14.襲撃(後)
「お願い、落ち着いて」
ルナは、暴れるドラゴンをどうにかなだめようと近づく。
「大丈夫……大丈夫だから落ち着いて」
ドラゴンは、今にもルナに飛びかかって彼女を踏みつぶしてしまいそうだった。
子供とは言えルナの身長より高く、立ち上がれば成人した男の丈すら超えた。太い鞭のようにしなる尾に当たれば、女の身体などひとたまりも無いだろう。
(大丈夫、落ち着いて)
ルナは恐怖に呑まれそうになる、自分の心にも同時に語りかける。
「ルナ……っ」
ジェイドも、誰もが固唾を呑んで事の成り行きを見守った。
ドラゴンも少々落ち着いたのか、ルナから警戒したように目を離そうとはしないが、むやみに攻撃しようという意思はないようだった。
「大丈夫、助けてあげるからね。ほら」
――キュウ
澄んだ瞳をパチパチとさせ、ドラゴンは僅かに頭を垂れた。ドラゴンが、相手に対する警戒を緩めた証拠である。
「行け……! そのまま」
ジェイドの独り言に背を押され、ルナはそっとウロコだらけの身体に手を触れかけた。
「きゃああああああ、ドラゴン!」
――ギャアアアアアアア!
侍女の上げた声に刺激され、ドラゴンは再び興奮して暴れ始めた。
ルナは飛びつくようにドラゴンの首にしがみつき、必死に術をかけようとする。だが子供ドラゴンの鱗はまだ柔らかい上に、滑りやすく、ルナを振り落とそうとする左右の首振りの力で今にも吹き飛びそうになっていた。
「ルナ!」
ジェイドが声をあげるも、ドラゴンが暴れて近寄ることができない。
「くそっ」
ルナがしがみついているせいで、フェリックスも銃の照準を合わせることができなかった。
そんな中でも、冷静に事の成り行きを見つめていたハーディがゆっくり大剣を抜こうと手をかけた。
その時――
「翼に足を!」
ドラゴンの調教師らしき一人の青年が叫ぶ。
「足?」
「翼の付け根に足をかけるんだ! ある程度暴走が収まる!」
言われたとおりにしようにも、このような状況ではうまくできない。何度も足を滑らせ、やっとの事で翼に足をかけた。その一瞬、ドラゴンの動きが緩む。
「お願い……!」
だがすぐに足が翼から外れ、ルナは反動で身体が吹き飛んだ。
「きゃ!」
「ルナ」
護衛官を押しのけ、ジェイドが滑り込むようにルナを受け止めた。
「――っ! 待って!」
だが彼女は自分の身になど興味はなく、すぐさま立ち上がってドラゴンに刃や拳銃を向ける護衛官らの元へ走って行く。
「待って! お願い!」
必死に声を上げるが、もう誰もルナの方を見てはいない。
「待って!」
「待て」
意外にも、ハーディがその場の護衛官らを制した。護衛官らが慌てて動きを止めると、ドラゴンはトロンとした目になり、みるみる屈み込んで大人しくなった。
よく観察すると、ドラゴンの首の辺りに、沈静術を施した魔術光の跡があった。
「――あの一瞬でよく」
ハーディは、安心して座り込むルナに目をやり、その技術の高さに内心舌を巻いていた。
「成功したから良かったものの、失敗していたら尻ぬぐいをさせられるところだった」
すっかり大人しくなった子供ドラゴンが、数人に連れられて竜舎へと帰って行く。その姿を満足げに見つめるルナに、ハーディは嫌みを漏らした。
「私は失敗より、行動しなかった後悔の方が、もっとずっと怖いんです。それではこれで」
双眸に強いまなざしを湛えるルナに、ハーディは一瞬目を奪われた。
「だってさ。な、可愛い子だろ?」
絡んでくるフェリックスに、
「ただのバカな女だ」
「嫌いじゃないくせに」
「纏わり付いてこない分、楽なのは確かだな」
「もしかして、ちょっとドキッとしたか? 『私は失敗より……』」
フェリックスの頭に、ハーディの鉄拳が落ちた。
「かなりこってり絞られてるみたいですね」
ルナは、竜舎に腕を組んで佇んでいたジェイド皇子の隣に立つ。目の前では、二人の調教師らが上司に怒鳴られていた。
「当然だ。ここは戦場用の軍竜の飼育も行っているというのに、扱いの易しい子供ドラゴンですらまともに扱えんのなら、竜務員の資格はない。降格が妥当だろう」
「でもここにいる人たちは、みんな生え抜きの優秀者ばかりなんでしょう?」
周りを見ると、青い調教師服に身を包んだ青年が竜を押さえ、兵士の手を取って上手く竜の上へと誘っている。恐ろしそうな竜ですら、まるで子犬のようだ。
「扱いは誰より心得ているはずなのに、どうしてあの子は暴れ出したのかしら……」
