第四話 灰川町⑤
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刀を使わせろ、そんな声が響いた瞬間神社の境内は一瞬静まり返る。辺りに存在する全ての視線が百五十銭を掲げたその男へと集まった。
だが次の瞬間、この時全ての者が思わねば成らない筈のことを、千賀丸が手本を見せるが如く叫んだのである。
「……はぁッ!? 刀を使わせろって 本気で言ってるのか。景品欲しさに人を殺すって事かよ、そんなのおかしいだろ!!」
千賀丸が言ったのは心を持つ者として当たり前の事。
確かに使える道具の中に刀は含まれていた、がしかし真っ当な精神の持ち主であれば自然とそれを選択肢から外す。
幾ら景品が欲しいと言っても命を奪ってまで手に入れようとするのは間違っている。そんな事は考えるまでもなく分かる筈だ。
しかしにも関わらず、この町にはその当たり前が分からない奴が居る。それに対して少年は小さな身体が火達磨に成ってしまいそうな程の怒りを覚えたのだ。
「落ち着きなさい千賀丸。此処はただ見守っておれば良い」
しかし、そんな興奮する千賀丸を宥める様に横から翁が話し掛けてくる。
「何でだよ翁! じゃあ黙って人が殺されるのを見てんのかよ。止めねえと!!」
「大丈夫じゃ、あの力士はほぼ間違いなく獄門衆。唯の人間ではない、死んでも蘇る」
「でもッ、そんなの関係ねえよ…」
「あの男に任せておきなさい。刀を選択肢に入れたのは奴自身じゃ、己の命を百五十銭で売る馬鹿はおらんよ」
理性よりももっと根本的な部分で今の状況に嫌悪感を示す千賀丸を、翁は老練な口振りで落ち着かせる。
そして、当の雷峰も取り乱すことなく刀をその百五十銭掲げた男へ渡し、土俵の中へと招き入れたのであった。
「へへッ、死にたくなかったら後ろに飛び出るんだな。景品への未練は捨てる事をお勧めするぜ」
「ご忠告感謝いたす。ささ、遠慮なさらずにッ」
「 俺が日和ると思って高括ってやがるのか。………………悪く思うなよ」
切っ先を向けられているにも関わらず柔らかな微笑み絶やさぬ力士に対し、男の方は大粒の汗を額に浮かべた。どちらが今より斬られるのか分かった物ではない。
がしかしそんな様子でも余程景品が欲しいらしく、男はヒュウヒュウと息を吹きながら血走った目で刀の柄を握る。
「……アアアアアアア!!」
ッバスゥン″!!!! …ビシャッ
そして本当に、その男は刃を上段に構え雷峰の右肩へと振り下ろしたのだ。
パアッと赤い花が開くように斬り裂かれた肉より飛び出た鮮血が宙を舞い、地面に染みを作る。
「さ、後九回ですぞ」
「な、あぁ…………ッ!?」
がしかし、その目に驚愕を浮かべる事と成ったのは刀を受けた雷峰ではなく、全体重を乗せて刀を振り下ろした男の方であった。
刀は皮膚を裂き血を飛び散らせた後、刀身を半分肉に埋めた状態でピクリとも動かなくなったのだ。
とても生物の肉体とは思えぬ 宛ら土壁にでも酔っぱらって斬り付けたかの如き感触、それに男は理解不能とその面に書いたのであった。
「いかがなさいました? 後も支えておりますし、手短にしていただけると嬉しいのですがッ」
自分の肩に半分埋まったままの刀を素手で掴んで抜き取り、雷峰は親切に茫然自失と成った男を構え直させてやる。
だが彼は後が支えていると言ったが、その心配はもう無さそうであった。
その一瞬の光景で、あれ程空間に充満していた筈の熱気が いつの間にか水を掛けられたかの如くすっかり失せてしまっていたのだから。
「 ッタアアアア″ア″″ア″″″!!」
ザクッ! ズパッ! ザン! ズドッ! ザァッ! ズパンッ! ズウォッ! ドシュッ!
まるで化け物にでも遭遇したかの様な心持となった男。だがそれでも欲望は尽きること無く、いやそれ以上に現実逃避の一環として叫び声を上げながら再び斬り掛かる。
しかしその煌めいた八つの剣閃も、巨体の表層を僅かに斬り裂くのみに留まった。
「ニ…三…四…五…六…七…八…九……………………残り一回ですな」
身体の至る所へと出来てゆく掠り傷に身体を赤く染めながら、雷峰は平然と腕を組んだまま男が振るった刃を数え続ける。
そして遂に、残り一太刀となった。
「…………ッダ″リャア″ア″ア″ア″!!!!」
ズドオォッ″″!!!!
