第106話 魔王と正しい心
とある貴族の少年は、家族のことをとても愛していた。
朗らかで頼れる父、優しさと厳しさを併せ持つ母、心配性だが弟想いの姉。
彼らと過ごす日々は幸せに満ち溢れていて、心が温まる思いだった。
しかし、この幸せがずっと続くわけではないことを彼は知っている。
やがて訪れる終わりに対する不安がそうさせるのか、近頃は同じような悪夢を見るようになってしまった。その悪夢の内容はこうだ。
まず、自分の前に全く同じ姿をした偽者が現れ、体を返せと迫ってくる。
少年は恐怖のあまり逃げ出し、必死に走って疲れ果て、そして追い詰められる。
どうしようもなくなったその時、少年は自身が『ルッタ・アルルー』ではなく『ルッタツー』であることを思い出し、どちらが本当の偽者であるのかを理解するのだ。
*
「うわああああああああッ!」
深夜、悪夢から目覚めたルッタツーは叫びながらベッドから転がり落ちた。
「くるなっ! やめろっ! うわああああっ!」
彼は必死にもがきながら、まとまりついてくるルッタの幻影と戦う。
「ルッタちゃんっ?!」
そんな声を聞きつけた姉のリリアが、血相を変えて部屋へ飛び込んできた。
「いやだああああああっ!」
「ルッタちゃんしっかりっ! 何があったのっ?!」
普通ではない弟の元へ大慌てで駆け寄り、肩をゆするリリア。
彼女の必死の呼びかけによって、ルッタツーはいくらか正気を取り戻す。
「リリアっ、姉さまぁ……っ! 僕っ……ずっとここに居たいですっ! ずっとずっと……みんなで暮らしたいですっ! ひっぐ、うぅっ、うえええええんっ!」
ルッタツーはリリアに抱きつき、みっともなく泣きじゃくりながら、そんな胸の内を吐露した。
「……当然よ。私たちはずっと一緒だわ」
リリアは落ち着いた声で答える。
「――あなた達どうしたのっ?!」
次の瞬間、今度は母のステラが部屋へ駆け込んできた。
「お母さま、ルッタちゃんが……」
リリアの視線からおおよそのことを理解した母は、二人の元へ歩み寄りそっと抱き寄せる。
「……かわいそうに。またいつもの怖い夢を見たのね」
それから、優しい声でこう続けた。
「……大丈夫よルッタ。この家は安全だもの」
「お母さま……っ、お母さまぁっ!」
「ルッタ……安心して。何も怖いことはないから……ゆっくりと目を閉じなさい」
「ひっぐ、うぅぅ……っ」
たったひと月で身も心もアルルー家に絆されてしまったルッタツーは、いずれ訪れるルッタの帰還という終焉に怯えているのである。
*
それから数日後の朝、運命の時は突然訪れた。
「お久しぶりですルッタツー! お留守番ありがとうございます!」
底抜けに明るい声に叩き起こされたルッタツーの目に飛び込んできたのは、間近に迫ったルッタの笑顔であった。
「わあぁッ――」
――ゴンッ!
思わず飛び起きたせいで、二人の頭が激しく衝突する。
「せ、先制攻撃を受けました……」
涙目でその場にうずくまり、ぷるぷると震えるルッタ。
「ど、どうして……どうしてお前がここに……ッ!」
一方額の痛みどころではないルッタツーは、ベッドから降りなるべく距離をとって問いかける。
「なんで……っ!」
その表情は完全に怯えきっていた。
「どうしても何も……お家に帰ってきただけですよっ!」
額を赤くしながら答えるルッタ。流石の彼も、あまりの仕打ちに怒り気味の様子である。
「……もう僕の代わりはしなくていいので、分身を解除しますねっ! 今までありがとうございました!」
ルッタが宣言した次の瞬間。
「い、いやだっ!」
ルッタツーは全力で首を振りながら叫んだ。
「……いやだ? それはどういう意味でしょうか?」
「僕は……僕がルッタだっ! 代わるなんて絶対にやだっ!」
「な、なんと……!」
予想外の返答に驚愕し、目をまん丸に見開くルッタ。
「どうしてですか?」
彼は首を傾げた。
「お父さまもお母さまもお姉さまも……みんな僕に愛を与えてくれたっ! 家族がどういうものかを教えてくれたんだっ! みんなと離れるなんて……絶対にしたくないっ!」
ルッタツーの目から一筋の涙がこぼれ落ちる。
「ルッタツーが……家族愛に目覚めてしまいました!」
「それの何が悪いんだっ!」
「だって……一応は魔王の一部なのですから、そんな簡単に絆されないでくださいっ! 安直ストーリーすぎますよっ!」
あまりにも酷い言葉を投げかけるルッタ。
「僕の方が……みんなを幸せにできるっ! お前に大切な家族は渡さないぞっ!」
「魔王もどきなのに……言っていることが主人公みたいです……!」
あまりにも真っ直ぐなルッタツーの瞳を見て、流石のルッタも感じるものがあったらしい。
彼は少し考えた後、こう言った。
「うーん……別に無理やり消しても良いのですが……分身も一応は人かもしれないので……ここはパッシブスキル『人を思いやる心』の見せ所ですね……」
「何を言ってるんだ……!」
「決めました! 僕が師匠から教わった人を思いやる心と、ルッタツーが僕の家族から教わった家族の愛……どちらがより強いか勝負しましょう! 勝った方が正しいことにします!」
「お前に人を思いやる心なんてないッ!」
「ひ、ひどすぎます……! でもやっぱり魔王っぽくありません!」
こうして、真のルッタ・アルルーを決める戦いが始まり――最終的にルッタツーが敗北して消えることとなった。
分身では本体に逆らえないのである。




