第1話 訛ったら、札を下げられる
訛ったら、札を下げられる。
王立詠唱院の入学試験で、最初に言い渡される決まりがそれだった。
会場の壁には、木の札がずらりと掛かっている。表には赤い字で「訛り矯正中」。うっかり地元の言葉が出た受験生は、これを首から下げたまま残りの試験を受けさせられるらしい。
実際、さっき試験官にお礼を言うとき語尾が伸びてしまった栗色の髪の女の子は、もう札を下げて長椅子に座っている。うつむいた耳が真っ赤だ。
(想像しただけで腹痛くなってくるべ)
あ、今の口に出てないよね。慌てて唇を押さえる。よし、大丈夫。心の中だけだ。
私はサヨ、十六歳。雪が腰まで積もる北の村から、乗合馬車を七回乗り継いでここまで来た。村の言葉しか知らなかったのを、この二年、通りがかりの行商人に頭を下げて王都語を教わった。おかげで最近は寝言まで王都語だ。多分。(弟には、夢の中まで気取ってて気持ち悪いと言われた)
この国の魔法は、王都語で唱えるものと決まっている。地方の言葉で唱えると威力が出ないうえに暴発する、というのが学院の教えだ。だから訛りは「詠唱の乱れ」と呼ばれて、直すべき悪い癖の扱いになる。
懐には、ばっちゃが縫ってくれたお守り袋が入っている。中身は塩だけ。何に効くのかと聞いたら、腹が減ったら舐めろと言われた。
「五十一番、サヨ・ミナカミ」
「は、はいっ」
声が裏返った。どこかでくすっと笑い声がする。まだ何も唱えてないのに。
試験は単純だった。机の上の蝋燭に「灯れ」と唱えて、火をつける。それだけ。合格の目安は、拳の半分ほどの火だという。
さっきの男の子は拳ほどの火を一発で点けていた。金の刺繍が入った上着の、いかにも王都育ちって感じの子だ。その前の子も、その前の子も、芯がぼっと明るくなる。
私の番。深呼吸して、舌の位置まで意識して、教わった通りに。
「灯れ」
発音は完璧だったと思う。行商人のおじさんにも、最後は「もう教えることがねえや」と言われたのだ。
なのに、芯の先にできたのは豆粒みたいな火だけだった。ちりちり震えて、三つ数える前にふっと消えた。
「規定の火力に満たない。次」
試験官は蝋燭も見ずに言った。眼鏡の奥の目が退屈そうだ。
(……だよね)
がっかりはしたけど、驚きはしなかった。二年やって届かなかったんだから、そういうことなんだろう。ぺこりと頭を下げて、机から離れる。
「灯れ」と唱えるたび、ずっと思っていたことがある。これ、誰に言ってるんだろう。
村では、火は借りるものだった。ばっちゃがよく言っていた。人様の火に偉そうな口をきくもんでね、と。
出口へ歩きながら、両手を口元に持っていって、はぁっと息を吹きかけた。緊張しすぎて指先が氷みたいに冷たい。村にいた頃から、朝の手がかじかんだときの癖だ。
「……ばっちゃ、火ぃ貸してけれ」
ぼっ、と背中で音がした。
振り返ると、消えたはずの蝋燭に火がついていた。豆粒じゃない。橙色の、太くて丸い、囲炉裏の火の色。揺れもしない。ただそこにあって、部屋の隅までじんわり暖かくなってくる。
「訛ったな」
試験官が、いつの間にか手に持っていた木札を持ち上げた。
「詠唱の乱れだ。札を――」
言いかけて、止まった。視線が蝋燭に釘づけになっている。
彼は火消し壺を蝋燭にかぶせた。火はするりと壺の縁から出てきた。水差しの水をかけた。ジュッとも言わなかった。
「……齢を量る水晶盤を持ってこい」
運ばれてきた水晶盤の針は、ふつう、火の前でも零のままだ。火は点けた瞬間に生まれるものだから、齢なんてない。
その針が、ゆっくり動きだした。二十、八十、百五十。
二百十六で止まった。試験官の手から、木札が落ちてからんと鳴る。
誰も喋らなかった。長椅子の栗色の髪の女の子が、札を下げたまま火に見入っている。その口から「……ぬくい」と小さな声がこぼれた。私の村とは違う訛りだった。
金の刺繍の男の子は、ほかの人と顔つきが違った。驚いているというより、泣くのをこらえているみたいに見えた。
(あ、これ、まずいやつだべ)
ようやく気づいた。今、全員の前で、思いっきり訛った。
「あの……これ、返してもいいですか。日ぃ暮れる前に返さねぇと、ばっちゃに叱られるんで」
「待て」
試験官が、水晶盤を抱えたまま叫んだ。
「まだ返すな! 絶対に返すな!」
窓の外は、もう夕焼けの色をしていた。




