第二章 谷村芹
あの月面の夢を見た日から、芦野の人生は一変してしまった。
気がつくと始まっている。たいていはどこか見慣れた街にいて、さまよっている。そして何かを探している。そんなふう始まる。やがて、自分のしている行為が無意味なことだと気づくと目が覚める。例えば、大昔に無くした文房具を探しているとか、誰かに会わなくてはいけないとか、そういう類の行為だ。
しかし街で出会う人間が、決して存在しない人間だとしたらどうだろう。夢の中なら何も不思議はない。よくあることにすぎない。
そうだろうか? この世で決して会えない人間に出会うのはありふれた出来事だろうか。そこで何も考えなければ、こんなことにならなかったかもしれない。しかしそれは始まってしまった。動き出してしまったら止められない。
そうするうちに防衛省の名刺を持った男が部屋を訪ねてきて、オペレーターにならないかと彼に言った。自分のしていることが「インテグレーション」と呼ばれていること、その能力を使える人間が「オペレーター」と呼ばれていることを知った。オペレーターの仕事とは、夢の中でしてきたことと、たいして変わらない仕事だった。
「こんなことは異例なんですが」
防衛省の男は繰り返した。
「内規違反ということですか」
「いえ、こういう事態は想定外ですから」
どうせ表に出ないだけで、さんざんやってきたことだろうが、男の調子に付き合うことにする。あまり表沙汰にはできない事案になるらしい。
「とりあえず情報通信研究機構の先端技術研究センターに期間職員で採用、という形をとります。IDカードは後日用意しますので」
「わかりました」
「それと簡単なテストを受けていただきます」
「テスト?」
「適性を見るためのものです」
男の言いたいことは要するに、男性オペレーターは例外的であるということらしい。芦野には申し出を断る理由などなかった。独立行政法人の職員といえば公務員に準する扱いになる。安定した収入をみすみす逃す気はなかった。なぜ内閣府の組織に防衛省の人間が関与しているのかはわからなかったが、その理由は組織設立の経緯にあった。そうした事情を彼がようやく理解したのは、入職して半年が経過してからだった。
いつの間にか、それは始まっていた。
どこかの街をいつものようにさまよっている。それは見慣れた街のようでいてどこか違っていて、たいていは何かを探している。景色は殺伐としたコンクリートのパッチワークで、彩りは存在しない静かな世界だった。これもよくあることだが、彼はエレベーターを探していて、今日も扉の前にきていた。
エレベーターが開くと彼女がいた。まともに目があうのは初めてだったので彼は驚いた。
「びっくりした」
声をあげたのは彼女の方だったが、驚いたのは彼も同じだった。会話の存在しない場所だと思っていたのだ。
「君は……」
といいかけて黙る。ここのルールをよく知らないからだ。喋ってもいいのだろうか? 何か影響はないのだろうか。もとの場所に帰ったときに。
喋らない方がよかったかどうかは、いまだにわからないままだ。
彼女の姿は消えてしまった。おそらくもとの世界に戻ったのだろう。エレベーターの床に何か落ちている。芦野はそれを拾った。その小石をよく見ると、何か文字が刻まれている。
Ad astra per aspera.
彼には読めないし理解できなかった。しかしこれを刻んだ人間には何か意味がある文章なのだろう。インテグレーション中にはそんなことがよく起こる。大勢の人間達の思念が混じりあい、漂っているのだ。様々な要素が結晶化し物質化している。
夢の中でよく見かけるものがある。そんなことはないだろうか。それは夢の中だけに存在する街かもしれないし、例えば好きな車や、風景かもしれない。あるいは人物ということもあるだろう。
この小石も、夢特有の出来事なのだろう。あの知らない女とのインテグレーションで見つけたということは、彼女の方に関係することなのかもしれなかった。二人同時にインテグレーションすることの副作用かもしれない。時間停止には、常にこうした不確定な要素がつきまとった。ときにもどかしさを感じることもあったが、何か理由がありそうな予感がするのだった。芦野にとって、インテグレーションと夢の境界は明確に区別できず、どこかぼんやりとしていた。
しかし彼女と芦野はJSTMOで再会することになる。新しいオペレーターは谷村芹という名前だった。
「インテグレーションを開始します。現在時刻は午後十一時三十八分四十秒です。開始一分前」
谷村芹の声が聞こえる。緊張が伝わってくる。彼女はまだ慣れてないようだ。当然のことだが、インテグレーションはオペレーターの能力が如実に出る。毎回、自己の能力が評価されるのだから、当然といえば当然だ。〈因果律〉のルールは最近は緩和され気味だとはいえ、世界秩序への挑戦であることに変わりはない。芦野は京都の町並みを見ながら、いつものように意識を集中した。新人と二人でインテグレーションするのは初めてだ。相田が何を考えてるのかはわからないが、京都まで来てテストしているということは、期待されているのだろう。できれば無事に帰ってきたい。
