第三話 町へ②
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「…………………………………………………………………………………………………ッ″!」
眠り、というより生死境の行脚より雅の意識が戻ってきた。
じわじわと押し上がってくる瞼。しかしそれが近くに人の気配を感知した瞬間一気に限界まで見開かれ、もはや脊髄反射の領域で枕元に置いてある筈の刀を掴む。
そして、夕暮れ空のもと抜き打ちに刃煌めかせ、 頭上の気配を一刀両断と斬り飛ばした。
「ッぎ″ゃあああああああ!?」
猿の鳴き声の様な絶叫と共に、ドタリッという何かの倒れる音が聞こえる。そうして再び心地の良い静寂を取り戻した雅は、その得物を鞘へと戻しもう一眠りしようと
「 旦″那″ッ!! それ辞めてくれよッ、何か斬られてねえのに背筋がゾクッてするんだよ!」
しかし、取り戻したと思っていた静寂が、再びキンキンとした高い声に破られた。
微かに聞き覚えの有る気がする声。身に覚えの有る気がする手応え無き感触。
それらに雅は、寝ぼけの霧が充満した頭を傾げる。
「………………」
そこで目を擦って視界のボヤけを取り、腰が抜け地面にへたり込む少年を見て、ようやく彼の中で過去の記憶と現在の光景が重なったのであった。
雅は周囲をキョロキョロと見渡し、木に掛けられた着物と刀を発見。尻餅を突いた千賀丸の横を素通りしてそれらを取りに行く。
「旦那、だからそれは未だ乾いてねえって。風邪引くぜ?」
「ふあぁぁ……ッ 知らん。ワシは風邪など引いた事がない」
二度目の忠告を受け、当たり前の如く人間離れした事を返す雅に 千賀丸はもう何も言う気が無くなってしまう。
そうして何とか尻が地面から離れた少年は火に掛けていた汁を椀によそい、湿っている着物を纏い刀を差す彼の足下へと 箸と共に置く。
その椀を雅はしばし無言で見下ろしていた。しかし腹が減っていたのか突然無造作に手を伸ばすと 口の中へ一気に掻き込んだのである。
そして高速で咀嚼音が聞こえ ゴクリッと喉仏が跳ねた後、彼は目線を腕に向けたまま口を開いた。
「…………ワシは、今日だけで獄門衆を二人斬った」
「 はい」
「…………獄卒も一匹殺した」
「 はい」
「流石にもう殺し疲れたわ。今更お前の様な根性なしを一人斬っても詰まらぬから、今日は見逃してやる。 ありがたく思え。」
「……どッ、どうも」
そして瞬く間に椀を空にしてみせた彼は、美味いとも不味いとも言わず 自分に感謝しろとだけ言ってくる。
こんなデカい態度で他人の作った飯を食える人間は始めて見た。しかしその殺さないという確証は 彼なりの飯へ対する代金なのかなと思い、千賀丸は苦笑いを浮べつつ調子を合わせる。
すると空になった椀を持ち雅が近付いて来たかと思えば、千賀丸から玉杓子を引ったくり再び器を満たした。そうしてその器一杯によそった汁を瞬く間に口へ流し込み、また器は空になる。
「貸しなよ。オイラが一々よそってやるから」
千賀丸がそう言って手を伸ばすと、雅は同じく無言で器と杓子を突き出す。それが汁で満たされ返って来ると直ぐにまた掻き込んで、また突き出す。
そんな一連の流れが暫く続いた。
一見女が如く細い身体に見えて、とんでもない大食漢である。
「旦那、凄え量食うな。もしかして腹の穴から汁が全部零れてんじゃねえのか?」
千賀丸がそう言うと、雅は着物の襟を捲って本当に腹の穴から汁が漏れ出してはいないかを確認する。
冗談で言ったのだが、まさか真に受けられるとは。千賀丸は吹き出しそうに成るのを必死で堪える。
「…………腹が膨れた、寝る」
まるで胃の容量が無限であるかの如く一定のペースで椀を突き出し続けていた雅が、チラリと鍋の中を見るなり急にそう言った。そして火から離れ、先程着物や刀が掛けられていた木の根元へと行き寝転がる。
ついさっき気絶から覚醒したばかりであるが、寝飽きるという事は無いらしい。
