9.ジェイドの告白(後)
「フェル、あなたって医術に興味でもあるの?」
薬草園のそばにあるいつもの東屋で、ルナは薬草を乾燥させるために一枚一枚葉を茎から外していた。
クラーラに比べればかなり雑だが、フェリックスは鼻歌を歌いながら、水気を拭く作業を手伝ってくれている。
「え? 全然。オレ勉強好きじゃねぇもん。難しいこと考えると、知恵熱でちゃうしさ」
「だったら何でそんなに楽しそうなわけ?」
フェリックスの表情がパッと明るくなる。
「そりゃあ、ルナちゃんみたいに可愛い子の隣に座れるんだから」
太陽のような笑顔でそう言われ、ルナは照れ隠しに葉を外す手に力を入れた。
「お世辞はいいから」
「お世辞じゃないって。可愛くない女の子はいないけど、ルナちゃんはその中でもすっげぇ上の方!」
社交辞令だとは思いつつ、純粋無垢な目で、それも結構顔立ちのいい青年に『可愛い、可愛い』と言われて心地よくなる。話を聞くと、上に姉が五人いる六人兄弟の末っ子らしい。体は立派に青年なのに、甘え上手でどこか母性本能がくすぐられるのは、そのせいだろうとルナは思った。
「ねえ、聞いてもいい?」
「何でもござれ」
「第二皇子のことなんだけど」
フェリックスは薬草を拭く手を止め、とても分かりやすく眉を顰めた。
「兄皇子のこと? 何でそんなこと聞きたいんだ?」
「いえ、ここに来てしばらく経つけど、見かけたことないから気になっただけ」
「ま、そりゃそうか」
フェリックスはすんなり信じたらしい。単純だなと思った。
「でもどんな方かって聞かれると正直困るかな。会話したこともないし、俺は三の皇子専門部隊だから」
「何かしら、噂くらい耳にするでしょう?」
「噂っつっても、兄皇子は戦好きの三の皇子と違って、引きこもりっつぅか、学者肌っつうか。なあなあ、これって食える?」
「食えない。じゃあずっと部屋に閉じこもって勉強してるってこと?」
食べられないと言われた赤い実を、フェリックスは残念そうに見つめる。
「そうだなー、公式の場で顔見るくらいで、あとは時たま書庫行ったり、外でごそごそ何かしてるのを見かけるくらいかなぁ。あ、じゃあこれは?」
「食えません。外でごそごそって……?」
「生き物がお好きらしいから、観察でもなさってるのかも」
生き物好きが、あんな風に草を枯らすだろうか。
「はい、終了。あー疲れたルナちゃん……」
甘えるように、ルナの膝に頭を乗せて長いすに横たわる。頭を叩いたが彼は「痛い」と言うだけで、そこを動こうとしない。まるで大きな猫だ。
「でも、ルナちゃんみたいな優秀な医術師が来てよかった。一の皇子みたいなことになったら、閣下もさぞかし落胆されるだろうし」
「一の皇子って、七年前に亡くなった、イーサン第一皇子のことよね」
「まあそうなんだけど……」
「何?」
奥歯に物が挟まったような言い方をするフェリックスを見下ろす。彼は本気で悩んでいるらしく、ルナの顔を見ながらも、戸惑うように視線を泳がせていた。
「でも、これ言ってもいいのかなぁ。隊長怒るかなぁ」
「そこまで言ったんなら言って」
フェリックスは上半身を起こすと、神妙な面持ちでルナを見つめた。
「隊長が言うにはさ、一の兄皇子と三の皇子の掛かっている病気が一緒じゃないかって」
「――何ですって?」
ルナは愕然としたように凍り付く。
「あくまで勘だぜ、勘。あの人、別に医術に詳しいわけでもなんでもねぇし、オレと一緒でむしろ体を使う方が得意なタイプ。それに俺たちが三の皇子の護衛隊に抜擢された時には、すでに一の皇子は亡くなってた。けど……あの人の勘、何でかよく当たんだよなぁ」
フェリックスの言葉に、ルナはしばし考えるように手を止めた。
○$○$○
日も暮れ、ルナは濡れた髪を柔らかなタオルで拭きながら、洗面台の鏡に向かって難しい顔をしていた。
「第三皇子は病じゃ無くて、呪いに掛かってるのよ? なのに、それと同じ症状を第一皇子が患って亡くなってたなんて……。どう考えても普通じゃないわ。銀輪の医術師協会なのか……それとも」
庭先で会った、妙な紫紺の瞳の青年のことがふと脳裏をよぎる。
「やめやめ! 夜に考え事をすると、眠れなくなるだけだわ」
洗面所を出てベッドへ向かい、明かりを消して布団に潜り込んだ。その途端、何かが腹に絡みついてくる。
「え?」
「遅かったな。待ちわびたではないか」と男の声。
布団からひょっこり顔を出した皇子に、ルナはこれでもかというくらい目を見開いた。
「ぎゃあああああっ!」
慌てて布団から飛び出そうとするが、男の腕力には敵わない。おまけに足で腰を押さえつけられ、完全に身動きがとれなくなった。
「な、な、何をしに来たんですか!」
「決まっているだろう。夜這いだ」
ふぅー、と耳の中に息を吹きかけられて背中がぞくりとする。
「いやああっ! な、何をシレッととんでもないこと言ってるんですか! ふざけてないで、出て行ってくださいよ! ムドー! ムドーぉぉ!」
「残念だが、うちの宮廷は、室内の声が隣へ聞こえるような柔な構造ではない」
「この変態皇子!」
「男は誰しも変態だ」
「冗談はよしてください!」
以前のように術をかけようにも、シャワーを浴びるときに腕輪をテーブルの上に置いてきてしまった。どうすればこの窮地を脱出できるのか、ルナは必死に考えた。
(そうだ!)