「何分まで大丈夫だ?」
「現在のマージンは三分です。申し訳ありません」
「いや、そこまではかからないはず」
そんな気休めを言ってみる。不確定要素だらけの作業で、予定どおりにいくことなど、ありはしない。それほどインテグレーションという行為は演算リソースを消費する。
「芦野さん?」
「はい」
「リソース不足です。あと二分いただけませんか?」
「いいよ」
といいつつ、少し不安になる。大丈夫だろうか。最悪、別のオペレーターに交代すればいいが、そんな目にはあいたくない。死者のうろつくあの世界で、あまり長居はしたくない。
「それでどの周波数を使うんだ?」
「ナンバーは三八〇です」
「それだとタイムゾーンはどこになる?」
「プラス八です」
それだとオーストラリアあたりか。近い場所なのでほっとする。地球の反対側あたりにはあまり行きたくなかった。芦野は手に持ったカード型ラジオを見つめた。古きよき時代を感じさせるプラスチック製ケースの表面に軽く触れてから、十字キーを押した。いつもの癖で十字キーの押し方にはこだわりがある。インテグレーションのような緊張を伴う作業ではそうした儀式が不可欠に思えた。AM、FMの横にUTCの刻印がある。芦野はUTCにあわせてからダイヤルを調節してデジタル表示を三八〇にした。ラジオは支給品で、必ず携帯しなくてはならない。データの記録がないとインテグレーションの報告ができないからだ。
「了解した。いつでもいいよ」
「十秒前からカウントします」
やがて芹は秒数を読み上げ始めた。
「十、九、八、七、六、……」
また、あの黄泉の世界をさまようことになる。
「二、一、シフトします」
次の瞬間、見慣れた風景は消え失せた。
しばらくすると目前に鳥居が現れた。京都の北野天満宮だ。
「オペレーター?」
「はい。現在地は北野天満宮の東門前です」
「了解。それで目的地は?」
「東に道はありませんか?」
「ある。二つあるけど」
「北側の方を進んでください」
北野天満宮の門前から道を東に進む。東側には上七軒という花街があるが、道は花街からはそれて京町家の並ぶ通りが続く。ふと空を見上げると月が見えた。朝のこの時間でも月が見えるのは、京都の道が碁盤上に東西南北に延びているからだ。芦野は京都に来ると、しばしば月を見かけることに気がついた。その原因が道路だとわかったのは最近だ。下弦の月はかすんでいたが、その姿を見ると不思議と落ち着いた気持ちになった。
「そこを右折です」
細い路地が道の南側に見えた。芹に言われなければおそらく通り過ぎていただろう。人一人がやっと通れるような細い道だった。両側のブロック塀に肩をこするようにして芦野は歩いた。
「そこです」
「これ?」
小さな祠の中に地蔵が祀られていた。京都では盆の時期に地蔵盆という行事を行う。そのため注意して見ると街のあちこちに地蔵がある。しかしこんな路地の中では、地元の人間以外知らないに違いなかった。だから相田はここを選んだのだ。芦野は地蔵の背後に手を入れてまさぐった。白塗りされた地蔵の顔を見つめながら手を動かした。指先がコインを探りあてた。今日のテストの目標だ。
「見つけた。任務完了だ。残り時間は?」
「あと十二秒です」
「了解。シフトしてくれ」
芦野はほっとした。歴史のある街にはあまり行きたくない。今日は甲冑姿の武者には会わなかったが、いつあの聞き慣れた重い金属音と足音が、塀の向こうから聞えてくるとも限らないのだ。
彼がそんなことを考えているうちに十二秒が経過して、無人の街は見えなくなった。
オリンピックで一時的に上昇した株価もすっかり落ち着きを取り戻し、東京は普段着の顔を見せている。それでも道を走る自動運転車を見ているとオリンピック前とは別の街になったのを感じる。
渋谷の交差点はいつものように人で溢れていた。芦野は急いで横断した。しかし違和感があって後ろを振り返る。
会話が聞こえてこない。自動車の騒音は聞こえるが、それに混じって聞こえるよく通る若い女性や子供たちの声が全くしない。ただの偶然かもしれないが。
しかし彼の偶然という名の思考停止は、死んだはずの祖父の姿を見かけたときに吹き飛んでしまった。存在しないはずの人間が歩いているという、物理法則の破壊を意味する現象をどう説明すればよいのだろう。
しかし見慣れたオペレーターを見かけて、ようやく現実感がもどってきた。
「こちらオペレーター。聞えますか?」
「聞える。テスト終了だ。そろそろもどりたいんだが」
「了解です。どちらのゾーンにしますか?」
