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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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8.ジェイドの告白(前)

 宮廷の裏にある大きな湖で、ルナはマーメイドの白い壺から水を分けてもらっていた。

「ありがとう」

 ルナがほほえみかけると、黄金の豊かな髪のマーメイドもにっこり笑って湖に帰っていった。

「薬はお水も大事だからね。後はこれを月明かりに三晩照らせば、上質な……あれ?」

大事そうに小さな(かめ)を抱えていると、目の端に妙なものが見えた。まるで強い蝋燭(ろうそく)の明かりのような、ぼんやりとした光が植木の向こうで(またた)いている。

「何かしら……?」

 近づいてのぞき込むと、周囲を植木に囲まれた草むらで、誰かが背中を向けて屈み込み、ブツブツ何かつぶやいているのが見えた。その彼の周りで、紫色の光の輪が広がると同時に激しい勢いで草花が枯れている。

「そこで何を?」

 ルナが思い切って声をかけた途端、術はぴたりと止まった。

「あなた誰……。どうして、草を枯らすなんてことをしてるの」

 男は分厚い本を片手にゆらりと立ち上がると、肩越しにルナを振り返った。少々長めの髪から垣間見える濡れたようにランランとした紫紺の瞳が、ゆらゆらと不気味に揺れる。彼の(まと)う妙な雰囲気とあまりに白い顔色に、一瞬ゾンビかゴーストかと思ったが、袖口には皇族のみにしか許されていない、バイコーンの尾の毛で施された刺繍が煌めいていた。

「ねえ、あなた……」

「――去れ」

 空気が擦れたかのような、ほとんど聞き逃しそうになるくらいの小声だった。だが、それが氷のように冷たく体を凍てつかせる。

 青年は分厚い本を、まるで人形を抱く子供のように胸に抱き、背中を丸めて帰って行く。どうにも動けず、妙な青年の背中を見つめ続けていると、上の方から大声が降ってきた。

「危ないっ!!」

「え……?」

 後ろを振り返った途端、こちらに向かってくる三本の矢が視界に飛び込んできた。突然のことに、体が竦んで動けない。

「きゃああああっ!」

 目をつぶって体を硬くした瞬間、けたたましい金属音と共に軌道が逸れ、矢は地面に突き刺さった。

「あっちゃ~、やべぇな、つい助けちまった」

 独り言のつもりなのか、その割には大きな声が聞こえると、上からストンと人が落ちてきた気配がする。ルナは恐る恐る目を開けたが、未だ心臓がバクバクとものすごい勢いで鼓動していた。

「怪我は?」

 テンガロンハットの青年が、重厚な銃をホルスターにしまい込みながら近寄ってくる。上から落ちてきたのはどうやら彼らしい。物騒なものを持っているが、不思議と危険は感じなかった。

「あの、いえ……あ、ありがとうございます」

「ごめん、たぶんこの裏にある鍛錬場からの流れ矢だ。時々びっくりするくらい下手な奴がいるんだよ……本当に」

 矢を見つめてつぶやく彼の声は、わずかに打ち震えているように思ったが、その表情は平然としていた。

 矢が飛んできたらしい方向を見るが、建物の間にも、木の連なる小道にも当然誰もいない。未だ矢に鋭い視線を送っている青年に向き直った。

「本当にありがとう。おかげで助かったわ。そうだ、あなたのお名前は?」

「え? えーっと……」

 彼は素に帰ると、気まずそうに言い淀む。何か思いついたようにテンガロンハットを左手で押さえ、右の口角を得意げに上げた。

「名もなきガンマンさ。あ、ヒーローの方が格好良かったかな。やっぱガンマンヒーローで」

「護衛の人?」

 ベルトに挟まっていた赤い腕章は、あちこちで見かける武装した官吏たちがしているものと同じだ。飛んできた矢の軌道を弾丸で逸らすほどの射撃の腕なら、きっとかなり上級武官だろう。

 ごまかそうとした割に、あっという間に言い当てられたのが恥ずかしかったのか、青年は人形のようにしばし無言で立ち竦んでいた。

「うん…………。フェリックス・アーネット」

「ルナ・クロエよ。よろしく」

 握手をすると、彼の無邪気な印象とは裏腹に、武官らしいゴツゴツとした手だった。

 

 ○$○$○

 

「おや」

 書庫を出たところですぐ、アルキスはジェイドに出くわした。というよりは、ジェイドが待ち伏せをしていたらしい。太い柱に寄りかかり、じっとにらみつけるようにこちらを見ていた。そばを通る上級文官らは皆恐縮つつも、物珍しいものを見たかのように通り過ぎていく。

 鏡宮から離れた位置にある書庫に、彼がわざわざ足を運ぶことなどないのだろう。

「奇遇ですね、皇子。このようなところでお会いするとは」

 アルキスは腕を組んだままそこを動かないジェイドに、にこやかに近づいた。

「それとも、他に何かご用でも」

  無言で歩き出すジェイドの後に、アルキスは大人しく続いた。

 

「お前は奴の助手なんだな」

 宮廷内の礼拝堂に着くなり、ジェイドは突然そう切り出した。

「奴とは?」

「とぼけるな。貴様は誰の助手だと言うんだ」

 整然と並んだ長いすの背もたれに、ジェイドは腕を組みながら腰を下ろした。皇帝の守護神を頂点とするゾロフィー皇教の礼拝堂は、夜の祈りの時間までかなりあるためか、ひっそりとして誰もいない。

