第121話 人間性を獲得しないでください!
早朝。
目を覚ましたルッタツーは、淡々と着替えを済ませて鏡の前に立つ。
「おはよう。ルッタ・アルルー」
それは、毎朝欠かさずに行う儀式のようなものだった。今日一日を、彼――ルッタに成り切って過ごすための。
「おはよう、僕」
そうして、無理やり口角を吊り上げる。
しばらくの間そのままでいると、淀んでいた瞳にも光が宿ってくるような気がした。
「僕は、ルッタ」
魔王として復活するべく、色々な人間の体を渡り歩いてきた彼にとって、他者に成り済ますことなど造作もないことであるはずだった。
己が崇高なる魔王であるという自覚さえあれば、下等な人間を演じようとも自分を見失うことなどない。
――しかし、彼は魔王ですらなかった。
本当の魔王の手によって作られた偽者。取るに足らない寄せ集め。
「僕は……誰?」
自身の中にあるルッタとルッタツーの境界すら曖昧になり、溶け合い、いつの間にかその輪郭すら失いつつあった。
自分がどうしてここに居るのか、何故こんなことをしているのか、時々思い出せなくなる。
「…………」
窓の方へ目をやると、大粒の雨が硝子を打ちつけていた。
暗く、澱んだ曇り空を眺めて、彼は呟く。
「今日も良いグラフィックです」
それを合図に、ルッタになるための儀式は終了する。
部屋の扉を開けると、そこには同じく目覚めたばかりの姉の姿があった。
「おはようございます。リリア姉さま」
ルッタツーは精一杯の笑顔を作り、挨拶をする。
「おはよう、ルッタちゃん」
優しい笑顔で応えるリリア。
近頃、彼女はルッタとルッタツーの入れ替わりに関して何も言わなくなった。
見分けが付かないくらい完璧に成りきれているのか、あるいはすでに期待されていないのか。その答えは、彼には分からない。それでも、失望されない為にできる限りの笑顔を作り続けるのだ。
「朝ご飯の時間よ。今日はお父さまもお母さまも……みんな揃っているわ」
「本当ですか? それは嬉しいです」
嬉しいのは事実だったが、それ以上に感じるのは罪悪感だった。
いつまでこんなことが続くのだろうかと、ルッタツーは最近よく考える。
自分に愛を教えてくれた人たちを欺き、偽りの家族の座に収まり続ける日々。
本当の自分は、誰からも歓迎されてなどいない。されるはずがない。
大勢の人間を恐怖に陥れてきた魔王の残滓なんて、今すぐにでも消えるべき存在だ。
――あまりにも長過ぎたルッタとしての人間らしい生活が、彼の心に人間的な罪悪感を芽生えさせていた。
しかし背負うにはあまりにも罪が重すぎる。だからといって捨てることもできない。
せいぜい苦しみながら――本当のルッタが家族と過ごす時間の大切さに気づいた時、彼の中で永い眠りにつくのが良いのだろう。きっと、それが自分にとって最大の罰となる。
ルッタツーはその日が来るのを心待ちにし、また恐れてもいた。
「一緒に行きましょう?」
「……はい。リリア姉さま」
姉に手を引かれながら、このまま永遠に時が止まってしまえば良いのにと願う。
幸せなはずの時間が、静かに彼の心を苦しめていた。
*
同じ日、同じ時間。
「おはようございますバルザールさん!」
ルッタは秘密基地の扉を勢いよく開け放つ。
「研究の進捗はどうなっていますか!?」
そして、部屋の奥でスライムの残骸にまみれて寝ているバルザールの方を見て言った。
「……ん? ああ、もうそんな時間でしたか」
彼はそんなことを呟きながら、ゆっくりと体を起こす。両目がマスクで隠れているので分かりづらいが、どうやら今起きたらしい。
「まったく、私は夜型の人間なのですから、朝はもう少しゆっくりと寝かせて欲しいものですね」
「ちゃんと規則正しい生活を送らないと、頭が働きませんよ? 狂気の錬金術師だからって、生活習慣まで狂気に満ちているのは良くありません!」
「……誰のせいで、私が不規則な生活を送る羽目になっていると思っているのですか?」
バルザールは心底不愉快そうに問いかける。
「それはもちろん――バルザールさんです!」
胸を張って答えるルッタ。スライムの残骸を拳で殴りつけるバルザール。
皮肉が通じずに怒り狂うところまでが、いつもの朝の流れである。
しかし、捕獲される以前から不規則な生活を送っていたので、ルッタの言っていることが正しかった。
「なるべく早く完成した方がとても嬉しいですが……寝る時間を削るほど急がなくても大丈夫ですよ?」
「暴行を加えた上で脅迫を行い、監禁までしている相手に対してそんなことを言ってくれるのですか。一切信用できませんが、涙が出そうです」
「よく分かりませんが、泣かないでください!」
「…………」
「研究の進捗はどうなっていますか?」
近頃、バルザールは目の前の少年が言葉の通じない怪物であるという考えに確信を抱きつつある。
「……とっくに完成してますよ。さっさと連れて行きなさい」
彼は疲れ果てた様子で答えるのだった。
「それはよかったです!」
「……ちなみに、自分で使うつもりなんですか?」
ちょっとした好奇心から、そんなことを問いかけるバルザール。
「まずはルッタツーとリリア姉さまにプレゼントしようと思います! 二人には、色々と迷惑をかけてしまっていますからね!」
「……驚きました。あなたの中に迷惑などという概念が存在していたのですね」
予想外の答えに、驚愕の表情を浮かべる。
「はい! 僕は人を思いやる心を学んだので、もちろんあります!」
――ルッタもルッタツーも、確かに人として成長しているのだった。




