第二話 千賀丸②
ガギィン″!! ギン″! ズバァ″″ッ…………
『ぎ″ぃ″や″あ″あ″あ″あ″あ″あ″あ″!!!!』
日が落ち入れ替わりに月が輝き出した通り。その夜闇の中で数度鋼と鋼のぶつかり合う火花が弾けたかと思えば、突如毛色の異なる身の毛も弥立つような音が響く。
そしてその反響が消えるのも待たず、男の甲高い悲鳴が上がった。
『ま、待てッ待て! 訳を言えッ!! 何が望みじゃ、何の因縁でワシの首を狙うッ!!』
刹那の隙突いた一撃を受け右手首を半分落とされた男が尻餅を付き、口端が裂けんばかりに叫びながら後退った。
しかしその叫びに雅は一切耳を貸さない。まるで幽鬼が如くフラフラと歩み寄り、脇差を抜いて武士の威厳が脆くも崩れ去ったその男へ覆い被さる。
そして、月明かりに光る大きな瞳を見開いたまま、躊躇無くその脇差しを男の喉元へと振り降ろした。
ガシッ
『グウ″″ッ! ウ″ウ″ウ″ウ″ッ……頼むッ、勘弁してくれッ!!』
だが、その振り下ろされた刃を男は左の素手で握り止めた。
当然手は切れ、まるで赤い染料吸った手拭を絞るが如く大量の血が溢れた。
しかし、男は余程自らの命が惜しいらしい。尋常ではない痛みに顔を皺で埋めつつも、渾身の力で白刃を握り切っ先が自らへ落ちてくるのを阻止しようとする。
ググググゥ………
見せ付けられた生への執念。
雅はそれを受け、脇差を両手で握り、柄頭の上へ身体を乗せてより一層の力を込めた。
『辞めろ″ォ″、頼む後生じゃ辞めてくれぇッ!! 望みさえ言ってくれれば何でも……ゥア″ア″ア″ア″″ア″″″!!』
雅がそう無慈悲に体重を乗せた瞬間、止まっていた脇差の落下が再開する。刃が左手の肉を裂きズルズルと血に滑りながら下へ落ちてゆく。
そして遂に切っ先が男の喉仏へと到達し、その内側へと潜り込み始めた。
『ア″ ア″ ア″ ア″……何故じゃ、何故じゃ!! 何故ワシを殺すッ! 何故ワシが死なねばならんの ゲ″ボ″ォ″ッ』
切っ先が刻一刻その喉へと潜り込み、遂に気道へと血が侵入したのか悲鳴が途中で咽せ返るような咳で中断される。
だが、その男の口より吐き出された血が顔にビャッと掛かっても、雅は瞬き一つせず脇差へ掛ける力は全く緩まらない。
『ゲホ″ッ、ゲホ″ッ、ガァ …ゲ″ボ″ォ″ェ″!! 頼む…命だけは、ゲホッ!! 未だ家には年端もいかぬ子どもが居るのだ……ワシがッ、ゴフッ、此処でワシが死ねば妻も子も路頭に迷う…………』
男は血と共に家族の存在を吐き、懸命に命乞いを行う。
しかし妻も子も家族もいない雅には、その命乞いの意味が分からなかった。
この場での殺し合いに家族の存在が一体何だというのだ、お前に家族が居たからと言って自分が何だというのだ、家族がいて満たされているのだから自分は偉いとでも言うつもりか。
雅は、脇差にかける力を一層強めた。
『む、無念ッじゃ……アァァァァ…こんな筈では…ゲホッ、ゴフゥッ。村次…守子………母上ッ…なにも恩を返せず、申し訳ッ…………なッ…………あ、 ぁ?』
しかし、その上より込められる力が、男の口から出たとある言葉と擦れ違いに突如緩まった。
そしてその思いがけぬ相手の反応にキョトンとする男へ、雅は表情を変えずまるで瞼など存在しないかの如く見開かれた瞳を近づける。
『お前、母が居るのか?』
そして、そう微かに温かみを込めた問を落とした。
男はその相手が見せた意図の読めぬ行動に一瞬茫然とする。がしかし直ぐに本能でこれが生き延びる最後のチャンスだと悟ったのか、懸命に首を縦に振り始めた。
その反応を受け、 雅は敵の首へ突き立てていた脇差を引く。 本来柔和な顔立ちをニッコリと笑顔で歪める。
そうして更に、何とも愛情溢れる声でこう言ったのであった。
『そうか。ワシにもな、 母がおったんじゃ』
ッザグゥン″″………
引いていた脇差を一気に振り下ろし、その勢い付いた切っ先は手の間を擦り抜けて深々と首に突き刺さった。
男は 寸前に作っていた表情のまま永久に固まる。
危機一髪助かったとでも言う様な表情で、石の如く成った瞳を何時までもその自らを殺した相手へ向けていた。
そして雅は、最後の吐息が吐き出されるのを聞いて脇差を抜き、その真っ赤に染まった刀身を月へ掲げこう叫んだのである。
『……………母上様ァ″、見えておりますか″ァ″ァ″ッ!! 貴方様の子が、この手でッ武士をまた一人打ち取り申した!! この息子がまた一つ貴方の無念を晴らし申したァ!! どうか天でもう暫しお待ち下さいッ。必ずやこの雅が国中のモノノフというモノノフを皆殺し、其方へ無様な魂どもを送り届けてみせまするッ″!!!!』
夜の闇を突き抜け、この世とあの世の境を飛び越え、母の元へと届くように力の限り叫んだ。
すると、その天を仰いだ視界の端が俄かに白みだしているのに気付く。夜が終わり、世界が朝へと変わり始めようとしているのだ。
その自らを弾く白い光に、雅は獣の如くギラギラとした眼光を湛えたまま駆け出す。そして死者の怨嗟が込められた視線を背に感じながら、口笛を吹く代わりにこう呟いたのだった。
『ハハッ、アハハハハハハ!! ワシの勝ちッ、ワシの勝ちじゃ。武士もやはり大した事はないの…………この世のモノノフは、一人残らずこのワシが斬り殺してくれる″」
「 なんて物騒な寝言だい。もしかしてオイラ…選ぶ相手を間違えちまったかな?」
夢と肉体が連結する一呼吸。
その間に現実へ漏れてしまった過去の残り香に、すぐ横で鍋を掻き混ぜていた小さな影が顔を顰めながらそう呟いた。
「………………………………ッ″!」
その聞き慣れぬしかし人の喉から出たと思しき音に、雅の意識は急激に覚醒。撓った若竹が跳ね戻るがごとく身体を起こした彼は、枕元に置いている刀を脊髄反射で手に取り、一息に抜刀する。
そして己が頭割られるより先に敵を割らんと細胞一つ残らずが働き、気だけで心を止める殺意を纏わせ斬撃が飛んだ。
「ギャアアアアアアアアア!!!!」
真に研ぎ抜かれた斬撃の前には人体も霞に同じ。
手応えも無く振り抜かれた白刃が通り過ぎた敵の口より、甲高い絶命の悲鳴が上がった。
そしてそれから僅かばかり遅れ、胴から半身が滑り落ちるドサリッという音を、雅は聞いたのである。
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