第二話 千賀丸③
ヨロッ
「……ッおっと」
寝込みを襲った曲者を咄嗟の判断で斬り殺した雅。その急激に全身へ血液を廻らせた反動か、軽い眩暈を覚える。
そして足元が俄かに覚束なくなった彼は、腰砕けと成りそうな所をなんとか持ち堪えた。
反射的に飛び起きたものの、頭は血が足りていないのか霧掛かった様に暈けて思考が冴えない。
何かを口にしてもう一眠りしなければ成らんな。そう思った雅は、欠伸をしながら敵の血を振り払い、刀を鞘へ納めんとした。
「ん?」
しかし、其処でようやく彼は違和感を覚える。
刀を仕舞おうとしたら、それを入れる鞘が無いのである。
そして更にその鞘を探して目線を下へやると、刀を握っていると思っていた右手が、実は虚空しか掴んではいなかったのだという事に気付く。
手に取ったと思っていた物が影も形もない。
何処かで掌より抜けて飛んで行ってしまったのだろうか。では何時から いや若しかすと、初めから寝ぼけていて刀など握ってはいなかったのでは……
「 いッ、いきなり何すんだいアンタ″!! おいら一応命の恩人だぞ。それをお礼の一言もなくいきなり斬り殺そうとするたぁ、どんな了見だい!!!!」
雅が消えた刀の行方に首を傾げていると、今度は先程斬り殺した骸が転がっている辺りより甲高いキイキイとした声が聞こえてきた。
声のする方を向く。すると其処には齢十に行くか行かないかという少年が、腰を抜かしたのかケツを地面に張り付けて此方を見上げていた。
「アンタが眠ってる間ッ、おいらが他の人殺しや化け物どもを追い払ってやってたんだからな!! まったく、この千賀丸様が居なかったら今頃どうなっていた事か。本当なら金一封の礼を貰う所だが今回は特別に勘弁してやッ……グエ″ッ!?」
「 ワシの刀は何処じゃ?」
恩着せがましく話し掛けて来た、自らを千賀丸と名乗る少年。
その着物の襟を突如目にも止まらぬ動きで距離を詰め掴み、雅はペラペラと良く動く口を閉じさせる。
そして自分の得物を何処へやったと、人殺しの目で尋ねた。
「あ、あそこ……あそこの木に立てかけてッ ある………………」
その白刃を首筋へ押し付けられているかの如き殺気を真近で浴びた千賀丸は、苦しそうに言葉を詰まらせながら、素直に刀の在処を指した。
指先の延長線を目で辿る。すると確かに少し離れた所に木の幹へ立て掛けられた刀と短刀があり、更にその近くには血痕を洗い流された自らの着物が枝に掛かっていたのだ。
それで雅は漸く自分が褌一丁であり、全身を包帯でグルグル巻きにされているという事に気付いたのである。
(なんだッこいつ…! さっきは刀も無いのに斬られる感触があったぞ、しかも睨まれただけで息が出来なく成った。凄え、やっぱりこの侍 他の連中と何かが違うんだ!!)
千賀丸は、先ほど目前の男が腕を振った瞬間確かに感じた痛みを思い出し、背筋をじっとりと冷や汗で湿らせる。だがそれと同時、自分が出会った何か人域より逸脱した存在に対して強い興奮を覚えたのだ。
そして、何とかこの男に恩を売り守って貰うために勇気を振り絞り、着物を纏い刀を差す背中へと更に話し掛ける。
「なあッ、アンタ その着物まだ乾いてないぞ。おいらが態々川で洗って、つい今さっき掛けたばっかりなんだからな。それに手当もしてやった! 今飯も作ってやってる! しかも起きるまで守っててやった! なあ旦那、多少は貸しってもんが有るだろ??」
「 ああ、そうじゃな。助かった ………………ではやるか」
自分に貸しが有るだろう、そういう千賀丸に雅は口だけで礼を述べる。
そして今度こそ確かに鞘から刀を抜き、白ら光する切っ先を真っ直ぐに その命の恩人へと向けたのだった。
「やるって……何を?」
「決まっとるじゃろ、この地獄で人と人とが出会ったなら殺し合いじゃ。さっさと武器を取らんか小僧」
「こ、こッ、殺し合いィ″!?!? ちょ、ちょっと待てよオイラは旦那の命の恩人だぜ! その恩人を斬ろうってのかよッ!!」
「命の恩人、それが如何したと言うんじゃ。此処に落ちとるのは産みの母を殺し、育ての父を斬った様な極悪人共。命を救った程度で恩を売れると思ったら大間違いじゃぞ」
雅はまるで千賀丸の思惑を見破っているかの如く、恐ろしい程不純物のない真っ直ぐな眼光を送ってくる。
その女の如き細面で侮っていたが、やはり此処に居る以上狂人であった。想像を上回る話の通じなさ具合に少年は頭を抱える。
「それに、小僧貴様 ワシが目覚めるまで獄門衆やら獄卒やらを追い払っていたのじゃろ? その腕興味が有るッ。死にたく無ければさっさと得物を取らんか」
(獄門衆……獄卒……クソッ威嚇のために付いた嘘が逆に首を絞めてきやがった!!)
