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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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19.ジェイドの決断

 ハーディは大貧困街アヴェーラの空を見上げた。

 高い建物で囲まれたこの街の空は、はさみで切り取られたように狭い。だが幼い頃は、この空こそが唯一彼の知る空だった。

 ここで生まれ育ったハーディは、生きるために剣を覚え、生きるために斬り続けてきた。血を浴び、物を盗み――それが当たり前の日常だった。

 いつしかそれが、地下街に巣くう闇組織らの抗争に加わるまでに発展し、体中傷にまみれ、命を狙われる日々に身を置こうとも、それ以外の生き方など知らなかったし、知りたいとも思わなかった。

 そんな自分が宮廷仕えの護衛隊長としてこの街に戻ってきたのだから、運命とは実に数奇なものだと、自嘲めいた笑みを浮かべる。

「なあ……言っていいか、隊長」

「やめろ、フェル。俺も柄にもなく回顧なんかして、考えねぇようにしてんだ。台無しにしやがったらぶち殺す」

「いや、でもどう考えたってこれさぁ……」

 フェリックスの情けない声音に、ハーディは舌打ちをしてイライラと足を止めた。

「何なんだ、貴様らは!」

 バッと勢いよく振り返ると、女たちがぞろぞろ列をなして着いてきている。しかも皆一様に恍惚とした表情をし、胸の前で指を組んでこちらを見つめていた。

 美しくも冷たい氷柱つららのようだと謳われるハーディの鋭い目元が、たじろいだように引きつる。

「ったく、隊長の女ホイホイ力はすげぇな」

 フェリックスは呆れたような感心したような目で女たちを見ながら、テンガロンハットの縁を押し下げた。

「うるせぇ、誰も望んでやってんじゃねぇ……。なのになんでだ! なんでこうなるッ! おいフェル、こいつら全員撃ち殺せ」

「できるかよ! 落ち着けって」

 熊のような大柄な女が、ハーディに熱い視線を送りながら舌なめずりをする。

「あたしゃ、あんたみたいな野生系色男が大好きなんだよ」

「てめぇの方がよっぽど獣だろうが……」

 ジリジリと後ずさる一流剣客に、それ以上の存在感を放つ女たちが一斉に飛びかかっていった。


「何をしているんだ、あいつらは」

 後ろでギャーギャー騒いでいる護衛官たちに、ジェイドは首を傾げる。いつもはどんな任務も冷静にこなす護衛官たちに、退っ引きならない事態でも降りかかっているのだろうかと考える。そうは見えないが。

