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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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終章

     

「ルナ……っ」

 アルキスの腕からルナを奪い、もうピクリとも動かないルナの額に自分のそれを押し当てた。

 まだこんなにも温かい。

 なのに、既にルナは。やっと見つけた愛すべき彼女は自分が巻き込んで殺した――

「ルナ……っ、ルナぁあ!」

 ジェイドは涙を零し、服に血がつくのも構わずきつくきつく彼女を抱きしめた。

「……い」

 何か聞こえた気がして、ジェイドは顔を上げる。

「痛い痛いーーーッ! 痛いったらジェイ!」

 涙目で痛みを訴えるルナは、しっかりと目を開き、しっかりとした口調で物を喋っている。

「ル、ルナ? 生きて……いる、のか?」

 ジェイドは一瞬、自分がショックのあまり白昼夢でも見ているのかと思ったが、フェリックスや、ハーディまでもが顎が外れんばかりに大口を開けてルナを凝視している。

 アルキスが申し訳なさそうに、指で頬を掻く。

「どうやらお嬢様は、気を失われていただけのようで……。お騒がせをいたしました」

「き、気を失っていただけだと?」ハーディは混乱のあまり声が裏返る。「だがこの出血量と、それにあれは確実に心臓を貫いていたはずだ! なのに何で生きていやがる!」

「何それ黒隊長。私が生きてて不満なの? ねぇ、ジェイ……」

 甘えるようにジェイドに縋り付く。

解雇クビだ、ハーディ」

「んなこと言ってねぇだろうが!」

「別に不思議じゃないアル」

 いつの間に、そしてどうやって牢獄から出てここへ来たのか。

 妙な中華服の男、消明がポケットに手を突っ込みながら不敵な笑みを浮かべて佇んでいた。

 中華帽に貼り付けられた札の両端から見える瞳は、相変わらず美しい。

「誰だ、貴様」

 ハーディが刺すような視線を送る。

協会ノアールのスパイです」

 アルキスの言葉に、ハーディは息を呑んだ。あの男なら見覚えがある。厨房で働いていた僵屍きょうし族の男だ。

 なのに、自分は一切あの男の素性に気づかなかった。只者ではない。協会はこんな男を飼っているのかと、こめかみを妙な汗が伝う。

「そんな怖い顔をせず、落ち着くアル」

 そんなハーディの心内を知ってか知らずか、飄々となだめるように、消明はヒラヒラと手を上下させた。

「それより、不思議ではないとはどういうことだ、劉」

 先を促すアルキスに、消明はまた不敵に笑った。

「どれだけ殴ろうと刺そうと、ルナは死ぬことがない。もちろん老いることもな」

「は……はああ!? ちょっとシャオ何訳のわかんないこ……いたたた……叫んだら傷口が」

「ルナの身体には、ポエニクスの涙が眠っている」

 傷口を押さえていたルナの目が、衝撃を受けたように見開かれた。

――ポエニクスの涙を探しに来たアル

 いつだったか彼は、そんなことを言っていた。 

「まさか。こ、こんな所まで冗談の続きを言いに来たの? シャオ」

 ルナの言葉に、消明が小首を傾げてみせる。その余裕ぶった所作が憎らしいほど美しい。

「なら、なぜお前は今生きていられるのか説明してみろ。心臓を貫かれ、これほどの出血をして生きていられるはずがないことは、お前が一番よく分かっているはずアル」

「それは……」

 ズキズキと痛む胸の傷に手をやろうとすると、先に小さな手がルナの傷口に当てられていた。

「リン、ちゃん」

 リンが触れたところから緑色の光が漏れ、あれほど深かった胸の傷が一瞬で治癒された。

「この子……医術が使えるの? 腕輪もなしに!?」

「俺にもこいつのことはよく分からない」

 消明はただ肩を竦めてそう言った。

 リンは治療が終わると、テテテと小走りで消明の元へ走りよってその足にしがみついた。まだ子供だというのに、何という高度な医術を操るのか。それにどうやって腕輪もなしに。

