友人Sからの手紙
祖母の通夜があった。
幼なじみであり婚約者のユキと共に実家に戻ると家族が迎えてくれた。
「ご無沙汰してます」
ユキが母に挨拶をした。
「ユキちゃんありがとうね。お祖母ちゃんも喜んでるわ」
「この度は御愁傷様です。心よりお悔やみ申し上げます」
「お祖母ちゃん、みんなに愛されて幸せだったと思うのよ」
母はハンカチで目頭を押さえた。
「わざわざありがとうなー。ビールでも飲んでって」
奥から兄貴の明るい声が聞こえた。
相変わらずチャラい。
「ネクタイ無いんだってな。貸してやるよ。そういや、お前に手紙が来てたよ。ほら」
兄貴が無造作に黒いネクタイと手紙を投げつけてきた。
一通の手紙が実家に届いていた。
白い封筒だった。宛名は自分。差出人の名前は、無い。
誰だ? 不思議に思いながらも封を切る。出だしはこうだった。
『親愛なるアキトへ。俺はお前に言わなければならないことがある。俺はお前の妻に出会ったときからずっと彼女を愛していた』
ここまで読んで声をかけられた。
幼なじみの連中だ。
長年、祖母は地元で教師をやっていたので、教え子でもある俺の同級生たちも訪れてくれていたのだ。
義臣、誠也、信之助、晴樹…。
どいつも小学校や中学校からの友達だ。
地元から離れずに仕事をしてる奴らばかりだった。
「千鶴先生、88歳だってな」
「優しい先生だったよな」
「最後に会ったのいつだっけ」
思い思いに祖母のことを語っていく。
だか、俺はほとんど上の空だった。
差出人がこの中にいるのか?
ユキに向かう友人らの視線を観察した。
こんな手紙を俺に寄越してどうするんだ。
目的は何だ?
俺の横に気配を感じた。
「アキト、久しぶりだな」
親友の佐々木太一だった。
一番古い友人だ。
「ユキ、元気か?」
「太一くん、久しぶり。そっちこそ元気?」
太一は都会の大学に進学して地元を離れ、そっちで就職をしていた。
相変わらず生真面目で優しい良い男だ。
会うのは半年振りだったがそんなブランクを感じさせず、誠也やユキとも楽しく話している。
この中で俺の次にユキが心を許しているのは間違いなく太一だろう。
太一はユキに優しい眼差しを向けている。
まさか、お前じゃないよな。
俺は太一を横目で見ながらビールを一気に流し込んだ。
「そういやお前たち、式は挙げるのか?」
人差し指で眼鏡をあげながら誠也が聞いた。
「ああ、そのつもりだったけどバアちゃん亡くなったしもう少し先になるかな」
まだ二十代だし元々結婚はもう少し先でいいと思っていた。
ユキとは何があっても別れるつもりはないし、ユキも同じ気持ちだから急ぐことはない。
「長いよなー、付き合って何年? 高校の時からだから……八年か」
義臣が指を八つ折り、目を見開いた。
「八年も待たせるかねぇ」
晴樹はやれやれといった感じで手のひらを軽く上げた。
「長すぎるだろ。ユキ、こいつは見切って他のやつにしとけ」
女たらしの信之助が俺に向かってシッシッというポーズを取る。
「なに言ってんだよ」
太一がそれを制す。
ユキは少し笑って俺を見た。
全員の視線が俺に注がれる。
「やめろよな、もう。バアちゃんの前だぞ」
苦笑いをしつつ、俺は全員を見渡した。
手紙の差出人は今、どんな表情なんだ。
義臣、晴樹、信之助は笑っていたが、誠也は祖母の遺影を眺め、太一は真顔でビールを飲んでいた。
疑心暗鬼になりながら、通夜は進んでいく。
「ちょっとトイレ」
俺はトイレのドアを閉め、ポケットに入れていた手紙を取り出し続きを読んだ。
『夏祭りの夜、お前たちが付き合うことになったのを聞いたときはショックだった』
高校三年の夏祭りの日、俺はユキに告白することを決めていた。
格好いいところを見せたかったので、俺は兄貴から浴衣を借りた。茶化されつつも「がんばれよ」と応援してもらった。
親には友達と夏祭りに行くと嘘をついて家を出てユキの家まで行き、神社の境内で告白をした。
なかなか信じてもらえなかったけど、最終的にはOKをもらえた。