「さあ? それより早く行きましょ」

 先々歩こうとするルナを、ジェイドは面白くなさそうに見やった。

「ルナ、さっきからどうした。何か怒っているのか?」

「べ、別に怒ってなんてないけど」

 言いつつ、ルナは安っぽいローブについた毛玉を意味も無く取る。

「なら、なぜそうぶっきらぼうに返す」

 寂しげに揺れるジェイドの海のような瞳に、ルナの胸がトクンと高鳴った。

「だから……その……ジェイって許嫁とかいないの?」

「はあ?」

「ほら、よくあるでしょ? 家柄の良い人って、生まれたときから決められた結婚相手がいるって話」

 とにかく何でもいいから話題を変えたいと思って口に出したが、唐突すぎたかと後悔する。

「……いる」

 ズキッとルナの胸が痛んだ。

「と言ったらショックか?」

 いたずらっぽいジェイドの爽やかすぎる笑みに、胸がくすぐられた。

「し、ショックなはずないでしょう? 別に」

 とは言いつつ、ジェイドが繋いできた手も振り払うことはしなかった。ちょっと恋人みたい、と思った自分にルナは少し驚く。

「だが、そういう女がいたのは本当だ。幼い頃、一度だけ引き合わされたこともある。確かウエストクリス準帝国の準皇女だったか」

「すごい、使用人や浮浪者さえも美女とイケメンだって噂の超絶美形国家じゃない。お妃様としては最高ね」

「だからどうした。どんな美人と言われる女と結婚させられようと、俺は指一本触れる気はない」

「私にはあれだけキスキス言ってるくせに? てっきり……そういう欲求が強いのかと思ってたわ」

「別に弱いつもりはない。お前だからしたくなる」

「け、結構です!」

「いいかげん、キスぐらい応じてくれてもいいんじゃないのか。でなければ、俺は溜まる一方だ」

 あまりにストレートな物言いに、ルナは火が噴くくらい顔が熱くなった。思わず手を離そうとしたが、ジェイドがそれを許さない。

「そ、それがこの間まで女嫌いだって言ってたひとの言うこと? ただのムッツリじゃない!」

「そうだな。だが正直俺も、ここまで女に興味を持つとは思わなかった」

 ニッと笑ったジェイドに強く手を引っ張られたかとおもうと、腰に手を回され引き寄せられる。

 艶めかしく潤うサファイアブルーの瞳に至近距離で見つめられ、ルナは背中がぞくりとした。

(かっこいい……。――っ、だめ、ダメよルナ! 騙されるなぁ)

 ジェイドは顔を真っ赤にするルナを強く抱きしめる。

 上半身から腰まで、隙間がないほどすっぽりと腕の中に抱き込まれ、ルナは恥ずかしさに爆発しそうだった。

「……っ!? ちょ、ちょっと離してったら!」

「俺の妄想が終わるまで待て。……もう少しで」

「もう少しで何! 何の妄想よ、このド変態皇子っ! クラーラ助け……あれ、クラーラ?」

 クラーラの姿を顔だけで探すと、彼女は大きな目を一層見開いて立ち尽くしていた。視線の先には、ポンプ井戸の傍で洗濯をしている女の背中がある。

「お母、さん……」

 クラーラが声をかけると、その女の背中がビクリとして手が止まった。顔がゆっくりとこちらを向く。

「……誰だい、あんた」

 古い頭巾を被った婦人が、歪んだ口元でそう言い放つ。目の周りには皺が目立ち、頬はやせこけてはいるが、婦人の面立ちは、やはりどこかクラーラに似ているとルナは思った。

「あれが、クラーラの……」

「想像以上に見窄みすぼらしいな」

「ジェイ」

 失礼なことを口にするジェイドを肘でこづく。

「ふう、やっと振り切ったな隊長」

「お前の方にも随分寄っていってたじゃねぇか、フェル」

「え……俺にも? そ、そそそうかなぁ」照れながら頭をかく。

「何を喜んでるんだテメェは。それより……」

 女たちから逃げ切った護衛官らも、状況の変化を敏感に感じ取った。

「あのね、お母さん……医術師さんを連れてきたの。こ、これでエリオットの病気も」

 婦人は洗濯物を放り出すと、鬼のような顔でズカズカとクラーラに近寄り、濡れたままの手で思い切り頬を叩いた。

「うお、ひっで……」

 フェリックスが肩をすくめる。

「何が医術師だ! 何がお母さんだ! よそ者が余計な世話を焼くんじゃないよ! アタシの娘はね、もう随分前に死んだんだ!」

「違うの、私はある方に拾われて、今は――」

「今度は石でも投げられたいのかい!?」

「クラーラっ! おばさんも、落ち着いて!」 

 婦人のシミだらけの顔がギッとこちらを向き、ルナは「うっ」と反射的に半歩下がった。

「さっさと帰んな!」

 婦人は水の漏れる洗濯桶を抱え、どこかへ行こうとする。

「母ちゃん、今日はこれだけしか稼げ――お姉……ちゃん?」

 建物の影から、ふらふらと姿を見せた小柄な少年が、クラーラの姿に刮目した。

「エリオット」

 クラーラの言葉から、ルナは彼が重い病を抱えている弟らしいと知った。破れた服の間から見える身体や手足は、骨が浮き出るほどに痩せこけ、少年だというのに落ちくぼんだ目は死人のように輝きを失っていた。

