第18話 王宮に潜む厄介者!
リゼリノ建国記念祭が行われる間、王城は衛兵たちによって厳重に警備される。
特に裏門から裏庭、そして裏口へと続くルートは侵入を目論む者が真っ先に目を付ける場所であると想定されるため、多くの衛兵が配置されていた。
裏口には必ず二人の衛兵が待機して警備を行う決まりになっている。
そのうちの一人である、兵士にしては精悍な感じが一切ない痩せぎすの男――クラウス・ウィンザールは、あくびをかみ殺しながら退屈な時間を過ごしていた。
「ところでお前……見ない顔だが、新入りか?」
すると、交代でやってきたばかりの相方の兵士がそんなことを聞いてくる。
「……ああ、さっき王国近衛兵団に入団したばかりだ。裏の採用ルートからな」
クラウスが答えると、男は「つまらない冗談はよせ」と言って笑った。
「祭りで街中が浮かれてるっていうのに、こんな仕事をさせられてるんだ。冗談の一つも言いたくなるさ」
「おいおい、あまりそういうことを言うなよ。俺はともかく、他の忠誠心が高い奴らに聞かれたら大変なことになるぞ?」
衛兵の男はやる気のないクラウスを嗜める。
「……なに、どうせ俺とお前以外は誰も聞いちゃいないさ」
対するクラウスは、あくび混じりにこう続けた。
「退屈しのぎに一つ……話をしよう。お前に聞きたいことがあるんだ」
「……言ってみろ」
衛兵の男はそう促す。
「お前は……『女神と大聖女』の伝説を知っているか?」
すると、クラウスはそんな問いを投げかけた。
「ああ……もちろん知ってるさ。何せ、この国の建国神話の一節だからな。リゼリノで生まれ育った人間なら、子供の頃に寝物語として親から聞かされるだろ。……まあ、今となっては大まかな内容しか思い出せないが」
「では俺がもう一度教えてやろう」
「おいおい、退屈しのぎってそれかよ……」
衛兵の男は呆れたように呟いた。
クラウスはそんな彼のことを無視し、静かに『女神と大聖女』の伝説を語り始める。
*
――昔々、魔王が支配していたこの地に、聖なる力を持った一人の少女が現れた。
彼女の名はリーズ。後に大聖女と呼ばれる存在だ。リーズは生まれたばかりの頃、彼女の力を怖れた魔物たちの手によって両親を殺され、森へ捨てられた。
魔物たちは聖なる力を持つ彼女に害を与えることができず、殺せなかったのである。
本来であればそのまま死んでゆくはずだったのだが、彼女はとある精霊と契約し、親代わりに育ててもらうことで命を繋いだ。
その精霊の名はフェリアという。
フェリアはリーズにとって唯一の他者であった。親としてだけでなく、時に姉として、時に友人として、求める関わりの全てを与えたのである。
やがてリーズは強大な力を持つほどに成長した。人としての在り方をフェリアから教わった彼女が願ったのは、魔物たちに虐げられる人々の解放だ。
リーズはフェリアと共に魔王に戦いを挑み、七日七晩に渡る死闘の末、ついに魔王をこの地へ封印することに成功したのである。
しかし――その代償にフェリアは力尽き、精霊石に戻って永い眠りについてしまう。
最後にフェリアはリーズにこう言った。
「人々が再び魔王に怯える日が来たなら――もう一度私を呼び覚まして」
その言葉を受け取ったリーズは、魔王を封じた大地の上に城を建てた。
この地を救った彼女を崇める者たちがそこへ集まり、やがて大きな国になる。
リーズを支え続けた精霊は女神として祭られるようになり、王家の象徴となった。
――そうしてリゼリノ王国は始まったのである。
*
「……お前はこの話を信じるか?」
伝説を語り終えたクラウスは、顔を上げて衛兵を見る。
「は……?」
不意の問いかけをされ、たじろぐ衛兵。
やがて、少し声をひそめながら答えた。
「子供じゃあるまいし……本気で信じてる奴なんて居るはずがないだろう? 強大な力を持った女神や魔王なんて実在するわけがない。大聖女の話だって……どこまで本当だか……」
彼は声をひそめる。王家の成り立ちにも関わってくる話なので、建国神話の真偽について討論するのは一般的に憚られることなのだ。