「一時間前でたのむ。いつものように」
「了解。シフト設定します」
「設定できました。周波数は……」
彼は言われたとおりに調節した。設定先のオペレーターとリンクする。
「むこうはどうだった?」
そのなれなれしい声を聞いて、思わず大きく息を吐いてしまった。芹と青葉はあまりにも性格が異なるので、間違えるということがない。
「何よ。失礼ね」
ため息に青葉が反応した。
「これは申し訳ない」
「あんたもう少し態度を改めた方がいいわよ。私なしでインテグレーションできるの?」
「できるわけない。申し訳ありません」
いつものじゃれあいの後、彼は渋谷の街に実体化した。
相田の命令以来、インテグレーションは二人一組でないと許可されない。この日は、彼は青葉とインテグレーションのテストをしていた。
青葉はよく身長のことで木塚にからかわれていた。青葉は受け流していたが、彼女はからかわれるのが大嫌いだった。あえて木塚には言わなかったが、彼女は身長の低い人間によくあるように、非常に負けず嫌いで、激しい性格だった。後ろから見ると中学生にしか見えなかったが、整った顔立ちをしていたため非常にかわいらしかった。本人もそれを自覚していて、最大限利用していた。
性格が衝動的なため、わかりやすい。だから男にも理解しやすい。芦野は青葉を嫌いではなかった。JSTMOでは青葉はかわいがられていた。もうすぐ二十歳なのだが子供っぽくふるまい、休暇やシフトで無理を通した。菫の方が二歳年上だが、ずっと大人びて見えた。性格も対照的で、当然ながら二人は非常に仲が悪かった。
芦野が赤坂に帰ると、相田から芹を連れてサーバールームに来るようにと言われた。
芦野はドアに手をかけると階段をおりていく。さらに分厚いドアを開けると、サーバーラックからの轟音で芹が驚いたような表情をした。
室内には壁一面にモニターが並んでいた。二十台はありそうだ。リサジュー図形やスペクトル波形が表示されている。そして目前には白い、十メートルはありそうな正二十面体があった。
芦野はロッカーを開けてレインコートを取り出した。それは真黒で光沢はなく、ざらざらした生地でできていた。
「これを着てくれ」
とだけいって渡した。二人がレインコートを着てフードをかぶるとますます現実感がなくなっていく。まるで中世の教会を彷徨う修道士のようだ。
「ここは電界強度が強すぎるから。これはシールドコートだ」
そういうと正二十面体の一面に近づいた。ロックを解除すると、三角形の扉が開いた。中には細長い金属ユニットを複雑に組み合わせた構造物が設置されていた。アンテナらしきものの大きさは、五メートルはありそうだった。
「これは何ですか?」
芹は同じ質問ばかりしている。
「見てのとおりアンテナだ。正確にいうと重力波アンテナの一部。先月に完成したばかりだ。ストレインの観測精度は世界一らしいよ」
構造物の基部からモーター音が聞こえてユニットは方向を変えた。
「見てくれ」
芦野はそういって外の方を見た。壁面のモニターの波形は皆大きく変化している。
「これは重力波を計測しているんだ。オペレーターがインテグレーションすると、重力波が観測できるからね」
「重力波……」
芹は明らかに理解していないようだった。無理もなかった。いきなりそんなことを言われても理解できないだろう。彼も最初はそうだった。
「インテグレーションが同時に重なると、パラドックスが生じる。〈因果律〉が働くとパラドックスは解消されるけど、時間にずれができてしまう。まあ、一秒か二秒単位のずれだけど、今はまだ公表してないから、ごまかすしかないんだよ」
外に出るとモニター横のダイヤルを回した。波形がゆがんだ。美しい正弦波はやがて楕円形に変化した。
「このサーバールームと東京サーバーで事実上、日本標準時は支えられているんだ」
それから芦野は芹に携帯端末を渡した。昔のカード型ラジオのような外見をしている。
芦野には懐かしいという感覚すらない。現在ではラジオはアンティークマニアくらいしか所持していない。芦野の世代は、ラジオをネットでしか聞いたことがなかった。芦野は携帯端末をラジオと呼んでいた。実際ラジオとして使えるから問題はない。外で携帯端末などと呼ぶと、余計な誤解をされる恐れがあると考えたからだ。政府は少なくとも今は、オペレーターの存在を公表するつもりはないようだった、
芦野は芹に操作方法を説明した。まずバンドを選択する。AM、FM、UCTの表示がある。ラジオ放送を聞くこともできるが、この機能はダミーにすぎない。インテグレーション時はUCTにすると、日本標準時で時間停止中の行動が記録される。周波数が表示されるので調節する。周波数はオペレーターを区別するためのもので、十字キーを使って細かいチューニングができる。ラジオの記録がないと、インテグレーションの結果は重力波しか残らない。従ってインテグレーションにはラジオの携帯が義務付けられている。