 なるほど確かに、エリオットは一目で重症だと分かるほど弱っていた。

「お母さん……こんな状態のエリオットを働かせてたの?」

 クラーラはエリオットに駆け寄ると、自分より細い弟に背負われた、大きな竹籠を無理矢理下ろさせた。

「ああそうさ! ウチは貧乏だからね。けどその死にぞこない、金はかかるし大して稼いできやしない! 邪魔だから、どっかへ持って行って捨ててきておくれ!」

「お母さん!」

 婦人はフンと鼻を鳴らすと、洗濯桶を手にどこかへ立ち去っていった。

「お母さん……どうして? どうしてそんなヒドイこと……」

 ルナは苦悶の表情を浮かべるクラーラの背を撫でる。

 ハーディは小さく嘆息した。

「こんな所に住んでんだ。心もすさむ。自分だけでも生きるのに必死だ。親子と言えど、ああなるのは当然だろう」

 かつて、自分や自分の周りはそうだったとハーディは思い出す。

 このどこまで行っても続くと思われるような巨大で貧しい街は、親子の情すらその淀んだ空気の中へ呑み込んでしまうのだ。

 クラーラは、弟の服を辛そうにギュッと握りしめた。

「いいえ……、そんなことないわ」

 そう口火を切ったのは、ルナだった。

「私は何度も貧困街に足を運んで治療したことがある。皆、たとえ自分の方が重い病に冒されていようと、我が子のことを一番に心配していた! クラーラ、来て」

「姫……?」

 クラーラの細い手を引き、ルナは婦人の向かった先へ引っ張っていった。

「見て」とルナが指をさす。

 そこでは、洗濯物を干しに行ったたはずの婦人が、うずくまって肩を震わせていた。

 ――泣いているらしい。

 娘との再会を喜んでいるのか、息子の将来を悲観しているのかは分からない。ただ、我が子を想って泣いているのだろうことは伝わった。

「姉ちゃん……母さんはね……毎日謝りながら背中をさすってくれてたんだ」

 フェリックスに支えられたエリオットが、弱々しい笑みを浮かべて掠れた声で訴える。

「ごめんねって。ウチが貧しいから、病気の僕にも働かせなきゃならないって泣いてた。お姉ちゃんの……ことも、いつも思い出してた。でも……母ちゃんは喜んでたんだよ。金持ちのお屋敷なら……ここよりずっといい暮らしができるって。離ればなれでもそれがいいって、……喜んでたんだ」

「お母さん……全部知ってたんだ」

 はらはらと涙を零すクラーラの肩に、ルナはそっと手を置く。

「さ、エリオット君の病気を治さないとね」

「完治に何日かかる、ルナ」

「あら、私を誰だと思ってるの?」

 自信に満ちあふれるルナに、ジェイドはいぶかしげな表情を浮かべた。



「凄い……もう全然苦しくない! ありがとう先生!」

 先ほどまでが嘘のように、エリオットの顔色は良くなり、嬉しそうに元気に飛び跳ねている。まだ同じ年の頃の少年と比べてほっそりとしてはいるが、それも徐々に改善されるだろう。

「すげぇなルナちゃん。腕輪を使った医術じゃなく、薬の調合だけで」

「病状から的確な薬草を的確な分だけ配合して特効薬を作るなんて、この私には朝飯前だわ。おーっほほほ」

 驚く面々に気を良くしたのか、ルナは腰に手を当てて高らかに笑う。

「……テメェは確かに腕はいいようだが、なぜか残念だな」

「それはどういう意味かしら、黒隊長」

 頬を膨らませ、軽くハーディを睨む。

「ねえ、エリオット。お姉ちゃんと一緒に来る? お姉ちゃんから旦那様と奥様に、何とか頼んでみるから」

「ジェイ」

 ルナは何をぼうっとしているんだと、ジェイドに目で合図する。

「まあ……使用人としてなら、置いてやっても良い」

「ありがとうございます。でも僕は戻る。ここには母ちゃんもいるし、友達もたくさんいる。みんなを置いて行けない」

「そう」

 クラーラが少し残念そうに頷く。

「けど俺……」

 エリオットは力強く輝いた眼でルナを見上げる。

「俺、将来は絶対先生みたいな医術師になる! それで、ここの街の皆をみーんな治してやるんだ。この治療代だって、いつか絶対返すから」

「エリオット君……。そう、じゃあ期待して待ってるわ!」

 無邪気に微笑むエリオットに、ルナはつられるように微笑んだ。




 ゆっくり城へ帰っていくドラゴンの手綱を握りながら、クラーラは哀しげな表情で俯いていた。

「エリオットを送り届けたときも、ついに母は、私の名前を呼んでくれませんでした。存在を認めてはくれませんでした。エリオットはああ言ってくれましたけれど、家族を捨てた私を、母は許してはくれなかったんでしょうね」

