第一話 地獄の底④
ズジュッ……
「ガハ……ッ″!!」
突き刺さった槍を抜かれた瞬間、雅はまるで支えが取れたかの様に蹌踉めく。
何とか刀を杖の様に突いて転倒だけはせず持ち堪えるも、右横腹に開いた風穴からは滝のように血が溢れ出て、瞳からは光彩が消えた。
致命傷一歩手前、三途の川に腰まで浸かったような重症である。
「良い戦いでした。貴方は実に勇敢に戦った、素晴らしい」
空虚は勝利を確信し、まだ血の滴る槍を地面に突き立ててそう合掌を作りながら言った。
あの傷ではもうまともに動く事は出来ないだろう。刀に寄り掛かりつつとは言え 立っているだけ賞賛に値するが、その気に成れば今直ぐにでも殺す事が出来る。
正しくまな板の上の鯛となった敵へ、空虚は南無阿弥陀と言う代わりに薄っぺらい称賛を送ったのであった。
「……おいッ、 禿げ。お前どうやらッ、此処へ来てからそう大した奴とは戦かっとらん様じゃの…」
しかし、そんな正しく生殺の権を握っている相手へと、雅は腹の穴へ当てた手を真っ赤に染め 額に玉の如き汗を浮かべながら言葉を返す。
「良く覚えておけ、新人ッ。此処の悪人共にはな……殺しても死なん 化物の様な輩もおる。殺せる時は躊躇なく徹底的にッ殺せ。心臓を突いて…首を切って……脳天かち割るまでは殺したと思わん事じゃ」
立っているだけで奇跡という重傷を負った男、その口から出たのは遺言でも悲鳴でも命乞いでもなく、なんと説教であった。
なんとも図々しい口振りで、何故さっさと自分を殺さなかったのかと上から目線に宣ってきたのである。
全くこの場における上下関係を理解していない発言。その余りな愚かさに、空虚は強い苛立ちを覚えた。
「そうですか ご助言感謝いたします。ではお礼に介錯して差し上げましょうかッ」
………………………ズド″ド″ド″ド″ド″ド″″ッ!!!!!!!!!!
その減らず口を閉じさせてやらんと、空虚は槍を再び構えもう猿叫もせず連続突きを放った。
避けるどころか敵は満足に動く事すら出来まい。当然この攻撃を放てば瞬く間蜂の巣となり、自らの勝利は決まる物と思っていた。
ッギ″ィン! ズウォ、ズウォン ズパァッ″! キィンッ!! ギ″イ″ィンッ!!
しかしそんな空虚の予想に反し、槍の鋭光が迫った雅は腹に穴が開いた状態で刀を握りそして振るったのである。
動く毎真新しい鮮やかな血がバッと飛び散り、足取りはフラフラと今にも倒れそうで、目は虚。
しかしそれでも、彼は空虚が突き出す槍を弾き体を躱して 致命傷を回避してゆくのである。
凄まじい生命力。とても同じ種に属する生き物だとは思えない往生際の悪さ。
(……さて、一体どれだけ保つだろうかッ。思いがけず面白い見世物を賜った、仏に感謝じゃな)
だがそんな化物じみた生命力を目の当たりにしても、空虚が再び額へ青筋を浮かばせる事は無かった。
あの出血量、 奴の死はもう時間の問題なのだから。
そしてにも関わらず必死に槍を避けビシャビシャと血を撒き散らすその姿が余り滑稽で、もう少し苦しませてやりたいと思ったのである。
正しく外道の思考。我が事ながらそう思う。
故に空虚はこの時 自分が此処まで堕ちた訳を、僧の身にありながら武を極めんと欲した己の矛盾の中に有るのではないかと、戦いの最中にも関わらず頭の片隅で考えていた。
生まれ持った残虐性。食い扶持減らしとして入れられた寺にて教え込まれた殺生を忌み嫌う価値観。
その二つ矛盾の中でゆっくりと腐り歪んだ性根、それさえ無ければ自分は衆合か叫喚程度の地獄に収まっていたのではあるまいか。
そう己の犯した罪その責任全てを運命へ押し付け、空虚は手が届かぬ遠間合いから一方的に敵を甚振る快楽に溺れたのであった。
「……………………ッ」
そして、その地獄に墜ちようと他人事としてしか自分の生を見れぬ男が、 神仏さえもねじ伏せんという泥臭い自我で光戻った瞳に気づける筈がなかった。
空虚がポカンと浮世離れした事を考える中、雅は只管今この瞬間の殺し合いに没頭。
そうして混濁する意識へ不意に降りて来た一つの閃きに、彼は敵の隙を見計らい容易く己の生死命運を賭けて飛び付いたのだった。
雅はなんと、その手に握っていた刀をこの死地で唐突に手放したのである。
ッガシ!!!!!!