なぜラジオが〈因果律〉を破って記録することができるのか、詳しい原理は芦野も知らないし、相田も教えてくれない。
「やってみれば、すぐにわかる」
そういってスイッチを入れるとすぐにノイズが聞こえた。
「今日は六四八だ」
ダイヤルを回すとノイズに声が混じりはじめた。
「ブラボー。チャーリー。リマ……」
「これは何?」
「コードだ」
「……聞こえますか」
突然音声がはっきり聞こえた。青葉の声だ。
「聞こえるよ」
「今日もいつもの八一〇で」
「了解」
「すみません」
「ん?」
「こっちの声が届くんですか?」
「違うよ。ラジオはインタラクティブじゃない。彼女が俺たちの声を聞いてるんだ」
芹は驚いて彼の顔を見つめた。彼は楽しそうに続けた。
「すぐに慣れるさ。それより周波数を忘れるないこと。今日は八一〇だ。忘れたら帰れなくなる」
芹はラジオを手に持って眺めてみた。特に何の特徴もない粗悪なプラスチックの塊にしか見えなかった。しかし、よく観察するとおかしな点がいくつかある。まずメーカーのロゴがどこにもない。芦野は裏蓋を開けてバッテリーを外したことがあった。バッテリーの裏側にはMADE IN USAの文字が刻まれていた。
最近の工業製品でアメリカ製の物はほとんど見かけない。なぜラジオはアメリカ製なのか。芦野が相田に質問するとそれはDARPAの製品だ、という答えが返ってきた。
オペレーターには周波数の好みがあるらしく、それぞれ異なる周波数を使うことが多かった。青葉は八一〇をよく使う。菫は一五七五で芦野は六四八だった。必ず固定されているわけではなく変更するのは自由だ。オペレーターの能力は感覚的な要素が大きく、区別ができればそれでいいと青葉は言った。対して菫はこだわりがあるらしく細かい指示が多かった。
オペレーターの力を使うと時間を止めることができる。時間が止まっている間は何をしてもいいが、条件がいくつかある。まず停止中は生物はいなくなる。彼らとは別の時間軸に入るためだ。時間軸はオペレーターによって選択される。だから見えるのは無生物のみになる。なぜか植物は見えるが、理由はよくわからない。さらに、もとの時間軸への復帰時にはタイムパラドックスが生じるような変更は許されない。変更しても強制的に現状復帰されてしまう。この世界の〈因果律〉は厳格に適用されていた。パラドックスは瞬時にキャンセルされて、「なかったこと」にされるのだ。無茶をしすぎると、帰れなくなるかもしれない。彼は自分が、「なかったこと」にされないように、細心の注意を払っていた。
しかし抜け道はあって、歴史を変更しない程度であれば変更は許される。加減を見極めてぎりぎりのトレードオフをさぐるのもオペレーターの仕事だった。
そして、生きている物はいなくなるが、死んでいる物は見える。これがやっかいだ。停止中に見える人間は全て死者で、見たところ生きているようにしか見えない。事故死したような場合はすぐわかるが、見てわからない場合は気をつけねばならない。
なぜ時間を止めることができるのか。現象は確認されたが原因は不明だった。わかっているのはオペレーターの能力で可能になるらしいということと、矛盾は絶対許されないということだけだ。オペレーターに〈因果律〉と呼ばれる法則は例外を認めない。なぜかと問うのは無意味だった。防衛省とDARPAは研究を続けているらしいが、有望な成果は出ていない。
相田が芹に重力波について説明しだしたので、芦野は帰ることにした。
外に出ると雨が降り出すのはよくあることだった。雨男というわけではない。雨はすぐやむし、予定が狂うこともない。
しかしそうした偶然に何か意味があると考えるようにしていた。なぜなら、雨の中に出かけてもたいていはうまくいかない。そして何かトラブルが起こる。反対に予定を変えると思わぬ発見や気づきがあり、かえって物事がうまくいく。そんな経験を何回かすると、雨の意味を考えるようになる。ただの偶然と思うのが普通だろうが、あまりにもその類の経験が多いと人間は意味を考えるようになるのだ。
そしてその日も、芦野が帰ろうとすると雨が降ってきた。彼は地下鉄へと急いだ。
地下鉄の駅のホームで芦野は腕時計の電話機能を使った。自宅のアシスタントプログラムに電話をする。
「俺だ。電話はあったか?」
「現在お預かりしているメッセージはありません」
「メールは?」
「現在お預かりしているメールはありませせん」
「そうか。あと一時間くらいで帰る」
「かしこまりました」
「それから神木青葉から電話があるかもしれない。それ以外はメッセージで対応してくれ」
「わかりました」
「今日は外で食べるから暖房はいらない。洗濯だけ頼む」
「お風呂はどうされますか」
「今日はいい。それから荷物が届くから、受け取っておいてくれ」
