第一話
※冬の童話2017のシナリオをお借りしています。
その日の空は、少年が知るどの空よりも高く遠く感じられました。
がたがたと揺れる荷馬車の後ろで、少年は父親が六歳の誕生日に買ってくれた帽子を押さえながらどこまでも高い空を見上げていました。
荷馬車にはたくさんの薪が積まれています。
昨日のうちに父親と二人で一生懸命積み上げた薪です。
今日はそれを町の問屋さんに卸してお金を貰い、そのお金でこの冬を乗り切るための食料を荷台いっぱいに買い込むのです。
去年まではどんなに父親にせがんでも町には決して連れて行ってもらえませんでしたが、六歳となれば仕事を覚えることのできる年には十分だと判断されて初めて荷馬車に揺られることができたのです。
少年は嬉しくて嬉しくて仕方がありませんでした。
あんまり馬鹿みたいに喜ぶので父親に呆れられてしまい、こっぱずかしくなって空ばかりを見上げていたというわけです。
『ねえねえ、それちょーだい』
いきなり目の前に現れたのは風の妖精でした。
小さな透明の羽をぱたぱたと忙しなげに動かして、妖精は少年が朝ごはんがわりにかじっていたりんごを指さして言いました。
朝ごはんを食べそこなった少年が、テーブルの上に置いてあったりんごを朝ごはん代わりに荷台の上で食べようと持ってきたものでした。
「うーん、これはちょっとあげれないかなあ」
『えー、ちょうだいよー』
ねえ、ねえとせがみながら目の前を往ったり来たりと飛び回る妖精に、少年はちょっとだけだよと差し出しました。
ありがとうという間も惜しいのか、妖精はりんごに飛びつくとしゃりしゃりと食べ始め、あっという間に食べきってしまいました。
少年の手には軸と数個の種と、お腹をぷっくりと膨らませた妖精がころんと転がっています。
「ああっ!……ちょっとだけだよっていったのに」
すっかりなくなってしまったりんごにがっかりしながらもお腹をさすりながら満足そうにため息をつく妖精の可愛らしい姿にしかたがないなあと妖精のお腹をちょんちょんとつつきました。
すると我に返った妖精が羽を広げて少年の手のひらから飛び上がろうとしますが、膨らんだお腹のせいでなかなか空へ舞い上がりません。
ころころと手のひらの上で転がっているのが精いっぱいのようでした。
「欲張るからそうなるんだよ。ちょっとだけっていったらちょっとだけにしておかないといけないよ」
少年はまるで母親が子供を諭すように風の妖精に言って聞かせましたが、肝心の妖精といえばぷぅと風船のように頬を膨らませて少年の手のひらでころころろ転がるだけです。
反省の色など少しも感じさせない態度に、少年はあきれ返るばかりでした。
「なんだ、どうかしたのか?」
手綱を握る父親が、荷台の後ろが騒がしいと気にかけました。
歌でも歌っているのかと思えばそんな風でもなく、小さな声で誰かに説教をしているようにも聞こえたからです。
息子以外に誰も乗っているはずもないのですが、息子はたまに独り言をいう癖があるものですから、悩み事でもあったのかなあと気になったのです。
「なんにもないよ、父さん。それよりもまだ町には着かないの?」
手のひらを揺らすと楽しそうに転がる妖精を見ながら少年は言いました。
赤ん坊のころから少年の目には当たり前のように妖精が見えましたが、そのことを母親に言っても信じてもらえずそれどころか男の子なのに夢見がちな子供だと笑われてしまったのでそれ以降誰にも妖精が見えることも話すこともできるのだとは言わないようになったのです。
今だって父親には妖精の声が聞こえていないだろうし、もし少年の手のひらの上を見ることがあってもお腹をぷっくりと膨らませた妖精をみることはできないでしょう。
「ああちょうどいい。そろそろ町がみえてくるころだ。薪の上によじ登ってみてごらん」
父親がそういうや否やぱああと晴れやかな笑顔を見せた少年は、妖精を荷台の上にちょんと置くと勢いよく薪の上をよじ登り始めました。
なにせ町に行くのは初めてなのです。
仕事のお手伝いとはわかっているものの、楽しみで楽しみで仕方がなかったのです。
少年の心臓はばくばくと大きな音を立て始めました。
父親は少年の姿を認めると、ほらあれがそうだよと指を指示しました。
指の先に広がる風景は、少年には家に一冊だけある本の風景画のように美しいものでした。
山麓に映えるオレンジ色の屋根の町。
数え切れないほど沢山の家と煙突から立ち昇る煙。
町の中心には町を見下ろすように巨大な塔が建っています。
少年は見たことのない風景に胸を躍らせました。
「父さん、父さん!!すごいね、オレンジの色の屋根なんて初めて見たよ!それにほら、あの街の真ん中にあるでっかい家はいったいなんの家なの?」
「でっかい家ってなんだ?」
父親は首をひねりました。
町の家はだいたいが大きく作られています。
でっかい家と言われてもどれのことを指しているのかさっぱりわからなかったのです。
「ええっ?あのでっかい家だよ。山の一本杉みたいな一つだけ大きな家!」
山の一本杉というのは家の裏山にある杉の木のことで、山の頂上で他の木を見下ろすように一本だけまっすぐ生えているので一本杉と名前を付けて呼んでいました。
そういわれると確かに山の一本杉のように見えなくもない家が町の真ん中に建っています。
ああ、なるほどな。
父親は少年が指をさした家を見て納得しました。
少年は建物をすべて『家』だと勘違いしていますが、少年の言う一本杉に似た家とはこの世界にたった一つしかない、大切な塔のことでした。
「あれは家とは言わない。塔っていうんだ。それにあれは塔は塔でも『四季の塔』だ」
「え! あれが『四季の塔』なの?!」
少年は目を見張りました。
この国の者であれば知らないものが誰もいない四季の塔がまさかこんなに近くに、それも町の真ん中にあるなんて思いもしなかったのです。
「じゃあ今は秋の女王様が塔の中にいるってこと?」
「そうだな。今は秋の女王様がいらっしゃる。でもこのところ一層寒くなってきたからもう冬の女王様がいらっしゃるのかもしれねえなあ」
「ふーん?」
少年は薪の上で寝そべりながら、四季の塔をじっと見ていました。
そうすることで塔の中にいる女王様が誰かわかるかもしれないと思っているようでした。
父親は塔を見始めてから考え込んだように一言もしゃべらない少年をちらっと横目で見ると、少年が薪から転げ落ちないように慎重に荷馬車を走らせるのでした。