意気込むように唾をのむ。
「は、はっはっは! 皇子、何か勘違いしているようだな。じ、実は私……俺は男なのだ。お前は男とそんな関係を持つのかね? ん?」
「すぐにバレる嘘を」
際どい位置に手を置かれ、ルナは真っ赤になりながら心の中で絶叫した。
「お前には感謝している」
「いや、女人族という女のような男で……って、え?」
思いがけない言葉に、ルナは暴れるのをやめた。
「今までどんな医術師も途中で匙を投げ、どうにもならず余命まで宣告されていた。だが、今は随分体も軽くなったし、何よりお前は助かると言ってくれた。それがどれだけ薬になったか。女だなんだと侮辱してすまなかった」
沈痛な声だった。心からわびているような。思わず笑みがこぼれる。
「女性への見方を改めてくださったようで良かったです」
「女への見方を改めた覚えは無い。俺はお前に謝っただけだ」
「あの……おっしゃっている意味がよく」
「お前を誰にも渡したくない」
思いがけない言葉と強い抱擁に、ルナは体を硬くした。手玉に取られてたまるかと思いつつ、真剣さを帯びた言葉に、頬が意思に反して朱に染まる。体が熱くてしかたなかった。
「ルナ」
暗がりに目が慣れ、徐々にジェイドの顔が鮮明に見え始めてきた。ゆっくり顔を近づけてくる皇子の白い額に、反射的に手をあてがう。
「何だ」
「いえ、急に言動に異常が見られたので、てっきり新たな病に掛かったのかと」
「掛かっているかもしれん、別の病に」
額に置いた手を握りながら下ろされると、その手の甲に優しく口づけられた。
「……っ」
もうだめだ、顔は完全に真っ赤になっているだろう。
「どんな優秀な医術師すらも手に負えない、お前にしか治せない病に」
ジェイドに覆い被される、髪を掬って口づけられた。一連の所作には、何の迷いも濁りもない。さすが皇族だと思うほどに、洗練された動作だった。
「だ、だ、第三皇子……? 私たちが子作りをしているとか何とかという噂は、十分信憑性を持って宮廷内に流れておりますので、全くもって真実にする必要はですねぇ……」
「ジェイドでいい。そう呼んでくれ」
「皇子、悪ふざけもいい加減に……っ」
完全なる貞操の危機に、これは不味いと己を奮い立たせたが、顔を近づけられて勢いがあっという間に削がれた。アルキスもそうだが、貴族というのはボタン一つ、香水一つにもかなりのこだわりがあるらしい。相手は腐っても帝国の皇子。一分の隙も無い美青年に迫られ、頭が爆発しそうに真っ白になった。
「ほかの男どもは名で呼ぶくせに、なぜ俺だけ違うんだ。不平等だろう」
「あ、あなたはお立場が違うでしょうが」
「医術師と患者……ではないのか」
「それは……」
「もうお前には、遠慮しないことにした。ジェイドと呼ぶか、ここでキスされるか、どちらを選ぶ」
「そんな強引な選択肢がありますか……っ」
ジェイドはルナの顎を指でなぞる。ぞわぞわと妙な感覚に腰がしびれそうになった。水面のように揺らめく、青い瞳に呑まれそうになる。声を上げたところで助けは来そうにない。
形のよい唇が耳のそばまで来て、ルナは羞恥に顔をそらした。
「俺は帝国の皇子だ。俺は俺が欲しいものを、何でも手に入れてきた。お前もその中の一つだ。元老院などもはや関係ない」
吐息とともに流れ込む言葉と低い甘い声に、心臓が破裂しそうなほど速度を上げている。一度は元老院の思惑に、と言ってキスしてきた男。そんなことを言われても、心からは信用できない。
「私はモノではありません」
「俺のモノになる」
「あ、あのですねぇ、皇子」
「呼ばないんだな」
皇子に顎を持って正面を向かされた。女の自分より綺麗な肌、すんだ瞳、完璧な顔立ちがすぐ目の前にある。彼は目を閉じ、急くように首を伸ばした。
「ジェイ……っ」
鼻先が触れあった瞬間、ルナは必死に皇子の胸を押しながら名前を口にした。ぎりぎりで止まったジェイドは、ゆっくり距離を置くと、獲物を逃した獅子のように恨めしそうな顔で唇をかみしめていた。
「なぜこのタイミングで言うんだっ。あともうちょっとで……」
「ご不満なら、これからも『第三皇子』と呼ばせていただきます」
「……一瞬だけ。軽く」
「お断りします」
ルナの強い口調に、ジェイドは捨てられた子犬のような瞳で見つめてくる。
「拗ねてもしません! 早くどいてください!」
皇子は渋々ルナの上から降りると、再びルナを腕と足で拘束しながら目を閉じた。
「ちょ……ここで寝る気ですか? 帰ってくださいよ!」
「夫婦は閨を共にするものだ」
「誰と誰が夫婦ですか!」
「お前を絶対に手放さないことにした。覚悟しておけ」
一体どんな風の吹き回しだと思いつつ、自分に向かって紡がれる皇子の直向きな声に、危うく囚われそうになって小さく首を振った。




