよ。」


そう、何食わぬ顔で爺さんは言った。


わかりやすい嘘だった。

しかも、田舎の90歳の老人から出るとは思えない、江戸っ子風の意気な嘘だ。

さすがに落語が好きなだけの事はある。


爺さんは、僕がさらした恥に報いてくれた。


自分の小さなプライドを壊せば、こんなご利益があるのか。

彼女はそれに気づかせてくれた。


お金を受け取り、「必ずまた、お土産を持って帰って来ます。」と

爺さんに告げて、商店を出た。

爺さんは最後まで、僕のうしろ姿を見守っていた。

まるで僕の本当のお爺さんに、成り代わっているかのようだった。


あふれそうになる涙をこらえながら、集落を抜け、

田畑の間を通ってバス停に向かった。


来た時とは異なり、心の底に、強い覚悟が生まれた。

爺さんから貰った三万円を使い、長距離バスに乗り、東京まで行き、

東京から盛岡まで新幹線で帰った。

料金が高くても新幹線を使ったのは、

自分の決意が変わらぬうちに、早く到着したかったからだ。


盛岡駅から路線バスに乗り継いで、僕は十年ぶりに、実家の玄関の前に立った。

一年以上、音信不通で、突然、帰って来たのだ。

中に入れてもらえるだろうか。

僕は急に不安になった。


「弁天さま。弁天さま。クリスタルさま。どうか僕を助けてください。」


大丈夫だ。

もし、家に入れてもらえなくても、僕のそばには彼女がいる。


僕は勇気を出して、玄関の呼び鈴を鳴らした。


インターホンから母の声がした。


「どちらさまですか?」


「僕です。」


しばらくすると、玄関のドアが開いた。

ドアのノブを押し開きながら、母が


「よく、、、帰って来てくれたね。」


そうひと言だけ言うと、声を詰まらせた。


「うん。」


僕も、これまでの様々な思いが瞬時に頭の中をかけめぐり、

そのあと、言葉をどう足したら良いかわからなかった。


母は肩を震わせていた。


僕は歯を噛み締めた。


家の奥から、父の声が聞こえた。


「何をやってる。早く入れてやれ。」


声に促されて、玄関を入った。

父は居間であぐらをかき、新聞に目を落としていた。

僕が、何を言おうかと考えていると、

新聞紙の上に、ポタリと水滴が落ちたのが見えた。


普段から口数の少ない父は、ひと言だけ、こう言った。


「悪かったな。」


その晩、僕の部屋のベッドの上で、テレビを観ていた。

僕がいつ帰って来ても良いように、

両親は、十年以上、部屋をそのままにしてくれていたのだ。


ニュース日本がはじまった。


ナナメ座りの弁才天が、大きな垂れ目でニッコリ笑った。

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― 新着の感想 ―
[一言] 眠れぬ夜中、というか朝に読みました。 スゴい小説に出会ったと感動しました。 神様の存在を信じてみたくなりました。 もっと先生の作品が見たいですコレからも頑張って下さい。
[一言]  ども、近藤です。  降参です。すばらしい。なんとかして一番乗りで評価したいと思ったけど、どうでしょう。  前半部分の暗さと、後半の半ばやけっぱちみたいな明るさが、作者さんの中でどうバランス…
2008/04/13 23:45 退会済み
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