更に、その空いた両手で、身を翻し脇下へと躱した槍を掴んだ。
「 ッア″″ア″″ア″″ア″″ア″″ア″″″ア″″″!!!!!!」
そしてとても腹に風穴が空いているとは思えぬ怪力にて 反対側を掴む敵の身体ごと槍を振り回す。
長大な槍はその力により大きく弯曲し、宛らしなりによって弾き上げるが如く 横にあった大木へと空虚を叩き付けた。
ッド″オ″オ″オ″″オ″″ン″″″!!!!!!!!!!!!
「ガハッ″ !?!?」
突如身体が浮き上がり、槍と木の幹との間に挟まれた空虚の口より濁点の付いた音が漏れる。
しかし其処まで分かり易い形勢逆転の狼煙が上がって漸く、彼の意識がこの一瞬先の生死を争う戦場へと戻ってきた。
「 ッ″……………その手を、放ぜェ″″!!!!」
何が起こったのか状況が全く呑み込めない。だが強い焦燥感だけは背中を急かす。
そんな突如急変した世界にパニックへ陥りつつも兎に角敵の手を振り払わんと、空虚は闇雲に槍を収縮させ手元に戻さんとする。
だが、そう反応してくる事を予期していた雅は右手で槍を強く握り込む。
そうして凄まじい勢いで収縮を始め空虚の手元へと戻ってゆく槍に引っ張られ、一飛びに自らと敵との間にある距離を詰めた。
そして漸く、標的の身体が雅の間合いへと入ったのである。
ドガァ″″ッ!!!!
雅はその収縮してゆく槍を利用して身に速度を纏わせると、敵との間がある程度の距離に成ったところで手を離す。
身体はそのまま慣性で飛行。一メートル程の距離を宙に浮いたまま移動し、依然訳も分からず目を白黒させる敵の顔面へと 彼は飛び膝蹴りを叩き込んだ。
「グブ″ゥ………フッ!!」
今度は突如視界が真っ暗になり、次の瞬間首が捥げるかと思う程の衝撃を頭部に受けた空虚は大きく仰け反る。
しかし、彼も伊達に修羅場を潜ってきた訳ではないらしい。ヨロヨロと数歩後退るも何とか転倒はせず持ち堪えてみせた。
更に収縮され柄が掌に収まる程短くなった槍の切っ先を、たった今着地したばかりな敵へと一直線に向ける。
「ギ″ィ エ″″エ″″エ″″エ″″″エ″″″エ″″″エ″″″″ッ!!!!」
ズウォオオオ″″ン″″″ッ!!!!
