第31話 自由に屋敷を抜け出したい!
その日、ルッタ・アルルーは思い悩んでいた。
「これは……難しい問題です……」
昼間、自室にて机に向かいながら独り言を呟く。
「やはり難しかったですか?」
彼の言葉に反応したのは、隣で家庭教師として算術を教えていたエルナである。優秀な彼女は、ルッタの監視に加えて教育まで任されることになったのだ。
「ルッタ様であれば出来るかと思いましたが……」
「いえ。この問題が難しいのではなく、難しい問題があるのです……!」
「……はい?」
あまりにも意味不明な返答に首を傾げるエルナ。
(エルナに見つからないようにしながら、毎日お屋敷を抜け出すには……一体どうすれば……!)
一方、ルッタの頭の中はそんな考えでいっぱいだった。
近頃は貴族としてふさわしい人格と知識を身につけるために勉強をしなければいけない時間が増え、以前よりもさらに屋敷を抜け出しづらくなってしまったのである。
ルッタにとって、これは由々しき問題であった。算術の問題など全てどうでもよくなってしまうくらいに。
「うぅ……困りました……困り果ててしまいますよ……っ」
「あの、ルッタ様……もしや疲れていますか?」
言いながら、エルナはおかしなことを言い始めた彼の顔を心配そうに覗き込んだ。
そして次の瞬間。
「――そうです! 僕がもう一人いれば良いのです!」
ルッタは元気よく立ち上がりながら叫ぶ。
「申し訳ありません、ルッタ様。思っていた以上に深刻な状態のようですね」
その様子を見たエルナは、すでに手遅れだと判断した。
「――確かに、最近は座学ばかりで……ルッタ様にとっては楽しくなかったかもしれません。これは私の責任です」
「……そうなのですか?」
画期的なひらめきのことで頭が一杯だったルッタは、曖昧な返事をする。
どうやら話を聞いていなかったらしい。
「たまにはお休みさせてあげても良いとステラ様もおっしゃっていましたし……今日はもうお休みにしますか?」
彼女の提案は、ルッタにとって願ってもみないものであった。
「はい! お休みにします!」
思いがけず舞い込んで来た幸運に喜び、即座に返事をするルッタ。
「それでは、いつもの挨拶をしてください」
「きをつけ! 礼! ありがとうございました!」
「……いいでしょう。あなたは今日一日お休みです」
「ご機嫌よう、エルナ先生!」
彼はエルナに挨拶をした後、物凄い勢いで部屋を飛び出していくのだった。
「……イーリス王女の話し方が移ったのでしょうか?」
エルナは部屋を出て行く彼の後姿を見送りながら、そんなことを呟くのだった。
「まあ、礼儀正しいのは良いことですね」
にっこりと微笑みながら。
*
自室を出てすぐ、ルッタは物陰でアステルリンクを取り出す。
「分身の術を習得しましょう!」
――そして、忍者のようなことを言い始めた。
分身の術は、ヒサギリ神国で入手できる『秘伝書』を読むことで習得可能な忍法であり、自身のHPとMPを分割してもう一人の自分を生み出すスキルである。
原作ではパーティに空きがなければ使用不可能だが、基本的に単独行動をする今のルッタには関係のない話であった。
(分身の術を応用すれば……お屋敷に分身を残したまま、自由に世界を冒険することができるかもしれません……! 脱走し放題です!)
とんでもないことを考えながら、希望で目を輝かせるルッタ。
彼は慣れた手つきでアステルリンクを操作し、移動先をヒサギリに設定する。
「いざ、出発です!」
そして、屋敷から忽然と姿を消すのだった。
*
――アルティマ大陸の東の果てにある島国であるヒサギリは、神の末裔であるとされる日神家によって統治されている国家だ。
しかし、実質的な支配は彼らの権威を得た将軍家によって行われている。
近年は将軍家の力が弱まったことで各地の有力な大名たちが台頭し、互いの領土をかけて争う戦国時代となった。
原作においては、星災禍の混乱に乗じて勢力を拡大した魔道家の当主、魔道ナガノブによって国土の大半が支配されており、天下統一目前の状況となっている。
ナガノブは自らを魔王と名乗る危険な人物であり、主人公たちは彼の配下であったヒデミツという男に協力して謀反を起こすのだが……その身に魔王の力を宿していたはヒデミツの方であった――という流れで話が進んでいく。
その後、主人公たちは再びヒサギリの平和を取り戻すためにヨシヒデという武将に協力し、天下統一を目指して更なる争乱に巻き込まれていくのである。
ヒサギリ編のストーリーは日本の戦国時代の史実やトンデモ説を元ネタにしつつも意外性のある展開が多く、真の黒幕が判明するまで話が二転三転するので、アルティマ・ファンタジアの中でも特に評価が高い。
……ちなみに、ルッタの前世は歴史にもストーリーにも興味が薄い人間だったので、それほど印象には残っていないようだ。「お話が難しすぎます!」というのが彼の評価である。
――そんなルッタが訪れたのは、将来的に大暴れする魔道家が治めている焉土の国の片隅だ。
日本っぽい草木が生い茂る山の中へと出現したルッタは、大きく深呼吸をしてからこう言った。
「懐かしい気がします!」
なお、前世の彼は都会育ちである。
「このお屋敷も、まさに和風といった感じです!」
ルッタの目の前には、朽ち果てた怪しげな屋敷が悠然と佇んでいた。
分身の術の秘伝書は、この山奥にひっそりと佇んでいる『鬼幻楼』という妖怪屋敷型のダンジョンにある宝箱から入手するのが一番手っ取り早い方法なのだ。
「それでは、さっそく中に――」
彼が鬼幻楼の扉を開けようとしたその瞬間――どこからともなく飛んできた苦無が目の前に突き刺さるのだった。
「これは――くせものですか?!」
ルッタは即座に手を引っ込め、周囲をキョロキョロと見回す。
「くせ者はお主でござるっ!」
すると、どこからともなくそんな声が聞こえてくるのだった。




