第89話 ルッタの日常?
「今日もいいグラフィックです! おはようございますリリア姉さま! よろしくお願いしますエルナ先生! 経験値! 今日もいいグラフィックです! おはようございますリリア姉さま――」
早朝、誰よりも早く目覚めたルッタツーが行うのは、ルッタになりきることである。
「今日もいいグラフィックです! おはようございますお母さま! よろしくお願いしますお父さま! 経験値! 経験値! 経験値!」
自室の一番近くにある洗面所へ行き、鏡と向き合いながら何度も同じ言葉を繰り返すルッタツー。
もちろん、ルッタと同じ無邪気な笑顔を作ることも忘れてはいけない。
「今日もいいグ……うっ、おぇっ、うぇぇえっ!」
突然、ルッタツーは言葉に詰まり嘔吐してしまう。
毎日ルッタになり切らなければいけないことによる精神的なストレスは、想像を絶するものであった。
「うぐっ……わ、我は……我は何をしているのだ……っ」
鏡を見つめながら、掠れた声で呟くルッタツー。
「ルッタはいつ帰ってくる……! 我が消えないということは……死んでいるわけではないはずだ……!」
彼の目の下の隈は、日に日に濃くなっている。
「とにかく、バレてはいけないぞ……!」
ルッタツーは魔法でそれを覆い隠し、洗面所を後にするのだった。
*
「おはようございます! お母さま!」
ルッタとしての一日を開始したルッタツーは、廊下ですれ違ったステラに向かって元気に挨拶をする。
「ええ、おはようルッタ」
ステラは優しい声で返事をし、彼にゆっくりと近づく。
「今日も良い……お天気ですね……!」
少しだけ後ずさりながら言うルッタツー。
「そうね。……偶にはお勉強をお休みして、外で遊んでもいいのよ?」
「い、今はお勉強の方が面白いので、大丈夫です!」
あまりにも完璧すぎる返答であった。
慌てるとルッタらしさを忘れ、普通の良い子として振る舞ってしまうのが彼の欠点である。
しかし、本物のように無闇矢鱈にゲーム用語を使うことは、この世界に生きる生命としての矜持が許さなかった。
――この世界は決して作り物などではなく、生きとし生けるものたちは皆尊い命である。
真実を知ってもなお、彼はそう考えていた。むしろ、そうであってくれなければ魔王として人間を支配することに何ら意味がない。
人の命が尊いからこそ、壊すことにも価値が出てくるのだ。
「ルッタ……今日は顔色が少し悪いわ。……昨日、あまり寝ていないでしょう?」
その時、ステラがルッタツーの顔をじっと見つめながら言った。どうやら、魔法では隠しきれなかったようだ。
「……き、興味深い魔導書を見つけてしまったので、夜更かししてしまいました! えへへ……」
「夜はしっかりと寝なさい。ここ最近、ずっと疲れた顔をしているわよ……?」
「ご、ごめんなさい……」
「……いい子にしなさいとは言ったけど、無理はしすぎないでね」
ステラは少しだけ心配そうな表情をしていた。
「いいえ、お母さま。僕は無理なんかしていません。いつも通りですよ!」
「……それならいいの」
「では、お父さまに剣術を教わる時間なので僕はこれで!」
「頑張ってね、ルッタ」
「はい!」
ステラは遠ざかっていくルッタの後ろ姿を見つめながら、寂しそうに呟いた。
「ここまでいい子になってしまうと、それはそれで母親として張り合いがないわね……」
次の瞬間、彼女はハッとした様子で顔を上げる。
「もしかして……私の教育が良すぎたのかしら……?!」
とても嬉しそうであった。
*
その後、庭に出たルッタツーは日課である剣術の稽古をしていた。
もちろん相手はクロードである。
当然、魔王の一部分であるルッタツーの方が強大な力を持っているため、程よく手加減しなければならない。
「そこだッ!」
「……わあっ?!」
クロードが大きく踏み込んでくるのを見切ったルッタツーは、あえて攻撃を受けて尻餅をつく。
「い、いたた……やっぱりお父さまには敵いません!」
そしてわざとらしく言うのだった。
「いいや……そんなことはないぞ。目線は明らかに俺の一撃を捉えていたからな。あと少しすれば、本気の俺とも問題なく打ち合えるようになるだろう」
「ありがとうございます。お父さまにそう言っていただけると嬉しいです!」
ルッタツーは鏡の前で何度も練習した笑顔を作る。
「……ところで、最近調子はどうだ?」
「えっ……?!」
予想外の問いかけに、びくりとするルッタツー。
「げ、元気……です!」
そう答えつつも、何か間違いを犯してしまったのではないかと怯えていた。
近頃は完全に疑心暗鬼である。
「……あまり無理はするなよ」
一方、クロードは珍しくそんな忠告をした。
「……それ、お母さまからも言われました。僕はそんなに無理をしているように見えますか……?」
より正確な擬態を行うため、ルッタツーはさり気なく情報収集を試みる。
「ああ、見えるな。……王都での騒ぎ以来、お前は見違えるようないい子になった。まるで、早く大人になろうとしているみたいだ」
――どうにかルッタになろうとしているだけだ。
「もちろん、それを悪い事だとは思わない。しかし焦りすぎて体や心を壊すのもよくないからな。……以前のお前のような気楽さも、時には必要だと俺は思う」
「そう、ですか……」
「まあ気楽にいけばいいさ!」
そう言ってクロードは力強くルッタツーの背中を叩いた。
「うぐ……っ!」
それが出来れば苦労はないと激怒しそうになるルッタツーだったが、唇をかみしめてどうにか堪える。
(我はなぜ……すぐ殺せるような奴らを相手にここまで怯えているのだ……! なぜこのような茶番を……っ!)
ルッタツーは、ルッタとして振る舞わなければいけない生活に苦しむのと同時に、奇妙な心地良さも覚えていた。
(なぜ……ずっとここに居たいなどと考えている……っ!)
人間の温かみに触れてしまった魔王は脆いのである。