そうして仕事が一段落した千賀丸がようやく自分の食事を始めようとすると、鍋の中には丁度椀一杯分だけ汁が残されていたのだった。
「なあ、旦那はやっぱり獄門衆を狩ってるのか?」
自分の飯をチビチビ食いながら、千賀丸は牛になりそうな程ドテンと寝転がって腹を摩る雅に 無視される物と思いながらそう尋ねた。
「 それ以外、此処じゃやる事が無いからな。さっきの奴で二十六人目じゃ」
しかしその質問に、意外にも雅は欠伸混じりな声で答えてくれたのだ。
一飯の恩義か、唯の気紛れか、将又血を流し過ぎて頭が弱っているのだろうか。
そんな驚き箸を止めた少年を他所に、雅が寝転がったまま宙を掴む。するとその手の中へ紫色の表紙に唐草模様の金装飾が施された巻物が現われたのだ。
その巻物は全ての獄門衆がこの地獄に墜ちてきた瞬間より持っている、 『盂蘭盆ノ経』 と呼ばれる経典の一部が記された罪人の証。
盂蘭盆ノ経とは、 例え現世で許されざる罪を犯した者であろうと その全てを消し去り輪廻の輪に戻してしまう凄まじい霊力が込められた仏の教え。此処の人間達に言わせれば、無間地獄から抜け出すただ一筋の蜘蛛の糸であった。
巻物には獄門衆を一人殺す毎に経の一節が書き込まれてゆき、百人殺す事によって丁度経典が完成するように成っている。
故にここの住人達は自分と同じ獄門衆を探し、賽の河原がごとく殺し殺され幾度もやり直し、経典の完成という遥か遠くの出口を求め争い続けるのであった。
そして雅の巻物には、今日殺した二人を加えた二十六節の経がもう既に書き込まれている。
「今まで 二十六人も殺したのか?」
「これまで殺してきた数なら、合わせて九十は行く。ワシは此処で幾度か死んでおるからの。…………現世まで含めれば、百は下回らん」
「やっぱり、経を完成させてこの地獄を出たいのか?」
「 この地獄が肌に合っておる、別に出たいとは思っておらん。獄門衆を狩るのは、ただ殺せば殺すほど己が強く成れるからに過ぎん」
そう言うと雅は寝返りを打って背中を千賀丸へと向けた。
「そんなに強く成ってどうするんだよ」
「……下らん事を聞くな、この世に生まれた以上強くなる事以外に生きる理由などある筈もない。ワシは強くなる…そして嘗てワシを殺した四人の剣士をこの手で殺し返してやるんじゃ。…そのため方々を旅しておるが………今日は、無駄骨じゃった」
雅に戦う理由を尋ね、返ってきたのは今の自分では全く理解できない回答。しかしそれでも少年は分からないなりに分かった様な顔をして頷く。
そして、話に旅という単語が出てきたのを機に、千賀丸は意を決して彼にとっての本題を切り出す。
「なあ旦那、その旅ってやつにオイラも付いてって良いか? オイラ役に立つぜッ。今日みたいに飯も作るし、洗濯もするし、雑用は何だって押し付けてくれよ。だからさ、荷物持ちでも良いから一緒に連れてってくれないか?」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………スゥ…スゥ…スゥ……」
しかし、その本題に対する雅の回答は無く、ただ寝息だけが夜闇の下で響く。
一瞬狸寝入りだろうかとも思った。だが今日一日見たこの男の何でもかんでも真正面から斬り捨てる性格的にそれは無いと結論が出る。
恐らくこの絶妙な頃合いで、全くの偶然に眠りへ落ちたのだろう。
「…………仕方ねえ、勝手に付いて行くか」
そのつい先程まで血に塗れ殺し合いをしていたとは思えない綺麗な寝顔を見て、千賀丸は今日の内に追従の許可を得ることを諦める。
無理に起こして、また見えない剣で首を斬られても溜まらない。
そして千賀丸はすっかり空となった鍋を冷たい夜の川で洗い、 彼もまた同じ様に、 野宿で眠りに付いたのであった。
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