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緋色の月を愛でる夜は――  作者: 二上 ヨシ
第一章  ~ポエニクスの涙を探す~
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12.本題

「私の顔に、何かついておりますか?」

 天鵞絨ビロード色の瞳に疑問を湛え、アルキスが首を傾げる。

「え?」

「先ほどから、穴があくほど私を見つめておられるものですから」

 宮廷の庭で、紅茶をカップに注ぎ入れながら、アルキスは女心をくすぐる優しい微笑を浮かべた。ルナは見つめていたことを知られていたことも相まって、余計にドキリとする。

「いえ、ただどうやったらそんな綺麗なお肌になるのかなぁ~って思って。あはははっ」

 消明に聞いた、ノアールなら半人族でも特級医術師になれるという話は気になるが、アルキスに詳細を聞く勇気は無かった。

 何やら彼を、酷く傷つけてしまうような気がしたのだ。

「ん、このクッキーおいしい!」

 誤魔化すように、目の前のクッキーを口に放り込んだつもりだったが、そのあまりのおいしさに本気で驚いた。

「庭園に咲いていた花の蜜を、ふんだんに使用してありますから。私がここの厨房をお借りして、手作りいたしたものです」

 さすが。とルナは思った。彼は刺繍だろうが料理だろうが、菓子作りだろうが、いとも簡単に一流品を生み出す。加えて医術師としての技量もずば抜けているのだ。

(一流の何でも屋さんが開業できそう)

 くだらない考えが浮かぶが、少なくとも自分の執事にしておくなど、勿体ないことこの上ない。

「いいな、ムドーは何でもできて」

 庭に舞う光蝶を目で追いながら、何ともなしにそう言った。

「そうでしょうか」

「世界だって救えちゃいそう」

 半ば本気でそう思いながら、クッキーをほおばる。

「……そうでもありません」

 謙遜というには、あまりにも悲壮感が漂っていた。ルナはその理由が分からず、小首を傾げる。

「おや……?」

 アルキスの声につられ、その視線の先を追った。屋根付き回廊の柱の陰に、誰かが立っているらしい。花束の先だろうか。色とりどりの花が持ち主の戸惑いを受けるかのようにフワフワ上下に動いている。

「そういえば、用事を思い出したので、私はこれで」

「え、ムドー?」

 突然頭を垂れ、その場を立ち去ったアルキスに戸惑いながらも、例の柱をジッと見つめる。

 その向こうにいる人物は、何度もこちらを確認するようなそぶりを見せたかと思うと、突如姿を見せた。

「き、奇遇だな」

 柱から現れておいてそれはないだろうと思いながら、近寄ってくる彼を凝視する。

「ほら」

 洒落た言葉の一つも無いが、花は美しい。

「わあ、ありがとうございます」

 笑顔のルナに、ジェイドも気を良くしたらしい。

「少し歩かないか」

「え……ええ」

 正直なところ、アルキスお手製のクッキーをもう少し堪能したかったが、何とかその言葉を飲み込んだ。クッキーに負けさせるなど、あまりにも哀れだろうから。



「見て……あのお二人……」

「羨ましいわ。私もいつかあんな――」

 侍女がチラチラと自分たちの方を見ては、熱っぽく何かを囁き合っている。ああ、また余計な噂が増えるのだろうなと、ルナは嘆息した。注目されるのは嫌いではないが、どうせなら医術で噂されたいのが本音だった。

 美男との恋の噂など、自分には似つかわしくない。こんな花束をもらえるだけでも、おとぎ話のようだというのに。

 自分が聞こえているのだから、ジェイドにも侍女たちの声が聞こえているだろう。尤も彼は、こんなことに慣れっこなのかも知れないがとルナは思う。

「噂もそろそろ潮時だ」

「でしょうね。どんな噂を立てたって、私は」

「ここまで来れば、父上にも何らかの報告を上げねばなるまい」

「…………。ち、父上ってまさか皇帝閣下――!?」

「当然だ。他に誰がいる」

 ジェイドに取っては当然だろうが、ルナは一瞬頭が真っ白になった。

 アルベティーヌ連合帝国では、皇帝の存在は『神』と同視された。めったなことでは姿は見せないが、年に数回の祭典では圧倒的な存在感でもって何十万人もの参拝者を沈黙たらしめると聞く。

