第一話 地獄の底
頭上を覆う分厚い森の冠。その周囲取り囲む木々の勝手気ままに伸ばす枝葉をすり抜け、僅かな光のみがその場所を照らす。
そして そんな木漏れ日に浮かび上げられた見上げんばかり巨影が、今まさに彼へ向けて拳を振り下ろそうとしていた。
ッズ′′ ドオオオオ″オ″オ″″ン″″″!!!!!!!!!!
つい一刹那前まで踏みしめていた地面が超質量の衝突によって爆ぜた。
辺りに飛び散った砂塵、地面から這い上がってくる振動、それらにより目前の赤鬼が自らを一切の躊躇もなく殺そうとしている事がヒシヒシと伝わってくる。
(良いのお、最高じゃッ)
しかし、そんな怪物が自らへ向ける殺意に濁った瞳を見て、雅 は体を横へと転がしながら女と見紛われるほどの細面をニカリッと歪ませた。
そして敵が振り下ろした拳を避けて崩れた身体を跳ね起こし、右手に刀握り直して、左手両足の三本でもって地を蹴り赤鬼へと突進。
とても人の身では成し得ぬ獣のごとき動き。それを天性のバランス感覚と、この世界に掛けられた呪いの力とで成立させる。
更に駆ける中で上体を起こし、一切速度落とさぬまま三足から二足歩行へと移行。
顎の直ぐ下を地面が吹っ飛んでゆく。身体の落下する力を前への推進力に変える瞬歩の動き、それによって瞬く間にトップスピードへと突入。
それは宛ら鼠が人へと襲い掛かるが如く、体長7メートルを越す鬼の懐へと雅は飛び込んだ。
そして右手の刀を両手に持ち替え、 纏った速度そのままに身体を投げ出すがごとく、 敵のくるぶし目がけ刃を振り抜いたのである。
ザ″″ッグ″ゥン!!!!
肉を裂き 骨を断った音。鋭くしかし重い音が鼓膜を揺らす。
それだけで、雅は己の一太刀が敵の左足を切断したのだと確信。
そしてその確信へ大判押すかの様に、背後より、鬼の巨体が地面と衝突する轟音が響いたのであった。
「 ハハッ…ハッ……アハハハハハハハハハハッ!! この地獄とはほんにクソな所じゃけれど、刀の切れ味だけは格別じゃのおッ」
雅は身体を半転させ片足を地面に突き、進み続けようとする己へとブレーキ掛けながらそう言った。
10メートルもない距離に異形の怪物が居り、その怪物の攻撃をギリギリで躱し、そして逆にその片足を切断してみせた直後 これ程屈託なく笑える。
この雅という男は、狂っていた。
「グウゥゥゥゥ、フウッ……フルルルルルルル」
「おおッ、そうかそうか、ワシが憎いか。…なら殺してみろ化物。ワシは例え死んでも 己の行いに謝罪はせんぞ」
起き上がろうとして転倒し、それで初めて自らの踝より先が無くなっている事に気付いたらしい鬼が喉を鳴らした。
その何とも恨みがましい地響きのような音、それを聞いて雅は臆する事なく殺してみろと宣う。
「ルルルルルル……………………」
ダ″″″″ンッ!!!!!!!!!!
するとその言葉が通じたのか、言われるまでも無いと言うように、赤鬼は先程の意趣返しが如く三足で地を蹴り 突っ込んできた。
その大質量にて轢き潰さんとする無骨な突進には、流石の狂人も真正面から受ける事はしない。赤鬼が伸ばして来た手を済んでの所で横に跳び躱し、そのまま背を向けて一目散に森の中へと逃げる。
しかし殺意燃えたぎる叫びはそう簡単に彼を逃がしてはくれない。刻一刻と大きくなる足裏へと伝わる振動で、敵が追ってきているのが分かった。
地面を虫の様に這い それで無くとも片足が無いというのに、非常識極まりない速度である。
ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″
「グルル オ″オ″オ″オ″オ″″オ″″オ″″オ″″オ″″″ッ!!」
ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ド″ッ!!!!!!