「わかりました」
電話を切ってから、どこで食事をしようか考えていると、ホームに列車が滑り込んできた。ドアが開いたときに、アシスタントに買い物を頼むつもりだった、と思い出した。後でまた電話すればよい。
菫の頬に湿った風が触れた。急に霧雨が降り出したが、生暖かい空気のせいで特に不快ではない。
彼女は見知らぬ場所に立っていて、視界には一面に墓石が並んでいる。気がつくと右手に柄杓を持っていて、墓石に水をかけている。ふと、これは誰の墓なのだろうと思い表面に目をこらす。刻まれた自分の名前を見ても特に驚きはしなかった。砂利の上に蜘蛛を見つけた。掌くらいの大きさで、思わず後ずさりしてしまう。水をかけると蜘蛛はかさかさと動いて墓石の裏に見えなくなった。見えなくなったので安心して再び墓石を洗う。それがすむと線香をあげた。砂利が乾いた音を立てる。男が一人、彼女のそばに立っていた。
「準備はいいかい」
いつもの声で男は囁いた。
「はい」
次の瞬間に景色は変わって、闇の中にいた。
広い平原の向こうに、山々の連なりが見える。菫にはいつもの場所だとわかった。
自分の影が地面に長い影を作る。不思議と落ち着く場所だった。遠くに見える山がランズベルグと呼ばれていることを知ったのは最近になってからだ。三千メートルを超える山脈はおよそ百キロ彼方にある。彼女はゆっくりと既知の海を歩いた。地球からは比較的なだらかに見える海だが、実際は無数に小さいクレーターがある。気をつけなければつまずくことがあった。左手には見慣れたあの人工物が見えた。月着陸船だ。不恰好な宇宙服を着て何か作業をしている人間が見える。
菫が月面に来るようになってそろそろ一年になる。ここは落ち着く場所だった。ここに来る理由はやがてわかった。それは発現した能力と関係があるようだった。ランズベルグの山肌を見た翌日から時を止めることができるようになった。
男はそばにいて、二人は平原を散策した。
「もうすぐその時がくる」
「それはいつですか」
「もうすぐだ」
男はそう繰り返した。しかし正確な日時は言わない。
「提案を受け入れる気になったかね」
「約束してくれますか?」
「もちろんだ。お父さんのことは必ず何とかする」
「……わかりました。協力します」
「では契約成立としよう」
男は右手を差し出し、二人は握手した。
「これですっきりしたわ。やっと自由になれる」
「あいつの下では、さぞつらかったろう」
「つらいなんてもんじゃないわ」
菫の顔はたちまちこわばり、額に深い皺が刻まれた。
「なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないの。あいつにこき使われるのはもうたくさんよ」
「君がそう思うのは当然だ」
「わかってくれますか?」
「もちろんだとも。ところで、初仕事をしてもらいたい」
「何をすればいいの?」
「JADGEシステムのアクセスコードが欲しい」
「それは何?」
「市ヶ谷のサーバーをハッキングしてほしいんだ」
男は優しくささやいた。
防衛省庁舎は警備は厳重だったが、オペレーターにとってはたいした障害ではない。適当な状況を作って正門さえ入れば、菫の能力を使えば造作もないことだった。指示されたサーバーにメモリーカードを接続して、データを移せばよい。教えられたコマンドを打ち込めば一分もかからなかった。庁舎に入るときと出るときにインテグレーションを行う。つまりインテグレーションは二回必要だった。〈因果律〉の効果を打ち消すため、一度インテグレーションを解除して、サーバーに電気を供給しなければファイルはコピーできない。それでも菫の能力なら問題なく実行できた。
地球上である時期突如オペレーターが多数出現し、自発的に運用組織が立ち上がった。
この現象の物理学的原理は解明されていないが、ランド研究所が中心となりインテグレーション検出技術が開発され、やがて各国に技術提供が開始された。
オペレーターはインテグレーション能力、通信能力の他、様々な特殊能力を持つ。いずれも時間に関係する能力であることが判明している。ただしそれは個人の資質に大きく左右される。やがてリゾルバーの存在が確認され、何らかの通信をすることで能力を増幅することがわかった。日本のリゾルバーは東京サーバーと呼ばれている。オペレーターが一時期、東京に集中していたからだ。
オペレーターは基本的には女性しか存在しない。年齢構成はおおむね二十歳以下である。その理由は不明である。出身地やその他民族的傾向などに特徴は見られない。
芦野はオペレーターでも特殊な存在だ。男性のオペレーターは全世界で彼だけである。年齢も二十歳をとうに超えている。インテグレーション時間も短い。研究サンプルにはならないという判断から、例外的に扱われていた。