 ルナは話にこそ聞いていたが、そんなまるで伝説上の人物のような人に、自分の噂を耳にされ、さらには『何らかの報告』とやらをする日が来るなどとは予想だにしなかった。

「す、すべて事実無根ですと、そうお伝え下さい。以上!」

 逃げるように踵を返す。皇帝閣下になど報告されたら、もう逃げ道は無い。

「俺がお前の部屋へ通っていることも、事実無根だと?」

 後ろから抱きしめられた上に、耳元で囁かれてはたまらない。体中の血液が沸騰して、顔が真っ赤になった。

「それは、あなたが勝手に押しかけてくるんでしょうが!」

 それでも懸命に抵抗はしてみせる。

「とにかく、父上に不実な男だと思われるのは甚だ遺憾だ。大人しく……俺と」

 逞しい腕の感触、温かな肌の温度、適度な力加減と低音の滑らかな声。

(どうせ分かってやってるんでしょう、この……っ、分かってるんだからっ)

 『元老院の思惑』男のやり口に、ルナはどうも防戦一方らしかった。

「や、やめてください、こんな所で。また噂に拍車がかかります」

 危うく折れそうになった自分を奮い立たせ、ルナはジェイドから離れた。彼は不満そうだったが、構うことは無い。

「とにかく、閣下には『真実』を話してくださいね、『真実』を! じゃないと二度と口を利きませんから!」

 ルナが勢いをつけて歩き出そうとすると、数人の貴族が前を歩いていた。こちらの存在に気づくと、あからさまに嫌な顔をして、目をそらし方向を変える。

「……何あれ。今完全にこっちに気づいてましたよね?」

「気にするな。いつものことだ」

 ジェイドはそう言って、気だるそうに前髪を書き上げる。ルナを言いくるめられなかったことが残念でならないらしい。しかし、ルナの関心はもう違うところにあった。

 彼らはおそらく、第二皇子側の家臣なのだろうと推察する。

「悔しくないんですか? あんな風に無視されて」

「宮廷には宮廷で生き抜くための術がある。奴らはそれに従っただけだろう」

 負け惜しみでも無く、至って涼しげな顔でそう言った。器が大きいというか、さすが皇子としての余裕が見える。

「なんだか分からないけど、ちょっと格好良いかも」

「え?」

 意図せず声に出していたらしい。ジェイドの反応に、ルナは慌てた。

「ちょっとですけどね、ほんのちょっとだけ」

「ルナ……やっとその気になったか」

 心から嬉しそうにほくそ笑む。

「違います!」

「俺を格好良いと言っただろう。まあ当然だが」

「ナルシスト」

「どうとでも言え。キスをしたら父上の元へ行くぞ」

「何でそこにキスが入るんですか!」

 顔を朱に染めて反論する。

「恋人になった証だ。というより、そろそろ限界だった」

「ちょっと……っ、ひとを呼びますよッ!」

 ジェイドに腕をつかまれ、顔を近づけられ。ルナが花束で応戦する光景は、何とも滑稽だった。

 だがそろそろ限界だったという彼の言葉は、どうやら本当だったらしい。全く諦める気配がないどころか、本気で強く抱き寄せられ、顔を傾けるジェイドの顔がすぐ傍にあった。

(もうだめ……っ)

「三の皇子、ちょっと」

 唇があと少しで触れるというところで、あの眼鏡の秘書官の間延びした声が聞こえた。

「取り込み中だ、ロイ。……帰るか死ね」

「帰りませーん、死にませーん。帰れって言う方が帰ってくださいー、死ねっていう方が」

「煩いッ! 何だ」

 怒るジェイドとは対照的に、ロイは小さくため息をついて真剣な表情をしてみせた。

「ですから、ちょっと。……例の法案の件ですよ」

 ジェイドの表情が曇り、それにルナもピンときた。

「例の法案って、半人族の実験のことですか」

「どこでそれを」

 いぶかしがるジェイドの胸ぐらを掴んだ。

「あなたは賛成なんですか、それとも反対? 答えてください!」

「ま、まずその手を離せ……っ、ぐるしい」

 ルナの手を振り払い、ジェイドは軽く咳き込みながら襟を正す。

「この国に置いて特級医術師の流出、それに伴う医術の衰退は大きな懸念材料だ。この国の将来のために、少しでも医術の発展のためになるなら、どんなことでも取り入れるべきだと考えている」

「……」

「だが……これにだけは賛成できない」

「ジェイ……」

 ルナのあからさまにホッとした表情が、ジェイドにはとても印象的に映った。



○$○$○


「元老院議長御自ら、私に何用でしょう」

 書庫で静かに本を耽読していたアルキスが、書物から顔を上げてそう言った。広い書庫に人の影はない。もし周りに誰かいたとしたら、彼は一体何を言っているのかと不審に思っただろう。

