饕餮の法
「温羅殿、吉備の国の今の繁栄はあなたのお陰です」
百襲媛は静かに語りはじめた。
温羅は無言で頷いた。
「だけど、なぜ、饕餮の法など使ったのですか? あなたの魂は永遠に大地に縛られ、天に昇ることはできなくなるのですよ」
百襲媛は温羅を責めるように言った。
「仕方がなかろう。五十狭芹彦に勝ったとしても、大和はさらなる討伐軍を差し向けるだけじゃ。あれしか方法はなかった」
温羅の声は悲痛な色を帯びていた。
五十狭芹彦命、後の吉備津彦命は、孝霊天皇の第三皇子であり、四道将軍に任命され、山陽道の方面軍司令官として吉備に攻め寄せてきた。
四道将軍は皇族の将軍で、北陸道に大彦命、東海道に武渟川別命、丹波には丹波道主命が派遣されている。
『古事記』によれば、北陸道を平定した大彦命と東海道の武渟川別命が合流した地点が会津であり、地名の由来になっているという。
その進軍ルートは前方後円墳の伝播経路と重なっていて、大和朝廷の地方平定の様子をうかがい知ることができる。
「稚武彦とも猿王の件で因縁ができてしまったし、わしが死なねば収まりもつかなかったろう。死してなお、吉備を守るには饕餮の法しかなかった」
饕餮とは中国神話の怪物で、体は牛または羊で曲がった角を持ち、虎の牙を生やし、それでいて、人の爪、人の顔などを持つ人面獣身の神でもある。
殷周時代の青銅器に「饕餮文」と呼ばれるものがあり、魔を喰らうとされ、魔除けや祭祀に用いられたが、長江流域で信仰された神だとも言われている。
「……確かに、私もそれは分かっております。……ただの愚痴です」
百襲媛は思わず苦笑した。
「そなたの朱矢も堪えた。あれが敗因かもしれぬな」
温羅はかつて百襲媛に打ち込まれた朱色の弓矢の痛みを思い出しながら左目を押さえた。懐かしい記憶を思い出しながら。
「……これも愚痴じゃ」
温羅も思わず破顔した。