 先ほどの口ぶりでは、消明も本当に知らないのだろうが。

「話を戻す。きっかけはこの花アル」

 消明は手に月見草を持っていた。

「やっと見つけた山奥のポエニクスの涙の開発者の家には、たくさんの花があった。驚くことにそれは、一切世代交代をしないままに、美しい花を咲かせ続けていたアル」

「開発者は、実験の為に花に不老不死の術を施していたのね」

「ああ。だが目的はただ実験のためだけじゃない。開発者は妻が好きだったこの花を残そうとしたアルよ。ルナ、お前への最初で最後のプレゼントとして」

 突然出てきた自分の名前に、ルナは動揺を見せた。

「い、言ってることが分からないわ。それがどうして私へのプレゼントだなんて分かるのよ。まさか、私の人族名が『つきみ』だから? ほんと、考えが安直すぎるわね」

 やれやれ、と気抜けしたように嘆息した。

「分かるアルよ。ポエニクスの涙を編み出した医術師、レノスは、お前の父なんだから」

 ルナの身体に電流のような衝撃が走る。

「まさか……お父さんはただの没落元貴族よ? 間違っても新術なんて生み出せないわ。それに名前だって」

「いや、お前の言っている父は本当の父ではない。もちろん母親も」

 ルナは今度こそ訳が分からないと、引きつった笑顔を満面に貼り付けた。

「残されていた手記によると、六千年前、開発者夫妻の間に子供が誕生したアル。しかしその子は生まれつき身体が弱く、一歳の誕生日までもたない身体だった。だがどうしてもお前を生かしたかったお前の父は、すでに密かに作り上げた不老不死の術をお前に施した。だが、その術は人に対して使用するには、まだ不完全なものだったアル。副作用でお前は赤ん坊のまま深く長い眠りに落ちることとなり、夫婦が年老いてその寿命を全うしようという頃になっても、相変わらず赤ん坊の姿から成長することも、目を開けることもなかった。そこで夫婦はお前を交友の深かったクロエ家に預け、クロエ家当主が実の両親に代わってお前を代々見守ることになったアル。そして六千年の時を越え、お前の育ての父が当主になった頃、お前はやっと目を覚ました」

「なに……それ」

 指先がビリビリと震える。すぐに信じられる話では到底なかった。

 なのに、なぜか妙に説得力がある気がする。

「ムドーの家系は代々クロエ家の執事だったんでしょう? 知ってたの?」

 アルキスは首を横へ振る。

「いいえ。不老不死の術の希少性やそれを施されたあなたの身の安全を考え、おそらくクロエ家の当主のみに受け継がれていた秘密だったのでしょう。クロエ家の屋敷には、当主しか立ち入れぬ部屋がございました。そこにあなたが眠っておられたのかもしれません」

 アルキスも知らなかった、ルナの出生の秘密。続けられる消明の話に、ルナは自然と吸い込まれるように聞き入っていた。

「だが、お前の父は、不老不死の術を開発した当時は人に使用するつもりはなかった。『ポエニクスの涙』という術名も、時間や愛する者たちに取り残される孤独と寂しさに、永遠の命を持つ不死鳥ポエニクスが苦悩して涙するということから命名した程アルからな。恨まれることは覚悟の上みたいアルよ」

 それも実の父の手記に書いてあったのだろうか、とルナは思いなす。

「恨むなんて……そんな」

 ルナが生きていたと、感涙に震えながら自分を抱きしめていたジェイドの背に手を回す。フェリックスも、アルキスさえも目を涙で潤ませていた。

「こうして私が生きていることを、こんなにも喜んでくれている人たちがいるんだもん。私にとってその涙の意味は、きっともっと別のもの。感謝してるわ、お父さんには。でも……」

 押し黙ったルナに、一同は首を傾げた。何やら震えているようにも見える。

「いやぁー!」

 突如叫びだしたルナに、皆ビクリとした。

「もしかしたらジェイどころかムドーよりはるか年上なんてこと、絶対にいやぁああ!」

「仕方ありませんよ、お嬢様。いくら私でも六千……いえ、何も」

「何を言いかけたのか、はっきり言いなさいよ、ムドーっ!」

 ルナのどこか場違いな悲痛な叫びが、晴れ始めた空に響き渡った。


○$○$○


 数日後、宮廷は慌ただしさを増していた。

 もうすぐ皇太子任命の儀式、ナエンの儀が執り行われる。その準備に皆追われていた。

 衣装に飾り付けに料理。そのどれもが完璧かつ、最高級のものでなければならない。

 加えて、第三皇子完治の快気祝いのパーティーも今宵催されることになっていた。それが慌ただしさに拍車をかける。

 取り仕切るのは、一度は解任されたものの、その後あっけなく復帰した骸骨の元老院議長であった。クラティス第二皇子が女帝にそれを進言したしないの噂があるが、真偽は定かではない。

