第22話 誘拐犯に洗脳されてしまいます!
「い、いやあああああああああっ!」
突如として頬を伝った冷たい感触に、思わず悲鳴を上げるイーリス王女。
――ボト、ボトボトボトッ!
程なくして、彼女の目の前に液体の塊が落ちてくる。
「な、なんですのこれっ!? いやぁっ!」
イーリスは何度も叫びながら、必死の形相でルッタの腕にしがみついた。
「わたくしっ! スライムは苦手ですのっ! きゃーーーーーーっ!]
怯えてぶるぶると震える王女。
「知っています」
「どうしてわたくしの秘密をっ?!」
――ネタキャラである彼女には、このような謎の設定がいくつも存在しているのだ。
「では……わたくしがお料理を作るとなぜかスライムみたいになってしまう……ということも!?」
「知っています」
これも彼女に存在する謎設定の一つである。おそらく、製作陣はキャラとしての個性を出そうと迷走していたのだろう。
「乙女の秘密をそこまで知っているだなんてっ! あなたもしかして……前からわたくしの――フアンですのっ?!」
「違います!」
あっさりと否定されてしまったイーリスは、少しだけムッとする。
「……もうっ、先ほどから冷たいですわね!」
「このスライムもどきがですか?」
「わたくしに対するあなたの態度がですわっ!」
「今はそれどころではないので!」
イーリスがパーティメンバーに加わっていると、どうしてもシリアスになりきれないという深刻な欠点が露呈しつつあった。
「あらあら……とっても微笑ましいですねぇ……」
目の前に落ちてきた謎の液体は、そう言いながら人の形を取り始める。
「私も一緒に……その中に混ぜてはくださいませんかぁ……?」
そうして、白の背教者の一員であるセレーヌが姿をあらわすのだった。
「す、スライムが……人に……?!」
「やはりセレーヌですか。経験値はそれなりです!」
驚愕の表情を浮かべるイーリスと、いつも通りのルッタ。
(HPもMPもあまり回復していませんし……少し困ったことになりました!)
しかし現在の彼はクラウスとの戦いで魔力を消耗しているため、セレーヌを倒すことは難しかった。
「私……ルッタ君に名前を名乗った覚えはないのですけれどぉ……」
「僕もセレーヌに名前を教えた記憶はありません!」
「……不思議な子ですねぇ。夢視……でしょうかぁ……?」
セレーヌは首を傾げる。彼女が口にした夢視とは、夢によって未来を知る能力を持って生まれた者のことだ。
「もしそうであれば……クラウスがあんなことになってしまった理由の説明もつきますねぇ……」
そんなことを呟きながら、後ずさる二人にゆっくりと距離を詰めてくるセレーヌ。
「イーリス王女! この人には捕まらないように気をつけてください!」
「わ、わかっていますわ……!」
セレーヌには、精神感応という特殊な能力がある。スライムの形態で捉えた人間と精神を同調させ、ノクト教団の敬虔な信徒へ洗脳することができるのだ。
ちなみに、ゲームシステム的には洗脳状態になると味方に攻撃するようになってしまう。一定のターンが経過するまで解除されないので、とにかく離れて戦いたい厄介な相手だ。
「……なるほどぉ……そういったことも《《視える》》のですねぇ……」
セレーヌはルッタの発言から、自身の能力が見破られていることを悟る。
「でも大丈夫……一度私と一つになればぁ……きっとあなた方も教団の素晴らしさを心の底から理解することができますよぉ……! 大切なのは暴力ではなく対話……そして愛なのですぅ……!」
そう言いながら自身の着ていたローブを脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿になるセレーヌ。
「さぁ……三人で、高みへと昇りましょう……ッ!」
何もまとっていない状態で液体化することで、彼女はより洗脳の力を高めることができるようになるのだ。
「みっ、見てはいけませんわルッタっ!」
イーリスは大慌てでルッタの目を覆う。
「なんてはしたない……っ! こ、こんなのっ、目の毒ですわ……っ!」
ちなみに、彼女自身は目をまん丸に見開いてセレーヌの胸を凝視していた。
「何も見えません……! 離してくださいイーリス王女! これでは二人とも捕まってしまいます!」
一方、事情を理解できないルッタは、必死に頭を動かして目隠しから逃れようと試みる。
「大丈夫……。何も心配はいりませんよぉ……」
言いながら、再びゆっくりと溶けていくセレーヌ。
見れる姿になったので、イーリスは目隠しをやめた。
「……ふぅ、やっと見えました! ――どうしてこんなことをするのですかイーリス王女っ!」
「なにも……ありませんでしたわ」
王女は凛として答える。しかし、完全に放心状態であった。
「さあ、今こそ……私と一つにッ!」
次の瞬間、液体と化したセレーヌは機敏な動きで二人に飛びかかり、体を丸ごと呑み込んだ。
「んっ、ぐっ、ごぼぉっ!」
「ごぼぼぼぼっ!」
セレーヌの中で溺れ、苦しげな表情を浮かべるルッタとイーリス。
「大丈夫……落ち着いてください。私を受け入れてしまえば……苦しまずに済むはずですぅ……」
セレーヌは精神感応を発動し、優しい声で二人の脳に直接語りかける。
(わたくしは……リゼリノ王国の第三王女……っ! こんなところで、負けるわけには……!)
