第四話 灰河町②
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「旦那ッ、長屋の一部屋貸して貰えるみてえだ。良かったな、これで布団で寝られるぜ!」
「………………」
バンッ
交渉を丸投げし、また山中を歩いていた時のように物思いへ耽り始めた雅。そして千賀丸が死んだ獄門衆よりくすねた銭を払って部屋を借りると、彼は何も言わず長屋の戸を勢いよく開た。
二人が借りた部屋には入口から入ってすぐに土間と小さな炊事場、それ以外は日焼けした黄色い畳と薄い布団があるだけという何とも質素な宿。
だがしかし、昨日まで固い土の上で腰を痛めながら寝ていた彼らにとっては、豪華絢爛の特上宿として映った。
そうしてそのカビ臭い特上宿に入った雅は、草鞋も脱がず 折角の布団も使わずに畳の上へと横になる。
「ちょっと旦那、草鞋くらい脱ぎなよ」
「やかましい、ワシは少し眠る。日が落ちたら起こせ小僧」
「ええッ、もう寝るのか!? 折角人のいる町まで来たんだからちょっと外見て回ろッ」
「………………………………………スゥゥ…スゥゥ…スゥゥ」
「 本当に寝ちまったよ」
千賀丸はやはり何処までも旅行気分であった様で、この部屋に荷物を置いたら早速物見遊山に繰り出そうと考えていた。
しかしそんな彼とは対照的に、雅はそさくさと横に成ったかと思えば直ぐに寝息を立て始める。どうやらこの男 寝ようと思ったら即時その場で寝られる体質ならしい。
目を見張る程の早業であるが、遊び盛りの少年にとってこれ程堪らぬ事は無い。
「…………ちぇッ、仕方ねえ一人で見て回るか。本当に連れねえ旦那だな」
両瞼が固く閉じられ 脱力の極地という寝息を上げる雅の姿を見て、千賀丸は一緒に付いて来てもらうのは不可能だと悟る。がしかしそれでも、彼は夜までこんな狭い宿に閉じ籠っているつもりは無かった。
たった一人でこの地獄の見知らぬ町を歩くことには当然不安を覚えたが、少年の好奇心とは炎のような物で一度燃え上がればもう留めが効かない。
千賀丸は恐る恐る出入り口の戸を開け、宿の外へと飛び出した。
「これッ」
「うわ″ぁ!?!?」
しかし、 宿を出た千賀丸はすぐに、 横からの聞き覚えがある嗄れ声に引き止められたのだった。
「 そこの少年、此処は童一人が出歩くにはちと危険な場所じゃよ。外に出るなら、先程の侍と共にしておきなさい」
声の方向へ反射的に顔を向ける。すると其処には、先程町中で雅が暴れるのを止めてくれた翁面の老人が立っていたのだった。
その急に掛けられた声に思わず飛び上がり悲鳴を上げてしまった千賀丸。しかし、その後に掛けられた老人の言葉からは 害意のような物は一切感じられなかった。
それ故千賀丸は心臓の鼓動が収まるのを待ち、彼の方からもその老人へと話し掛ける。
「あんた、さっきのお面の爺さん。何でこんな所に?」
「ホッホッホッ、なぁに、ジジイのお節介じゃよ。お主の様な童の獄門衆は珍しい故、少し気になっての。若しも宿が決まらぬ様じゃったら助け船を出そうと思っておったが、無用な気遣いじゃったらしい」
「ふーん、あんた良い人なんだなッ。…ん? でもなんでオイラが獄門衆だって分かったんだ??」
「顔を見れば分かるわい。落子であれば例えお主と同じ歳でも世の無情を知った顔をしとる。そのテラテラとした瞳は、此処じゃ金よりも珍しい」
どうやら老人は先程会った場所よりコッソリ付いて来ていたらしい。しかも目を見ただけで、千賀丸が獄門衆であるという事実まで見抜かれてしまった。
一方ならぬ洞察力、がしかし少年はそんな事など気付かずに、人懐っこく話を続ける。
「オイラの目がそんなに珍しいのか? じゃあくり抜いて金と交換して貰おうかな、何つってッ」
「その冗談を本気にする輩がこの地獄にはおる。それに体格も腕力も半分だろうと経の一節には変わりない、多くの者がお主を狙っておるぞ。不用心はいかん」
「………………」
そう老人が一切冗談の雰囲気纏わず発した言葉に、千賀丸は背中が微かに寒くなる。
「ともかく、この地獄ではお主一人に成らぬ事じゃ。分かったら早く戻って中の侍を連れてきなさい」
「………あぁ、そうしたいのは山々なんだけどさ、旦那ここを借りた途端横になって寝始めちまったんだよ。日が落ちたら起こせだってさ、変だろ?」
「 ふむ、やはりあの男ワシの言葉の真意を理解しておったか。それならまあ、夜が来るまでは起きんじゃろうな」
千賀丸の話を聞いて、老人は何故か彼以上に分かった様子で頷いた。
「まあそういう事でさッ、爺さんの忠告を胸に刻んで気を付けながら回るよ。やっと木と土しかない山から出てきたんだ、団子食って茶飲むくらいしておかねえと。あの旦那に付いてくなら次いつ人里に入れるかも分かんねえし」
「……大人しく後ろの戸を開け、宿に籠もる気は無いのじゃな?」
「うん、まだ食い物の味が分かる内に楽しんでおきてえんだ。オイラも、二,三度死ねば他の獄門衆みてえに物を楽しむ心を無くしちまうかも知れねえしなッ」
「…………………」
安全な場所に隠れていろという助言に、少年は感情が複雑に絡み合った笑顔を返す。
そして意図せずその表情が、永き時をこの地の底で過ごしてきた老人に我が身を振り返らせた。
面の下を歪ませ、考える。
果たして自分にもまだ物を食べて美味いと感じる心は残っているのだろうかと。団子と茶程度、そう思ってしまう己の考えは、果たして心を経て出来た物なのだろうかと。
たった一つの誓いを必死に守っている内、知らず知らずにそれ以外の物が腐り落ちてしまい、今自分は辛うじて人の形を保っているだけの生ける屍に成ってしまったのでは。
(いつの間にか…ワシは己が人であるとすら胸を張って言えなく成ってしもうた)
老人は、少年の言わんとしている事が理解できない。
だが、 いやだからこそ、 この好奇心に瞳を輝かせ人として当然の幸福を享受しようとしている少年の心に 生ける屍は軽んじ難き物を感じたのだ。
「………………では、ワシが付き添うのはどうかの?」
「 え?」
「こんな死に損ないの老いぼれでも、此処では多少名が通っておる、ワシが共に居れば手を出してくる者はおらんじゃろう。案内人としても右に出る者はないと思うのじゃが…どうじゃ?」
「どうもこうもねえよ、 こっちからお願いしたい位だ!! 流石に一人じゃ心細かったんだよッ」
「うむ。じゃが一通り町を回った後は、宿に戻ってじっとしておるのじゃよ?」
「うん、分かった。約束する!」
この地獄では滅多聞かれぬ素直な返事。それを前に、老人はまるで眩しい物を見るような表情を面の下で作った。
「オイラ千賀丸。じいさんの名前は?」
「ふむ………まあ、見た目のまま翁とでも呼んでくれれば良い」
そうして翁は真っ白な髪に似合わぬピンと伸びた背筋と軽い足取りで歩き始め、少年はその後ろを飛び跳ねそうな歩みで付いていったのであった。
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