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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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2.苛立ち

「行け! 怯むな!」

 若き指揮官の声が赤く染まる空に轟く。戦場と化した荒野は、剣のぶつかり合う金属音や砲撃、魔力による炎や水のせめぎ合いで(ひし)めいていた。馬蹄が地を揺らすように叩き、ドラゴンの翼が突風を引き起こす。

「この程度の小部隊、倒せずしてどうする!!」

 小部隊などと形容されるには、あまりに数が多かった。しかし敵方の戦意はすでに喪失され、いつ撤退の号令がかかるかだけに耳を傾けている。誰も彼もが、銀の甲冑を纏った若き司令官を恐れていた。

「退けえええ! 退けぇえええッ!」

 敵方の大将の声と、それに続く撤退を促す太鼓の音に吸い込まれるかのように、兵士らはゆっくり後ずさり、最後は逃げるように背中を向けて走り出す。

「あはははは! ご覧ください! 奴ら、尻尾を巻いて逃げて行きますぞ!」

 無骨な髭面男が、太い指で敗走する敵の背中を可笑しそうに指す。

「さすがは三の皇子! あなた様の戦のセンスには脱帽であります! たった一日で戦況がこれほど一変するとは! 城市からわざわざおいでいただいた甲斐がございました」

「この程度の交戦、土産話にもならん」

 司令塔の役割を果たしていた青年は、気だるそうに銀の甲冑を脱ぐ。金色の髪は月よりも美しく、花弁のような唇から洩れる吐息は血なまぐさい戦場に甘い香りを吹き込む。

 戦時以外は女の尻ばかり追い回している低俗な髭面男すらも、美しい物を畏怖するかのように息を呑んだ。

「さ、三の皇子、今宵は夜通し祝杯をあげましょうぞ!」

 周囲は勝利の余韻に酔いしれ、あちらこちらで賛同の雄叫びが上がった。

 ジェイドだけは、そんな気分ではなかった。しかし、まっすぐ帰ったところで、あの城に自分の居場所はない。

「三の皇子?」

「ああ。そ……っ……」

 ジェイドは突如前かがみになって胸を押さえた。

(またか……この痛み……)

 抉られるような、鋭い痛みが胸から全身を駆け巡っていく。

「お、皇子! 如何なされたのです!」

「触るな!」

 男の手を乱暴に振り払った。

「只今、衛生兵をお呼びいたします」

「構うな! ……このまま帰還する。竜車を用意しろ」

「は、はっ!」

 それを遠巻きに見ていた兵士らが、ひそひそと流言飛語を飛び交わせる。

「あのご様子……三の皇子が重い病に掛かっているという噂は、本当だったのか」

「そのようだ。ま、あのような義母や異母兄がいては、神経がすり減ってもおかしくあるまい。閣下は三の皇子をご寵愛遊ばれているゆえ、嫉妬や権力闘争の的となってもおかしくないだろうて」

「戦場の英雄も、女帝にゃ形無しか……」

「俺たち、今後の為にあまり関わらないほうがいいんじゃないか? 地方貴族の身なんだ、女帝殿に敵と見なされればひとたまりもない」

「よせ、聞こえるぞ……」

 ジェイドは胸を押さえたまま、苦しげに唇を噛みしめた。

 

 ○$○$○

 

「如何です、お嬢様。第三皇子のご様子は」

 アルキスは持参した特製ブレンドティーを淹れながら、難しい顔をして頬杖をつくルナに尋ねた。

「んー……さあ」

「『さあ』とは、聞き捨てなりませんね。お嬢様にも分からない病ということですか、それは厄介です」

 ルナは小さく首を振る。

「違うのよ、師匠(ムドー)。まだ診せてもらってないの」

 アルキスは女性よりも長い睫毛まつげの魅惑的な目を丸くし、驚きに手を止めた。

「ですがここへ来て、もう一週間ですよ」

「そうなんだけど……どういうつもりかしら。ったく」

 ルナは真っ白なカルテを見つめ、ハアとため息を漏らした。

「ですがお嬢様、それでは毎日、一体何をなさっておいでなのです」

 ここへ来てからというもの、ルナが毎日ジェイド皇子の秘書官だという眼鏡の一等官吏に連れられて部屋を出て行くところを、アルキスはきちんと毎朝見送っている。

 あれがジェイド皇子の診察のためでなければ、一体何なのだと訝しんだ。

「一日目は、皇子の誕生から今までの略歴だったわ。十歳の時すでに千の星の名前を言えたってことを、五回くらい聞いた。二日目は皇子がいかに素晴らしいかっていう逸話を延々と。孤児院をたくさん建ててどうのこうのって。確かにいい話だったけど、本をひたすら秘書官さんが棒読みしてただけだったから、感動したかっていえば微妙。三日目は皇子の輝かしい偉業についてのレクチャーで、四日目はその後編。あとは――もう忘れた」

 思い出すだけでげんなりする。

「まるで皇子に関する講義ですね」

 クスクスと笑うアルキスに、ルナは頬を膨らませた。

「もう、笑い事じゃないんだったら! 私は病を治しにきたっていうのに、皇子について学ぶ必要がどこにあるのかしら。昨日なんてお復習さらいとか言って、皇子の勝利した戦の名前を全部言わされるところだったんだから」