現在日本の運用体制はリゾルバー一台とオペレーター四人で構成されている。比較的余裕のある人員構成だった。オペレーターは個人の才能に依存しているので簡単に補充できない。非常時に備えて予備のオペレーターがいた方がいいに決まっていた。
オペレーターは大陸ごとに配置されている。ヨーロッパ大陸と南北アメリカ大陸が多く配置されている。全世界で十二台のリゾルバーと五十二人のオペレーターで運用されている。
歴史的には各国が個別にリゾルバーを確認して運用していたが、アメリカ主導により運用ルールが確立された。やがてプロトコルも策定されて世界的運用体制が整った。
個別にインテグレーションを行うと標準時間に混乱を来す。そのためタイムゾーンごとに運用体制を整備する必要があった。世界標準時にあわせてグループが作られた。オペレーターの発生には偏りがあったため、組織を通じてオペレーターを融通することも可能だった。
日本の場合担当省庁下に運用組織が置かれている。日本標準時は情報通信研究機構(NICT)が管理しているが、総務省の所管である。一方で安全保障はいうまでもなく防衛省の所管である。総務省と防衛省のどちらの所管にするかで調整が難航した。結局、情報通信研究機構と防衛省情報本部から人員を参加させ、内閣府に統合標準時間研究対策室(JSTMO)を設置することで合意に達した。
芦野のインテグレーション能力は弱く、一分ですらひどく消耗する。JSTMOの四人のオペレーターの中では一番才能がなかった。リゾルバーとの通信も、ぼんやりした感覚でしかなく、体調まかせで不安定だった。
芦野はリゾルバーについて、一度青葉に聞いたことがあった。青葉の回答は曖昧なものだった。それは極めて直感的なコネクションで向こう側から一方的に押しつけられるような感覚らしい。彼女は通信に絶対の信頼を置いていて、その自信は彼女の態度から見てとれた。
「初期化の合図みたいなものはあるのか?」
「ないわよ。そんなもの」
「じゃあ、どうやって同期するんだ?」
「さあ。なんとなく」
「なんとなく?」
なんとなく〈因果律〉と会話していると彼女は平然と言う。芦野にもわからなくはない感覚だった。オペレーターにはどことなく巫女の印象と重なるものがあった。未婚女性という要素も共通している。彼女たちは本能的に操作を行う。結果的にインテグレーションが成功すれば何の問題もないのだ。
芦野はいつからリゾルバーと通信しているのか聞いてみた。
「そうねえ。もう三年になるかしら」
「……三年か。コンタクトはどんな感じだった?」
「多分みんな同じよ。いきなり。突然」
「……まあ、そんなもんだろうな」
理解を超えた存在との接触は古今東西そういうものだと相場が決まっている。歴史と文化を研究すれば、この先どうなるかは予測できるかもしれない。
もし歴史と異なる点があるとすれば、自然発生的ではなく、人類自らが望んで引き起こしている点だ。最終的な結果がどうなるかは誰にも予測不可能だった。芦野は彼女ともっと以前に会ったような気がしていた。どこかで彼女を見たとしたら、おそらくそれは月か、あるいは街をさまよっているときだ。自分の記憶の中だけの存在が実在していても、自然に受け入れている。最近のこの変化は青葉の影響かもしれない。オペレーターと接していると、自分が微妙な影響を受けているのを感じた。
「Multi enim sunt vocati,pauci vero electi」
「何だいそれ」
「わからない。ある日突然頭の中に浮かんできたの。それからしばらくして、リゾルバーとつながるようになったわ」
「……そうか」
芦野にはそうとしかいいようがなかった。たいてい、そんな風にして始まるのだ。超自然的現象とは、意識的な作用ではない。自動的に、無自覚に進行してゆく。彼もいつのまにかこうなってしまった。そして青葉も特に何の疑問もなくこの現象を受け入れた。女性の方がこうしたことを受け入れやすいのかもしれないが、素地があったということなのだろう。おそらく、だからこそ選ばれたのだ。
芦野は青葉に月の夢を見たことがあるかと聞いてみた。
「あるわよ」
青葉はあっさり認めた。月の夢と能力の関係は、彼女の話を聞いてもよくわからなかった。彼は菫や芹にも、いつか聞いてみようと思った。
「だけど、システムが来てからは違うわ。あれは機械だから」
「そうなのか?」
「うん。リゾルバーは人間だから勘でできるけど、システムはそうはいかないわ。人数まで制御できるんだから」
リゾルバーの実体は睡眠中の脳である。青葉の言うシステムとは携帯端末のことだが、実際には記録を残すデバイスにすぎない。脳を束ねてオペレーターに接続するのはリゾルバーである。オペレーターは地球の反対側で眠っている人々の脳資源をいわば無断使用しているのだ。
何処からか轟音が聞こえた。滝の音のようだった。彼は周囲を見渡したがもちろん滝はない。