「虫の居所が悪かったんだろう」
「虫の居所……」
ふとクラティス第二皇子のことを思い出した。歩いていた方向から察するに竜舎の方から帰る途中だったのだろう。
今日のことは、偶然だったのだろうか。
(やっぱり、何とかして接触する必要がありそうね)
「お前の方こそ、何ともないんだろうな」
ぶっきらぼうに、不機嫌そうにジェイドはそう尋ねた。
「全く、あんな無茶をしでかすとは……」
「何を怒ってるんです? 私は医術師ですよ。怪我したって自分でパパッと」
「俺に嘘をつくな。医術師は自分で治癒できないんだろう? お前が危険な目に遭っているというのに……俺は何もできなかった」
ルナは、ジェイドの怒りの理由が分かった気がした。彼は、ルナに怒っているのではない。助けられなかった己自身に腹を立てているのだ。
優しい男だと、ルナは自然と笑みがこぼれる。
「なら、これは貸しにしておきます、ジェイ。いつか返して下さいね」
「いいだろう。倍にして返してやる」
挑戦的でありながら思いやりに満ちたジェイドの笑みに、ルナはなぜか心がキュンとした。そのせいか、ジェイドに手を繋がれても、振り払おうとは思わなかった。
「ついでに紹介しておく。これは俺の竜、アレスだ。いつも戦いを共にしてきた。……ライオネル、もういい」
邪魔だとばかりに目配せすると、世話をしていた調教師は慌ててその場を立ち去ろうとする。ルナはその細身で長身の彼に、見覚えがあった。
「ライオネルさん……っておっしゃるんですね。さっきはありがとうございました。あなたのアドバイスがなかったら、今ごろどうなっていたか」
さきほど『翼に足をかけろ』と叫んでくれた調教師は、どうも彼らしかった。
「いえいえ。初めまして、三の皇子のドラゴンの専属調教師をしております。彼らに関することならなんなりと」
ライオネルは自信たっぷりに、人の良い笑みを浮かべる。
「じゃあ、さっきの子供ドラゴンは……何が原因で?」
「んーストレスか、何かに驚いたか、さもなくば何かの術で……とか。すみません、直接関わっていない僕には、確かなことは」
なんなりと、と言った手前だからか、ライオネルは気まずそうに頭をかいた。だがドラゴンとて生き物。一概にこうしたからこうなった、とは言えないこともあるだろう。
「いえ。また何かあったときはよろしくお願いします」
「何がそんなに引っかかる」
ライオネルがいなくなると、ジェイドは不審そうな目でルナに尋ねた。
「いえ、ちょっと気になっただけ。それより大人のドラゴンって間近で見ると、おっきいー」
さきほどの子供ドラゴンと違って、鱗の堅さも身の締まり方も全く違う。いかにも軍竜用訓練を受けていると言えそうな、屈強なドラゴンだった。全身を見るために、かなり身体を仰け反らせなければならない。乗るだけでも一苦労しそうだと、ルナは思った。
アレスは逞しい翼を軽く上下させ、首をもたげる。
それだけで、かなりの迫力があった。
「こいつは軍竜用のタイプだからな。竜車用のブルードラゴンより大きさも強さもある。それにこいつはもうもう七歳だ。経験豊富で、軍竜としても一番力がある」
だがジェイドが近寄ろうとすると、アレスは細かな牙をむきだして後ずさる。完全に、敵意の滲んだ顔だった。
「ぷぷぷ。本当にあなたの竜なんですか、ジェイ?」
「最近戦に行っていないから、拗ねているんだろう。竜のくせに生意気な」
好きな女の前でドラゴンにそっぽを向かれ、格好がつかずにふて腐れる。
「そんなこと言ってるから、嫌いになるのよ。ね、アレス?」
ドラゴンはジェイドからプイっと顔を背け、ルナは「ほらね」と笑う。
「俺自ら世話を焼いてやっているというのに。恩義を知らん奴は出世せんぞ」
ジェイドはそう言いながら柵の中へ入ると、炎の実の種と、フレア草を混ぜたものをピッチフォークで木箱からえさ箱へ移し替える。その手つきは手慣れていて、自ら世話を焼いてやっているというのは、あながち嘘ではないらしかった。
ジェイドから皇子という皮を一つむけば、優しくて真っ直ぐな青年が現れる。少々頑固で無愛想なところもあるが、それも徐々に緩和されている気がした。
プライドの高い彼の懸命な姿に、ルナは自然と笑みが零れた。さっきまで繋がっていた手も離れ、少々寂しい気もする。
「戦には行かれないんですか? 三度の飯より、戦いがお好きって聞きましたが」