 もちろん、イーサン第一皇子のことは口外されてはいない。それぞれの胸の内だけに、秘められることとなった。

「シャオーおい、どこ行った! シャーオー! リンちゃーん!」

 厨房から飛び出してきた少年が、しきり誰かを探すように走り回っている。

「こんなクソ忙しい時に! シャーオー!」

 木陰で静かに本を読んでいたアルキスは、そんなせわしない少年を遠くから見つめていた。

「行かなくていいのか? 劉」

 本に視線を戻し、ハラリと細い指でページをめくる。

「もうここの食材には飽きたアルからな。そろそろ協会へ帰るアル」

 消明は木の上に寝そべりながら、新鮮そうなリンゴを頬張った。その傍で、リンも小さなリンゴを囓っている。

「劉、お前の言っていたことは常識を逸しているが、それで納得したこともある。お嬢様は、半人族にしては魔術の扱いが上手すぎると思っていたが、本当は純血の魔族だったんだな。それにあの医術のセンス。……父親譲りか」

「だろうな。いずれにせよ将来有望な医術師アルよ。アンタを越える素質がある」

「それは喜ばしい」

 アルキスは心からそう思っているらしく、優しい笑みを浮かべる。

「協会の間者たるお前の狙いは、最初からポエニクスの涙を身体に秘めたお嬢様だったんだな、劉。考えればそうだ。お前が皇子と接触を図ろうとする気配は全くなかった。私としたことが、皇子の病にばかり気を取られすぎていた」