「――いや、全て本当だ」
クラウスは衛兵の言葉をきっぱりと否定した。
「魔王も女神も……神話の時代を生きた大聖女も、全て実在する。『女神と大聖女』は実際にあった話だ」
あまりの気迫に、衛兵の男は何も言い返せない。クラウスはそんな彼には構わず、まるで独り言のように続ける。
「――俺には分かる。あれは女神と大聖女の……真実の愛と、覚悟と、訣別の記録だ。どこにも嘘偽りはない」
「さっきから……何を言ってるんだ……?」
衛兵は後ずさった。
「本当に貴様は……あの話を聞いた時に、ただの作り話だとしか思えなかったのか? 大聖女がどんな想いでこの国を建てたのか……理解できなかったのか? 女神と別れることになってまで、民の救済と世界の平和を心から願った大聖女の覚悟を……嘘だと切り捨てるのかッ!」
「そ、そうか……お前は……」
――面倒くさい奴だったんだな。
衛兵は後悔していた。この手の厄介な人間とは初めから会話するべきではなかったのである。
「……よせよ、俺が悪かった。――だが、あまりそういう話を会ったばかりの奴にすると……おかしな人間だと思われるぞ?」
わずかに残った親切心から、そんな忠告をする衛兵の男。
「違う! おかしいのは貴様らだ……! 浅い解釈で物事を語りやがって、おまけに俺の突き付けた真実を否定してきやがる。大聖女の目指した平和な世界の行き着く先がこれか? これでいいのか!?」
「あの話にそこまで夢中になれるのは……お前くらいだと思うぜ……」
彼は完全に呆れ果てていた。クラウスはあまり話の通じない人間らしい。
「――だからこそ! 貴様のような愚民どもにあの話が真実だってことを教えてやるんだよ。魔王が蘇ってこの国を荒らせば、嫌でも理解できるだろ?」
「お前……それはどういう――」
「もういい、長話に付き合わせて悪かったな」
クラウスが言った次の瞬間。
「……水球」
衛兵の耳元で、女の囁く声がした。
「へっ――?」
水が弾ける音と共に、衛兵の胸に大きな穴が空く。
「ぐっ、かはッ?!」
何が起こったのかを理解する前に吐血し、彼は地面に倒れ伏したまま動かなくなる。
「ごめんなさい……少々、邪魔だったものでぇ……」
いつの間にかそこに立っていた長い髪の女が、息絶えた衛兵に向かって眠くなるような声で言った。
「遅いぞ、セレーヌ。退屈すぎて全て投げ出そうかと考えていたところだ」
クラウスは不機嫌な表情をしながら女に向かって言う。
「あらあら、それは困りますぅ……」
セレーヌと呼ばれた女は、水の滴る手で髪をかき上げながら続ける。
「……これからぁ、我々は王家の人間を攫わなくてはならないのですからぁ」
彼女の着ている白いローブには、ノクト教団のシンボルが輝いていた。
近頃、王国で勢力を増しているノクト教団は、暴力を絶対的な悪としている。
それは魔王という絶対的な存在から民に対して正しく振るわれるべきものであり、愚かな人間が行使するものではないからだ。
しかし、教団の秘匿された執行機関である白の背教者の者たちは、崇高なる目的のため、本来の教義に反する――許されざる暴力による障害の排除が認められていた。
「まったく、隠密行動に白いローブなぞ着てくるな」
クラウスはセレーヌに吐き捨てる。
「これは我々の所属と高潔さを表す、我々にとっての正装なのですよぉ……? せっかく王宮へ入るのですからぁ、あなたもドレスコードくらいはちゃんとしてくださいねぇ……?」
「………………」
そう言われたクラウスは何も答えず、一瞬にして姿を消す。
「ああっ、また単独行動を……! 仕方のない人ですねぇ……」
続いて、セレーヌはローブと体を液状に変化させ、スライムのように音もなく地面を這いずりながら、何処かへと消えていくのだった。
――王宮の裏手を警備していたはずの兵士たちは、間もなく全員姿を消すこととなる。
障害を排除する際は骨すら残さない。それが彼らのやり方なのだ。