そして業の力が許す限りの速度で、敵の顔面ど真ん中を目掛けて 槍を突き放ったのだった。
……………・・・・・ ・ ・ ・
しかし、そんな音すら置き去りにする速度で伸びた槍の切っ先が雅の視界中で急速に速度を失い、その果て凍り付いたように静止。
更に止まったのは槍だけではない。舞上げられた小石も、枝から落ちた葉も、空飛ぶ鳥も。視界に映る凡ゆる物が速度を奪われ空中に留まっていた。
これが、 雅に与えられた業の一つ『天地孤独』。
この世界を包む時の流れより自らを切り離す力。短針が進むのを己が意識で自由自在に止める事が可能な時間停止能力。
しかし、その能力の使い勝手は、恐ろしい程に悪い。
なにせ時の外へ出せるのは意識のみで、 この止まった世界では雅自身も例外なく腕一本指一本さえ動かす事は出来ないのだから。
あと数歩足を出せば届く所に獲物の首が有るというのに、雅はそれを直立不動で眺める事しか出来ない事へ強い歯痒さを覚える。
しかし、そんな選り好み出来たならもう少しマシな物を選ぶという力でも、与えられた以上彼はその力の範疇で許される限りを尽くし敵を殺しにゆくのだった。
時が止まった世界で雅はピクリとすら動く事が出来ない。 だがしかしその代わり、この業では次の瞬間行われる動作を予め作っておく事が可能なのだ。
そして時が再び動き始めれば、身体は自動的にその作っておいた動きを身体能力が許す限度一杯の速度と精度でなぞり、現実にその動作を作り出すのである。
雅は今の状況で自らが取るべき三つ動きを用意。
業の力を解除、世界は速度を取り戻し爆発的に加速してゆく。
・ ・ ・ ・ ・
第一に雅が作ったのは、敵が突き出してきている槍の軌道延長線上より自らの身体を逃す動き。
右足を斜め前方へと大股で出して、上体を捻らせる様にしながらその上へと乗せてゆく。
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第二に作ったのは、懐に隠した短刀を鞘から抜く動き。上体を傾げるのに比べれば幾倍も複雑な動作ではあるが、彼の身体は問題なく動きを現実に描き出してゆく。
右手を懐へ突っ込んで短刀の柄を掴み、宙に舞い上がった砂粒が落ちるよりも速く白光りする刃を抜き去る。
そして彼の長い黒髪何本かを切り裂きながら伸びていった槍の横、その切っ先を敵の喉仏へと狙い定めた。
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第三に作ったのは、懐より取り出した短刀を敵の急所へと突き立てる動き。
胴体を乗せるように斜め前方へと出した右足で地面を力の限り蹴り、そのただ一歩で敵の喉を己の射程内へと入れる。
敵の瞳孔、それが死の恐怖に見開かれるのを待たず、右手に握った短刀を前に突き出しながら雅はその決着の場所へと飛び込んだ。
…………………………………………………ズドォッ″″
「 ゴボッォ″、 ゲブォッ 」
完全に正常な時の流れへと戻ってきた雅の鼓膜を、聞き慣れた気道を液体が逆流する音が揺らす。
そして短刀を引き抜くと、何故相手ではなく自分の首に風穴が空いてるのか分からないという表情のまま固まった骸が、首から盛大に血潮を吹き出しながら倒れていったのだった。
勝負分けたのはたった一瞬の僅かな差。
がしかしそのたった僅かの内に、何十 何百 何千と場を改めようとも覆らぬ確固たる技量の差が覗く。紛う事なき雅の勝利であった。
「…………………………………………………………………………フッ、フフフッ…ワシのッ勝ちじゃ。ワシの勝ち……フハハッ、ワシの……か、ち……………」
地面から見上げる石の様になった敵の瞳。それ見て雅はその頬を恍惚と紅潮させ、御免も南無もなしに譫言のごとく己の勝利だと繰り返し唱える。
そして唱えるうち、 段々と目線の高度が落ちていっている事を、この瞬間の彼に気付く余力など有りはしなかった。
ドサッ
重力に手を引かれ、雅も又口を閉ざし地面へと倒れる。
「 ぇえ″ッ? 両方、死んじまっのかよ…どうしよう」
地面に転がる血に塗れた男二人。
背後の藪よりこっそりとその死闘を覗いていた猫の如きまん丸な瞳には、どちらが勝者でどちらが敗者かなど分かった物では無かった。
お読み頂き有難うございます。
この小説は二日に一度更新させて頂く事となっております。そして、ブックマークや評価などを多数頂けましたら更新頻度を上げてゆくつもりです。
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そして、この先もどうか楽しんで読み進めていって頂けると嬉しいです。