 消明の札の下に隠れる均整の取れた顔には、微笑がゆらめていていた。

「ルナは非常に興味深い素材アル。俺と大人しく一緒に協会へ来てくれると、非常にありがたい」

「それには少し、先を越されたんじゃないか」

 アルキスが見上げた先には、屋上から庭を見下ろすルナの姿があった。


○$○$○


「ルナ」

 ルナが屋上で穏やかな風に吹かれていると、ジェイドに名前を呼ばれて振り返った。

 ジェイドはルナの髪にキスを落とし、ルナも恥ずかしがりながらもそれを大人しく受け入れ、彼からの抱擁にも嬉しそうに応える。

 ジェイドとルナの二人は、傍から見れば完全なる恋人同士だった。

 手を繋ぎ、見つめ合いながら庭を散歩し、時には人目を避けるように物陰へ行って口づけを交わす。

 ジェイドの表情が以前とは比べものにならないくらい柔らかく、豊かになったのは、病気が完治したことだけが原因ではないと誰もが分かっていた。

 だが、彼女の足元には、旅行用トランクがぽつんと置かれてある。

「もう、行くのか……」

「ええ」

 ジェイドは後ろ手に持った指輪の箱を、ルナに気づかれないよう所在なさげに指先で弄んだ。

「出発はナエンの儀を待ってからでいいだろう。せめて今夜の俺の快気パーティーに出席してから」

「そうしたいところだけど、私を待ってる患者さんたちがいるから。あなたを助けたっていう噂が凄い勢いで広がってるみたいだし」

「そうだな。お前のお陰で、俺もこうして元気になった」

「どうかしら。呪詛はかけた者が死ぬと、持続性を失ってやがて自然消滅するのよ」

「いや、お前のお陰だ、ルナ。ありがとう」

 感謝を込めてルナの唇にキスを落とす。

「どういたしまして」

 だが、にっこりと微笑むルナの表情が、一瞬曇った。

「あのね、ジェイ話が……って、何をそんなにそわそわしているの?」

 何かを切り出しかけたルナが言葉を切るほど、ジェイドは先ほどから腰の据わらない様子だった。

「お、覚えているか。俺たちが血の契約を交わしたこと」

 ルナがジェイドの信を得る為に、出会ったその日に交わした契約。

「え、ええまあ……。私があなたの病を治せなかったら、確かアトラント山に住む魔獣に私の魂を食べさせるってやつでしょう?」

「契約書の内容を見てみろ」

 ルナは今更それがどうしたと訝しく思いつつ、やけにジェイドが真剣にそう言うので、トランクを開けて契約書を開く。

「えーっと、この病を治せなかった時、上記の者は……」

 文章を追っていたルナは、ハッと息を呑んだ。

 驚いて声を詰まらせるルナの言葉の後に、ジェイドが続ける。

「残りの命が尽きて棺に入るまで、契約者と共に過ごすこと。一日も、一刻の時を空けることなく。……共に」

「な、何で? 言っていたことと違うじゃない」

 ジェイドは照れくさそうに咳払いし、ルナを見つめる。

「正直……あの時から俺はお前が気になっていた。どうせ死ぬなら、最期はお前のような女に傍にいて欲しいと思ってそう書いた」

 ルナはカッと頬を赤らめる。

「う、嘘……! あの時からって……だ、だって、散々元老院がどうとか言ってたじゃない!」

「お前のような女は見たことがなかったからな」

「そっか……。女嫌いだと言われていたジェイド第三皇子様が、先に私を」

 ニヤニヤと嬉しそうに自分を見つめてくるルナに、ジェイドは気まずそうに視線をそらす。

「や、病は治って契約書は意味を失ったがルナ……」

 ジェイドは意を決したように、ルナの前に指輪を差し出した。美しい、永久の輝きを放つ言われる宝石が、太陽の光を受けて一層の光輝こうきを放っていた。

「俺の妃になって、これからもずっと俺と共にいてくれ」

「ジ……ジェイっ。これって……プロポーズ?」

 涙ぐみながら顔を上げたルナの唇にキスを落とす。

「ああ」

「嬉しい……」

 頬を紅潮させ、可愛く感涙するルナに、ジェイドはたがが外れたように夢中で口づけ、しばらく彼女を放そうとはしなかった。

「これでお前は俺のものだ。どこへ治療に行っても、必ず俺の元へ帰って来い。いいな」

 ジェイドはルナの左手薬指に、指輪はめようとした。

「待ってジェイ。その前に話があるの」

「話? 何だ、俺を焦らす気か?」

 口調とは裏腹に、ジェイドはルナが手に入るという嬉しさからニヤニヤが止まらない。そんな彼とは逆に、ルナは真剣だった。

「私、夢があるの。この世界で医術を特別じゃないものにしたい。誰もが平等に医術を受けられる社会にしたいって夢。だから……」

 ジェイドの服の襟を引っ張っぱると、彼の唇に自分のそれを押し当てた。

「じゃあね!」

 そう言って屋上を走り出す。

 ルナからキスされた嬉しさで、一瞬呆然としていたジェイドがハッと我に返ってその後を追った。

「『じゃあね』? ル……ルナ!? 治療が終わったら、戻ってくるんだろう? 新しい夫婦生活のために、ベッドも新調したんだぞ!」

「私、医術師協会へ行くわ! だからごめんなさい!」

 走りながら答える。

「ご、ごめんなさいだと? そんな言葉で俺のプロポーズを蹴る気かルナ! おい!」

「だって協会と帝国は相容れない仲だし、仕方ないじゃない」

「お、俺は次期皇帝だぞ!? こんなに見てくれもいいだろうがっ。後悔するぞ!」

「へぇ、そう。じゃあねぇー、イケメン皇子様」

 ジェイドに捕まりそうになったルナが屋上から飛び降りると、子供ドラゴンのカリメラに乗ったアルキスが上手に彼女をキャッチして浮上する。

「待てルナ、もうお前は俺の女だ! お前が何と言おうともはや関係ない!」

 屋上の手すりから身を乗り出し、ジェイドは力の限りそう叫んだ。

「何言ってるの、ジェイ? 何度も言ってるでしょ。私たちはただの医術師と患者だって!」

「心配ないアル皇子。ルナは俺が可愛がってやる。ベッドは一人で使え」

 別のドラゴンに乗った消明が、肉まんを頬張りながらカラカラと笑う。

「ふざけるな! 誰が渡すか! 絶対に逃がさないからな! 絶対お前と結婚してやるからなああ!」

 涙を拭い、ジェイドの叫びを背中に聞きながら凜然と飛び去っていくルナは、後に伝説とまでいわれる女医術師にまで成長することを、今はまだ誰も知らなかった。



                ――完――

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