 風が彼女の頬を伝う涙を優しく払う。

「そんなこと……ないんじゃない。ほら」

 ルナの視線を追うように、クラーラが地上を見つめる。

「……っ、お母さん」

 そこには、懸命に手を振る人影があった。霧で姿ははっきりしないが、そこにいる誰もがあの婦人だと確信した。

「お母さんっ」

 ドラゴンの背に乗ったまま、クラーラは懸命に手を振り返す。その姿が見えなくなるまで、白い霧の向こうに向かってずっと。

 その様子を、ジェイドはじっと見つめていた。



「俺は、皇帝の座になど興味は無かった」

 ドラゴンを城の竜舎に返しながら、ジェイドはぽつりとそう漏らした。

 空はすでに薄暗い。だが、空気は澄み渡っていた。

「皆は俺を英雄だなどと言うが、戦に明け暮れていたのも、城にいるのが嫌だったというだけのこと。敵を恐れなかったのは、己の命などどうでもいいと思っていたからというだけだ。誰も味方などいない。俺の周りに集う他人など、所詮は我欲のためなのだからと煙たく思っていた。だが今日知ったことがある。切っても切れぬ強い絆が、この世には存在するのだと。その絆を護るのが国の首長の役目なら、皇帝になるのも悪くはなさそうだと」

「ジェイ……」

こんなに穏やかで強い決意に満ちたジェイドの顔を、誰が見たことがあっただろう。

「それに、お前にも刺激された」

「わ、私……?」

「お前はやはりすごい医術師だ。あれほどの病を即座に治癒するなど、うちの宮仕え医術師どもにも無理だろう。おかげで俺も、何かを自分で成し遂げたくなった。兄上には申し訳――! ……ッ」

 ジェイドは声を喉に詰まらせたかと、胸を押さえて屈み込んだ。

「ジェイ……!? ジェイッ!」

「っ……大丈夫だ」

 言葉通りには到底受け取れない。

(脈の乱れがひどい。それにこの高熱……。どうして……。今まで発作も起こらず、順調だったのに。まさか外へ連れ出したから? 違う、これは病気じゃなく呪詛による症状だわ。だったら、何か別の動作がきっかけで反応を強めたんだわ)

 シャツのボタンを外して確認すると、やはり例の痣が濃くなっている。ジェイドが皇帝になろうとする気力を得た途端、まるで反応するかのように。

(どうして……何が原因だったの? 何が……っ)

 ルナのこめかみを、脂汗が伝う。唇を強く噛みしめた。

(それが分からなきゃ、きっと呪詛を解いてもまた再発する……何とか解明しなきゃ。やらなきゃ、ジェイが……!)

「そんな顔をするな……っ」

 ふと顔をあげると、ジェイドは苦しみに耐えながらも、自分に笑みを向けてくれていた。「いざとなればこんな病、自力で治してみせる」

「ジェイ……」

 まるでその言葉に吸収されていくかのように、恐れや焦りがなくなっていく。

(医術師が不安を悟られてどうするっ。私がやるって、助けるって決めたんじゃない! やってやるわよ!)