「……わかります。本当のあなたは、ずっと苦しんでいたのですよねぇ……?」
(な、何を言って……っ!)
「自由のない王宮での暮らし、重くのしかかってくる期待と責任、求められ続ける王女としての振る舞い……お母さまを亡くしたばかりの七歳の女の子には、あまりにも苦しい環境ですよねぇ……?」
(…………っ!)
イーリスの母であるリゼリノ国王の王妃は、今から一年ほど前に重い病に罹り、帰らぬ人となっていた。
「許嫁くらいは自由に決めたいと思うのも……いっそ全て投げ出して逃げたいと思ってしまうのも……何らおかしなことではありませんよぉ……。気丈に振る舞っていてもぉ……本当は寂しかったのですよねぇ……?」
セレーヌは、そんな彼女の心に深く入り込んでいく。
(わ、わたくしは……そんなっ……! うぅっ……!)
「我々に協力していただければぁ……きっと、またお母さまに会うことができますよぉ?」
(お母さま、に……?)
イーリスに対する洗脳は順調に進んでいる様子だった。
このままでは、じきに完了してしまうだろう。
(ま、まずいです……! 早くボタンを連打して抜け出さないとっ!)
「……わかります。本当のあなたは……あなたはぁ……ええとぉ……?」
対して、ルッタの洗脳は手こずっている様子である。
「……もっと食べたかった? パーティで? ……そ、そうですかぁ」
思考から弱みを見つけ出そうにも、そもそも何を考えているのかイマイチ理解できないのである。
「ほ、他に何か悩みは……」
(このままでは……ゲームオーバーです……っ!)
「……ゲーム? うふふ……どうやら、それに強い思い入れがあるようですねぇ」
しかし、どうやらルッタの精神を攻略する鍵が「ゲーム」という言葉にあることを掴んだようだ。
「……あなたの言うゲームとは一体なんなのか……私に教えていただけませんかぁ……? 誰にも理解されなかったとしても……私とならきっと分かり合えるはずですぅ……!」
洗脳に長けたセレーヌは、複雑な思考の持ち主にも柔軟に対応することができるのである。
「知りたいですかッ?!」
「えっ?」
……しかし、彼女はとんでもない誤算をしていた。
「ゲームというのはですねっ! 実は%♯△※$?◎×……なんですよっ! おまけに×◎※%Ω◇※※※で――つまりゲームとはこの世の真実なのですっ! それから――」
ルッタの精神の構造は、この世界を生きる人間のものとは大きく違うのである。
「ま、待ってください……! そんな、いきなり……っ! あぁっ!」
――次の瞬間、彼女の脳内に流れ込んできたのは、到底理解の及ばない未知の記憶と異常な思考の数々であった。
(こ、この世界はゲーム……? なんですかそれ? ――しっ、知りたくありませんそんな……ことっ! け、経験値……? ステータス? レベル? ゲーム? ドロップアイテム? アルティマファンタジア? ゲーム? ゲーム、経験値、ゲーム、経験値、ステータス、レベルアップ、経験値、ゲーム、ゲーム、ゲーム、したい、したくない! ゲーム、こわい、たすけて、こわい、ゲームしたい、ゲーム、やだ、ゲームしたい、こわい、ゲームしたいゲームしたい、たすけてゲームしたいゲームしたいゲームしたいゲームし――)
彼女の頭の中は、一瞬にしてルッタの思考の波に呑み込まれた。
「あ、あっ、あああああああああああッ!」
結果的に、セレーヌは正気を失い絶叫しながら弾け飛んだのである。