部屋の壁は岩盤で覆われていた。目の前の壁だけが水槽になっており、そこから外光が差し込んでくる。光は弱く、部屋の広さも細部も滲んでよく見えない。彼は水面を見上げたが、水深は十メートルはあろうかと思われた。おそらくこの部屋は地下深くにあるのだ。水槽は巨大で奥行きはわからない。水槽の奥に壁があるはずだが水に溶け合いよく見えない。海月らしき深海生物が漂っているのが見えるだけだ。
壁は洞窟か坑道を連想させる岩盤で、削岩機で削られたような肌合いをしていた。巻貝の化石がいくつか露出していた。床の中央に石でできた巨大な巻貝があり、男が一人腰掛けていた。全く動かず石像のようであった。突然男が言葉を発したので彼はひどく驚いた。
「この深さでは地上の出来事はよくわからなくてね」
男の言葉は水音に交じり合い、壁に吸い込まれていくようだった。
「だから僕が来たのですか」
男はうなずいた。時間はまったくわからなかった。昼間のはずだが、深夜のような会話だった。彼は伝えるべきことを言おうとしたが言葉が出ない。頭の中が濁って水音が思考を押し流した。男の言葉は遠くに聞こえて、朧にしか意味を形成しない。鱶が水槽を横切った。ごぼ、と水が泡立った。自分と同じくらいの大きさで一瞬恐怖を感じたが、すぐに水音に溶けていった。男は無関心だった。ここではあらゆることがこのように霞んでいた。轟音が何もかもを押し流していた。鱶は見えなくなった。水槽がどれほどの広さなのか見当もつかなかった。ここにあるのは魚と石と水だけだ。男も石でできているかのようだった。
「隔たりを感じるかね?」
「それはどういう意味ですか?」
「何もかもが溶け合う。ここはそういう場所なのだ」
「滝の音が聞こえるのですが」
「そうかね? 私には聞こえないが」
彼が耳をこらすと音が変化したようだった。水音は囁き声に変わっていた。大勢の人間が遠くで何か話している。気管から漏れ出すような音から意味は読み取れなかった。どうやら知らない言語のようだった。響きは美しかったが聞いたことのない言語だ。
「この深さでは」
男はそこで言葉を区切った。
「言葉というかたちでは形成されない。言葉は全て音に分解される。原始にそうだったようにね。だから何かを伝えたいなら」
再び口を閉ざして、
「それは音のかたちをとらなくては」
それはどういう意味ですか、と言おうとして気がついた。声が出ない。いや、口から出てくるのはごぼごぼとした泡の音だった。そうか。そこでようやくわかってきた。これは音楽なのだ。
始め言葉は音楽だった。だからここでは言葉が意味を形成しない。何かを伝えたいなら音で語らねばならない。
「そうだ」
男はうなずいた。
「語りたまえ」
そこで彼は語った。口を開くと、ゆっくりと音が形成されてゆく。
25:e4:56:a1:6b:90:ce:f5:54:37:61:ca:a4:be:9a
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54:0a:b3:2e:0d:0c:db:c2:1f
出てきた音は直ちに数字に変換されていく。そして壁に、天井に、水槽に吸い込まれていった。数字の列は壁に走る無数の線へと変化してゆく。
気がつくと彼は石の巻貝に座っていた。男は水槽の前に立っている。
「問題をやってもらう」
「突然、何の話ですか?」
「ここにドミノがある。数字でもいいが、文字にしてみよう。このドミノには文字が書いてある。例えば……。
AC|B
このようなドミノが四種類あるとする。こんなふうにだ。
AC|B
AB|A
A|AC
C|ABC
そしてこのドミノを並べてリストを作る。上段と下段のリストをそろえる。たとえば、『ABC』だ。上下とも『ABC』にすることはできるか?」
「今日は眠いんだ。明日にしてくれませんか」
「いいからやるのだ」
そう言って声は問題を繰り返す。仕方なく彼は考え始めた。
「『ABC』にするのは無理でしょう」
「そう。このドミノでは無理だ。それでは『ABACAABC』はどうだ? ドミノは何枚使ってもよいとする」
「できそうだ……
AB|A
AC|B
A|AC
AB|A
C|ABC
でいいんじゃないですか?」
「正解だ。あるリストが与えられたとき、上下段をそろえる組み合わせがあるかは有限時間で計算できる。では、上下のリストが同じになる、〈全て〉のリストの組み合わせを知りたい。これを計算することは可能だろうか?」
「できそうですけど」
「それでは『ABABAACAABC』ならば?」
「それもできるでしょう」