雅は身体の小さい自らが有利な、複雑に木立が生え並ぶ方向へと進路を向ける。
しかし赤鬼は生半可な障害物程度では物ともしない。体当たりで吹き飛ばし、幹の細い樹木程度へし折って、ゾッとする様な轟音と共にどこまでもどこまでも憎き相手の背を追い掛けてくる。
「……………………ッ″!!」
そんな正しく命懸けな鬼ごっこの幕切れ。それは唐突に 枝蔦を掻き分けた雅の前へと、見上げんばかりに行手を塞ぐ岩壁として現れたのだった。
行き止まり。即ち万事休すである。
雅はその岩壁の前まで往生際悪く懸命に進むも、其処で心が折れたのか、まるで白旗を揚げるが如くその手に握っていた刀を空中へと放り投げた。
今更振り返り敵に斬り込んだ所で、自分の背中目掛けて突っ込んで来ている小山が如き巨体に跳ね飛ばされるのがオチ。こんな棒っ切れ一本では何の役にも立ちはしない。
そう、全てを諦めた上での行動であろう。
そんな何とも惨めで情けない仇の行動を見た赤鬼は、表情を厭らしく歪ませる。
どうやって左足を奪った報いを受けさせてやろう。どうやって苦しめてやろう。どうやって殺してやろう。そんな下劣極まる思考が、そのへの字と成った両目に滲む様であった。
そうだ、このまま突っ込んで全身の骨を粉々にし、息ある内に四肢を全て食い千切ってやろう。
そう復讐の方法を決めた赤鬼は、もう抵抗する気力さえ無くなったらしい背中へ目掛けて、一際強く地面を蹴り込み 突っ込んだ。
ッド″″″オ″オ″オ″オ″オ″″オ″″オ″″″ン ! ! ! !
ズパアァン″″ッ
牛十頭分もの巨体が突っ込んだ衝撃は、周囲の大気を数秒に渡って振るわせ続けた。
それは殆ど砲弾の炸裂が如くに砂煙を立ち昇らせ、そしてその中へと、確かに標的としていた背中は呑み込まれたのだ。
人間等、先ず命は無いであろう。
しかしそれから数拍遅れ、赤鬼はまるで硬い木の幹へと鉞が振り下ろされたかの様な音を、自らの直ぐ背後に聞いたのである。
そしてその音を境とし、何故か突然身体へ力が入らなく成ったのだ。
「ほう、一撃では完全に割れておらんか…なんとぶ厚い頭蓋をしとるんじゃ」
更に、自分がたった今体当たりで潰した筈の声が、同じく首の後ろから聞こえてきた。
雅は何故か先程勝負を投げるが如く空宙に放った筈の刀をその手へ握っており、その刀身は宛ら天空より振り下ろされたかの如く赤鬼の後頭へと潜り込んでいた。
しかし、刀を引き抜いて傷口から見えた頭蓋骨は薄めの塀と見紛うほどに厚く、落下の勢いに全体重を乗せ叩き込んだ斬撃にも関わらず致命傷には至っていなかった。
身体をフルフルと震わせながら、まだ怪物は起き上がろうとしている。
ズッパアァン″″!!!!!!
しかし、僅かに浮き上がった赤鬼の身体を、再び後頭部に振り下ろされた命へ杭打つような衝撃が地面に叩き落とした。
まだ命は取れていない。そう分かるや否や、雅は先程斬撃を叩き込んで出来た頭蓋骨の割れ目へと再度刀を振り降ろしたのである。
そして今度は、骨の層を突破し僅かに中身へと届く手応えがあった。
ズッパアァァン″″!!!!
雅は繰り返し、表情一切変えずにめり込んだ刀を引き抜き、三度目の斬撃を鬼の後頭部へと振り降ろす。
そして回数を重ねる毎に刃はより深く敵の急所を侵し、赤鬼の動きを鈍くし、その命に深刻なダメージを与えてゆく。
ズッ パ″″アアァァァ………………………………
そして四発目が敵の後頭部を捉えた瞬間。雅は固く握った刀の柄より、確かに命を両断した手応えが伝わってくるのを感じた。
地面を引っ掻く様にして藻掻いていた赤鬼の動きが止まる。巨体の奥底より響いていた地鳴りの如き音が消え、怪物は物言わぬ骸として地面に横たわった。
ジュルウッ
刀を赤鬼の頭蓋骨から引き抜くと、血やら脳漿やら良く分からない物がドロリと糸を引く。
気が付くと、彼が纏う紺色の着物は刃振るう毎盛大に撒き散らされる血飛沫によって真っ赤に染まっていた。
「よし、わしの勝ちじゃなッ」
しかしそんな事はまるで気にも留めず、雅はさながら親に駄賃でも貰った子供の如く、童顔を歪めて笑うのであった。
真っ当な感性を持っている人間など、此処には一人としていない。
優しさや思いやり、正義感など此処では死因にしか成らないのだ。刀・槍・弓・銃、各々使う得物は異なれど、皆須く生まれつき備わった人の醜さを武器に戦っている。
此処は無間地獄。最も業深き大罪人共が落とされる地獄の底。
そして輪廻への帰還を目指すモノノフ共が延々血で血を洗う争いを繰り返す、バトルロワイヤルの会場でもあった。
お読み頂き誠にありがとうございます。
基本的に二日に一度の投稿ペースで進めてゆくつもりですが、ブックマークや感想等々を多く頂けましたら投稿頻度を上げてゆくつもりです。
何卒、この先も楽しんで読み進めていって頂けたら幸いです。