第37話 主と忍者とルッタ!
蜘蛛蔵の地下、薄暗い座敷牢にその少年は囚われていた。
肩まで伸びた黒髪は蝋燭の微かな光を受けて艶めき、切れ長の目は周囲の闇に溶け込むかのような深い墨色をしている。
ぼろぼろの衣服に身を包んでなお、彼の中性的で凛とした姿からは気高さが損なわれていなかった。
――彼こそが木乃花ユキマル。田貫の国を治める木乃花家の嫡子である。
小さくうなだれている彼の口元からは血が滲み、両の手足からは明らかに殴られてできた痣がいくつも見える。
「……いい加減、親分の言うことを聞いた方がいいぜ。もう痛い目には会いたくねぇだろ?」
牢の前で見張りをしていた一匹の鬼が、冷たくユキマルに語りかけた。
「神子だか何だか知らねえが、ようはオレらにその力を分け与えてくれりゃあ良いんだ。簡単な話だろ?」
鬼は牢屋の格子に顔を寄せ、殺気を込めた低い声で続けた。
「……それで、お前が殺したオレらの仲間もさっさと元に戻せ。じゃなきゃオレがお前を殺す」
神子とは、ヒサギリの地に稀に生まれる、神の如き力を持つ者への呼び名だ。
彼らは生命を操ることができる。触れた相手の活力を奪うことも、逆に分け与えることも、望むままに行えるのだ。
無機の物に活力を分け与えればそれは意志を持って動き出し、奪えば元に戻る。
それが神子と呼ばれる者たちが持つ力であった。力の使い方次第で国を生かすことも殺すこともできるからこそ――こうして鬼たちに狙われたのだ。
「……殺したければ殺すがいい。私は……そなたらの脅しには屈しない」
ユキマルは、俯いたまま静かに言った。
その声は細くかすれてはいたが、不思議なほどに澄んでいて、彼の頑なな意思を感じさせるものである。
「つくづく生意気なガキだなァ。なら、お望み通り殺して――」
鬼が唸るように言いかけた次の瞬間。
「ぐっ、がはッ……?!」
突然口から血を吐き出し、鬼はその場に崩れ落ちる。
驚いたユキマルが顔を上げると、薄闇の中で短刀が光を反射し、煌めいていた。
「……オボロ?」
小さな声で、彼は従者の名を呼ぶ。
「ユキマル様っ!」
すると、格子の向こうから少女の声が返ってきた。
「助けに……来てくれたのか……?」
「はいっ! オボロは主様をお助けに参りましたっ!」
二人が再会を喜ぶより先に、もう一つの声が響く。
「ありました、牢屋の鍵です! これは大切なモノなので、絶対に燃やしてはいけませんよオボロ! 燃やさないでくださいねっ!」
倒れている鬼の懐を漁っていたルッタが、嬉々として叫んだのである。
「オボロ、そっちの者は……」
「るっ太にござりまする。ここへ来る途中で拾いました」
「拾った……?」
彼女の説明を聞き、ユキマルの表情に困惑が浮かぶが、今はそれどころではない。
「とにかく、まずは牢屋を開けましょう!」
「素性はよく分からぬが……ともかく感謝する」
「――開きました!」
ルッタは入手したばかりの鍵を使い、素早くユキマルを解放した。
「あっちの牢屋にも宝箱があるので見てきますね! イベントの進行は確認が終わってからです! 待っていてください!」
ルッタはユキマルに対して一方的にそう告げると、別の牢屋に向かって走り去ってしまった。
「嵐のような少年だな……」
「ユキマル様っ! ひ、ひどい怪我でござるっ!」
牢の中へと足を踏み入れたオボロは、ユキマルの痛々しい姿を見て小さく悲鳴を上げる。
「私は……大丈夫だ」
「どこも大丈夫ではございませぬ……っ!」
慌てて傷の手当てをしようとするオボロを、ユキマルは手で制す。
「――それよりも、そなたに一つお願いしたいことがある」
その真剣な声音に、彼女は動きを止めて顔を上げた。
「はい……何なりとお申し付けください」
「――私を殺してほしい」
オボロの瞳が大きく揺れた。
「な、なぜ……?」
彼女の口から震える声が漏れる。
「木乃花家の者は……父上も母上も、みな鬼に殺された……。私が……このような力を持って生まれたばかりに」
「ユキマル様……」
「私が生きている限り……必ず争いの火種となる。……私さえ死ねば……鬼どもだって何もできはしまい」
そう言って、彼はオボロの手をそっと握った。
「だから頼む……私を殺してくれ、オボロ」
「――嫌ですっ!」
少女は即座に叫んだ。
「……無理だというのなら、そなたの短刀を貸して欲しい。そうすれば……私は自分で死ぬ」
「絶対に嫌ですっ!」
涙が溢れそうになりながら、オボロは首を横に振る。
「これが……そなたに対するお願いではなく、命令であったとしてもか?」
ユキマルの問いかけに、彼女は小さく頷いた。
「拙者は……本来であれば忍びにもなれず、幼少の頃に病で死んでいた身――あの時ユキマル様が来てくださらなければ……この場にはおりませぬっ! もうダメだと諦められていた幼子に救いの手を差し伸べてくれたのは――あなたなのですっ!」
「オボロ……」
「ユキマル様が死ぬとおっしゃるのであれば……拙者にもこれ以上生きる意味はないでござるっ! あなたがその力で救って下さった命は……全て無駄だったのでござるかっ?!」
彼女の頬から零れ落ちた涙が冷たい床を濡らす。
「そ、そのようなことは……一言も……」
ユキマルはそこまで言いかけて、観念したように首を振った。
「……オボロ。私は……生きるべきか?」
彼は真っ直ぐな瞳で問いかける。
「はいっ! 田貫の国を導けるのは……ユキマル様、あなたしかおりませぬっ!」
「……そうか」
ユキマルは大きく息を吐き、こう続けた。
「……では……そうしよう」
それから、彼はふらつきながらもゆっくりと立ち上がる。
「もしも次に……私がこのような腑抜けたことを口にしたら、その時は遠慮なく頬をぶってくれ」
「そ、そのようなことは恐れ多くてできませぬっ!」
「ふふ……前に、忍びは何でもできると言っていたではないか」
「まだまだ未熟者ゆえ……っ!」
「そうか。――私と同じだな」
そう言って、ユキマルはほほ笑んだ。
――そこには、確かに主従の絆が存在していた。
「ありました! 分身の術の秘伝書ですっ!」
……秘伝書も確かに存在していた。