ジェイドは手を止め、器具を置いて袖で汗を拭った。
「治療に専念しようと決めたからな。仕方ない」
「懸命な判断です。お陰で体調は万全でしょ。はい、どうぞ」
水釜で手を洗ったジェイドに、ルナは白いハンカチを差し出す。
「いいのか……?」
「ええ医術師は、綺麗なハンカチの二枚や三枚持ち歩いているものですから」
素直に受け取ると、ジェイドは柵を出てルナの隣へ行った。
ドラゴンの仕草に目を細める彼女の横顔にジェイドは顔を赤らめ、緊張した面持ちでそっとルナの細い肩へと手を伸ばしていく。
「きゃ!」
ルナの叫び声に、ジェイドは慌てて手を引っ込めた。
「ジェイ……今……っ」
ルナは自身の尻を押さえて頬を赤く染め、恨みのこもった潤んだ瞳でジェイドをにらみ付ける。手をつなげたことに味を占め、肩を抱こうとしたのは事実だが、この反応は明らかに『何かした後』のものだ。
「な、何だ。俺はまだ何もしていない!」
「何がまだですか! 惚けないでください、今お尻をっ……」
「し、尻?」
「ほらまた!」
「何を言っている! 俺の手はここにあるだろう」
間抜けなやりとりをしていると、キュゥゥ――と声が聞こえる。尻尾を揺らし、先ほどの子供ドラゴンがヒョッコリ顔を見せた。
「何だ、あなただったの」
先ほどの子供ドラゴンが、また調教師たちの手から抜け出してルナにすり寄ってきていたらしい。図体は大きいが、中身はまだまだ可愛い盛り。ルナに甘えたくて仕方ないらしかった。
「……ドラゴンはよくて、なぜ俺はだめなんだ」
「だってこの子は女の子ですし。わあ、可愛い」
ルナは、子供ドラゴンにすっかりと懐かれたらしい。さきほどまでちょっと良いムードだったというのに、あっという間に自分の入る隙が無くなったジェイドは、面白くなさそうにつむじを曲げる。
「おい、誰か早くこの零号を連れて帰れ」
「零号?」
「ドラゴンは軍竜になって初めて名を与えられる。子の間は零から始まる番号で呼ばれ、竜車用になれば零が取れて、頭がAやBに変わる。そいつはそもそも竜車用だから、名など必要ないがな」
ルナは子供ドラゴンの首に下がる、零八という銀色の番号タグに視線を落とす。
「なんだか味気ないですね」
「何を感傷的になっている。名など、見分けがつけばそれでいい」
「決めた。あなたは今日からカリメラね!」
「勝手に名付けるな。情が移る」
「名前なんて見分けがつけばいいんでしょ? よしよし」
カリメラに頬を舐め上げられ、すり寄られて、あまりに嬉しそうに戯れるルナに、ジェイドも徐々に気持ちが変わっていく。
彼女が絡むと、凍てついていた心はいつも温められ、動かされた。
「カリメラか……いい名だ」
「でしょ」
「そんなに気に入ったのなら、そいつをお前にやる」
「――! ほ、本当ですか?」
「ああ。その代わり……」
ルナの二の腕を掴むと、自分の方へ引き寄せながら目を閉じて唇を近づけた。
「あの、ちょっと……! セ、セクハラですよっ!」
ルナは顔を赤くしながらジェイドの胸を押し、懸命に抵抗する。
「だから代わりにそのドラゴンをやると言っている」
「余計タチ悪いでしょうが!」
「いいからさせろっ」と迫るジェイドから、必死に身体を捩って逃げる。
その瞬間、ジェイドの頭に衝撃が走った。
「いっ、この……貴様、邪魔をするな」
――キュー!
再びカリメラが尾でジェイドを殴る。
「ヤメロ! おい!」
尻尾攻撃に、さしものジェイドも手も足も出ない。
「カリメラ……! まるで私の騎士様だわ、女の子だけど」
無事に脱出できたルナは、礼を言ってカリメラにだきついて頬ずりをした。ジェイドにとっては、垂涎ものの光景である。
「俺がそうなるはずだったのに……」
「何か?」
「……何で、も……な」
不自然に会話を切ったジェイドに首を傾げていると、背後から声が掛かった。
「そなたが噂のクロエ医師か」
振り返ると、ぞろぞろと何十人もの付き人を従えた貴婦人が、にっこりと笑顔を張りつけて佇んでいた。
「え、ええ」
「高名はかねがね」
「? あの……?」
握手を交わしながらも、ルナにはこの貴婦人が誰なのか分からない。
助けを求めようと顔を上げた先のジェイドは、驚くほどに顔が真っ青になっていた。心なしか、唇が震えている。
(ジェイ――?)
「義母……上」
その一言でルナは解した。
目の前にいる、自分が今握手を交わしている女。これが『女帝』なのだと。