「侮れん御方だ。これでも気配を消すのは得意なのですがの」

 本棚の向こうから、ふらりと白髯はくぜんの老人が姿を見せる。

「ほかの議員どもの噂話は、素晴らしい情報源ですから」

 耳に手を当てておどけるこの年寄りこそ、案外侮れないとアルキスは苦笑する。

 アルキスは読んでいた厚い本を静かに閉じると、それを積み上がった書籍の一番上に置くと、机の上で指を組んだ。

「しかし私はこの通り今、一人。私のつまらぬ独白をお待ちとは到底思えません」

「その通り、あなたにお話があって参りました。ほれ、この通りお話の共も」

 どこから取り出してきたのか、急須や茶菓子の乗った盆を見せる。

「東大陸の方の作法でしてな」

「存じております。まさに、茶の深さを思い知ります」

「はっはっは。話の分かる御方だ」

 急須に湯を入れ、湯飲みに注ぐ議長のその手つきがとても手慣れている。

「この苦みが堪らんのです。まんじゅうの甘みが引き立つ」

 書庫で茶会など、本来なら禁じられているが、この老人がすることはどうにも憎めないとアルキスは思う。

「お察しのことであろうが、ルナ様のことじゃ」

 湯気の立つ茶を差し出しながら、アルキスがその香りを堪能する暇も与えず元老院議長はそう切り出した。

「病のことはもちろん、凍てついていた三の皇子の御心まで癒やしてくださるとは、思いも寄らぬことでした。三の皇子も、今ではこちらの思惑とは関係なく、ルナ様を慕っておいでだ」

 議長は、ずるずると茶をすすって幸福そうな顔をする。

「野暮な質問をお許しくだされ、アルキス殿。ですが重要なこと。……ルナ様とは、師弟関係以上にはおありにならないのですな?」

 アルキスは、何とも言えない笑みを見せた。

「それはどうでしょう。私にとってお嬢様は、私の全てと言っても過言ではありませんから」

「それはどのような意味で」

「あらゆる意味です」

「はぐらかされるのがお上手だ」とヒゲを揺らして可笑しそうに笑う。

「しかし、なぜあなたほどの技術をお持ちのあなたが、医術師をお辞めに」

 ルナにも何度も聞かれた質問。彼女に答えたことは無かったが、この尊老相手にはごまかしなど利かないだろう。それに、こんな旨い茶を淹れてくれた恩もある。

「信念が揺らいだのです。私の……医術師としての信念が」

 いや、本当は誰かに本心を聞いてもらいたかったのかもしれない、とアルキスは嘲笑ぎみに微笑む。

「……そうですか。それはさぞ、お辛かったでしょう」

「議長殿もお忙しい身。そろそろ、本題を切り出されては?」

「あなたはどんな大国の参謀より手強い」

 元老院議長は、眼球の無い眼孔を真っ直ぐアルキスへ向けた。

「ルナ様は……半人族ですな」

「――!」

 さすがのアルキスも驚いて、身体に戦慄を走らせた。特級医術師になる試験は確かに彼女の出自のせいで拒否されているが、試験を行うこの国の医術組織とてそんな繊細な情報を、いくら元老院であろうと漏らすようなことはない。それが彼らの最後の良心なのだから。

「…………議長殿」

「ああ、お答えいただかなくて結構。暇な年寄りのつまらぬ詮索です。半人族とはいえ、半分は魔界の民。何ら変わることはない。三の皇子も同じ思いです」

「それを聞いて安心しました」

「ところで本題ですが……」

 議長は口調を変え、ズイッと身を乗り出してくる。

「ルナ様の好みのタイプやシチュエーション、言葉などあれば、教えていただきたいのですが」

「…………は?」

 突然の話題の変わりようについていけず、アルキスは間抜けた声を出した。いや、むしろルナの出自ではなく、こっちが本題だったらしい。

「あの通り三の皇子は恋愛ベタ! 女が嫌いだと、碌に向き合ってこなかったツケがここへ来て障壁となっております。何度もルナ様のお部屋に通われてはいるようですが、実際どの程度の仲なのかは怪しい。是非とも、お二人の恋愛成就にお力をお貸しいただけませんでしょうか!」

「お貸ししてくれと申されましても……如何いかようにすれば」

「ずばり! ルナ様のお好きな男性のタイプは! されて嬉しいことは? ほら、頭を撫でられると嬉しいとか、重い荷物を持ってもらった瞬間にときめくとかッ」

 どこぞの大衆雑誌から拾ってきた情報なのかと、アルキスは議長の情熱に軽く引いた。

「えっと……そのような話を具体的にしたことはありませんので、何ともお答えに窮しますが、確か」

「確か!? 何でございますかああ!」

 議長はもはや、ここが書庫だと言うことを忘れているのだろう。

「いざという時、身を挺して自分を護ってくれるような男性に憧れるとおっしゃっていたような……」

「なるほど」

 ニヤリと笑う不気味な骸骨老人に、一体何をするつもりなのだろうかと、アルキスは少々不安になった。


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