「その強気な顔、お前らしいな」

 酷く苦しい痛みが彼を襲っているだろうに、ジェイドの泰然自若とした表情や一言は、驚くくらい力を与えてくれる。彼が自身を何と評しようと、やはり戦場の英雄だとルナは思った。

 自然と彼に手が伸びる。ジェイドの肩に手を置き、目を閉じて唇を寄せ――ようとして腕を掴んで自分の肩へ回させた。

「ほ、ほら、立って。早く部屋に戻って休まなきゃ」

「ああ。すまない……」

 苦痛に顔を歪ませるジェイドを支えながら、

(何をしようとしたのかしら、私は……っ)

 ルナは自己嫌悪と混乱の渦に巻き込まれながら、顔をしかめた。



○$○$○


 ジェイドを眠らせて、ルナは暗い廊下をとぼとぼと帰っていた。自分の部屋に戻るのが果てしなく気が重い。だがこのまま廊下で寝るわけにもいかないし、何よりアルキスに何も言わないままにはいられない。

 恐る恐る取っ手に手をかけて扉を開ける。

「ムドー……?」

 すっかり日の落ちた薄暗い部屋で、アルキスは窓に向かい、月明かりに照らされながら背を向けて立っていた。当然彼の表情など読めない。だが確実に怒っているはずだ。

 扉を閉め、両手を前で揃えて神妙にした。

「ごめんなさい。行くなって言われたのに、勝手に抜け出して。もう言い訳しない。本当に――」

「大丈夫ですか」

 想定外の優しい声。

「どこも……傷ついてはいませんか」

「へ? え、ええ、平気」

「良かった……」

「あの、どうしたのムドー、怒ってるんじゃ――」

 近寄って顔をのぞき込もうとしたルナを、アルキスが強く抱きしめた。そんな彼の突然の行動に戸惑いを覚えながらも、ルナはわずかに震える彼の背に手を回す。

 何をそんなに恐れているのかは分からない。しかし、今はそれを聞くべき時ではない気がした。いずれ知る時がくるだろう。

 彼の頬を伝う、一筋の涙の理由を。


○$○$○


「はあ、さすがに徹夜は疲れるわ。ムドーに今日は美味しいコーヒーでも淹れてもらおっと」

 呪詛関係の重い本を抱え、書庫から出てきたルナは欠伸をしながら朝日の差し込む廊下を歩く。

 だが、前方から歩いてくる女帝らと取り巻き集団に足を止めた。

 しかし廊下は長い長い一本道。今更方向転換もできない。やむを得ずそのまま進む。

「考えてくれたか? クロエ医師」

 すれ違いざまに声をかけられ、ルナは足を止めた。

 こちら側につかないかという女帝側の提案は、一瞬迷ったこともあったが、今ははっきりとした答えがある。

「私は……あなた方の味方にはなりません」

 アナベルの細い眉が、とてつもなく不快そうに寄せられた。やはりこの女は恐ろしい。その仕草にすら指先が冷えた。

「クラティス皇子が皇帝となられれば、そなたの夢が叶うのだぞ。一体何が不満なのだ」

 女帝は笑っているが、笑っていない。心の奥底から呆れたような、凍り付いた笑みだった。その取り巻きから放たれる、自分へのあからさまな嫌悪感など可愛いものだ。

「勘違いしないでください、アナベル様。だからと言って私は、ジェイド皇子の味方をしようというわけでもありません」

「ならば……」

「言いたいことは一つ。私はただ、ここへ治療のために来たということです。では」

 ルナは、自分でもよくそこまで言い切れたと思うくらい、膝が震えていた。あの女の威圧感は尋常ではない。未だにバクバクと煩い心臓の鼓動を感じながらも、背筋をまっすぐに伸ばしてその場を後にした。

「全く……半人族はやはり愚劣だ」

 遠ざかっていくルナの背中を射るように見据えながら、アナベルはぽつりとそう漏らした。

「アナベル様、如何様いかようにいたしましょう」

 頭のはげ上がった白髭の小柄な老紳士が、鼠のような卑しい目に怪しげな光を湛えて女帝を振り仰ぐ。

「あの女医術師がいくら第三皇子の味方にならぬと言ったところで、皇帝閣下がジェイド皇子を殊更にお目にかけられている現状から見て、あの女がこちらにくる以外にクラティス皇子の皇帝への道は閉ざされたまま。ならば――仕方あるまい」

 女帝は勢いよく開いた豪奢な扇子を、そっと己の口元へ当てた。


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