第九話 決戦準備⑥
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頭の中が、まるで鉛筆で書いた文字を消して書き換えられる様に変貌してゆく。
恐怖も驚きも畏怖も必要ない。ただ彼女へ対する好意だけが残る様にして、断片的な情報と成ってしまったバラバラの記憶が強引に縫い合わされてゆくのである。
そうして少女にとって最も都合が良いように捻じ曲げられた過去の上に、再び少年の今が始まる。
「……………………あれ? 此処は…ッグゥ”!」
千賀丸の意識が身体へと戻って来た。
しかしと同時に、少年は強い痛みを頭に覚える。それはまるで、目に見えない鎖が今この瞬間ガチガチに頭蓋骨を締め上げているかの如き痛み。
そんな痛みの中で彼が頭を抱え蹲っていると、近くから安堵が滲むような人の声が聞こえてきたのだった。
「おお、良かった目を覚ましたか」
「子供は羨ましいのう、朝は外で遊び回って後は日暮れまでお昼寝か。まったく良いご身分じゃ」
「そう大人げのない事を言うでない。お主こそ今日一日中この部屋に閉じ籠もっておったのじゃろ? まだ団子を配っておっただけこの子の方が偉いわい」
「フンッ…………」
それは、良く良く聞いてみると知り合いの声。
千賀丸は痛みに堪えるため閉じていた両目を僅かに開き、その声のする方向を見る。
すると自分が寝かされている布団の傍に翁、そして部屋の隅から雅が此方を見ている事に気がついた。
「………だッ、旦那。それに翁もッ。オイラ…此処は一体」
「落ち着け千賀丸。案ずる必要はない、此処はお主と雅殿が借りておる宿じゃ。心配は要らん」
「オイラと、雅の旦那が借りてる…宿?」
聞いているだけで心落ち着く、古樹の葉ずれが如き翁の声。それを聞いて、ようやく千賀丸は自分が宿に戻ってきているのだと理解が追いついた。
しかし何時の間にここへ戻って来たのか。何故自分は気絶したのか。気絶する前に何があったのか。
そんな一番重要な事が思い出せない。記憶を辿ろうとすれば途端に頭痛が激しく成り、詮索の手を引かざるを得なく成るのだ。
そこで千賀丸は、尋ねる事によって自分がどんな筋道を辿り今の状況へ繋がるのかを少しでも理解しようとする。
「翁…オイラは一体ッ、何がどうなって此処へ戻って来たんだ?」
「詳しい事はワシも分からん。ただ町の者から子供が倒れておるという話を聞き、行ってみるとその子供がお主じゃったという訳じゃ」
「そうか。なんで、オイラ倒れてたんだろうッ?」
「………そう言えば、お主が倒れておった周りには木材が散乱しておったな。若しかすると、あれを無理に広場から運ぼうとして過呼吸にでも成ったのではないか?」
「もくざ、い? …………ッ″」
木材。何故かその単語に、千賀丸の感覚は強い反応を示した。
そしてそれは宛ら大海の中の羅針盤が如く、脳内に充満した霧の中で辿るべき記憶の方向を彼に指し示したのである。
だが、直ぐに鋭どい頭痛がその手に入れた指針を手放させようとしてくる。
それでも 少年はこの手掛かりを懸命に保持。誰にも見られぬ苦闘の果て、錠前を掛けられた記憶の隙間より ポトリと一つ新たな単語が落ちてきた。
「……………………………………………しゅ………ら………………しゅら、そうだッ 修羅だ!! なあ翁、オイラの近くに修羅って女の子居なかったか??」
その単語は修羅という名前。気絶する寸前、確かに一緒に居たはずな少女の名前である。
そして何故か千賀丸はその修羅の存在が途轍もなく重要な気がして、前置きも何もかもを全て取っ払い 翁に彼女の行方を訪ねたのであった。
しかし、 そんな千賀丸のまるで全てが解決したとでも言うような口調に対し、 翁の反応は余り芳しい物ではなかった。
「修羅? はて、そんな名の子供は知らんな。それにお主の近くに他の子供は居なかった筈じゃが…。どの様な見た目の子かの?」
「え? どんな……見た目?」
翁は、修羅という名の子供など知らないと言った。