 ルナは真剣だが、アルキスはますます笑いの声を大きくする。

 丁度その時、コンコンとドアがノックされた。ルナは急いで座り直し、ビシッと小指を立ててカップの紅茶を飲む。

「どうぞ」

「失礼いたします」

 純白の長い髪の少女が丁寧に頭を下げた。ルナたちの部屋の担当、妖精族クラーラ・ノリスであった。ルナは令嬢スマイルを浮かべたまま、こっそりクラーラを上から下まで舐めるように観察する。

「あー、やっぱり魔界の人たちって綺麗すぎ。胸もすっごく大きいし。何? 何が違うの? コウモリの丸焼きでも食べればいいわけ?」小さくつぶやく。

「恥ずかしい嫉妬が丸聞こえですよ、お嬢様。それに蝙蝠の丸焼きは高級料理ですのでめったに食べられるものではございません」

 ルナにじろじろと見つめられ、クラーラは真っ白な肌を、恥じらいに赤く染めていた。

「ごきげんよう、姫」

 ルナは「姫」などと呼ばれ、最初は恥ずかしくて仕方がなかったが、今ではそういうあだ名だと思うことにしていた。何度言ってもやめてくれないのだ。

「ごきげんよう、クラーラ。今日も綺麗ね」

「い、いえ、あなた様には及びませんわ、我が愛しの姫」

 屈託のない微笑に、ルナは相手が同性と知りつつドキリとした。

「こ、これが世に言う、萌……。男にモテないんなら、いっそのこと、女の子に走ろうかしら」

「妙な鼻息を御停め下さい」

 クラーラはいつものようにシーツを取り換え、真っ白なタオルをバスルームに置いて出てくる。

「ねえ、クラーラ。私はまだ三の皇子に謁見できないのかしら」

「え……お聞きになっておられないのですか」

 クラーラは大きな瞳を一層見開いた。

「――? いいえ、何も」

 クラーラは言いにくそうに、少々肩を竦める。

「三の皇子なら……」

 

 ○$○$○

 

「ふむ……それにしても三の皇子はまだルナ姫にお会いにならないのか」

 元老院議長は、(たお)やかな長套を軽く床に撫でさせながら、磨きこまれた廊下を闊歩する。骨の顔が疲弊したように見えるのは、会議が終わったばかりだからというだけではない。

 元老院議長は、隣を歩く困惑気な第三皇子の秘書官、ロイ・スティングロッドを一瞥した。フランケン族のロイは、青白い細面(ほそおもて)に乗った、かなり分厚い眼鏡を面倒臭そうに上げてため息をついた。

「なんや議長、知りませんの?」

 ロイは長めの前髪をかき上げる。

「皇子やったらまた……まあたあッ、戦に出てはったんですわ。ルナ・クロエ様をどうにか落としてくれ言う話をした途端に」

「な……なんじゃと? 聞いておらんぞ!」

「まあ今回はケーン州の内紛を収めるための、ただの応援ですから」

「内紛ごとき、三の皇子直々の応援などいらぬだろうに」

「それを無理やり参戦するんが、ウチの三の皇子やないですか。各地を転々と戦にばっかり明け暮れて。皇帝になりたない、まつりごとに関わりたないっちゅう本音がスケスケですわ。まあ今回ばっかりは、それだけが理由やないでしょうけど。お陰でルナ様に、訳の分からん皇子談議で時間稼ぎを。エエ加減、ネタがありませんわ」

「いつまで女子を避け続けなさるおつもりなのやら」

「こっちとしても定期的に見合いパーティー開いたりと全力を尽くしてはおるんですが、あの通り固陋(ころう)なお方やから、パーティー中もずーっと御一人で……。小生(しょうせい)にもとても扱い切れません」

 幼少期からずっとジェイド第三皇子の傍に仕えてきたが、ジェイド皇子が元老院を始めとする周囲の意見をまともに聞いたためしなどない。ダメだと言えば強行し、いいと言えば取りやめる。

 ジェイド第三皇子が、まるで天の邪鬼のように振る舞う習性の持ち主であることは、元老院議長にも十分すぎるほど分かりきっていた。

 とはいえ容姿だけはずば抜けていい男だ。理知的な青い瞳に、透き通るような金色の髪と高い鼻梁。身長はすらりと高く、それでいて男らしい逞しさも剣術のセンスもある。

 黙っているだけで、それこそ蝶を吸い寄せる花のように女を惹きつけ、視線を流すだけでも誘惑的だと言わしめた。ジェイド皇子が本気を出せば、あんな田舎暮らしの医術娘など、簡単に結婚に持ち込めるはずなのにと二人は嘆く。

 重苦しいため息は、まるで計ったかのように二人同時に出た。

「三の皇子はまだお分かりにならないのか。元とはいえ、特級医術師の資格を持っていたというアルキス殿と深い繋がりを作ることの重大性を」

「御尤も。この帝国内も、特級医術師不足はかなり深刻ですからね。瀕死の重傷を一発で完治させ、魔力を底上げできる特級医術師がおらんと、兵力に影響が出る。何とかルナ様と結婚にこぎつけてもらわんと」

 元老院議長も歯がゆそうに顔をしかめた。


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