最後の一太刀。男はもう殺すつもりで、雷峰の首目掛け一切の出し惜しみなく刀を振り抜く。
しかしそれも、皮一枚を断つのが精々。これまでと同じく刀身を半分埋めて止まり、チョロチョロと血が垂れる程度の傷を作ったのであった。
結果百五十銭払って、刀を使ったとしても雷峰という力士を土俵から出すことは出来ない、という事実のみが男の手元には残ったのである。
「はい、お終いでござる」
すっかり冷めてしまった周囲の空気を肌で感じ、雷峰はフウッと一息吐いて男の手から刀を回収。
そして土俵の外へと出て、俵の上に置いていた手拭を取り血を拭う。するとその下から出てきた身体はもう殆ど傷が塞がっており、微かな跡が残っているだけという状態に成っていたのだった。
「 まッ」
ズ″ バアァ″ン″″!!!!!!
直後、百五十銭ぶんの機会を使い切ってしまった男が何か不満げに言葉を発そうとする。
しかしそれと同時、雷峰はまだ鞘に納めていなかった刀を無造作に振り下ろし身の毛も弥立つ様な音を響かせた。
バシャァァ…………
そしてそれから僅かに遅れ、袈裟に一刀両断された酒樽が斜めにズレてゆき、その中身をぶち撒けたのである。
イチャモンが声に成る前に、その口を閉じさせたのだ。
刀は間違いなく研ぎ抜かれていて人を殺傷する切れ味を秘めていた。そしてそれを十度叩き込まれ、自分は一歩すら動かなかった。
何も文句は有るまい、 という事であろう。
だがその示された事実は、遂に周囲を囲む者達の欲望に濁った目を完全に覚まさせてしまった。
この余興はそもそも、景品の取れる可能性など無きに等しい代物。あの力士の巧妙な演技に騙されてまんまと金を巻き上げられていたのである。
そうと気づいた大人たちは銅銭握った右手を静かに下ろし、懐へと仕舞ったのであった。
「十銭ッ、十銭払うぞ!」
しかし、そんな夢から覚めてゆく人集りの中から、それまで大人達に隠れ見えなかった小さい手と高い声が上がった。
齢十ばかしの男の子が十銭を掲げているのである。
この世に甘い話など無かったのだと察した大人達とは異なり、彼はまだ現実に気付いていないらしい。
「ほう、最後の挑戦者は子供か…………」
雷峰自身も、これにて余興は終わりと思っていた所で上がった手に少し驚いた表情をする。
そしてその手を上げた少年の後ろへ更に数人のみすぼらしい着物を着た子供が居ることを彼は認め、少し思案する様にした後口を開く。
「なんだッ、汚らしいガキだな。オレの余興は紳士淑女の皆様へ向けてやっとるんだ、子供のお遊に付き合うため遠路遥々やってきた訳じゃねえんだよ。 だが、金を支払われた以上は仕方ない」
雷峰はそう言うと大股で少年へ近づき、その手へ握られた十銭を引ったくると同時 木の棒を投げつけた。
「ガキ相手で普通にやっても大人げがないからな、二十銭分まけてやるわ。さあさっさと十度殴って終わらせろ。オレは忙しいんだよ」
それまでの表面上は丁寧だった口調から一変し、雷峰はまるで片手間に遇らうが如く少年に言った。
そして縄を踵で踏んだ彼を、土俵に入った少年は真剣な眼差しで殴りつけ始める。
ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ ボスッ
明らかに今まで大人たちが上げていた物より軽い音、それがあっという間に九度響いた。当然雷峰の身体はビクともしない。
その余りに呆気なく終わってしまいそうな自分の挑戦に、少年は十回目を控え動きが固まってしまう。
そして土俵際で自分を見守る弟達の方を一瞥し再び向き直ったその目には、溢れんばかりの涙が溜まっていたのだった。
「何を固まっておるッ、オレは忙しいと言っておるだろうが″!!」
バシッ!!
しかし、そんな少年の様子などお構い無しに、雷峰は苛立った様子でその固まる少年の手を叩いた。すると彼の小さな手より木の棒が転がり落ちる。
その地面に落ちた棒を一瞥、雷峰は更に苛立たし気に表情を歪めて少年を後ろへと突き飛ばした。
たった一突き、それで少年の身体は土俵の反対側まで吹っ飛ばされる。
「男が泣くなみっともない! オレはお前の様な泣き虫が大嫌いだ、視界に入れるだけで虫唾が走る。あ″あ″癪に障るガキだッ! いっそこのまま此処で殴り殺してやろッ…………」
少年を突き飛ばした雷峰は、それでも怒りが収まらないらしく顔を鬼の如く真っ赤に染める。
更に彼はその形相のまま拳を握り、本当に殴り殺しかねない勢いで少年へと詰め寄った次の瞬間、 足が地面に落ちていた木の棒を踏んだ。
ズルッ
「………うわああッ!?」
円形の木の棒が足の裏で転がる。そしてそれにより大人たちが殴っても、 丸太で突いても、 刀で斬っても動かせなかった巨体が体勢を崩す。
ドサァンッ!!
そしてなんとも呆気なく雷峰はすってんころりんと転倒し、頭から地面に倒れる。
足の裏以外の場所が、地面へと付いた。地獄の大横綱がたった一人の少年に負けてしまったのである。
そうして、汚らしいガキに景品を渡す事と成ってしまった力士の口元には、微かな笑みが滲んでいたのであった。
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