3
次の日。
それは朝、僕が登校してくるや否やのことだった。
鞄を机の横のフックにかけ、椅子に座ろうかというところで声をかけられた。
「城之内くん!」
「やはり来るのか。懲りない奴だ」
僕は大袈裟にため息をついた。
「持ってきてくれた?」
嫌そうにする僕の態度に構わず宝条は嬉々とした笑顔で僕に両手を差し出した。
僕の書いた本をよこせと言いたいんだろう。
「僕は承諾した覚えはないんだが?」
「まあそうだけどさ、一応。やっぱりダメなの?」
宝条は持ってきてくれているとは流石に思ってはいなかったようだ。
そこまで図々しくはないらしい。
その表情は落ち込むでもなく、よもや当然とでも言いたげな感じだった。
それでも差し出された両手の手のひらはこちらへと向けられたまま。そんなに僕が書いた物語を読んでみたいのだろうか。
「もしかして見られるの、恥ずかしいとか?」
宝条はいたずらっぽい笑みを浮かべて僕を見上げてくる。
挑発のつもりだろうか。
「ふん、馬鹿な。そんな気持ちで小説を書くことの方が恥じだ」
僕は眼鏡をくいっと上げて言い放つ。
ことあるごとに眼鏡に手が行ってしまうのは、僕の癖だ。
「そっか、そう言うと思ったよ。城之内くんていつも自信満々って感じだもんね」
宝条の瞳が少し揺れていた。
だが僕としては宝条に一言言ってやりたい気分だ。
「宝条美咲、それはそっくりそのまま君に返そう。君こそよくもまあこれ程雑な扱いを受けてめげずに僕に話し掛けてくるもんだよ。僕は君の訳のわからない自信に戸惑っているよ」
「え? 意外……」
僕の言葉に宝条は初めて驚いた顔を見せた。
「は? 意外って何がだよ?」
「だってさ、雑な扱いしてる自覚あったんだなあって。城之内くんて、元々そういうキャラなのかなって思ってたから。意外と普通な感覚も持ち合わせてるんだなってさ」
「む……お前は一体僕にどういうイメージを抱いているんだ?」
「う~ん……それはちょっとノーコメントで!」
そう言って宝条美咲は笑った。
む? 何だ? 何だか胸がチクリとするぞ?
これはきっとこんな平凡な女にからかわれたからだろう。
「うるさいな、宝条。さっさと僕の前から消えてくれ」
僕はむしゃくしゃして宝条を睨み、しっしっと手をひらひらさせた。
「行くよ~。城之内くんが本を貸してくれたらね?」
「……そんなもの持ってきてはいない」
「え? ……そうなんだ……」
宝条の顔色が少し曇った。
ここまで終始笑顔でいた宝条の顔が翳って、ほんの少し罪悪感に苛まれる。
「城之内くんはさ、そんなに自分が書いた小説を、私に読まれるの嫌なの?」
少し俯き加減でそう言う宝条は急に元気がなくなった。
言葉も恐る恐る紡いでいるようで、僕は若干肩透かしを食らってしまう。
だからだ。
だからこの時宝条を完全に突き放すことはできなかったんだ。
「……いや……その。読むのは構わない。ただ、そんなに読みたければ、だ、誰かに借りるんだなっ」
「え!? マジ!? 城之内くんの小説ってそんなにたくさんの人が持ってるものなの!?」
そう言うと宝条はまたびっくりした様子で僕を見た。
まじまじと僕を見つめる表情は、勢いを取り戻したようで胸がまたチクリとなった。
僕はふうとため息を吐いた。
「今年の秋の文化祭で、文芸部から部誌の販売があったんだ。100部刷ったんだが、一応完売した。それに僕が書いた短編が載っている。手に入れられたら読勝手に読めばいいだろう」
流石にそこまでされれば僕も止めるようなことはしない。
それに元々誰かに読まれるために書いているのだから、そこまでしてくれるというのならば宝条は立派な僕の読者だ。
ならばそう無下にするのも憚られるというもの。
「ほへー。そうなんだ、分かった」
そういう宝条の表情は安堵して、少し蒸気もしていた。
何でさんな安心したような顔をするのだろう。
その心の内を僕ははかりかねた。
「……早く読んでみたいな。城之内くんの小説」
そう言って微笑む宝条。
また胸がチクリとした。
「……うるさいな。そう思うならさっさと探せばいいだろう?」
何だかまたむしゃくしゃしてきて、少し言い方が冷たくなったように思う。
宝条の顔を見ると、いつものように僕の顔を見上げていた。
「……うん。頑張るね?」
そうとだけ言うと宝条は胸の横で手を上げ、二度ほど振ると、自分の席へと戻っていった。
少し意地悪過ぎるだろうか。
実は本当は鞄の中にその部誌が一部入っていたのだ。
そこまで見たいと言うのであれば、タイミングを見て渡してやれば良かっただろうか。
そうすれば凄く喜んだに違いない。
罪悪感を感じながらも僕は大きく首を振った。
何を考えている?
あんな平凡な女にそんな事をしてやる義理などない。
これからも適当にあしらっておかないと後々面倒そうだ。
そもそもアイツが色々話し掛けてくると僕の執筆活動に支障が出るんだ。
僕はあいつと話し始めた頃からうまく執筆が進んでいないと感じている。
だから、これでいいんだ。
別に僕は何も悪いことはしていない。
そうは思いつつ、宝条は自分が友達がいないと言っていたことをふと思い出していた。
朝の日射しは斜めに入り込んで教室を柔らかく照らし、包み込んでいる。
その温もりさえも何故かイライラさせるのだ。