ユキと俺が手を繋いでいるところを義臣、誠也、そして親友の太一に見つけられて、なんだかんだと言われたが、あの時は祝福されているものだとばかり思っていた。
『もしかしてお前は彼女に対して本気じゃないのかもしれない、別れる可能性もあるかもしれないと思い、その時が来るのを待った。だが、お前たちは人生を共にする決意をした。もう俺にチャンスはやって来ないのだと悟った』
あいつらの誰かはずっとユキへの想いを持ったままだったのだ。
それを知らずに俺は呑気に惚気話をしていた。
そいつがユキを好きになったのは俺よりも前だった。十年以上もどんな気持ちだったのか。
知らぬ間に誰かを傷つけ続けていたのだ。そのうえ俺はユキを誰かに奪われるかもしれないという可能性があるにも関わらず、それには無自覚なまま、誰に対しても完全に安心しきって生きてきたのだ。
『こんな手紙を送りつけるなんてどうしようもなく情けないが、誠実でいるのも不誠実であり続けるのも疲れた。長年の想いを絶ち切るため、アキトにも俺の気持ちを知っていて欲しかった。そして心の底から安心して欲しくてこの手紙を書いた。俺は裏切り者で嘘つきだが、お前の幸せを一番に望んでいる。俺は諦めた。二度とお前たちの前には現れない。約束をする。俺は死んだ。幸せに。友人S』
死んだ? どういうことだ。
背筋が冷たくなる。
自殺予告なのか? そうであれば早く差出人を見つけて止めなければ。
いや、止める? 俺がか? ユキを手に入れた憎き男から自殺を止められて、そいつはどういう気持ちになるんだ?
額に手を当てうなだれたままトイレを出ると、祖母が靴を履く時に使っていた小さな椅子に腰を掛けた。
友人S。Sはイニシャルか……誠也、信之助。あとは、佐々木太一。
友人たちの姿を遠目で見ながら深くため息をつく。
誰がなぜ、どうしてこんなことを。
もう一度、手紙を眺めた。
何かが引っかかった。
夏祭り、俺が会ったのはあいつらだけか?
酔いが覚めていく。
ハッとして封筒の消印をみた。
札幌だ。
俺はこの差出人に気づいた。
顔を上げ、ある人物を見た。
目があった。
俺はそいつに声をかけた。
「兄貴、札幌はどう?」
祖母の通夜のため、実家に帰ってきた兄貴の現住所、札幌から送られた手紙。
最初からこの手紙は兄貴からだと気づくように仕向けられていたのだ。
夏祭りの夜に、俺とユキが付き合うことになったことをハッキリと言ったのは兄貴だけだ。手を繋いでいたところを見た友人たちは、俺がユキのことを好きなのは知っていたはずだし、わざわざ聞いてくるやつなどいなかった。
他にも気づいたことがある。
本当に友人なら“友人”なんて書かない。わざと“友人”と書いたのだ。
もしも俺と兄貴がこのことで話し合いでもしたら、間違いなく家庭は崩壊しただろう。俺とユキの間にも溝が出来たに違いない。
そこで兄貴は自分の名前は書かずに、あえて友人の誰かだと書いて直接対決を避けたのだ。
その上で、兄貴は俺の幸せを心から願うと宣言をし、一生ユキの義理の兄として生きていく覚悟を俺に知らしめたかったのだ。
そう、これはあくまでも“友人”からの手紙。兄貴とは何も始まっていない。そういう意味なのだ。
唾を飲み込んだ。
空気がひりつく。
汗ばむ手で封筒を握りしめた。
兄貴は目尻にシワを寄せた。
そして唇がゆっくりと開く。
「楽しくやってるよ。いま付き合ってる子がいるから今度紹介するわ」
そういうと俺は兄貴と見つめあった。
長い長い一瞬だった。
先に動いたのは兄貴だった。
ふっと目を細め、
「がんばれよ」
そういって俺の肩を叩いて親戚の輪の中に入っていった。
身体が強張って動けなかった。
それでも俺の目は兄の姿を追う。
叔父に挨拶をし、酌をする兄。
「おお壮太、元気か! 札幌はいま雪がすごいだろう」
「そっすね。まあ春になれば全部溶けるんで! 叔父さんも元気そうで何よりですよ」
兄はいつもよりも優しい笑顔で答えた。
こんな手紙、格好悪いだろ兄貴。
なのに、なんだよ。
友人Sは死んだ。
二度と俺の前には現れない。
終