「では、『ABABABBBBBCABBCCBCCBABABBCBBABABCBABABABABABABABABBBACABABACACCABBACABABACCAABCBABABABABCBCCBABABBCBBABABCBABABABABCBCCBABABBCBBABABCBABCBABABACBABABABABCBCCBABABBCBBABABCBAABCBBBCBABCBCCBABABBCBBABABCBABABABABCBCCBABABBCBBABABCBABBABABABCBCCBABABBCBBABABCBABABABABCBCCBABACCBBABCBBABABCBABABABAB』ではどうだろう」
「……」
「全てのリストの組み合わせを計算すアルゴリズムは存在しない」
「待ってください。どこかで似たような話を聞いたような気が」
「そうかね。とにかく、上下段が一致する、全てのリストを証明可能なアルゴリズムは存在しないのだ」
芦野は菫とインテグレーションのテストをしていた。
「どうしてここなんだよ」
「さあね。地下なら死人が出てこないからじゃない?」
「本当かな。もし出てきたらどうする?」
「とりあえず、私は一人で逃げるから」
菫と芦野は地下鉄永田町駅の半蔵門線ホームにいた。東京の地下鉄はたいていそうだが、このホームも地下百メートルにある。菫の話の根拠は深さにあるが、一九七九年開設だから四十年以上の歴史がある。死者が一人もいないかどうかなど知るすべは無い。
「そろそろ始めるか。どっちがメインだ?」
「もちろんお任せします。こんな場所で一人きりなんて、冗談じゃないわ」
「わかったよ」
芦野はラジオをジャケットのポケットから取り出した。ダイヤルをUTCにあわせる。
「現場に着いたか?」
相田の声が聞こえる。赤坂のサーバールームからだった。
「はい。今からです」
芦野はラジオに向かって言った。
「それで周波数は?」
周波数はオペレーターが選択できる。
「いつものように一五七五でいいわ」
「一五七五です。いつも通りです。ラジオの使用許可は?」
「ラジオじゃない。携帯端末だ。まあいい。端末の使用を許可する」
「了解です」
「いつでもいいわ」
「カウントどうぞ」
「開始十秒前。九、八、七、六、五、四、三、二、一、シフト」
芦野はホームにいた。照明は全て消えて、何も見えない。左手にLEDライトを持ち、点灯すると闇の中にホームが浮かび上がる。十秒前と違うのは菫がいないことと、ホームにいたはずの十人ほどの人々が消えていることだ。
「大丈夫?」
「問題なし。じゃあ始めるか」
「了解」
頭の中に菫の声が響く。コンビを組むようになってからはいつものことだ。
「反応があったのは、南北線の方よ。エスカレーターに乗って」
「了解」
菫の指示でエスカレーターに乗った。照明に消えた地下鉄で無人のエスカレーターに乗る。エスカレーターは停止しているから上らねばならない。芦野は暗闇は平気だった。それでもこの長いエスカレーターを一人で上るのは気味の悪い作業だった。特に濃い闇の中を一人で歩くには。
何も聞こえない。
光と音が消えてしまうととても同じ場所だとは思えない。突然都市雑音がカットされて耳が痛かった。三つの地下鉄駅が通路で結ばれた構造は複雑すぎて、記憶を頼りに移動するのは不可能に近い。菫のナビゲートがなければ目的地にたどり着くことなど不可能だ。
「それで場所は?」
「エスカレーターを上ったら左折して。二階上に上がってたらすぐよ」
芦野はライトの明かりで足元を確認しながらエスカレーターを上った。もう一度エスカレーターを上る。
「着いたけど」
「こっちの計算ではその辺りだけど」
光の中にエスカレーターが浮かび上がる。
「……何もないみたいだけど」
「おかしいわねえ」
「もう少し正確な位置はわからないのか?」
芦野はしゃがんでエスカレーターの手すりの下を探ったが、何も見つからない。
「これ以上の計算精度は無理よ。リソースが足りないわ」
「……これまでかな」
「仕方ないわね。室長に報告しとくわ」
「頼む。それじゃ解除してくれ」
「カウント十秒前。……五、四、三、二、一、解除」
芦野は再びホームに立っていた。照明の光がまぶしくてまばたきを繰り返す。ホームには人々が行きかい、アナウンスが大きくて耳をふさぎたくなった。菫の能力でインテグレーションは約二分。標準的なオペレーターは一分が限界であり、今回のようなオペレーションは彼女だからこそ可能なのだった。
彼はラジオの時刻表示を見つめた。周波数の下にUTCが表示されている。現在時刻はインテグレーション前から変化していない。見つめるうちに数字は動き出した。こちら側に帰ってきたのだ。
「どんな感じだった?」
「最悪だよ。真夜中にホームに来たような感じだった」
「まあ、それが仕事なんだから、仕方ないんじゃない」
菫は薄く笑った。
「今回はこれで終了。この後、赤坂で反省会だって」
「わかった」
ちょうどホームに滑りこんできた列車に乗って、二人は赤坂に向かった。