ダルダルの忠告
カフェ・ダガールに客が来なくなった。
近頃は巡礼者や交易商人が一日に二、三十人は立ち寄っていたのだが、ここ数日は全く寄り付かなくなってしまったのだ。
大陸行路に人がいなくなったわけではない。
往来はそれなりにある。
ただ、十人が十人ともうちの店を素通りしていく。
ちょっとおかしな事態である。
俺のカフェだけならまあそういうこともあるか、と納得できるのだが、客がないのはシュナのところも同じだ。
交易商人たちが常に買っていくシュナの薬も、もう何日も売れていなかった。
「商売にはいいときと悪いときがありますからねえ」
がらんとした店の中で、唯一のお客さんであるダルダルさんが慰めてくれた。
ダルダルさんは長期バケーションでやってきたそうだ。
「すっかりこの星とカフェ・ダガールが気に入ってしまいましてね。あ、パンのお代わりをお願いします」
「あいよ。コーヒーのお代わりもあるぜ」
時刻は夕暮れ前だというのに今日はダルダルさんの他は一人の客も来ていない。
退屈したシュナも定位置であるボックス席で居眠りをしている。
ダルダルさんがいるので、いつものようなだらしのない姿ではないが……。
俺もやることがなくて、本日五杯目となるコーヒーを自分用のマグに注いだ。
そこへ深刻な顔をしてポビック爺さんがやってきた。
「いらっしゃい、夕飯かい?」
「いや、そうじゃないんだ」
ポビック爺さんはこの世の苦悩をすべて背負ったみたいな顔をしている。
なにやら心に重荷があるようだ。
「どうした、じいさん。孫娘に彼氏でもできたか?」
「冗談を言っている場合ではないぞ、ジン。大変なんだ」
ポビックさんは椅子にも座らず話をつづけた。
「神殿からお達しがあったのだ。ダガールの住人はカフェ・ダガールに近づいてはならない、とな」
「はあ? なんだ、そりゃ」
「ダカールの住人だけじゃないぞ。交易商人や巡礼者もこの店には入らないように圧力をかけられているそうだ」
「どうして神殿が? 俺たちは邪神崇拝なんてしていないのにな」
「よくわからんが、神殿と都の貴族が動いているらしい。なんといったかの、なんたらいう子爵家だ」
シュナが蒼白な顔でこちらを見ていた。
それでどういうことか俺にも理解できた。
先日やってきたシュナの姉のシエルナが神殿とパイエッタ子爵家に垂れ込んだのだろう。
客が来ないと思ったらそういうことか。
シュナは青い顔をしたまま二階へ上がっていってしまった。
ポビックじいさんは申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「すまねえ、ジン。そういうわけで常連たちもしばらくは顔を出せない」
言いつけを破れば破門になってしまうのだろう。
ここのじいさんたちは敬虔な信徒たちばかりだ。
そんなことになれば深く傷ついてしまう。
神官さんだっていい人なのだ。
だが、本部からの命令を無視するわけにはいかない。
一人一人が善人でも組織というのはこんなふうに動くものだ。
「心配するなって。俺は元Sランク冒険者だぜ。貯えならたっぷりあるから数年は困らないさ」
「そうかもしれんが、この辺の商店はジンに品物を売るなという通達まできているんだ」
「そうかい。何とかしてみるよ。そんなことよりポビックじいさんは早く帰った方がいい。ここにいるところを見られたら厄介だからな」
ポビックじいさんはすまない、すまないと繰り返しながら去っていった。
「やれやれ、面倒なことになっちまったな」
じっさいのところ金は何とかなる。
だが、買い物ができないというのは不便だ。
裏山の迷宮だけですべてをまかなうわけにはいかない。
「いっそ引っ越しますか? ジンさんにはお世話になっていますから、住めそうな星まで送ってあげますよ」
「ありがとう、ダルダルさん。でも恒星間移動はいらないかな」
「移民申請も通りづらいですしね」
ふざけている場合ではない。
違う星に行くというのは大袈裟だが、別の場所に避難するというのはいい考えかもしれない。
ここからならレッドムーン王国にも行きやすい。
シュナに相談してみるかと考えていたらちょうど階段を下りてきた。
手には大きなスーツケースを持っている。
「その荷物はなんだ?」
「チェックアウトよ。お世話になったわね」
シュナはすたすたと玄関へ向かう。
「おい、どういうことだ?」
「砂漠にも飽きたわ。だから帰るの」
シュナの考えていることくらい俺にもわかった。
俺に迷惑がかからないように出ていくのだろう。
「おい、つまらない心配をしなくてもいいんだぞ」
「これは私の問題よ。ジンには立ち入ってほしくない」
にべもなくそう言われてしまえば何も言えないような気になってしまった。
シュナは振り返ることなく扉を開けて西日の中へ消えていく。
「ここでの生活は……まあまあ楽しかったわ。それじゃあ」
俺は頭の中が真っ白になりその場に立ちつくす。
ドアがぱたりと締まり、店の中が少し薄暗くなった。
「ジンさん、何をしているのですか!」
ダルダルさんが俺をとがめた。
だが、シュナは自分の意思で出ていくのだ。
俺にどうしろと?
「すぐに追いかけなさい」
「…………」
動かない俺を見て、ダルダルさんの声が少しだけ優しくなる。
「私はかつて妻に出ていかれたんですよ。こんなふうに西日の強い日でした」
「ダルダルさんが?」
「あの頃はだらしのない男でしたからねえ、あいつも愛想を尽かしたのでしょう。でも、あのとき私が止めていれば、また違った人生があったのかなって思います。少なくともバカンスを一人で過ごすような寂しい中年にはなっていなかったでしょう。後悔しない日はないですよ」
「ダルダルさん……」
「シュナさんを追いかけなさい、ジンさん。今ならじゅうぶん間に合います。なんなら私の船を使ってもいい。ワープ2までなら出せますよ」
「なにそれ?」
「光速の三〇〇〇倍ほどです」
シュナを追いかけるのにそこまでのスピードは要らないし、まだ遅すぎるという気もしなかった。
俺はヒュードルを抜いて床の上に放り投げた。
「ダルダルさん、すまねえが……」
「私のことはおかまいなく。店のことも任せてください」
「恩に着る!」
俺はヒュードルに飛び乗ってシュナを追いかけた。
シュナにはすぐに追いついた。
「待てよ」
「いや」
声をかけてもシュナの足は止まらない。
「話を聞けって」
「私に命令するな。彼氏かよ……」
シュナは俺を無視して歩きつける。
「じゃあ乗れよ」
「は?」
「どこに行くのか知らないが送っていく」
「いらない」
「強情を張るな」
「しつこい!」
拒絶されるたびに度胸が据わってきたぞ。
もう、どうなってもいい、腹を割って話してみよう。
「頼むから乗ってくれ。シュナと離れたくないんだ」
ついにシュナが足を止めた。
そしてゆっくりとこちらに振り返る。
驚いたことにシュナは目にいっぱいの涙をためていた。
「どうして放っておいてくれないのよ! 私がどんな気持ちでカフェ・ダガールを後にしたかわかる?」
「まったくわからん! いいから乗れ」
「ジンの大バカ!」
シュナは俺の胸を拳で五発も殴ったがヒュードルには乗った。
「どこへいくんだ?」
「実家。ぜんいんぶっ殺す!」
「ということは都だな。じゃあ出すぜ」
夕焼けに染まり始めたダガール村を刀身に映してヒュードルは飛び立った。
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