千賀丸が自分も多少は腕が立つと相手に思わせる為吐いた言葉。それに何と、雅は逆に食い付いてきたのである。
強いと知って挑み掛かってくる やはり此処の悪人共の考える事は理解出来ない。
「………………」
虚仮脅しでも自分を強く見せ、対等な関係を結ぶつもりであった。だが事此処へ至ったなら諦めるしかない。
千賀丸は対等ではなく、媚び諂って子分としてでも虎の威を借りようと心を決める。
「……… うッ、嘘です″!! オイラ別に旦那の寝込みを守ってた訳じゃない。寧ろ何かに襲われたら一目散に逃げ出そうとビクビクしてて、偶々何も襲ってこなかっただけなんだ!!!!」
「なんじゃ、嘘か。まあ構わんさっさとやるぞ」
「だからッ、オイラ弱いんだよ! 見れば分かるだろ。丸腰だし、それに子供だし!!」
「子供だから如何した。年幾つと行かずとも強い者はおるかも知れん それは死合うた後に分かる事じゃ。得物がないなら、 これを使え」
そう言って、雅は見据えた先の相手へと短刀を放った。
しかしその宙で数度回り地面へと突き刺さった武器を、千賀丸は手に取ろうしない。
「い、嫌だッ! オイラ人殺しはしねえんだ、刀なんて絶対使わねえぞ!!」
「フッ、人殺しをしないじゃと? 臆病者が!! この地獄でそんな生温い事を言って生きていけると思うなよ小僧。お前が刀を取らずとも、ワシら極悪人は躊躇なくお前を殺すぞ」
「なあッ、そんな怖ぇ事言わないでくれよ!! オイラもう三日三晩ひたすら頭のおかしい連中に追いかけられてヘトヘトなんだよ。旦那も腹減ってんだろ? よそってやるから一緒に飯食べようぜ!! 殺し合いなんて詰まらねえよ」
「 一々癪に障るガキじゃの。殺し合いが詰まらぬとは…ではワシの今までの生涯は、戦いに明け暮れたワシの一生は、詰まらぬ意味無き物だったとでも言うつもりか″?」
どうやら何がなんでも戦いたいらしい雅。しかし、その短刀を手に取れば死しか待っていないと確信している千賀丸は、何とかしてそれだけは避けようと言葉を尽くす。
しかし、思いもよらぬ発言で 相手の逆鱗を踏み抜いてしまった。
少し離れた所に浮かぶ真っ黒な瞳、それが動きを止め静かに座ってゆくを少年は見る。
「いやッ、そういうつもりじゃ……」
「もう良いッ。 ならばその身でもって、己が如何に愚かな事を言っているのか知るがいい。どうせこの先幾度も死んでは蘇りと繰り返すのじゃ、早い内に良心を斬り捨ててやるのが親切という物じゃろう」
雅はそう言うと、この地獄では滅多見ることのない綺麗な穢れなき瞳へ目掛け スゥッと刀を振り上げる。
そしてそのまま脳天を叩き割らんと、地を一蹴りに少年の頭へ刃を振り下ろした。
ッ パアァン″″!!!!!!!!!!!!!
だが、その踏み込んだ歩みに、突如響いた鼓膜へ残る破裂音と硝煙の匂いが待ったを掛ける。
既の所で背を反らした雅の鼻先を、鉛の弾丸が通り過ぎていった。
「悪いな侍、その子供は俺の獲物だ。手を出さないで貰えるかい?」
銃声の後を追って聞こえたその声に、千賀丸は肩を大きく跳ね上げる。
そして雅が声と弾丸の飛んで来た森の方を見ると、そこにはカーキ色の軍服を纏い銃剣を構えた男が、ニタニタと気味の悪い笑みを浮かべ立っていたのであった。
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