「しかし、私はこう見えて、様々な方の助手を経験しておりますから」

「だから……ルナだ」

「ああ、お嬢様のことでしたか。確かに、執事兼助手をやらせていただいておりますが」

 アルキスも我ながら白々しすぎるとは思いつつ、相手の出方を窺いたいと自ら語りかけることはしない。それに彼は大切なお嬢様に無理矢理キスをして泣かせた相手、帝国第三皇子に対する敬意より、軽い復讐心の方が先立っていた。

「言っておくが助手。ここは礼拝堂だ。ここで嘘をつくということは、帝国の神や父たる皇帝閣下を軽んじ、妄言を吐くということも同じだ」

「もちろん、心得ております。週末の礼拝も欠かしてはおりません」

 アルキスの言葉に偽りはない。だが、医術師のような高等魔術を扱う者は、往々にして論理的でないことを忌避する。アルキスもその中の一人ではあるが、長く生きてきた経験から、こういったことには周囲に合わせるのが最良であると思っていた。

 ジェイドはどこか気まずそうに立ち上がると、正面の壁に掲げられた逆十字架の方へと歩いて行く。帝国内各地にある礼拝堂も白を基調とした造りだが、ここのは一際美しい乳白色であった。さすが本家本元であると、アルキスは舌を巻く。

 高い天井に響いていた、ジェイドの靴が音止まった。

「詮索するつもりは無いがその……。ルナとはどのくらいの、仲なんだ」

 肩越しにわずかに見えるジェイドの白い肌が、ほんのり色づいて見えるのは、高窓のステンドグラスから差し込む光だけが原因では無いだろう。アルキスはそれが分かっていながら、

「私がお嬢様の執事になって、かれこれ二年に」

 勢いよく振り返ったジェイドは、焦燥感に駆られたようなもどかしそうな表情をしていた。

「そうではない! ただの主と執事には見えんと言っている……」

「そうでしょうか。ごく一般的な主従関係の間柄だと思いますが」

「よく言う。名を呼んで親しそうにしているくせに」

 どうやら皇子は本気でお嬢様を……と、アルキスは口元を小さく緩めた。

「皇子、『ムドー』とは私の名ではなく、医術師用語の一つですよ。『師』や『先生』という意味です。あの方に医術を教えたのは私ですから」

「お前が?」

 アルキスは礼拝堂の壁を彩る、美しい神の使いの像を見上げた。その憂いの滲んだ表情が、どこか自分の心と重なり合う。

「本当は医術など捨てたつもりだったのですが……」

 意味が分からなかったのか、ジェイドは怪訝な顔で小首を傾げた。

「いえ、これでお嬢様が私を名で呼んでいるという誤解は解けましたか、皇子」

 ジェイドは決まり悪そうに目をそらす。

「い、医術師の資格の無い者が、医術を教えるのは違法ではないのか」

「その通り。場が場ですから、正直に申し上げましたが、どうか官憲局や保健府には黙っていてください。この歳で、牢獄には入りたくありません」

「だったら一つ教えろ」

 相手を射貫くような視線に貫かれる。ブルーの双眸が、逃げることを許さないと言っているかのようだった。帝国の英雄と言われるほどに、幾多もの戦を勝利に導いてきた若き司令官の目だ。

「あの女……ルナは、皆にそうなのか。あんなことを、患者のために血の契約まで交わすようなことを誰にでもしているのか」

「血の……」

 アルキスは平静を装いつつ、内心ひどく驚いていた。ルナからは、そんな話を聞いていなかった。おそらく叱られるのを恐れて黙っていたのであろうが、彼女の無茶ぶりは相変わらず肝が冷える。

「血の契約……お嬢様らしいですね、そういうところも。目の前の患者たちを、そのまま放っておけない性格の方です。相手が誰であれ、あの方は全力で向き合おうとするでしょう」

 そこが愛おしいのだが、とアルキスは師の顔をする。

「……『誰であれ』……か」

「おや、嫉妬ですか、皇子」

 ジェイドは、一瞬にして赤面する。

「き、貴様こそ何か誤解しているのではないか。誰があんな……」

 ジェイドは再び長いすの背もたれに腰掛けようとしたらしいが、慌てたせいか、一度座り損ないそうになっていた。彼はもはや国のために、ルナを手に入れたいと思っていないらしいと確信を持つ。それにかなり恋愛ベタらしいということも。

「何はともあれ、あなた様の病が治るまでのことです。それまでに、あなた様がお嬢様のお心を掴まない限りは」

「何のことだ。俺を(けしか)けているつもりか」

「いいえ、まさかそのような」

 しばし沈黙を置くと、ジェイドは床に視線を落として口を開いた。

「ここを出たら、どこへ行くつもりだ」

「おそらく帝国各地を転々とすることになるかと」

「旅の医術師にでもなるのか」

「そういうわけではありません。お気を悪くせずにお聞きください。あなたを治療した実績があれば、各国の領主や貴族らから治療の申し出が殺到するでしょうから。そしてあの方は、それを無碍に拒絶なさることはない。ここを出れば、もう滅多なことで会うことはなくなるでしょう」

 そこで、ジェイドの表情が目に見えて歪んだ。

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