そして更に その見た目について尋ねられた千賀丸も、彼女の外見に関する情報を何一つとして話す事が出来なかったのである。
あの少女から感じていた印象や感情や雰囲気は今でも強烈に頭の中へと残っている。しかし実際的なモノ 光景や、言葉や、出来事などは何一つとして思い出す事が出来なかったのだ。
とても重要な事 忘れちゃいけない事の筈なのに、彼女と共にいた瞬間の記憶だけ凡ゆる物の輪郭がぼやけて定まらないのである。
「あれ? オイラ修羅と…修羅と一緒に…………何してたんだっけ??」
「何したもなにも、ただガキが大人の真似事をして疲れて寝ただけじゃろ。身の丈に合わん事をするからこう成るんじゃッ」
「 とすると、雅殿の身の丈とは一日中部屋に閉じ籠もって寝息を立てる事かの?」
「しつこいぞジジイ”ッ!! ワシと戦う気が無いならさっさと出て行け。しみったれた老いぼれがこのワシと会話する事こそ身の丈に合っとらんわッ!!」
思い出せなく成ってしまった記憶を必死に取り戻そうとする千賀丸。
しかし、大人達にとっては彼が意識を取り戻した以上この件はあまり重要では無いらしい。雅の言葉に、翁は話を切り上げ腰を上げる。
「ではワシはそろそろお暇させて頂こうかの。雅殿、明日は日の出前に東門へ集合する事、お忘れ無きように」
「…分かっておるわ。それより、ワシが書いた物はちゃんと用意されておるのだろうな?」
「そこは抜かりない。大太刀を持って木登りさせた若者数人が落ちて怪我をしたが、その被害に見合うだけの働きはしてくれますかな?」
「愚問じゃな。この町の住民全員が骨を折ろうと、ワシの腕一本で釣りが来る」
「ホッホッホッ、大層な自信だのう。ではまた明日の未明に…」
雅の当然と言い切ってみせた言葉に笑いつつ、翁は会釈をして宿を出て行った。
彼が戸を開け吹き込んできた冷たい外気で、千賀丸はいつの間にか夜が訪れていた事を知る。気絶している間にかなりの時間が経ってしまった様だ。
その事に気付いた途端、急にどっと疲れが来て、少年は一旦修羅に関する思考を放棄する事とした。
千賀丸は一つ欠伸を挟み、余り頭を使わないで話せる話題へと切り替える。
「ふわぁぁぁッ……旦那ぁ、やっぱり明日群がこの町に来るのか? 明日の何時ごろだい?」
「知らん。あのジジイが言うには、朝かも知れんし昼かも知れんし夜かも知れんという話じゃ。それどころか、今日来ていても別におかしくは無かったというから笑わせるッ」
「そッ、 そっか。じゃあもしかして今夜中に襲ってくる可能性も有るのかッ?」
「分からん。まあ、例え夜中に襲撃が来たとしても、最悪ワシ一人の命ぐらい如何とでも出来るじゃろう」
「んな無責任な事言わないでくれよ旦那〜」
「知るかッ。なんでワシが他人の命に責任感じにゃいかんのじゃ。…………じゃが、小僧貴様もしも夜中に急の半鐘が鳴ったらワシを起こせ。そうすればついでにお前も助けてやるわ」
「本当かッ!? 言ったな、約束だからな! 絶対守ってくれよ旦那!!」
「喧しい、ワシはもう寝る」
「寝るって…日中飽きるほど寝てたんじゃねえのかよ。それより旦那晩飯まだだろ? 待ってなッ、今なんか作ってやるから」
「うるさい、寝る」
「急にヘソ曲げないでくれよー。ちゃんと飯食わねえと明日満足に動けなく成っちまうぞ?」
「…………………」
何故か急に寝るしか言わなく成った雅。そんな彼のため、千賀丸は布団から出て晩飯の支度を開始したのだった。
刻一刻とこの町に危機が迫ってきている。しかしそれにしては妙に、自分でも意外な程、少年の心は落ち着きを保っていたのだった。
それは、条件付きとは言え雅が庇護を約束してくれたからという事もある。だがそれと同じくらい、日中見た街の人々の生きようとする力強さが 彼に勇気を与えていたのであった。
翁・雷峰・照姫・雅、そして街の住人達。この町には今これ程の強者達が集っているのだからきっと灰河町を守り抜く事だって出来る。
そう、根拠の無い確信を少年は感じていたのだ。
そしてその確信が本物か偽物か。それを確かめる足音が、もう直ぐ夜闇の向こうにまで迫ってきていたのだった。




